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僕は彼女が外出をしている間に、例の合鍵を使って部屋に侵入し、さらに盗撮カメラの台数を増やした。
いまのカメラだけではどうしても玄関やキッチンを見ることができないからだ。
僕はいままでさほど興味を持てなかったこの深井さんという女子大生が妊娠しているとわかると、急に彼女のことが気になりだした。
独身の僕は妊娠中の女性の生活がどういうものかまったく想像もつかない。
それに彼女は学校はどうするのだろう。
相手の男をいままで一度も見たことがないが、どうなっているんだろう。
僕は彼女のことがをもっと知りたくなった。
僕は隣の部屋の住人が変わっても、合鍵がそのまま使えることに少し驚いた。
このアパートの大家は住人が入れ替わっても玄関ドアの鍵を交換していないのである。
僕は念のため、不動産情報誌をコンビニで立ち読みしてこのアパートの入居者募集広告をチェックした。
そこには間違いなく「鍵の交換代20,000円」が必要との記述がある。
恐らく大家は鍵の交換代金として2万円を新規入居者から徴収したにも関わらず、ドアノブの鍵自体は交換せずに合鍵作成の業者などに依頼して真新しい鍵を2本ほど用意し、それを入居者に手渡して交換したと見せかけているのではないか。
古い鍵をそのまま入居者に手渡せば細かいキズやサビなどからドアノブ自体を交換していないことがバレてしまうが、真新しい合鍵を渡せば入居者はドアノブの鍵そのものを交換してくれているものだと信じるだろう。
合鍵の作成など1本1000円以下でできるので、2万円だと十分にお釣りがくる。
ここの大家は毎週土日にアパートにやってきて代金を徴収したり、住民から寄せられた苦情の解決を行ったり、掃除をしたりしている。
僕は掃除中の大家に缶コーヒーを手渡して世間話のフリをしながらいろいろと質問をしてみた。
そこでわかったことは大家はサラリーマンの片手間の副業として賃貸アパートを経営していることがわかった。
いわゆる「サラリーマン大家さん」と呼ばれる形態で、ようするに賃貸アパートの経営はまだまだ素人なのだ。
彼は競売と呼ばれるオークションのような方法でこの古いアパートを安く手に入れた。
そうやって通常より物件を安く購入し、まわりのアパートに比べて立地や築年数からすると2割くらい安い賃貸料金を設定していた。
競売物件というのは不動産屋を経由した売買とは異なるため、業者への中間マージンが発生しない分やすく購入できることがある。
当然プロの不動産屋も狙っていたり、いわゆる暴力団のような人間が手を出すこともあるので、素人が容易く参入できる取引ではない。
だが、何年前からサラリーマンが不動産物件の大家となって働かずに収入を得る不労所得という考え方がもてはやされた時期があり、その時に不動産のプロたちが書いた書籍などが出まわって、一般の人間でも競売に参加しやすくなるノウハウが一部開放されたのだ。
彼はその時に学んだノウハウに従って、粘り強く物件を探しまわり、決して無茶はしないで自分が手が届く範囲の資金でようやくこの物件を手に入れたという。
物件を手に入れたあとも管理会社には任せずに自分で管理するという方法を選んだ。
管理会社に任せるとせっかくの不動産収入をほとんど彼らに持っていかれてしまい、手元にはお金が残らないからだ。
だが、プロの管理会社に任せなかったせいでこの合鍵のようなずさんなアパート経営が行われていることも事実だった。
