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玉虫色ストレンジャー  作者: 藤原キリヲ
葦原牧人、現在
14/14

●No00-2.Prismate for today

 名前も知らない、どこかの誰かの愛の歌。





today



 朝が来て、俺は窓を開け放った。


 午前八時の街並みが見える。

 アパートの向かいにある公園には大きな桜の木があって、ちょっと前までは満開だったんだけど、今ではすっかり葉桜だった。


「……なんか、な」

 なんか、なんだろう? 寂しいとか言おうとしてたんだろうか俺は?

 子供の頃から、俺は感情とか、思ってることを言葉にするのが苦手だった。

 学生時代ならそれでもよかったけど、劇的な成長も見せないまま俺は大人になってしまって、いい加減それじゃマズイよなぁ、などと最近は思ったりもしている。


 アパートの前の通りを、高校生たちが歩いている。男子も女子もお揃いの制服を着て、楽しそうに喋りながら。

 そんな光景を眺めながら何気なく胸のポケットに手を伸ばし、そこにタバコがないことに気付いた。

「あー、しまった……またやっちまった」

 タバコはもうやめたんじゃねぇか俺。

 そう自分を一喝する。


「……うーむ」

 寝癖頭をガリガリとかきながら、俺は窓辺にもたれかかった。

 どうもこの家に住むようになってから、この窓を開けてタバコを吸うという行為がすっかり習慣化しちまってるようだ。

 もうタバコは吸わない。体を悪くしたとかそんなオッサンじみた理由ではなく、単に吸うのがイヤになっただけだ。

 ――好きで吸ってたわけじゃないんだから止めるのは簡単だろう。

 そう思っていたが、数日を経た今でも中々それまでの癖は抜け切らなかった。

 世の人々が言う禁煙の難しさを俺も痛感しているところだ。


「ガム……噛もう」

 机の上に置かれたガムを手に取って、一粒口に放り込む。

 それをくちゃくちゃと噛みながら、俺はしばらく外の景色を眺めていた。


 そういえば、中学生か高校生ぐらいの頃からガムをこうしてくちゃくちゃやるのが好きだったような気がする。

 高校を出て大学に入ってからは、友人(名前は浅野っていう)に勧められてタバコを吸い始めた。

 ……実を言うと、俺はタバコ吸うのってあんまり好きじゃなかった。

 何か吸うと喉イガイガするし、逆に吸ってないと妙にソワソワするし、体もなんか重たくなって、ちょっと階段上がっただけでも息切れしちまう。

 それでも吸い続けてたのは、止めるほどの強い意思が俺にはなかったというか、まぁ単に吸わないとソワソワするから吸ってたってだけなんだと思う。


 ……で、タバコを止めた俺は、またこうしてガムを噛んでいる。


「…………」

 数分で味がしなくなったガムを紙に包んで、ゴミ箱へ。

 そしたら、何だか妙に口元が寂しく感じた。


 それでふと思った。

 俺ってもしかして、ガムでもタバコでも、とにかく何かを口に入れてると落ち着く性分なんじゃねぇか?

「うわ……、だとしたらマジでカッコ悪……」

 それって赤ん坊がおしゃぶり咥えてないと落ち着かないのと同レベルだ。

 ……そういえば爪楊枝咥えてるのとかも好きなんだよな俺って。決定的だ。


 ガムとかタバコとか、そういうちょっと個性あるアイテムで武装してるだけで、俺は結局はそういう自分のガキっぽい部分を隠したいだけなのかもしれない。

 ……思えば、昔からそんなのばっかりだ。

 虚飾って言うか見栄って言うか、自分の駄目な部分を必死に取り繕っている。

 最近では少しはマシになったんじゃねぇかと自覚してるけど、昔は酷かったのだ。本当に。


 ……今にして思い返すと、なんでそんなに必死だったのか正直疑問だったりもする。

 俺が老け込んだのか何なのか、何故そこまでして自分を良く見せようとしていたのか、最近はその理由を考えることが多い。

 で、思いついたのが、きっと俺は自分が嫌いだったからだと思う。

 自分のいい所が見つからなくて、嫌いな所しかわからなくて、そうしてカッコつけてれば、いつか自分が好きになれるんじゃないかとか思ってたんだろう。


「ガキだったなぁ、俺……」

 今でもそういう心理が働かないこともない。

 けど、そんな急ごしらえの努力で自分を好きになれるなら誰も苦労はしないのだ。

 ……こんなこと言うのはちょっとハズいんだけど、人間って日々がんばってると自然に自分が好きになっていくんじゃないかと思う。

 横着できるもんじゃないのだ。きっと。

 毎日自分がやるべきことを努力して、やり遂げて、そんなことを繰り返してるうちにちょっとずつ成長してって、いつの間にか“そんなもんか”と思って納得している。

 そういう感じなんじゃないだろうか?

