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1-4 作戦会議

 天使の羽根のように、ふかふかで真っ白なベッドから起き上がると、怠助はバルコニーに出て煙草を吸い始めた。早朝の冷たい空気に当てられながら、美しい庭園を見るのは何日経っても素晴らしいものだった。都会のビル群に挟まれた小さな家から見る景色には、電柱やらコンクリやらの灰色しか映らなかったが、この新居では劇的なほどに鮮やかな色が流れ込んでくる。眼下には庭園のバラやヒナギクが目に入り(怠助は知らないだけでもっと多様な種類の花があった)、遠くを見やれば朝日に照らされた湖と、小高くそびえる丘があった。鳥たちは起きだし、魚は空気を求めて顔を出す。この美しい景観に向けて、煙を吐き出すことが怠助の日課になりつつあった。


 が、幸せは長く続かないものである。今日は両親の差し向けた刺客――もとい婚約者候補――とレーラが会う日となっていた。普通、怠助のような立場の人間がいるとしたら、恋人を奪われる心配から居てもたってもいられないはずだが、偽装婚約ゆえにそうした類の心痛はなかった。その代わり、新しくなじみ始めたこの恐ろしく快適な暮らしが奪われると考えると、この家に来た時ほど楽観的な気持ちにはなれなかった。詰まる所、環境の変化を甘く見ていたのである。若いだけに向こう見ずなところがあり、路頭に迷っても最後には何とかなるというのが、怠助の心情でもあった。ところがおおよそ七時間ごとに一流シェフの料理を胃袋に詰め込まれ、一時間ごとにうまいタバコを吸い、日がな一日気ままに美しい庭園を散歩したり、デッキチェアでうたた寝をしてみれば、もうこんな暮らしからは離れられなくなるのは必定であった。


 出会った直後に啖呵を切った手前、こうした心情の変化をレーラに直接伝えることはなかった。しかし彼女とて、自慢の我が家が客人に与える影響を過小評価していたわけではない。実際、いつの間にかバルコニーに来ていた彼女は、椅子に腰掛けるなり言った。

「どうです?今日の婚約者候補との成り行き次第では、明日からあなたも救貧院に送り返されるんですよ。そこで働くんだか何か知りませんけど、この景色ともその煙草ともおさらばです。まるで動物がノミか寄生虫を追っ払うみたいにね」

「良くないね。そうした傲慢な考えは」怠助は強がり交じりに言った。「この屋敷に来てから君らを観察したけど、まさにリーズベルト家こそ寄生虫じゃないの。君らの収入といえば、農地への小作料やら作物への税金、それに領地のあらゆる商人にも税金をかけている。今まで君を優しい聖母だと思ってたけど、現実はまさしく寄生虫じゃないか」

「だから救貧院に支援してるんじゃないの。他の慈善団体にも」

「所得の再分配かね?それなら僕みたいに立場の弱い移民にこそ分配すべきだよ。追っ払うなんて君の口から聞きたくなかったなぁ」

「今の当主はお父様だもの。でも、私が領地を受け継いだ日には全部変わりますよ」レーラは不敵な笑みを浮かべた。「まずは農地改革よ。あなたの言うように今の制度は間違っています。もういい加減、先祖代々受け継いだ土地はみんなに解放すべきなんですよ。いつまでも、それこそ寄生虫みたいに農民を食いつぶすべきじゃありません」

「本気で言ってるの?」

「もちろん本気よ。そんな平等な世界なら、いよいよあなたみたいな人間も働かなくちゃいけなくなるんじゃないの?そろそろ文句は言えないでしょう?」

「どうだろうね」怠助は煙を吐いた。「結局は形を変えて同じことが繰り返されるだけじゃないの?つまり頭が変わるだけでさ。結局、馬鹿な人間ってのは、農地をもらったって賢いやつにそそのかされて目先の金欲しさに売っちゃうんじゃないの?君は理想は高いけど、なかなか現実味に乏しいよ」