僕は何気なく街なかに建っている世の中のアパートが、こんなふうにいい加減に管理されているのかと思うと、自分がやっていることは棚にあげてゾッとした。
安いアパートに入居するときは鍵の交換の立会いをした方がいいなと思った。
***
新しく設置した盗撮カメラの映り具合を僕の部屋のモニターから確認しているとちょうど彼女が帰ってきた。
いままで映らなかった玄関で彼女がサンダルを脱ぐ映像を見て、僕はとても満足した気分になった。
彼女は妊娠しているんだなとわかると、そう言えば靴を脱ぐ姿も苦しそうだと思った。
着ている服もゆったりとしたサイズのもので、立っていればお腹があまり目立たない服装だ。
彼女は部屋に入るとバッグをおろしてそのままぐったりと横になってしまった。
今までも植物のような生活だったが、今日はいつもよりもさらに元気がないように見えた。
彼女はしばらく休んだあと、だらだらと起き上がって部屋着に着替えようとし始めたので、モニターを切り替えた。
そして以前から気になっていたことをインターネットで調べるにした。
いろいろとキーワードを組み合わせて検索をしていると、ネット上でいろんなことが相談できる掲示板に辿り着いた。
お腹の膨らみがはっきりわかるのは妊娠5ヶ月~7ヶ月だと書かれている。
産まれてくる子が男の子や女の子でも少し違いがあると書かれているが事実だろうか。
便秘でもお腹が大きく出てしまうといったことがあるらしく、僕はふふっと笑ってしまった。
隣の深井さんが妊娠しているものだと思っていたら、実は便秘でしたというオチを想像してしまったのだ。
インターネットの掲示板の書き込みは、これから産まれてくるであろう命への喜びを漂わせている気がする。
僕は彼女たちの嬉々としたコメントがまぶしく感じて、そっとそのページから離れた。
・・・ということは鈍感な僕ですら気付くのだから隣の深井さんは少なくとも妊娠5ヶ月以上にはなっていそうだった。
立っていれば目立たないとは言え、さすがに便秘ということはないだろう。
僕は彼女の妊娠の可能性を考えてから、ずっと気がかりなことがあった。
まず、彼女は学生であるということ、それから一度も産まれてくる子の父親らしき人間が現れないことだ。
普通は彼女の体調を気遣って、部屋に様子を見に来たりするものではないだろうか。
それが一度も姿を見せないということは、彼女が妊娠したことを父親となる男性に打ち明けていないか、あるいは望まれない子供だから・・・ではないだろうか。
そこまで推測して、僕はさらに別のことを調べたくなった。
中絶 時期 法律
法律上、妊娠中絶を出来るのは、妊娠21週6日とされている。
また、妊娠12週を過ぎた場合の中絶は火葬をして、死亡届を出す必要があるという。
つまり、彼女のお腹の中の子供は法律上はもう人間なのだ。
彼女はそのまま産むのだろうか。
それとも・・・。
そろそろ着替えが終わっただろうか。
僕はモニターを再び彼女の部屋の映像に戻した。
モニターには深井さんがひざを抱えてうずくまっている映像が現れた。
僕が目を離している間に、いつの間にか彼女は泣いていたようだ。
彼女の涙は妊娠と関係があるのだろうか。
ひざの中に顔をうずめているので表情は見えないが、モニター越しでも彼女の肩が震えているのがわかる。
両手の指の爪が互いの二の腕あたりにぎゅっと食い込んでいる。
帰宅してすぐに横になったあたりから今日はいつもと様子が違っていた。
声を上げて泣いて発散しようという雰囲気ではなく、ただ静かに何かが通り過ぎるのを我慢して耐え忍んでいるような泣き方だった。
んぐ・・・うぅ・・・
それでもかすかに嗚咽のようなものが聞こえるようになった。
