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1-1 出会い

――イセカイシュッシントショウスルキョウジンヲホゴ。ショグウキメカネル。シキュウコラレタシ。



――イセカイシュッシントショウスルキョウジンヲホゴ。ショグウキメカネル。シキュウコラレタシ。


 レーラ・リーズベルトは馬車の中でこの奇妙な電報の意味を考え、首をかしげていた。差出人は彼女の支援する救貧院となっている。普段は移民や困窮者を一時的に保護し、再就職までの世話をする施設である。イセカイ出身とあるので移民だろうが、はてそんな場所あったかしら?それに狂人?処遇も何も、狂人ならば精神病院で保護を頼み、そうでないなら職を紹介してあげればいいのに。


 しかし、救貧院の職員も馬鹿ではない。電報にわざわざ五文字も使って、対象のいかれっぷりを修飾したということは、「ショグウキメカネル」ほどの事情があるのだろう。

 ただし電報が、救貧院の事情を余すところなく伝えきったとは、とても言えない。先回りして言えば、「イセカイ」出身というのは異世界出身に他ならないのだが、日本という知らない地名を口にしたことだけが、狂人を狂人たらしめていたのではないのだ。空から降ってこようが、地面から生えてこようが、移民は移民である。どこから来たにせよ、職を紹介して世間に送り出せばいい。


「問題は本人にこれっぽっちも働く気がないことなんですよ」

 レーラが救貧院に到着するなり、院長は困ったように言った。

「働く気がない?」レーラは子供用のおもちゃのようにオウム返しをした。「それはふさわしい職を我々が紹介してあげられてないということですか?」

「訂正すべきことが二つあります」院長がムッとして言った。「一つは、実際に職を探し紹介しているのはここで働く職員です。それからふさわしい職がないわけでもありません。彼は十六歳の少年で就業可能年齢に達しています。それで力仕事なり介護なりを紹介してるのですが、すべて断るんです」

「あら、それじゃ、どんな仕事ならやりたいと?」

「どんな仕事にも就く気がないんですよ」院長は頭をかいた。「だからはっきり言って、このまま放りだしたいんです。イセカイ出身とか言って素性もまともに話さない、職をいくら紹介しても一向に出ていかない。皆嫌がってるんですよ。でも当院を支援しているあなたは、そうした方針に反対しておられる。」

「当然です」レーラは毅然として言った。「職もなしに路頭に放り出して、それでどうやって生きていくっていうんですか。責任をもって当院で、面倒を見るべきです」

 領民からの収奪物で富裕な生活を送るリーズベルト公爵一家の中で、突然変異のように生まれたレーラは、一族の中で唯一の進歩派だった。日々の生活が完全無欠に保証された金持ちにありがちな貧しい者への道徳心を誇りにしていたが、移民を嫌がる領民への配慮だけは持ち合わせていなかった。

 そして今まさに、彼女の貧民救済政策に、モグラが掘ったような見事な穴がこじ開けられたところである。

「面倒を見るのは職員ですよ」パトロンのあなたではなく、と暗に院長は言っていた。「とにかく本人とお会いしてください。あのふてぶてしさを見た後では、どんな慈善家だって包丁を探し始めます。あなただって主義を変更せざるを得ませんよ」


 だから、贅沢言わないでください!

 院長に導かれたドアの向こうから、喉の奥か地獄の底から絞り出したのか判別不能な女性の怒号が聞こえた。ドアを開けると、人影が二つあった。一つは若い少年で、ベッドの上に座っていた。これが噂の狂った移民だろう。黒い髪に端正な顔をしていたが、欠点を挙げるとすれば、顔の動作一つ一つが彼から愛想を奪っていたことだ。笑うときは皮肉に口角が上がり、不満な時は眉毛がまるで手習いの行書のようにきれいに八の字に曲がった。とにかく愛嬌というものがない。

