第4話 付きまとう過去
気がついたら、闇の中にいた。闇といっても、自分の視界ははっきりしていて、でも風景は全部黒色、という感じのところ。目を閉じてても部屋の電気を点けられたら分かってしまうように、意識はきちんとある。だから、完全な深い闇ではなかった。
ただ、心は闇だった。不安で不安でしかたない。自分がそこにいるのは分かっていても、そこにきちんとした足場があるのかは分からないし、まず自分のいるべき場所がここなのか、それさえ不確かで、だからすごく不安になる。
「由奈」
そのとき、誰かに呼ばれた。
やっと助けに来てくれた、と思い期待して振り向いたら、そこにはあの人がいた。いや、いるのだけど姿は見えない。まるでこの闇の風景自体があの人を表しているみたいに感じて、余計に怖くなった。
写真でしか見たことない人。わたしを産んで、捨てた人。この世で一番許せなくて、一番嫌いになれない人。その人が、今、わたしを取り囲んでいる。
「あんた、なんで生まれてきたわけ?」
闇の中から声がする。
「やめてっ!」
これ以上わたしの人生に付きまとわないでほしい。付きまとってくるのなら、どうせわたしを捨てるなら、親子という関係も一緒に捨ててほしかった。完全に断ち切ってもらえないと、わたしは考えてしまう。嫌でも思い出してしまう。もう、こんな思いするなら、生まれてこなきゃよかった。
その時、わたしの足元に大きな穴が開いて、落ちそうになった。足から一気に穴の中に吸い込まれそうになる。ここに落ちたら、もう二度と戻ってこれない。
「助けて!」
必死に声を出してそう求めるけれど、姿のない冷たい声はこう言った。
「あんたなんて、いなくていいのよ、元々」
思いっきり泣き叫んだけど、喉がつぶれたみたいに声が出ない。わたしは、一生続く闇の中へと落ちていった。
「由奈、由奈っ」
強い力で肩をゆすられて目を覚ましたら、ぼやけた顔がそこにはあった。しばらく呆然としているとそれが香絵の顔だと分かった。少し首を左に傾けると、まだ夜空にはあの輝かしい月があった。
あぁ、またあんな夢見ちゃったんだ、と思った。安心感よりも、そんな気持ちが先に出てしまった。
「香絵・・・・・・?」
「由奈、大丈夫?」
「うん・・・・・・」
ひどく重くてだるい体を起こしながら、うなずいた。
「すごいうなされてたよ、さっきまで」
「うん・・・・・・」
「大丈夫?」
「うん、ちょっとまだくらくらするけど」
「なんか、『やめて』とかってすごい大声で叫んでたよ」
「思ったよりきつかったから」
「また、いつものひどい夢見ちゃったの・・・・・・?」
「ひどいっていうか、まぁそうなんだけど。でももう慣れちゃったから、平気」
「そういうのは慣れちゃいけないよ」
「でもしょうがないじゃんっ! 見ちゃうんだから」
思わず、感情的になってしまった。こんな夢を週に一度は見てしまう自分がものすごく嫌だ。運命を憎んでるわけじゃないしあの人を恨んでいるわけでもない。ただ、自分の人生なのにそれを人にぶつけてしまったわたしは、すごく最低な人間だから、それがたまらなく悔しかった。
香絵は戸惑うような顔をして、わたしを見る。普段わたしがそこまで怒ったり大声になったり、ということがないから、特別そうなのかもしれない。でも、香絵の目の奥から伝わってくる言葉にできない感情は、直接胸に響いた。
「見ちゃうんだから、しょうがないでしょ。自分の意思じゃどうにもならないことって、あるでしょ。わたしは、それが多いだけだから・・・・・・心配ないから・・・・・・」
正直にごめんと言えなくて、結局言い訳みたいな謝り方になってしまった。
「とりあえず、その夢のことは思い出さないほうがいいよ。何も考えないで寝ころんでたら、またすぐに眠れるだろうし。すぐには無理だろうけど。明日も早いし」
「うん・・・・・・ありがと」
「ううん。ここで暮らすんだから、それくらい自分出さないと、やっていけないよ」
「そうだよね、ほんとありがとね」
最近、無性に苛立つことが多い。
思春期は精神的に不安定、とよく言われる。グラグラ地震のように揺れるんじゃなくて、シーソーのバランスが保たれずにいるような状態がそれだ。わたしの場合、シーソーが傾く方向は決まっているけれど、傾き具合がその時々によって変わってしまう。少しの差で嬉しくなったり、悲しくなったりイライラする。でもその根底にあるのは、自己嫌悪、という感情だ。
「じゃぁ、電気消すよ」
そんな中、香絵の優しい言葉には安心する。
香絵がいることで、どうにかわたしは「わたし」でいられる。
「おやすみ」
「おやすみ」
豆電球だけ点いた部屋は、やっぱり落ち着いた。あれだけ小さな明かりがあるだけでも全然違った。出口のない洞窟でも、岩と岩の間から光がもれているだけで外に出れる気がするように、わたしの心に住む深い闇にも、いつかそういう日がくればいいと思った。そんな日なんて来るはずのないこと、ほんとは分かっていた。それでも、期待してしまう自分がいた。