「あなたにただ飯を食べさせる羽目になってるものね」レーラは冷ややかに言った。「でも、そんな先の話より今日のことよ。いったいどうするつもりなの?」

「どうするか?君が考えてるもんだとばかり思ってた」

「考えてなんていないわよ」

「じゃ、まさか、こんなゴロツキを連れてきて、『レーラちゃんの好きな人なら大賛成』だなんて君の親が言うとでも思ったの?」

「まずは実行に移すことが何より重要なんです」


 怠助は口にこそ出さなかったものの、丸っきり呆れていた。そもそもレーラのような理想主義の人間に実務的な処理能力があるとは考えていなかったが、ここまで現実離れした空想家だとは思ってもいなかった。逆に言えば、彼女の計画に乗った怠助こそ、本当の意味で空想家には違いなかったが、自己批判はいったん棚上げした。

「君が婚約者候補を断る、あるいは断られる方法を考えなきゃな」

「前者のほうが現実的ね…なんていうと、またあなたの皮肉に引っ掛かりそうだけど、何も私の個人的な魅力の話じゃないわよ」

「君の持つ未来の可能性だろ?」

 レーラは首を縦に振った。この広大な所領を受け継ぐとあっては、まさに寄生虫の寄生虫になろうという寄生虫が後を絶たないのだ。レーラの現実離れした考え方は、あるいはこうした俗物的な魂胆にさらされ続けた影響かもしれない。言ってみれば両親の仲の悪い子供が、おとぎ話の家族団らんに憧れるようなものだった。

「今日の人も恐らくそうに違いないのよ」

「でもこんな顕微鏡を使わなくても見えるような寄生虫より、とりあえず人の形をした寄生虫の方がましだっていう両親の魂胆なんだろう」

「私にとっては同じことよ。愛のない結婚なんてね。きちんとありのままの私を愛してくれる人じゃないと。だからどうしてもあなたには殺虫スプレーになってほしいのよ」

「そりゃ君にもメリットがあるなら喜んでだ。しかし、どうする?さっきは、ああいったけど、やっぱり相手に断らせるのが絶対確実なんじゃないか?」

「どうやって」

「そうだなあ」怠助は煙草を捨てて、腕を組んだ。「前に見た小説では、昔の男が乗り込んでくるってのがあったな。散々弄ばれた挙句、ひどい振られ方をしたって、レストランに怒鳴り込んでくるんだ」

「だとしたら、その作者は相当なアホね」レーラはため息をついた。「そんな悪評が立ってみなさいよ。私のこれからの本当の結婚はどうなるの?」

「愛さえあればいいんじゃないのか?」

「愛が生まれる土壌を壊しているのよ。私に悪評が立たないのでいい方法はないの?」

 怠助はまたもや腕を組んだ。悪評を立てずに婚約を断らせる方法?男が女との結婚を恐れるというのはどんな瞬間だろう?結婚は人生の墓場という。なぜそんなことが言われる?怠助はしばし考えた後、指を立ててアッとと叫んだ。


「君はありのまま振舞えばいい!そうすりゃ結婚したいなんて男はいなくなる」

「今までこんなひどいことを言われたのは初めてよ」レーラは立ち上がって拳を固めた。

「いや、そういう意味じゃない」焦って怠助は手を振った。「つまりこういうことなんだ。君は普段の考え方を何十倍にも誇張して振る舞い。農民とは平等だとか、弱者は救うべきだとか、男女らしさはどうだとか言うんだよ。そうすると人によっては嫌になって君から離れていく。で、君としてもそれがありのままの自分なんだから、断られたり、噂を立てられたりしても問題ないだろ?よしんばそれでも君と一緒になりたいなんて男がいたら、それこそ『ありのままの私を愛してくれる人』なわけじゃないか」

 こうして本日の行動指針が固まった。


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