 もう一つの人影は見知った顔だった。この救貧院の移民のケアワーカーで、担当者が就職できるまで院での介護から面接の手伝いまで何でもすることになっていた。つまり院長の話では、貧乏くじを引いたことになっている職員である。

「もう限界です!」院長とレーラに気づいて職員は言った。「なんで私が身を粉にして、こんな今すぐ働ける健康優良児のお世話をしなくちゃならないんですか?自分の子供よりも、この子の顔を見てるんですよ!」

「僕も親の顔より、あなたの顔を見ていることになるわけだ。」少年は言った。「でも、僕はこの世界に飛ばされて、親の顔を二度と見れないんですよ。子供に会えるだけ、まだ幸せなもんじゃないですか。」

「ほらまた、世界がなんとかって!もう限界です」

職員はヒステリー気味に叫んだ。少年もいやそうな顔をした。

「落ち着いてください」慌ててレーラが止めに入った。「まずは話を聞いてあげないと」

 レーラは少年に向き直った。

「こんにちは、私の名前はレーラ・リーズベルト。この救貧院を支援しています。あなたについて簡単なことしか聞いていないから、色々と教えてくれると嬉しいんですけど」

「職員さんから聞いてるよ。年齢も僕と同じなんだって?敬語なんて使わなくていいさ」少年は優しく笑ったつもりだろうが、相変わらず意地悪く口角が上がった。「じゃあ、改めて自己紹介。僕の名前は、白井怠助。たいすけと書いて、だいすけと読むんだが、この世界の人は漢字がわからないから、どっちだってよろしい。とにかく名前は怠助だ。で、自己紹介といっても何が聞きたいんだろう?出身は、群馬…といっても分からないよな?」

「分からないわね」

「まぁ、いいんだ。日本にいるときも、群馬出身って言って、話が盛り上がった試しがないから。況や異世界をやだ」

「異世界っていうのはどういうことなの?違う世界のこと?」

「違わないね。」

「え?違わないの?」

「いや、違う世界ということが違わないんだ。」

 やや沈黙があって、レーラは狂人の言うことを理解した。

「じゃあ、前はどこにいたの?」

「まぁ、そうした情報が保護のために必要になるなら説明しないこともないけどさ」怠助はため息をついた。「何をどこまで話せばいいのか分からないんだよ。この世界の科学技術って、多分、大正末期から昭和初期ぐらいだよね?まぁ、それよりかは進んだ時代にいたな。」

「さっぱり分からないわね。」

「うん、狂人と言われても仕方ないわな。まぁ、違う惑星から来たとでも思っておいてよ。ここもどうやら地球って呼ばれてるみたいだけどさ。どこかの資産家の怒りを買って、寝てる間に地球2まで飛ばされたんだって理解しているよ」

「違う惑星に本当に飛ばされたのだとしたら、ずいぶん冷静ね」

「思いのほか安楽な位置に恵まれたからね」怠助はベッドに寝転んだ。「何も知らずにこの世界に来たときは路上に立ちすくんだもんだけど、保護されてからは全く楽をさせてもらってるよ。ここの運営資金のほとんどは君の寄付なんだろ?感謝してもしきれないね」

「問題はそこなんですよ」院長が割って入った。「レーラ様が出資してくださる費用は、この働く気のない怠け者の生活費に充てられています。私たちのリソースもです。こんな言い方をしてお気に障られたら謝罪しますが、レーラ様の許可一つで、ぬかるみにはまった運営状況は、競輪選手の車輪のように回りだすのです」

「でも例外を作れば、どんどん基準が厳しくなるんじゃないですか?」レーラは院長の意見に疑義を呈した。「本人に働く気があっても、精神の都合上、どうしても働けないとか、移民就業許可が降りないとか、色んな理由があるでしょう?そうした人たちを追い出す前例になってしまいます」

