連鎖その3
「あたし、負けませんわよ、エルネスト先生」
「それはそれは。しかしこればかりは僕も、譲るつもりはありませんよ」
大人な雰囲気ただよう冬の日。
パエリエとエルネストが”スピルト”にて、そんな会話をしていました。
「なんだなんだ。あの二人の謎めいた会話」
それを影から見守るロジェと、
「うむ。あの組合せは確か、かつて”スピルト”ベストカップルに祭り上げられた……」
その兄、アルベール。
「そうそう、あんときは恋人同士のふりするなんてやっかいなことしやがって。まさか今度は本気で恋の駆け引きをしようってんじゃないだろうな」
「あり得るな。あのふたりのことだ。今度こそ本当のスキャンダルになる、といったところか」
分析するアルベールに、
「違いますわよ、社長」
いつから会話を聞いていたのか、パエリエが言いました。
「今ラロシェルで密かに始まった優しさのリレーのこと、ご存じ?」
「なんですかなそれは」
「ロジェがロマンヌに引き渡した優しさを、ロマンヌは二人もの人に引き渡しちゃったんですの。それが事の発端なんですのよ。つまり……」
「僕と、クロンヌお嬢さんに、ですね」
エルネストが先を引き取りました。
「クロンヌは風邪をひいて寝込んでしまっているから。代わりにこのあたしが、クロンヌの優しさを受け取ったということにして――だってあの娘、高熱の中であたしのためにドレスを縫ってくれたんですから――次にバトンを引き渡すのはどちらか、今争っていたんですの。あたしと、彼でね」
「しかし偶然、バトンを引き渡したい人は同じなんですよ」
「ほう。そうか。では話は早い。その人に選ばせればいいではないか。つまり、エルネストとパエリエさん、どちらの好意を受け取るか」
アルベールの言葉に、パエリエとエルネストは意味深に目を見交わしました。
「いいわね、それ」
「では」
言いつつ、エルネストとパエリエがそれぞれ差し出したものは。
「パリの有名宝石ブランド。アニヴェルセルのデパート優待券です」
「同じくパリ。でもちょっと郊外の公園で大人気のボートに乗れるチケットよ」
極め付けは二人ともそれぞれ異性に大人気の大人びた微笑を浮かべて、
「「選んでください、社長」」
そう言うのです。
「……うむ……」
アルベールは、考え……。
「パエリエさん、ありがたくいただきます」
ることなく、即決しました。
負けたというのに、エルネストは笑顔です。
「やはり、だめでしたか」
「当然だ。アニヴェルセルだと? わが社がつぶれてから急激にのし上がった、かつてのライバル宝石社じゃないか」
「とはいえ勉強熱心な社長のこと。わが社の至らなかった点を学び取ろうと積極的に足を運ばれるかも、とも思ったのですが」
「嫌味しか言えんのか、お前は」
「あぁ、よかった」
対するパエリエは、勝利の心地に上機嫌。
「アルベール社長って最近フルールとの進展の話も聞かないし、どことなく寂しそうだから、どうしても応援してあげたくって」
「それは、僕も同じだったんですがね」
エルネストはなお、おもしろそう。
「これも元秘書の性なのか。上司の幸せを願わずにはいられず」
「案外愛されキャラよね。あの人」
半ば、優しさを押し付けているふたり。その隣では。
「優しさリレー、それなんだ?……っていうかオレ、ロマンヌに何かしたっけ?」
掛けた情けを忘れている善人の鑑(笑)のロジェなのでした。
「……そう。このデートにはそんな理由があったわけね」
ボートに乗ったアルベールの恋人、フルールは少しがっかり。
なんでそのことをあたしに話すかな。そういうとこ、デリカシーがないわよね。あたしは、あなたが自発的に誘ってくれたんだと思っていたのよ。