 ……いや、全部俺の実感なんだけど。

 で、なんで言いたくないかって、それ言うと“俺がんばってます”って言ってるのと同じになっちゃうからさ、褒めて欲しいみたいでダサいじゃん。


 まぁそれ以前に、自分のこと好きとか嫌いとか、そういうアホなこと考えてるヒマあるなら働けって気もしなくもない。

 だからそんなこと考えて、自分の心をその場その場に応じて操作してる俺って、きっとあんまり強くない人間なんだと思う。

 強くないと生きる資格がないとは言いたくないけど、弱いままでいていいとも思わない。

 だからせめて、一人の大人として生きている以上、属している集団においてはマトモな動きできるように、日頃から自分の感情とか心とかを上手くコントロールして…………



「……って、あー、また変なこと考えてるぞ俺……」

 そこでハッと我に返る。

 気付けば俺は三つ目のガムを噛み終わっていて、アパートの前の通りを歩いていた高校生たちは一人もいなくなっていた。


 ボンヤリしてると、いつもこんな風によくわからないことを考えて、一人沈んでいってしまう。

 それはボンヤリしてることが悪いわけじゃなく、思考する度にいちいち沈んでしまう俺が悪いのだ。

 やっぱ弱い。けど仕方ない。そういう俺なんだから。



「……掃除、しなきゃな」

 そうだ。今日はすることがたくさんある。

 今日は仕事が休みだ。時間は有効に利用しないとな。


 俺はまず朝飯を作って食べた。

 みそ汁と、昨日の残りの米。あと梅干。

 家事の中でも、料理だけは昔から割と好きだ。

 親があんまり作ってくれなくて、よく自分で朝飯とか作ってたからだと思う。

 凝ったものを朝から食う趣味はないので、毎日こんな感じだ。



 それから俺は風呂に入って着替えをし、洗濯をして、布団を干した。

 押入れから、持ってるだけで使ったこともない掃除機を出してきて、床も掃除する。

 その後、台所と風呂場を綺麗にした。雑巾を持って洗剤まみれになりながら掃除していた時、風呂に入るのは掃除してからにすればよかったと後悔した。


 ……そんなことをやっているうちに、気付けば午後になっていたので俺は昼飯を作った。

 ラーメンだ。インスタントだけど。一人だとそんなもんだろう?

 食いながら唐突に、みんなを家に呼んで飯を作って食うってのも楽しそうだな、と思った。

 ――やろう、いつか。

 むしろ今日でもいいか。


 そう、それが掃除をしている理由。



 ――今日は、あれから初めてみんなと会う日だ。




 集合は数日前に決まった。

 言い出したのは耕平で、こっちに戻ってくるからまた会おうぜ、とのことだった。

 今、耕平は東京の大学に通っている。

 だが、就職も決まってヒマなのか、それとも単なるホームシックなのか、今年に入ってからあいつはやたらとこっちに帰ってきているようなのだ。

 卒業後の就職先もこっちの企業だって言うんだから、もう東京には懲りた感じなのか?