「働く気があっても、まともな求人が来ないとかね」

 怠助の茶々はその場の全員に無視された。

「それなら私の人生はこの子の世話に捧げなきゃいけないっていうんですか?」職員が今にも泣かんばかりに言った。「口を開けば皮肉と冷笑。あとタバコ。ちっとも動かないんですよ、私は困っている人を助けたくてここに来たんです。浮浪者の召使じゃありません!」

「あなた、本当に働く気がないの?」レーラは怠助に向き直った。「見てわかる通り、あなたを中心に面倒なことが起こってるのよ。あなたが働きさえすればいいんだけど……」

「残念だけど、僕に働かせるよりは、そこの職員さんを鎮めるほうが現実的なんじゃないかな」

「なぜ働かないの?」

「逆に何もせずに飯が出てくるのに、どうして働こうという気になるのさ。それにこんな風に異世界にポツンと一人取り出されてみたまえ。何を信じればいいかわからないじゃないの。まず宗教が違うじゃないか。周りに溶け込めやしないよ」

「あなたの国ではどんな宗教を信じていたの?」

「え?」思わぬ質問に怠助は唸った。「そうだなぁ。何を信じていたんだろう。何かを信じていたような、何も信じていなかったような……」

「それじゃあ、ここでも一緒じゃない」拍子抜けしたようにレーラは言った。

「いや、信じてないものを皆で信じてたんだよ。それに君たち異世界人とは価値観がまるっきり違うじゃないか。趣味とか考え方とか、共通するものがないよ」

「あなたのいた国では?」

「ええ?」またもや怠助は唸った。「そうだなぁ、昔のおっさん連中は、テレビ見て。酒飲んで、車買って、ゴルフやって、キャバクラに行っていれば良かったんだろうが……。今はどうなんだろう」

「じゃあ、やっぱり同じことじゃないの。前にいた世界か何か知らないけど、そこにいたころと同じように頑張れば?」

「そうだなぁ」怠助は必死に言い訳を探した。日本にいた頃から頑張ってはいなかったのである。「ほら、未来が不確かじゃないの。だってここで仕事に励んで、家族を作っても、また違う世界に飛ばされたらどうするの?今までの努力が何の意味もないじゃない」

「それじゃ、あなたのいた国では、未来はそんなにバラ色だったの?」

「まぁ、そんなこともないけど」怠助は遂に開き直った。「でも前の世界がどうこうなんて関係ないじゃない。僕がこういう人間なんだから。働かない理由は今言った通りさ。前にいた世界じゃ学生だから何とかなっていた。今はこうして餌付けされているから、僕は僕の理論によって働かない」

 白井怠助はこういう男だった。怠惰な性情と明晰な頭脳を兼ねそろえた人間にありがちな、動かない体とよく回る口を持ち合わせ、今もこうして異世界転生者が手に職をつけない「やむを得ない」事情について議論を展開している。


「違う世界から来た悪魔ですよ。きっと日本ってところは地獄なんです」職員が怠助を指さした。「いつもこんな感じで働かない理由を正当化するんです。レーラ様が許可を出してくださらなければ、彼は永遠にここに居座る気ですよ」

「あなた、本当にそうする気なの?」レーラが怠助に聞いた。

「積極的に『そうする』わけじゃないな。働かないから結果的に『そうなる』だけさ」

「求人の何が気に入らないの?例えば今あるものだと…」レーラは机の上に広がる求人誌をパラパラめくった。「介護なんてどうかしら。」

「どうして世話される人間が、わざわざ世話しに行くのさ」

「炭鉱の求人もあるわよ」

「燃料が足りないのはむしろ僕のほうだよ」

「工場は?立って作業するだけでいいのよ?」

「ここは寝てるだけでいいからなぁ」

 ようやくレーラ・リーズベルトにも職員の泣き言の理由が理解できた。こんなやり取りを一日中、いや果ては一生続けるようなことになったら間違いなく気が違ってしまう。

「あなた、迷惑をかけている自覚はないの?」レーラの剣幕が少し厳しくなった。「私たちのお金も、職員さんの善意も利用しようなんて虫が良すぎるじゃないの」

「そいつはちょっと公平じゃないよ」怠助は再び起き上がった。「院長から話は聞いてないのかな?もう何度も僕は、外に放り出すぞって脅されているんだ。それでちゃんと答えてるよ。追い出したければ追い出せってね。ところが連中、そういうと必ず口ごもるんだ。パトロンの方針が何とかってね。つまり君の頑固な主義主張のことじゃないのかね?」