堪え切れない悲しさが漏れ出てしまったような声だ。
何があったのかはわからないが、僕は一人気まずい思いになった。
そう言えば以前にも彼女が泣いて帰ってくることがあって、僕はたまらずモニターの電源を落とした。
勝手に人の部屋を覗いているのだから、僕が気まずい思いをしても誰にも文句は言えない。
僕はやはり今回もなんだか嫌な気持ちになって、彼女の部屋を映し出しているモニターの電源を消そうとしたその時、彼女がのっそりと立ち上がり、ズルズルと重そうに身体を引きずりながらダイニングキッチンの方へ移動した。
なんだろう・・・様子がおかしい。
僕はカメラの視点を切り替えて彼女の姿を追いかけた。
なんだか胸騒ぎがする・・・。
彼女はキッチンへたどり着くと、シンクの下の開き戸に手をかけた。
そして開き戸に立てかかっている包丁をゆっくりと取り出す・・・。
彼女の細くて白い手に握られた包丁はモニターごしでもぎらりと光っているように見えた。
包丁は普段料理をするための道具であるはずなのに、この瞬間だけはとても凶々しい狂気を放っていた。
おいおいおいおい!何をする気だ・・・・。
嫌な予感しかしない。
いつの間にかパソコンにつながっているマウスを握る手が汗ばんでいた。
緊張で自分の顔に血液が集まってきているのを感じる。
モニターの中の包丁を持つ彼女の手がぶるぶると震えて、もう片方の手首にだんだんと近づいていく。
ああ、どうして嫌な予感というのはよく当たるのだろう。
僕は人が自殺したとか、殺されたとかそういうことをニュースやネットなんかで目にしても、特に気持ちがざわついたりすることはなかった。
毎日起きる事件のひとつだし、テレビ画面ごしの出来事だし、全く現実味なんて感じなかった。
だけど今、このモニターごしに見えている映像はそれらとは全くちがう。
よく考えてみれば僕は事件のなんかの「結果」は知っていても、実際に人が傷つくシーンを見たことなんてなかったのだ。
映画やドラマの作り物の人間がいくら血を流しても、やはりどこか冷静に観ていられる。
だけど、今、現実に起きようとしている出来事はそれらとは全く違う。
僕の目の前で一人の生身の人間が傷を負うかもしれない。
確かにテレビや映画と同じようにモニターを通じて僕はそれを観ているのだけど、実際にこの映像の出来事はすぐ隣りの部屋で起きているのだ。
僕はモニターに釘付けになっていた。
こんなシーンを見るために盗撮をしているわけではない。
TV番組のドッキリ企画のような映像を期待しているのに、僕がたったいま目にしている光景はあまりにも生臭い。
彼女を止めなくちゃいけない・・・。
だけどどうやろうか。
盗撮をしていることがバレるわけにはいかない。
突然部屋をノックしようか。
だけどそれには理由がいるだろう。
何の用事でノックするのだ。
肉じゃがを作りすぎたと言えばいいのか。
いや、それはどちらかと言えば女性である彼女のセリフだろう。
どうする?
どうしよう・・・。
僕が逡巡している間にも彼女の包丁はその凶悪な刃を光らせて、無防備で貧弱な手首に近づいていく。
警察に電話しようか。
いや、なんて説明したらいいのだ。
それだと僕の盗撮もバレてしまう。
勝手に宅配ピザを注文して彼女の部屋に届けてはどうだろう。
人がきたら彼女もハッとして思いとどまるに違いない。
・・・いや、それも駄目だ。
到着までに30分もかかっては、ピザは熱々でもその前に彼女が冷たい死体になってしまう。
ああー、住所も名前も電話番号もわかっているのだから、とてもいいアイデアだと思ったのに!
・・・電話番号もわかっている?