しかし案外アルベールは、フルールのその気持ちを察したようで、
「すまない」
ボートを漕ぎ漕ぎ、謝ってきました。
「正直に言わずに隠しておくというのはどうも、心苦しく……。しかし私も、意気地がないな。他人に背中を押されないと女性の一人も誘えないなど……」
「そんなだから前の奥さん、とられちゃったのよ。ちょっとは弟のロジェを見習ったら?」
「フルール、情けないついでだ。君に相談がある」
「あら珍しい。なあに?」
「先程話したように、優しさのリレーという試みがあるのだが、私は一体、誰にどう渡してやったらよいものかと。その、君はいつも花を通して人々を喜ばせたいという想いで働いているだろう。そういうアイディアには事欠かないと思って」
「そうね」
フルールはポニーテールを揺らしながら、
「人を喜ばせるコツは、何か欠けていたり、困っている人に注目することだと思うの」
「……ほう」
「あたしはそうやって花を選ぶのよ。例えば、笑顔が足りない人にはカルミア。恋愛運イマイチな人には真っ赤なバラ。疲れていて癒しが欲しいのならカスミソウ」
「……ふむ。足りないもの、か」
「……ちなみに今のあたしに足りないのは、男の人の強引さ、なんだけど」
「ひらめいたぞ!」
アルベールはぐっと拳を握りしめました。
「クリスマスには欠かせないものを今年はあきらめるつもりだと、姪たちが嘆いていた!… …そうだ。なぜこんな簡単なことに気づかなかったんだ! ありがとう、フルール、君は最高の女性だ!」
アルベールは感極まって、フルールの、手の甲にキスしました。
「……まぁ、いいわ。手の甲であっても、嬉しいし」
「なにか言ったか?」
「ううん」
「フルール」
アルベールは彼女にぐっと顔を近づけて、言いました。
「この近くに、オーナメントショップはないだろうか?」
「緊急事態だ。致し方ない」
「……オレには、あんたが頭がぴかぴか光ってる事より勝る緊急事態はないんだけどな、兄貴」
ロジェは渋い顔で言いました。
「なにを言うか。その表現ではまるで、この私の頭に髪がないみたいではないか。読者の皆様の誤解を誘う発言は謹んでもらおうか」
そう。
断じて、髪がないのではなく、アルベールおじさんの頭のてっぺんには、お星様が光っているのです。それもかなり大きく、お星様の上には愛らしい聖母様が乗っています。
「どうだ」
おじさんは自分の頭を指差して自慢げです。
「フルールと郊外の公園デートの後、パリ中のクリスマス・オーナメントショップをめぐりにめぐって厳選した品だ。この聖母など、プレヌリュヌそっくりではないか。ロマンヌとレアが喜ぶ事請け合いだ」
「……けどさ、その格好で出てくのか? たぶん喜ぶより先に、ふたりともドン引き――」
「早まるな」
アルベールおじさんは、言いました。
「緊急事態だから来たといったろう。なんでも今年は、クリスマス・ツリー用のもみの木が、お前の家では手に入らなかったらしいじゃないか」
「ん、まぁな。もみの木が不作らしくて……って、まさか」
ロジェは恐ろしげな顔で言いました。緑色のマントが、ロジェの目の前で翻りました(マント……というにはいささか、見た感じから推測しうる手触りがふさふさしすぎているような気がしましたが)。
次の瞬間ロジェの視界に兄の姿はなく、あるのは大きなクリスマス・ツリーでした。てっぺんには、聖母マリアが乗った立派なお星様。そのクリスマス・ツリーが喋ります。
「見たか、名づけてクリスマス変身セットその3。今日からあなたもツリーさん!という品だそうだ! パリ路地裏の込み入ったところの店で見つけた。なんでもウパニシャッドとかいう国のもので、めったに入ってこない品だそうだ」
