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指切り  作者: 直井 倖之進
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第一章 『発端』③

 これまでの真澄の人生で、最も長い夜が明けた。

 どうやって自宅マンションまで帰り着いたのかまったく記憶のないまま、彼女は、リビングの隅にあるパソコンの前に座っていた。昨夜の雨で濡れた服を着替えることもせず、ひたすらキーボードを叩き、マウスを操作していた。

 やがて壁掛け時計が午前八時を告げると、真澄はおもむろに立ち上がり、電話口へと向かった。発信先は会社で、電話に出たのは真澄の上司、()()(ぎり)だった。

「おはようございます。久保ですけど……」

 抑揚のない声で、真澄は言った。

「おう、久保君か。どうした?」

 真澄とは対照的に、張りのある声で小田桐はそうたずねる。

「私の残りの出勤日ですが、全て有給休暇を取らせてもらえますか?」

「え? それは別に構わないが……」

 彼は続けて、「どうかしたのか?」と聞こうとしたが、

「よろしくお願いします」

 と、その質問をされる前に彼女は電話を切った。

 足元をふらつかせながらパソコンへと戻り、作業を再開する。モニターには、検索により抽出されたサイトが並んでいた。検索ワードは、“殺人”と“依頼”。その数、およそ二百四十一万件。サイトの中には重なるものもあったが、真澄はその内容の一つひとつをつぶさに確認していた。

 そう。彼女は、“依頼殺人”を計画していたのである。

 “殺人”の標的は、言うまでもなく朝霧雄介だ。“依頼”としたのは、自ら出向いたとしても恐らく雄介は警戒するだろうし、それ以前に、会うことすら拒むだろうと思ったからである。

 この気の遠くなる作業を、真澄は二週間続けた。


 二週間後。膨大な検索結果のうち、百八十万件の閲覧が終わった。

 しかし、マウスを操作する彼女の表情は曇り、焦りの色さえ表れていた。検索した当初、二百万件を超えるサイトが出てきたことに驚く一方で、「これだけあれば見つかるだろう」と、彼女は楽観的に考えていた。だが、いくら細かに見ていっても“希望する条件”に合うものが無いのである。

 真澄の“希望する条件”とは二つあった。ひとつは、殺人の実行者と接触しなくてよいこと。もうひとつは、確実に実行してもらえる保証があることだ。

 特に、二つ目の条件を満たすものに至っては皆無だった。ほんの少し冷静になれば、それが当たり前だと分かるのだが、今の真澄がそこに気づくはずなかったのである。

 消沈しつつ、それでも真澄は機械的にマウスを動かし続けた。

 それから更に一時間がすぎた時、彼女の右手はぴたりと動きを止めた。

 モニターには、『あなたの恨み、晴らします』との朱書きの題字が映し出され、どこにでもあるような日本人形の写真が載っていた。七、八歳ぐらいだろうか、前髪を揃えた少女の人形である。写真の下には“入札”の文字もあり、どうやら個人運営のオークションサイトのようだ。現在の購入希望価格は、一万八千円。価格決定までの残り時間は、十五分となっていた。

 「この日本人形が、人を殺すとでもいうのだろうか? 怪しい」そう思いつつも真澄は、画面から目を逸らすことができなかった。

 壁掛け時計が、コツコツと時を刻んでいく。

 あっという間に残り時間は五分を切り、価格は十四万円にまで上がっていた。

 数秒刻みで増え続ける数字を見つめながら真澄は、“ある事”を思い出していた。

 それは、あの日、“Bee”で雄介が、「返してもらうつもりはない」と言った結納金だった。

 自分が渡した金で自分の殺人を依頼されてしまう男、朝霧雄介。

 皮肉なその構図に、真澄は狂気に満ちた目でにやりと笑った。

 彼女は、金額記入欄に迷うことなく結納金の額、百万円を入力し、入札をクリックした。

 その後、購入希望価格は百万円のまま落札時刻を迎え、やがて真澄のパソコンにメールが届いた。

『ありがとうございます。お客様が、価格百万円で落札されました。ご入金が確認されたのち、発送となります。なお、商品がお手元に届くまでにはひと月ほどかかりますので、ご了承ください』

 真澄は、指定口座をプリントアウトすると、パソコンをシャットダウンし、銀行へと向かった。


 それからひと月。“復讐の化身”となる日本人形を真澄が手にしたころには、季節は梅雨が明け、夏になっていた。

 マンション下の公園では、始まったばかりの夏休みを満喫しようと、狂おしいほどの奇声を発しながら、子供たちが走り回っていた。

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