 これまでは地元の両親や親戚とかに会っていたらしい。久々に親族揃って寿司を食いに行ったりしたそうだ。

 あいつが親孝行なんて、なんとなく妙な感じがするな。


 で、その最早何度目になるのかもよくわからない帰省が今日で、俺も芥川も偶々仕事が休みで、薫も予定はないようだったから、会おうということになった。

 四人で顔を合わせるのは、明彦が主催した同窓会以来だ。


 そしてこれからは、俺たちは四人で一つの輪になる――――



「………………」

 あの日を最後に、俺の親友の一人は姿を消した。

 あいつが今どこにいて、何をしているのか。

 少し調べればもしかしたらわかることなのかもしれない。

 ……と言うか実際、気になってちょっと前に調べてしまった。

 調べるつもりはあまりなかったんだが、明彦の実家に行って何気なく聞いてみたら、お母さんがペラペラ喋ってくれたのだ。

 明彦は口止めしていたらしいが、親御さんは親御さんでやっぱりあいつのことが心配だったらしい。

 だから俺は、明彦が今どこで何をやっているのか大体知っている。

 金と時間に余裕があれば、飛行機に乗って会いに行ったりもできるだろう。


 ……だが、あいつはきっとそれを望まない。

 今、俺がすべきなのは、いなくなったあいつの影を追うことなんかじゃない。


 ……残った他の三人と一緒に、明日を楽しみに生きることだ。





「さて……」

 部屋の掃除が終わった。これほど隅々までこの家を掃除したのは初めてかもしれない。

 けれど落ち着かない。気がはやっている感じだ。

 元々、掃除を始めた理由だって、汚い部屋を見せたくないというよりは、じっとしているのが嫌だったからだ。


 そもそもあいつらと会うのは、平坂の駅前だ。部屋には来ない。

 けれど、薫だけはここまで俺を迎えに来ると言う。

 わざわざ電車に乗って俺の家まで来てくれるってのは嬉しいんだが……。


 なんだか俺は混乱している。

 薫が家に来る。それが久しぶりのこと過ぎて、何をどうしたらいいのかわからない。

 だからとりあえず掃除をして、その最中――いや今現在も、次々浮かんでくる彼女と話したいことを纏めようとして纏められずにいる。


「……あ、そうだ。ギター、練習しよう」

 思い出した。

 今日は薫にギターを聞かせる約束をしたんだ。

 大学に入った頃からまた始めたギター。今では少しは以前のカンを取り戻しつつあるんだろうか。

 彼女は、喜んでくれるだろうか。

 また一緒にセッションなんてできたら、もう最高なんだろうけど……俺の演奏を聞いてくれて、言葉をくれるだけでも俺は嬉しい。


「――何を弾こうか?」

 薫が喜びそうな曲はなんだろう。

 パッと何か言われて、俺はそれをすぐ弾けるだろうか。

 ……そう思うと、不安になってきた。


「練習だ……練習しないと……」

 落ち着かない。とにかく落ち着かない。

 また上手く弾けなかったらどうしよう。カッコ悪いところがあったらどうしよう。


 心臓がズキズキ鳴っていて、ピックを握る手だって汗まみれだ。

 ――なんでこんな、緊張してるんだ……俺?

 高校時代に薫と付き合ってた頃だって、こんなソワソワしてたことあったっけ?



 ひとしきりギターを弾いた後、何気なくテレビをつけた。

 ……テレビなんて普段はほとんど見ないから、なんか白々しい。

「あ……」

 そしたら、画面に映し出された意外な人物に驚いた。


 それは、今日の夜に放送する予定の音楽番組の予告編だった。

 今売れ筋のアーティストが登場して、スタジオライブとかインタビューなんかをやったりするってヤツだ。俺も高校生の頃なんかはよく見ていた。

 それだけだったら何のことはないんだが、問題は、出演しているアーティスト。

 テレビに映っているギタリストの顔を、俺は良く知っている。


「先輩……」

 気付くと、ギターを強く握っていた。

 目を落とすとそこにあるのは、塗料の剥げたボディと最近調子の悪いボリュームノブ。

 その本来の持ち主は今、ブラウン管の向こう側にいる。

「すげぇよなぁ……マジでメジャーデビューしちまうなんてさ……」

 そのギタリストは、俺が中学生の頃――ギターを始めようとしていた時に、このギターをくれた先輩だ。

 あの頃からすごく音楽が好きな人だったけど、今やあの人はプロの音楽家としてデビューして、“期待の大型新人”とか言われてグイグイ人気を伸ばしている。


 予告編では、ライブの映像が小出しにされている程度だ。

 それを見ながら、俺は自分とは比べ物にならないその技術力に圧倒される。


「うわ、マジでカッコいい……俺もこんくらい上手くなりたかったなぁ……」

 思わずそう言ってしまう。

 だがそれは悔しいとか羨ましいとかとは少し違う。

 ……いや、確かにそういう気持ちがないわけじゃないけど、それ以前に、純粋に知り合いがプロとしてがんばってる姿をカッコいいと思ったのだ。


 先輩はああしてがんばっている。ギターを弾いて生きている。

 俺もギターを弾くけど、あの先輩とは違ってギターを仕事にしているわけじゃない。

 それも別に、プロになれなかった俺が駄目っていうんじゃなくて、単に俺と先輩は違うってことだ。

 俺も先輩も、毎日それぞれの立場で精一杯生きてる。

 それでどっちが良いとかすごいとか言うんじゃなくて、どっちもがんばってる。だから肯定できるってだけだ。

 そう思ってる。負け惜しみとかじゃなくて、それでいいのだと。

 ……昔の俺だったら先輩がメジャーデビューしたなんて聞いたら、自分の無力感とかに苛まれて果てしなく落ち込んだりしていただろうな。

 ……って、あー、なんか俺、また妙な思考に陥ってないか?


