序章 第一話
――人が「自然」を手懐けられると信じていた時代は終わった。
十年前、世界を裂いた”Overlay現象”は、天空に巨大な裂け目を生み出し、そこから放たれた力が、一部の人間の「感情」と「自然現象」を結びつけた。
世界の終焉が刻一刻と迫る中、Overlay能力者たち通称『Layer』の戦いが始まる。
それは「感情」と「自然」のぶつかり合い――
「緊急災害警報。今すぐに避難してください。緊急災害警報。今すぐに避難してください」
一斉に鳴り出すスマホのアラーム。それはこの街の“終わり”を告げる合図だった。
この警報が出た街には、もう住めない。
災害と同時に発生する「災律種」という化け物が、空間を汚染し、人間の住処を喰らい尽くしてしまうからだ。
たとえLayerが助けに来たとしても、破壊された家や日常が戻ることはない。
逃げながら、風間氷河はそう痛感していた――
「危ないっ! お兄ちゃん!!」
破裂するような音とともに、視界の隅から飛び込んできたのは、小さな少女の体だった。
気づいたときには――
氷河の目の前で、妹・澪が、黒く歪んだ“手”のような触手に胸を貫かれていた。
「……うそ、だろ」
世界が、止まった。
いや、氷河自身の感情が凍ったのかもしれない。
目の前にいたのは、カラミティズムの一体――
雷雲を歪めて作ったかのような異形で、空間にヒビを刻みながら進む“それ”は、ただ存在するだけで街を破壊していく。
避難放送など、意味がなかった。
「返せよ……なんで……っ!!」
氷河の中で、何かが砕ける音がした。
悲しみ、恐怖、そして――信じていた日常が壊れた怒り。
それらが混ざり合い、感情の臨界点を超えた瞬間だった。
空気が急速に冷え始め、指先から白い息が漏れる。
地面に、淡く氷の結晶が走った。
彼の背後に、風を纏った六枚の氷の羽が現れた。
透き通るような瞳に、声なき叫びが宿る。
次の瞬間――
カラミティズムの触手が砕け散り、吹雪が世界を包み込んだ。
氷河は、ただ本能のままに戦った。
カラミティズムを見つけては、凍てつく力で殲滅していく。
そしてLayerが現れた時には、周囲一帯は氷山のように変わり果てていた。
すべてを凍てつかせた彼は、澪の傍らで力尽き、崩れるように倒れた――
⸻
気がついた時、そこは病院のベッドの上だった。
氷河は飛び起きようとするが、全身に激痛が走る。
「だ、ダメですよ〜。そんなに動いちゃ。あなた、全身骨折してるんだから」
あっけらかんとした看護師の声が響く。
だが、氷河は痛みよりも気がかりだった。
「あ、あの! 僕の妹は!? 一緒に倒れてたはずなんです!」
看護師は一瞬、表情を曇らせてから答えた。
「……あの子なら、ICUにいるわよ。すごく重症だけど、命はなんとか……」
「そんな……」
氷河の中に再び絶望が広がる。
家族はもう、妹しかいなかったのに――
また、奪われてしまうのか。
その時、病室のドアがノックもなく開いた。
「急にすまない。Layer Association(レイヤー協会)、通称『LA』の猿渡健吾だ。君が風間氷河くんで間違いないか?」
「え、あ……はい」
「意識が戻ったばかりのところ申し訳ないが、君には伝えておきたい。
君は“ひとりで”灰祭町の災害を鎮圧した。しかも、無自覚のまま能力を覚醒させて。正直、驚いたよ。
だが事実、君はLayerとしての素質を持っている。怪我が癒えたら、東京のLA本部へ来てくれ」
「……あの、妹が……。彼女が回復するまで、離れたくないんです」
氷河の声は震えていた。
「安心してくれ。君の妹には、LAの医療系Layerが治療能力を使っている。
完全に治せるとは言えないが、生存は保証しよう」
「……ありがとうございます。彼女が落ち着いたら、東京に行きます」
「それでいい。では、また会おう」
猿渡は短く礼を言い、病室を出ていった。
氷河は、急激に訪れた現実の波に脳が追いつかず、再び眠りに落ちた――