夜中に急に目をさまし、暗闇の中を手探りでメガネを掴んだ時みたいに、僕は突然ひとつのアイデアに辿り着いた。
僕は急いで携帯電話を手に取るととアドレス帳の検索欄に「深井知子」と入力した。
そこに表示されている番号の頭に「184」をつけて発信ボタンを押しながら、僕はすばやくパソコンのモニターで彼女の様子を確認する。
彼女が震える手で彼女自身の細い手首を包丁で切り裂こうとしたその瞬間に、彼女の家の固定電話がけたたましく鳴り響いた。
突然の音に彼女はビクっとして動きを止める。
彼女は部屋に戻って、不思議そうにワンワンと鳴り響く電話をみつめていた。
そう言えば、僕が盗撮をはじめておよそ9ヶ月が経過するが、彼女の家の固定電話がなることは滅多にない。
時々、彼女が実家の親と話している時くらいだ。
彼女は包丁を手に持ったまま、受話器をとった。
「もしもし・・・?」
「もしもし・・・?」
僕の耳にはモニターと電話と両方から彼女の声が聞こえた。
モニターの方からは1~2秒遅れて声が届く。
僕は慌ててモニターの音量をオフにした。
「もしもし・・・?誰ですか?」
彼女はいぶかるようにもしもしを繰り返すが、僕は返事をするわけにはいかない。
無言電話を貫く。
一瞬、下着の色でも聞いてやろうかと思ったが、そんなものは見ようと思えばモニターごしに見ることができるのでやめた。
・・・・
ガチャ・・・ツーツー
お互いが見えない相手を(僕には見えているけど)睨みつけるような無言が続いたあと、不意に彼女が電話を切った。
モニターをみると彼女は電話の子機を部屋に転がしている。
どうやら包丁で自分を傷つけるのも諦めたようで、子機と同じように包丁も部屋に捨て置かれた。
彼女はぐったりと部屋のカーペットの上に横たわっていた。
その表情は疲れきっていて自分の手首を切ろうとする気力もどうやら無さそうだった。
僕はホゥッとため息をついた。
と、同時に、自分はもっと冷たい人間だと思っていたので咄嗟のこととは言え、僕自身がとった行動に驚いていた。
僕はまだ汗ばんでいる自分の手をじっと見つめる。
どうしてこの僕が他人が傷つくのを心配してこんなに疲れなくてはいけないんだ。
まったく盗撮する方の身にもなってほしい。
モニターの彼女はぼんやりと部屋のどこか一点を見つめていた。
そこに暗い表情しかなく、実際はおそらくどこも見てはいなくて、その視線は彼女の身体の内側をさまよっているように感じた。
彼女はいつからこんなにも沈んだ表情をするようになったのだろうか。
盗撮をはじめた頃から確かに明るい子ではないと思ったが、こんなに暗い女の子だったろうか。
僕はメモ帳を取り出して、彼女の盗撮の記録を遡ることにした。
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3月27日
新しい隣人が引っ越しを終えたようだ。
名前は深井さんというらしい。
若い女性だ。
この時期の引っ越しだから学生だろうか。
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・・・僕は毎日取りつづけた記録を順番に読んでいく。
彼女は家でぴくりとも動かないのでだいたいの記録が「変化なし」、だが気になる内容もあった。
僕は自分が書きためた記録をずっと集めていた大切なコレクションを眺めているような気持ちで読んでいった。
以前に盗撮をしたフィリピン人や、風俗嬢の記録もきちんと残してある。
誰かが僕の今の様子を見ていたら、遠く離れた孫の写真を見つめるおじいさんのようだと表現するかもしれない。
4月4日
やはり◯◯大学の学生だった。
大学まではここから歩いて10分だから後をつけるのは簡単だった。
そうでもなければこのボロアパートを選ぶことはないだろう。
ここの家賃は部屋の広さのわりに驚くほど安い。
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5月10日
僕の家のポストに今月のNTTの利用明細が届いていた。
ということは深井さんの家にも届いているかもしれない。
深井さんの郵便ポストの暗証番号をダイヤルしてNTTから届いた彼女宛の利用明細をこっそりいただいた。
ポストの暗証番号はきちんとした管理会社なら入居者ごとに変えるのだろうか。
利用明細に書かれている彼女の固定電話の番号をメモした。
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6月12日
深井さんが雨に打たれて全身水びたしで帰ってきた。
帰ってくるなりすぐにシャワーを浴びている。
