月夜蟹
満月の夜には、もちろん、ふしぎなことが、たくさん起こる。
その夜は、少し風があるようで、木の葉がぱらぱらと屋根に当たる音が、ずっときこえていた。森の番小屋の中で、サヤは、読みかけの本から、ふと顔を上げた。
時計を見ると、そろそろ、ヤ・ホルバが来てもいい時間になっていた。
ぱたんと本を閉じて、サヤはテーブルの上に、白いカップを二つ並べた。赤と黄色の、よい香りのする木の葉を一枚ずつ入れて、ガラスのポットから紅茶を注ぐ。
ポットごと小川にひたしておいたので、飲めば、ひんやりとするはずだった。
小さなランプひとつ、ともした部屋の中よりも、梢からこぼれる月の光のほうが、明るいようで。紅茶の上に、レモンのような光が揺れていた。
ヤ・ホルバは、なかなか来ないまま。木の葉が雨のように、ずっと屋根をたたいていた。
やがてその中に、ふしぎな音が混じっていることに、サヤは気がついた。
かりかりっ。
かりっ、
かりかりっ……
まるで金色に光る大きなゼンマイを、だれかが回しているようだ。
サヤは首をかしげた。
するとまた、きこえた。
反対にかしげると、また鳴る。
まるでじぶんが、ゼンマイじかけの人形になった気がして、サヤはくすくす笑った。
音は、窓の外から、きこえてくるらしい。
赤いカサを手に、サヤは木の扉から外に出た。いつ、ヤ・ホルバが来てもいいように、テーブルの、わきの窓は開けておいた。
森の中は、月の光が、幾筋もさしこんで、影絵の中に入ったよう。舞っている木の葉は、見えないけれど、カサをさすと、やっぱり、ぱらぱらと当たるのだった。
木と木の間をぬって、音のするほうへ。一歩ごとに、さくさくと鳴る落ち葉たちは、月の光にぬれたように光っていた。
木立が少し、まばらになったところで、ふと、立ち止まった。カサを持つ腕をピンと伸ばして、耳をすませば、
かりっ、
かりかりっ……
ふしぎな音は、落ち葉の下の、いたる所から、きこえてくるようだ。
赤い魚が寝そべっているような、一枚の、大きな落ち葉を見つけると、サヤは身をかがめ、そっと、めくってみた。
手のひらに乗るくらいの、小さなカニが一匹、ハサミをふり上げて、
かりっ、
かりかりっ。
音はたしかに、つやつや光る、赤い甲羅の中で鳴っているのだった。
番小屋にもどると、ヤ・ホルバが、紅茶の前にすわっていた。サヤが帰るまで、飲まずに待っていたらしい。
「おもしろいものを見せてあげる」
にっこり、ほほえんで、サヤは、テーブルの上に身を乗り出すと、ふんわりとにぎっていた、両の手のひらを開いた。
ヤ・ホルバの赤い目が寄って、黒い三角の鼻の、すぐ先で、ハサミを振っているカニを見つめた。
かりかりかりかりっ……
その音をきいたときの、ヤ・ホルバの顔が、あんまりおかしかったので、サヤはくすくす笑った。はずみに、ぽちゃん。と、冷たい紅茶の中に、カニがしずんだ。
カップの中で、赤い光が、かがやいている。サヤはランプを消すと、もうひとつ、新しいカップを取り出して、お茶を注いだ。
かりっ、かりかりっ。
かりっ……
カニはカップの中で、一晩じゅう、光りつづけていた。