第三章 『雄介の死』④
二十分後。
人形はまだ雄介の部屋にいた。長襦袢は羽織ったままだが、着物を脱いでいる。
「おっせんたく~、おっせんたく~、きれいにしましょう、おせんたく~」
明らかに自作だと分かる唄を歌いながら人形は、フローリングに溜まった雄介の血を掬うと着物に擦りつけていた。
付着した真っ赤な血液は、乾くと薄い茶色に変色し、以前よりも増して着物を斑に染めたが、そんなことを気にする様子もなく、人形はそれを繰り返した。
「できた!」
歓喜の声を上げると人形は、傍らで目を見開いたままでいる雄介の前に着物を広げて見せた。
それから、
「きれいでしょう? いいにおいもするのよ」
と、彼の鼻先にそれを押しつけた。
そう。人形はずっと気にしていたのである。「汚いし、臭いし、最悪だな!」との雄介の言葉を。
しかし、既に物言わぬ雄介に、返答する術はなかった。
「ちぇ、つまんないの」
がっかりした様子で人形は、着物を羽織ると腰紐を結び、帯で背に福良雀を作った。
その後、動くことのない雄介を暫く眺めていた人形だったが、
「さて、と。“おかたづけ”しよ、っと」
思いついたようにそう呟いた。
雄介の左首筋に刺さったままの果物ナイフを、
「よっこいしょ」
の掛け声と共に引き抜く。それから、血を拭うこともせずに、それをテーブル上のフルーツバスケットに戻した。
「よし。“おかたづけ”おしまい、っと」
満足そうに手をひとつ叩いた人形は、そこに、袋が二つ置いてあるのを見つけた。
「おやおや? なにがはいっているのかな?」
人形は、袋から中身を引きずり出した。
出てきたのはパスタ。ゴルゴンゾーラのスパゲッティーニだった。
「なに、これ。しろいミミズみたい。へんなものをたべるのね、にんげんって」
顔をしかめながら人形は、パスタをテーブルの端へと押し遣った。
続けて二つ目を開ける。こちらは、小百合へのプレゼントが入っている袋だ。
「きれ~い!」
パスタには全く興味を示さなかったが、アンクレットは気に入ったようだ。中を覗いた人形は、目を輝かせて感嘆の声を漏らした。
「ねぇ、ゆうすけ。これ、エーコにちょうだい!」
変わらぬ恰好で倒れている雄介に向かって、人形がアンクレットを振って見せる。
「あげるよ。かわいいエーコに、おにあいだよ」
人形は、雄介の声色を真似て自分の頼みに答えた。
「ありがとう!」
自分の返答に自分で礼を言い、人形はアンクレットを首につけた。
「さて、か~えろ!」
最後に雄介を一瞥すると人形は、その場から忽然と姿を消した。
雄介の死から僅か一時間後の午後九時。遺体の第一発見者となったのは、合鍵で部屋のドアを開けた小百合だった。雄介の変わり果てた姿に彼女は、慟哭しながらマンションの階段を駆け下り、お抱え運転手の斉藤に室内の様子を伝えた。泣きじゃくる小百合を車に残し、彼は、教えられた部屋へと向かった。
小百合の説明どおりの凄惨な現場を目の当たりにした斉藤は、携帯電話から警察に通報した。
五分後。通信指令室からの連絡を受けたパトカーが現場に駆けつけた。遺体を発見した警察官は、現場保存をするとともに鑑識を依頼した。
所轄の鑑識や刑事第一課が到着すると、現場は俄かに慌ただしくなった。
遺体とテーブル上の果物ナイフとの距離や血溜まりの不自然さから、これは自殺ではなく殺人事件であると判断した鑑識は、臨場する刑事にその旨を報告し、同時に周辺地域の検問も要請した。
鑑識活動が終わるまでの間は現場に立ち入れないため、刑事は、玄関外の渡り廊下で小百合や斉藤から遺体発見時の様子を聴取した。
刑事の質問に答えることもできないほどに憔悴しきった小百合は、赤く泣き腫らした目で遠くに見える住宅の明かりをただ眺めていた。