初夏といっても、雨で体温が奪われたのあろう。
シャワーから上がるとベッドに突っ伏して寝てしまった。
今日もお疲れ様。
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7月2日
今日も深井さんは部屋で寝ている。
大学にも行っていないようだ。
体調が悪いのだろうか。
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7月20日
トイレから出てきたのだろうか
真っ青な顔をして横たわる
食中毒だろうか
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7月21日
朝から思いつめた表情で部屋の中をグルグル回っている。
こんなにアクティブな深井さんは久しぶりだ。
やがて彼女は部屋から出て行った。
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8月15日
お盆だけど彼女は実家に帰らないのだろうか。
花瓶の花がしおれて悲しげにうつむいている。
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9月15日
深井さんが実家の母親と電話をしている。
お金を貸して欲しいと頼んでいるが、断られている様子。
やっぱりそうだよね、という言葉からあまり裕福な家ではないのかもしれない。
固定電話を使っている彼女をはじめてみた。
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・・・どうやらこのあたりで妊娠に気付いたんじゃないだろうか。
いや、トイレから出てきたタイミングも怪しい。
きっと出産費用のことを考えたのだろう。
彼女はお金がなく、やはり困っていたのだ。
10月5日
最近の彼女はおかしい。
何かロボットのようなのだ。
ちゃんと学校には通っているが、顔に表情が感じられない。
以前から学校に行っていたからという慣性の法則が働いてそのまま通っているように見える。
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このあとの日常は得意に変化なしとの記載が続く。
・・・そして今日は12月15日だ。
7月21日以降から彼女の様子がおかしい。
ここできっと何かあったのだろう。
いや、おかしいと言えばその前からかもしれない。
そう言えば彼女は妊娠しているのだから、相手の男がいるはずだ。
その男とはどういう話になっているんだろう。
産むか産まないか、きっとそんな話が二人の間にあって、彼女の感情を左右しているのではないだろうか。
わからないのが最近の彼女のぼんやりとした表情だ。
妊婦としての自覚が全然ないように思える。
正しい妊婦というものを僕は全然知らないのだけど、あまりに彼女の態度は普通すぎて、自分自身が妊娠していることをすっかり忘れているように見える。
もしかしてやっぱり妊娠は僕の思いすごしで、彼女はひどい便秘なんだろうか。
いや、そんなはずはない。
便秘を苦に自殺する人などいないはずだ。
それにしても深井さんの相手の男は一度もここへ来ていない。
そのことは彼女にとってハッピーなことではないだろう。
仮に男となんらかの原因で別れるなり、逃げられるなりしていたら、残された彼女はどう考えただろうか。
お金もない、男もいない。
それでも彼女は産むだろうか。
産むと決断した人間が自殺を図ろうなどと考えるだろうか。
もしかすると彼女は今日、病院に行ったのかもしれない。
妊娠中絶を出来るのは、妊娠21週6日まで・・・。
先ほどインターネットで調べたことが頭をよぎる。
・・・わからない。
全然違うことで泣いているのかもしれない。
だけどひとつだけ言えることは彼女はいま、人生に絶望しているということだ。
普通、望まれた妊娠であれば妊婦さんはもっと喜びにあふれているのではないだろうか。
やはりどう考えても彼女自身が望んだ妊娠とは思えなかった。
僕はそこまで考えてメモをとじると、ふたたびモニターに目を移した。
彼女は疲れてしまったのか、いつの間にか眠っているようだった。
僕はきゅっと眉を寄せて眠る彼女の寝顔を見て、少し可愛いなと思った。
***
そこからは毎日目が離せなくて大変だった。
なにせ、すぐに彼女は手首を切ろうと試みるのだ。
僕はそのたびに彼女の固定電話を鳴らして、それを阻止した。
あまりにタイミングよく電話が鳴るのもおかしいので、僕はダミーで無言電話を時々いれるようにした。