「つまりはそういうことなんです。」院長が言った。「レーラ様、確かにあなたの方針は素晴らしいものです。身持ちの困った人を分け隔てなく救う。今までどれだけの移民、破産者、失業者……そういった人々が救われてきたか分かりません。しかし、今回ばかりはどうか冷静なご決断をお願いします。現場で働く我々の意見を、少しばかりでも汲んでくださればこれ以上ない喜びです。」

「じゃあ、怠助くんは今から街路にほっぽり出されてどうするの?」

「そりゃあ、野垂れ死ぬしかあるまい。しかし働くよりは数倍もマシなんでね。だって苦労に見合うだけの理由がないよ。ただし最後に親切をしてくれるなら、ほんの少しだけお金を恵んでくれないかしら。酒も飲まずに死ぬなんて御免だからね」

 こいつは困ったぞと、レーラは顔を曇らせた。彼女が常日頃から掲げてきた「誰もが人間らしく暮らせる社会」というスローガンを、横断幕ごと刀で切り付けられたような気分だった。怠助を路地裏に蹴っ飛ばすのは、訳もなく簡単だ。しかし、本当にそれでいいのかと自問する声があった。今後の長い人生、後悔することがないと言い切れるのだろうか?何か働けない精神の病があったとしたら?ふてぶてしさは癒しようのない心の傷を隠すための仮面だとしたら?


 しばし迷った末に、レーラは俯いていた顔を上げた。

「やっぱり彼の保護は続けましょう」

 院長のテノールと職員のソプラノで、悲鳴の二重奏が奏でられた。一方、怠助は指揮者が演奏を締めるときのように拳をぐっと握りしめた。

「いやはや、ご立派!」

「冗談じゃないですよ!」職員が叫んだ。「レーラ様、あなたはただ金を出すだけだから、そんな理想が振りかざせるんです」

 この一言にレーラが露骨にむっとした。それに気づいた院長が止めに入ろうとしたが、職員の口は回転を続けた。

 やれ良い家柄に生まれて、金が有り余るほどあるから、道楽程度に金を支援しているだけ。その証拠に平日は学校で勉強して、土日もたまにしかここに来ない。一方の自分は高校にも行けずにそのまま、ここに就職して苦労している。そして極めつけはこんな怠け者の世話をさせられて、最低の気分だ。それもひとえにパトロンの気分一つなんだからうんざりする。

 そこまで言われてやっと院長が口を抑えつけたが、もうだいぶ言いたいことは言い切ったように思われる。レーラも顔を真っ赤にして、家柄がよかったのは私の責任ではない。それなら金を援助しないほうがいいというのか。それに土日にここに来られないのは、ほかの慈善団体も支援して、そちらにも顔を出しているからだ。断じて怠けているわけではない。私の気分一つだというが、職員はあなたの他にいくらでもいる。院長と話し合って、この怠け者の担当者を持ち回りにすればいい。負担はみんなで支えあうべきだ、と応えた。

 そこまで言ったところで、水を打ったように空気が一変した。後で怠助が語ったところによれば、院長はまるで古畑任三郎が決定的な言質を取った時のような顔をしていたそうだ。

「負担はみんなで支えあうべき?」院長が繰り返して確認した。「それはおっしゃる通りです。でしたら、レーラ様、白井怠助くんはリーズベルト家で預かっていただけないでしょうか?どうか?救貧院の一員であり、最大の支援者であるあなたに、彼の保護をお願いいたします」


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