「めちゃくちゃうさんくせーじゃねーか」
呆れかえるロジェに、兄はその眼をきらりと光らせて曰く、
「姪たちを喜ばせるためならば、手段はいとわない。それが私のやり方だ」
「わかった。ありがとよ」
ロジェはどこかぞんざいに礼を言うと、
「でもな、今夜中絶対ツリーに徹して、正体見破られんじゃねーぞ」
「任せろ。静止には自信がある。しかし問題は、この有り余る威厳と存在感だな。こういった生まれ持った性質を隠し切るのは容易ではない。やはりこれは元とはいえ一流宝石店社長という座を占めていた者の悲しさというものだろうか、いや、私という人間はそもそも威厳なしには語れないというか……」
「兄貴! ロマンヌとレアが来る! 喋るのやめろ!」
ドタバタと、”スピルト”内に走り寄って来たのはレアでした。
「えっ!!これ、どーゆーことでしゅの!?」
巨大ツリーを見て、もうびっくり。
「パパ、今年はツリーはないけどごめんって……」
「あぁ。なんか、だな……その……そうだ」
ロジェは、後から続いて入って来たロマンヌとレアに、説明しました。
「君たちふたりが良い子だから、ついさっき、サンタさんが来て、くれたんだ。これ、どうぞってさ」
「おぉ~!」
「すごい!」
レアとロマンヌは感動の眼差しで、ツリーを眺めます。
「ツリーしゃんのてっぺんの聖母しゃま、ママみたいでしゅ」
「ホントだね。やったね、レア!」
ところが、どっこい大ピンチ。
ツリーが、震えだしたのです。
文字通り静止して、息も止めていたアルベールでしたが。
人を驚かすため、もとい、喜ばすために隠れている人間がなりがちな事態に襲われてしまったのです。……つまり、猛烈に吹き出しそうになっていたのでした。
はははっ! なんて愉快なんだ! レアに至っては、私の予言通り、聖母とプレヌリュヌの類似性を指摘して喜んでいるではないか。なんて愛くるしいんだ。あはははっ! はははっ!
「んんっ? なんだかツリーしゃん、動いてりゅよーな……」
「うん。わたしもそんな気がする」
やばい。レアとロマンヌにばれる。
ロジェはたまったものではありません。
「あ、あぁそれはきっと……ツリーさんも、ロマンヌとレアに会えて、嬉しくて感動してんじゃないかな」
「「えーっ!」」
禍転じてなんとやら。ピンチはなんとか。ロマンヌとレアは大興奮。
「このツリーしゃん、生きてりゅんでしゅかーっ!」
「ねぇ、お話とかできるのかな?サンタさんのこととか、教えてくれないかな?!」
(お、おい兄貴)
ロジェは小声でツリーに話しかけます。
(リクエストだぜ。何か喋れ。ただし、裏声でな)
(そんな屈辱的なことができると思うのか)
同じく小声でアルベールは囁きますが、
「ねぇツリーしゃん、サンタしゃんの国にいたってことは、いちゅもレア達のこと見てたんでしゅかー?」
「そうだよ、ははっ」
レアの問いかけには思わず、どこかの人気キャラクターネズミのような声を出します。
「レアもロマンヌもとっても良い子だね。でも、アルベールおじさんにもっと優しくしたら、もっ良い子だと思うよ!」
「え? どうしておじさんのことなんて……?」
ロマンヌが首を傾げます。
(おい! やばいぞ、ロマンヌが疑い出してる)
ロジェの囁きに応えてツリー・アルベールは、
「はははっ。ごめんごめん。アルベールおじさんはとっても立派で偉大だからつい」
「どうしておじさんのことそんなに褒めるんでしゅか?」
(おいバカ! 逆効果だろそりゃ。見ろ、レアまで疑ってるじゃねーか)
(ロジェ。どうすればいい)
(話題変えるんだ、話題を!)