無言電話だけだと不自然なので、気持ち悪いストーカーを演じるために彼女の部屋のドアの前にバラの花束を置いてみた。
バラは好みではなかったらしくすぐにゴミ箱に捨てられた。
僕はむきになってホームセンターで買ってきたいろんな花をしつこく置いた。
しかも彼女にお金がないことを思い出して花瓶付きで置くようにした。
彼女は初めは花瓶すらもことごとく捨てたが、僕があまりにしつこく置いたので観念して部屋に配置しだした。
花瓶を部屋に置いたら彼女は水を変えなくてはならない。
僕はどんどん花を置いて彼女の日常を忙しくした。
部屋中を花瓶だらけにしてやろう。
そして自殺しようなんて考えずに済むように、少しでも忙しさを押し付けてやろうと思った。
僕はもっと明るい盗撮ライフを楽しみたいのだ。
彼女のキッチンをモニターで観ていると時々冷蔵庫の中が映るのだが、そこはいつも空っぽだった。
僕は産まれてくる子供の栄養が心配だったし、空っぽの冷蔵庫を観ているとそれは貧しさの象徴みたいに思えて、妙に胸が苦しくなって切ない気分に襲われた。
この嫌な気持ちを解消するには彼女に食事を与える必要があった。
僕は3日に1回は彼女の部屋のドアノブに、食べ物を買い物袋ごとぶら下げておいた。
今度も捨てられるかと思ったが、彼女はそれを素直に受け取って食べてくれた。
僕は妊婦が食べてはいけない食事というのがあるんじゃないだろうかと思って、やはりインターネットで調べてみた。
カフェインを摂ってはいけないと言うので、通信販売でたんぽぽコーヒーを取り寄せた。
市販のお茶にはほとんどカフェインが入っていて、なんだか世の中が優しくないぞと感じて腹が立った。
僕はカフェインの入っていない十六茶や爽健美茶のペットボトルを探してきたり、煮出して飲むタイプのルイボスティーもたんぽぽコーヒーと一緒に袋にいれて、ドアノブにかけておいた。
逆に、食べた方が赤ちゃんにいい物も調べてみた。
全粒粉のクッキーや赤身のお肉、イチジクなんかも良いようだ。
卵も良いと書かれていたが、アレルギーとかが心配で、僕には判断がつかなかったのでやめておくことにした。
彼女は妊婦としての自覚が全然なくて、僕が一生懸命調べてあげないと何もわからない様子だった。
僕の仕事が忙してくて食事を届けることができない時はコーラとかチョコレートだとか、不安になるようなものばかりを食べているのだ。
他にも僕はバスタオルや石鹸などの生活用品まで彼女に届けた。
以前はもっと部屋も清潔にしていたのに、最近の彼女ときたら掃除もロクにしないのだ。
僕は彼女が留守の間に掃除機を部屋中にかけてやりたいくらいだった。
とにかくこの深井さんという盗撮対象は手がかかりすぎる。
それに妊婦だからのなのか、気分の浮き沈みがとにかく激しい。
僕が花瓶を置く作戦を実行してもやっぱり夜中に絶望して、手首を突然切ろうとする。
なんとなくそんなことをしそうな気がしていたので、彼女の留守中に僕は盗撮カメラのグレードをあげておいた。
赤外線センサーで動くものをキャッチすると自動で撮影を開始するシステムを導入した。
撮影が開始されると僕の部屋にアラームが鳴り響いて夜中であっても、僕は彼女の動きを知ることができるのだった。
そしていつものように無言電話をかけて、彼女の自殺を阻止するのだ。
そんなことを繰り返してしていると僕の中に不思議な感情が芽生えてきた。
彼女のことが別の意味で気になって仕方がないのだ。
ある時は、彼女の携帯電話が鳴って、その内容を知りたくてじっと耳をすませていた。
どうやら彼女が大学に行かなくなったので心配した友達が電話をかけてきたようなのだが、相手が男か女か気になった。
また別の日には、新聞の勧誘の男がいつまでも帰らないのが気に入らない。
もう何度も断っているのにしつこく勧誘してくるし、深井さんが妊婦だと気付いていて言ってるのかどうかわからないが、やたら食事にいきましょうと誘っている。
こいつは妊婦が食べてはいけないものをちゃんと把握した上で言っているのか。
僕は深井さんが気になってしかたなかったし、どんな男であれ深井さんに近づく奴らに淡い殺意を抱いた。
盗撮をしてこんなふうに陰から彼女を見守るくらいしかできないのが悔しかった。
そうして何度目か覚えていないくらいの無言電話の時に、彼女が突然電話口の僕に話しかけてきたので、僕は驚いて電話を放り投げてしまいそうになった。
僕はいい歳をしてすっかりときめいてしまい、彼女の虜になっていたのだ。
「ねぇ。無言電話さん。あなたはわたしが暗い気分の時にいつも電話をかけてくれるのね。もしかして・・・あなたは神様なんじゃないかしら?」
続く・・・