「っていうか……先輩って、今はフライングV使ってるんだ」

 まぁ、人は少しずつ変わっていく生き物なんだと思う。

 昔あったことはあったことで受け止めるけど、そこから色々変わっていくんだ。

 この先輩だって、弾きづらくて使ってないから、ほったらかしにしとくのももったいないって言って俺にこのフライングⅤをくれたのだ。

 だってのに、今このライブ映像で先輩が振り回してるのもフライングⅤ。

 きっと先輩にも色々あって、前は使い難く感じてた楽器を愛用しようと思うように変わっていったのだ。

 髪だって今みたいに金色じゃなくて黒だったし、逆立ってもいなくて全然地味な髪型だった。

 そんな風に、誰しも自分の生き方があって、その中でそれぞれ移り変わっていくものなんだと思ってる。

 俺もそう。先輩もそうだ。


 ……まぁ先輩のギターは俺にくれたコイツみたいな安物じゃないんだろうけど。

 漆黒のボディから伸びるネックの先端には、ギター好きなら誰でも知ってるあのメーカーの名前が書いてある。

 ――そういえば、俺が前に欲しがってたギターもあんな感じだったな。

 結局先に買われちゃったけど、今頃あのギターはどんな人の元で音を鳴らしているんだろう……?



 ……まぁ、そんなことはどうでもよくって、先輩と俺は違うんだって話だ。


「そうだな。俺はこんなもんさ」

 諦めてるんじゃなくて、認めている。

 だって途中でサボったりしてた。そんなんでこの先輩みたいにカッコよくギターが弾けるわけはないだろう。

 不安は尽きない。

 けど、それが今の俺なら、受け止めるだけだ。


 ――ピンポーン!



「……って、もうこんな時間か!?」

 不意に鳴らされたチャイムで意識を戻すと、もう薫がやってくる時間だ。

 ていうか、実際鳴ってるわけで、もう来てる。


 ――よし……!

 覚悟は決まった。今、決めた。

 ……いや、実際は覚悟とかそんな大げさな感じじゃなくて、変に気取ったりすることもないって思えただけだ。

 そう、格好悪くたっていい。

 薫が一緒にいてくれるなら、俺はそれで全然構わないのだから。



 ギターを置き、テレビを消して、俺は玄関へ向かう。




「こ、こんにちは、マキくん」

「……いらっしゃい」

 ドアを開き、アパートの通路に立つ彼女と言葉を交わす。

 会社に行くまでの通り道でしかなかったその場所に、今、大切な人が立っている。

 同窓会の時も思ったが、彼女は少し背が伸びた。


 ……二人きりで会うのは、本当に久しぶりだ。

 高校生のまだ付き合ってた頃以来だから、三年か四年は経ってる。

 けど……その程度でドキッとしちまうヘタレな俺は、ホントどうしたらいいんだ?