「あっ! ケーキの香りが漂ってくるよ! ははっ。パーティーはもうすぐだね~」
ツリーは必死で叫びます。
「ケーキ! レアだいしゅきでしゅ~」
「わたしも!」
子どもたちの意識はそれました。ほっ。
(よくやった、兄貴)
「くっそー。ブッシュ・ド・ノエルを作るのは、オレの役だったのに~」
だだをこねたように言うパパ、ロジェを、いいじゃない、とケーキを運んできたパエリエはさらりとかわして、
「あんた達はいつも、ママなしで頑張っているんだから。今夜はあたしがママ代わりになっちゃうわ」
パエリエちゃんがそう言ってノエルをテーブルに置いた瞬間、
「わーい、でしゅ~」
レアが彼女の胸に飛び込んで、顔をうずめました。
「気持ちいでしゅ」
「……」
その様子を見ている遠慮深いもうひとりのおちびさんに、
「こっちの膝開いてるわよ」
パエリエはささやくように言いました。
「うん!」
その子――ロマンヌは、大きな声が出たのに自分でもびっくりして、そしてパエリエのもとへ走っていきました。
豊かな自慢の胸に頬ずりして、レアは言いました。
「でも、パエリエちゃんは、ママには見えましゃんわねぇ」
「あら、どうして? あたしじゃ不足かしら」
レアは首を横にふりふり、パエリエの大きな胸をぽむぽむと叩きました。
「違いましゅ。こればっかりは、ママにはありましぇんから」
沈黙が流れました。
「その点、パエリエちゃんは、ふっかふかのぽっよぽよでしゅ」
「……いいよな、子供って」
ロジェがポツリとそう漏らしました。
「あら、あいにくあんたの席は空いてないわよ」
パエリエはそっけなく言います。
しばらくするとレアとロマンヌはパエリエの膝から降りてツリーさんの周りを駆け巡り始めました。パエリエはここのところ取り掛かっていた作業を始めてみます。
「珍しいな、編み物なんて」
「そう?」
ロジェの呼びかけに、パエリエは編み棒を絡めた手止めずに言いました。
「随分細かいもん作ってんだな」
「ふふ。これ、お人形の服なのよ」
「人形? なんでまた」
「恋しい相手を模った人形を聖夜に相手に贈ると、その人形にはその相手の聖なる魂が強く宿って、余所見をしようとする心を戒めてくれるんですって」
「へぇ。……お前の旦那さんには、あんまり、必要ないような気がするけど」
「あたしもそう思って、その伝説を聞いても、ずっと右から左に流してたの。でもね」
こっそりと。パエリエは言いました。
「クロンヌのこともあったことだし、ちょっと心配になっちゃって」
いつもそういう顔してりゃ可愛げも出るのにというロジェの膝をパエリエは軽やかに蹴飛ばしました。
「家族水入らずのところを邪魔しちゃ悪いわってあたしは言ったんだけど」
パエリエはアルベール・ツリーおじさんの周りをはしゃぎまわるロマンヌとレアを眩しそうに見ながら言いました。
「ロジェがどうしてもって言うのよ」
小声で彼女が話しかけた先は、なんと、もみの木。つまり、アルベールおじさんです。 何を隠そうパエリエには、アルベールおじさんの正体が、ちゃんとわかっていたのです。
「すみませんな。あなただって、クリスマスくらい、旦那さんと過ごしたかったでしょうに」
「いいのよ。どうせあの人は、ヴァンセンヌに出張中だし」
「そうでしたな。ヴァンンヌでは旦那さんに、義理の妹がお世話になって」
「それもいいの。あたしが望んだことだもの」
「……ほう、それは」
クリスマスツリーは、もみのはっぱの中で目を見開きました。
クリスマスツリーは知っていました。パエリエちゃんのかつての想い人のことを。それが、たった今楽しそうにロマンヌとレアと戯れている、自分の弟だということを。パエリエはいたずらっぽく片目をつむって、
「ロジェの奥さんに、医師としてあの人を紹介したのは、このあたしなんですことよ? クリスマスツリーさん」
パエリエは、数日前ロマンヌに行った言葉を思い出していました。今になってしてみたら、彼と、彼の好きな人との幸せが、あたしの幸せと矛盾するなんて、全然言想わないけどね。
だって……。
「だって、ふたりの間には、こんなに素敵なものがたくさんあるんだもの。ロマンヌとレア。あなたたちをはじめとしてね」
「? なにか言われましたかな」
「いいえ、ツリーさん」
パエリエはにっこりと笑いました。
「なんでもありませんわ」
アルベールおじさん、頑張ったで賞です。