赤い星
リンゴが一個たりないから、パイが焼けないらしい。
それでぼくは、ふくれっつらのまま家を出た。黒ネコのルウルウが、トコトコとついてきた。
夕ぐれ時のサボテン大通りは、たくさんの人が行き交い、とってもにぎやか。けれども、なんだか薄っぺらな影絵みたいに、みんなぼくたちの横を、すり抜けてゆくようだ。
木の看板に、緑のヒイラギと、赤いリンゴが描かれた店の前で、ぼくたちは立ち止まった。
小さな女の子が一人、るす番をしていた。
「赤いリンゴは、やめといたほうがいいわ」
その子のほっぺたと同じくらい、つやつやと光るリンゴを手にしたとき、とつぜん声をかけられた。
「どうして?」
「どうしてもよ」
「わるいけど、青いリンゴはほしくないんだよ。パイを焼かなくちゃいけないからね」
女の子は、びっくりしたような目をした。その手に、むりにコインをわたすと、急ぎ足で店を出た。あてずっぽうに選んだのに、買ったリンゴは、つやつやと赤い。
まるで女の子のほっぺたを取ってきたような気がして、むねがどきどきした。
なにげなく、ふりかえって看板を見上げると、ヒイラギの葉だと思っていたものは、コウモリの絵だとわかった。
「緑色のコウモリなんて、変だね」
ルウルウに、そう話しかけたとき、ぼくはなぜだか、ひやりとした。
もう、ほとんど陽がくれかけていた。
リンゴを胸に抱いて、早足であるいた。サボテン大通りを過ぎると、急にまわりが開けた。原っぱの中の、一本道が続いている。
道の行く手に、並んだ家の影が、くっきりと浮かんで見える。屋根の上には、オレンジ色の帯が横たわり、上へ行くほど青く、濃く変わってゆく。
野原から、一本の、大きな木がはえている。影絵のようなこずえに、星がひとつ、光っている。
(木に登れば、あの星がとれるかな)
そう考えたとき、
ヒュッ。
という、鳥の鳴くような声がきこえた。何か黒いものが、頭の上をひらひらと飛びこえていった。
黒い画用紙を切りぬいたような、その影がコウモリだとわかったとき、ぼくはまた、ひやりとした。しっかり抱いていたはずのリンゴが、消えていることに気づいた。
「しまった!」
思わず立ち止まった。
足もとで、ルウルウが小さく鳴いた。それでやっと気がついたのだけど、木に引っかかっている星は、なんだか赤すぎる。いちばん星なら、もっと白く光っているはずだ。
そう思って駆けだすと、
「やっぱり!」
赤い星は、ホタルみたいに、ふらふらと逃げはじめた。
細長い一本道を、ぼくたちはどんどん走った。
頭の上をコウモリが、なんだかばかにしているような、そうして、どこか作りものみたいな飛びかたで、行ったり来たりしていた。
夕空の高いところへ、星はどんどんのぼってゆく。
道が家と家の間に入ると、コウモリの姿は見えなくなった。けれども赤い星は、屋根や木の枝のあいだに見えかくれしながら、逃げつづけていた。
家に帰りついた。そのまま玄関に駆けこんだ。大きな虫とり網を手に、大急ぎでルウルウと、屋根にのぼった。
手旗信号みたいに、いっしょうけんめい、網をふり回した。いっしゅん、網を止める輪が、カチリと音をたてたような気がした。
そのとき、まるでウィンクするみたいに、星が赤く、またたいたみたいだった。
けれども、リンゴだった赤い星は、とっくにほかの星と、くべつがつかなくなっていた。
「だから言ったじゃないの」
空のどこかから、ほんのかすかに、女の子の声が聞こえた。
今夜のパイは、あきらめるしかなさそうだ。