月時計
屋根の上に月がのぼるころ、町長さんは、ステッキひとつ、ぶら下げて散歩に出た。
青い石畳をコツコツ鳴らす音が夜空にひびく、とても静かな晩だった。
並木道をしばらく、あるくと、よそ行きの白い服を着た女の子が、しゃがみこんでいた。
「いったい、どうしたのかね?」
やさしくきいた町長さんに、女の子は
「帽子をなくしたの」
と言った。急に風が吹いて、空高く吸いこまれてしまったという。
「ふーむ」
腕を組んで、満月みたいな、まるい顔を真上に向けた。
(ふーむ。こん色に澄んだ空は、まるで、たっぷりと満たした水のようだわい)
町長さんは、そう考えた。
「よしよし。わたしが、さがしてあげるから、今夜はもうお帰り。あしたになったら、役場まで取りにきてごらん」
女の子は、おじぎをして帰っていった。さらに、あるいてゆくうちに、今度は横の茂みから、何やら、わいわいと、さわぐ声がきこえてきた。
ステッキで草を、かき分けながら進めば、ぽっかりと、小さな広場に出た。
まん中に、まるい噴水がある。影ぼうしみたいに、ひょろひょろと背の高い人たちが十人くらい、水の中をのぞきこみながら、なにやら、さわいでいる。
町長さんが入ってきたことに気づくと、みんないっせいに帽子をとって、おじぎをした。
(みょうに細長い帽子だわい)
そう思いながら、町長さんも、頭にくらべて、ずいぶん小さな帽子を、ちょこんと持ち上げた。
「こんばんは。いったい何の集まりですかな?」
人々は、また口々に何か、わいわいさわぐばかりで、さっぱりわけがわからない。
「どうかみなさん。できれば、お一人ずつ、しゃべっていただけませんか。あいにく、わたしの耳は二つしかないのですよ」
それをきいて、ぴたりと話をやめたかと思うと、体をぎくしゃく、揺らしながら二列に分かれた。列の向こうを、見なさいという意味だろう。
町長さんは黒い人たちの間を通って、噴水に近づいた。
そこには、時計みたいにまるい石でかこまれた中に、小さな舞台のように、やっぱり円い石が置かれていた。その上に、両手を高く差し上げ、スカートを広げて、いまにもくるくる踊りだしそうな女の子の銅像が乗っていた。
町長さんは首をかしげた。
(さてさて? こんな噴水は見たことがないぞ。それに、公園がこんなところにあったなんて、今まで知らなかったわい。あんまり小さすぎるから、町の地図には、のっていなかったのかもしれないな)
水がふき出す仕掛けは、止まっていた。けれど、ぴかぴか光る、円い石の水盤の中には、澄んだ水が、たっぷりと張ってあった。
石の縁に手をつくと、ひんやりした。のぞきこんだ町長さんの目が、たちまちまるくなった。
水の底に、形も大きさも様々な、歯車やバネが、ぎっしり、つまっていたから。
町長さんの背中を、黒い人たちが、じっと見つめているのが、なんとなく感じられた。
「ほおほお。機械はこわれていないようだぞ」
黒い人たちが、ひそひそと話しはじめた。あわてて町長さんは、付け足した。
「なに、わたしだって、生まれたときから、町長さんというわけじゃない。若いころは、時計修理の名人だったから、よくわかるのさ」
それをきくと、また、背中のほうで、わいわい、さわぎはじめた。どうやら噴水が止まってしまったことで、もめているらしい。町長さんも腕を組み、首をかしげて、よくよく噴水をながめた。
すごく変なことに気がついた。
「おやおや? 踊っている女の子の服や肌は、緑色に塗れているのに、帽子だけまっ白なのは、いかにも、おかしいぞ。どれどれ」
ずんぐりした体が、ボールみたいにはねた。水盤の縁に乗ったかと思えば、さらに飛んで、町長さんは、もう、噴水のまん中にいた。
「失礼しますぞ」
まるで踊りにさそうように、自分の帽子をとって、おじぎをした。そうして踊り子の像の頭から、白い帽子を、そっとはずした。
ぎりぎり、ぎちり。
たちまち歯車が回りはじめたのは、そのとき。
空からオルゴールの音色で、ワルツが降ってきた。二人のまわりから、水が、いっせいに噴き出した。
見れば、銀のしぶきの中で、羽根があったり、角がはえていたりする銅像たちが、くるりくるりと踊っていた。
町長さんも女の子と、ひと晩じゅう、ワルツを踊った。
次の夜、あの帽子をなくした女の子が、役場に顔を出した。
「はい、ちゃんと見つけておきましたよ。おかげでわたしは、ずぶ濡れになってしまったが」
女の子は、帽子を受けとると、うれしそうにおじぎをした。そうして、手に提げていたかごから、黒い帽子を取り出した。
「ハイ、町長さん。わすれものですよ」