「ふふっ、なんか緊張するね」

「……緊張? なんでよ」

「だってこの部屋に来るのは初めてだもん。前のおうちには何度も行ったけど」

「そ、そんな大層な部屋じゃねぇぞ?」

「そういう問題じゃないよ」

 苦笑する薫を部屋の中に通し、俺はドアを閉めた。


「……これからは、ここにもちょくちょくお邪魔するかもしれないね」

「そう、だな……」


 ……嬉しい。

 俺は今でもこいつが好きで、こいつも一緒にいてくれるって言ってる。

 大切にしたい。ずっと一緒にいて欲しいから。

 こいつが隣にいてくれたら、俺はどんな未来にも生きていけると思うから。


「へえ……ここがマキくんの部屋なんだ……」

「あんまキョロキョロすんなよ」

「いいじゃない。へえ、意外に片付いてるね」

「…………」

 ついさっき掃除したとは、さすがの俺でも言えないな。

「飲み物でも出すよ。コーヒーとかでいいか?」

「あ、淹れてくれるの? ありがとう」

 俺は台所に行き、お湯を沸かす。

 コーヒーはすごく好きってわけでもないけど、たまにこうして淹れて飲む。


「今日は、楽しみだね。四人で会うのは同窓会の時以来?」

「そうだな。あ、聞いたか薫? 耕平、こっちに引っ越すって」

「うん、聞いたよ。これでまた気軽に会えるようになったらいいね」

「なるさ。俺たちがそうしたいって思ってればな」

 彼女が部屋にいて、コーヒーを淹れている自分。

 そんな空気が、たまらなく居心地がいい。

 少し前までの灰色の空気なんて、この部屋にはもうちょっとも残ってない。



 これからはずっと、こんな空気が続いてく――いや、続くよう、俺が努力していく。

 それは俺にとっては責任だとも思う。


 ……かつての俺のしたことは大きい。

 それを明確に裁くことはできなくても、大変な罪を犯したと思っている。

 罪を償う……なんて簡単に言いたくないが、果たすべき責任はあるはずだ。


 取り続けていくことで、この関係が続いていくのなら、こっちとしては望むところ。

 俺が傷付けた彼女たちとの未来はきっとお祭りみたいに幸福で、想像するだけで笑いがこみ上げてくるぐらいなんだから。

 あれ? それだと償いの意味がないような気もするけど、まぁ……。


 俺は忘れない。

 傷付けたものを。そのために失ったものを。

 自分が行ってきたこと。


 それを噛み締めながら、今日もまた会えることを幸せに思おう。

 俺がずっとそんなことを思い続けてたところで、誰も褒めてはくれないだろうが……構わない。

 誰かに褒めて欲しくてやってるわけじゃない。俺自身がそうしたいからそうしているのだ。

 ……遠い空の下にいる、あの親友との約束だからな。


 明彦はもう俺たちと会うことはないだろうと言っていた。

 それがあいつにとって夢を追うために必要なら、親友としてそれを汲んでやらないといけない。


 けれど、あいつだって俺らのことが嫌いになったワケじゃないし、心の一部分ではまた俺たちと一緒にいたいって思ってるはずだ。

 だからもし、明彦が日本に逃げ帰ってきたら、その時は笑って迎えてやろう。

 そして、再び旅立つのなら、それを送り出してやりたい。

 人間、一度の失敗で駄目になることはない。周りに立つ俺のできることは、それを示してやることだとも思うし。

 ……それに、たまには俺だって明彦を出し抜いてみたいんだ。



 そんな限りなく無意味なことを企みながら、二人分のコーヒーカップを手に持って、俺は薫の元へ行く。


「ほら」

「ありがとう」

 並んで床に座り、俺たちはコーヒーを飲んだ。

「おいしいね」

「あぁ」

 頷き合う。

 誰かと一緒にコーヒーが飲めるってだけでも、意識すればこんなに幸せなこと。

 忘れたくない。いつまでもこの大切さを。

 いつ終わりが来ても後悔がないように。

 ……って、また暗くなってる。ホントに思考すると駄目だな俺は。



「……ま、いいか」

「え? どうしたの、マキくん?」

 今は薫が隣にいるから。俺の名前を呼んでくれるから。

 ……余計なことは考えなくていい。

 ただありのまま、飾らない俺でいたって、きっと受け入れてくれる。


 だから俺はギターを抱えて、





「――――薫、今日はお前が好きな曲を弾くよ」




 ――――今日もこうして、不恰好に笑うんだ。






 俺は今、幸せだから。

 笑って、ギターを弾きながら、考える。


 俺は今、高校時代のツテで整備士の仕事をしている。

 薫は大学を卒業したら、地元の銀行に就職することになっている。

 耕平も大学を出たら東京から帰ってきて、こっちの会社でサラリーマンをやるらしい。

 芥川はイタリア料理屋のスタッフで、近々同僚の人と結婚するそうだ。

 ……明彦は、今もどこかを旅しているんだろう。


 俺たちはそんな風に、それぞれの環境で、それぞれの日々を生きている。

 だけど俺はそんな中で、ふと思うだろう。

 特定の誰に対して、ではなく、俺の大切な人たち全員に向けて。




 君は今、元気だろうか。


 楽しく、笑っているだろうか。



 ……君は今日も、幸せだろうか。



 …………明日は、楽しみだろうか。






 ――俺は今……、ここにいる。




 祈るように、思うことにする。



 そんなことをこうして時々考えながら、


 みんなで仲良く歳を重ねていけたら、いいなって思う。






 今日も、空が青い。


 そんな空の下にいて、俺たちは風を感じている。




 昔より少しだけ短くなった前髪が、風に吹かれて揺れていた――――








挿絵(By みてみん)



玉虫色ストレンジャー 終



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