第8話「禁忌の召喚」
封印の間の奥深く、冷たい空気が満ちていた。
陽翔は慎重に書物を開く。
その表紙には、かすれた文字でこう記されていた。
——「禁忌の召喚の記録」——
「……やっぱり、ここに何かが書かれてる」
莉音が隣で息をのむ。
ページをめくると、古びた文字が並んでいた。
「召喚とは、勇者を求める儀式にあらず。鍵を導き、世界の均衡を維持するものなり」
陽翔の指が震えた。
(やっぱり……俺たちの召喚は、何かがおかしい)
「でも、ここに"鍵が二つになると修正が発動する"って……?」
エリシアが眉をひそめる。
「修正……?」
「おそらく、召喚によって二つの"鍵"が存在した場合、世界の均衡が崩れる。その結果、歴史が書き換えられる……?」
「歴史が……書き換えられる?」
莉音が、かすかに震えた声で言った。
その瞬間——。
「っ!」
陽翔の視界が歪む。
まるで空間そのものが揺らぐように、意識が引きずり込まれた。
***
——そこは、どこでもない場所。
過去と現在、未来が入り交じる"狭間"だった。
陽翔は、時の流れの外側に立っていた。
目の前に広がる光景——それは、召喚の儀式の瞬間だった。
魔法陣が輝き、二つの影が浮かび上がる。
一つは——陽翔自身。
そして、もう一つは——。
(……誰かがいる……!)
だが、その影は、まるで何かに邪魔されているように、輪郭が曖昧だった。
「……お前は誰なんだ……!」
陽翔が叫ぶと、その瞬間——
影が揺らぎ、"本来いなかったはずの人物"が映り込む。
誰だ……?
誰が、俺たちの召喚に介入した?
「——やめろ」
低い声が響いた。
振り向くと——そこに黒鎧の男が立っていた。
「お前がこの狭間を覗けば、さらなる歪みを生む」
「お前……この召喚に関わっていたのか……!?」
陽翔の問いに、男は沈黙する。
だが、次の言葉は——。
「お前たちは、誰かによって仕組まれた存在だ」
「な……」
陽翔の心臓が大きく跳ねた。
仕組まれた……?
「誰かが、お前たちをこの世界に送り込んだ」
「……っ!」
世界がぐらりと傾く。
陽翔の意識が、現実へと引き戻される。
***
「……陽翔くん!」
莉音の声が聞こえた。
陽翔は荒い息をつきながら、床に手をつく。
「今……"視えた"……」
「何が……?」
エリシアが鋭く問いかける。
陽翔は、震える声で答えた。
「召喚の瞬間……俺の他に、"もう一人"いた」
莉音とエリシアが息を呑む。
「でも……その顔が、視えなかった。でも、もう一つ……」
陽翔は拳を握りしめた。
「俺たちの召喚は……誰かに仕組まれていた……」
沈黙が広がる。
何者かが、この世界の召喚を操っていた?
それは、いったい誰なのか——。
***
封印の間に、重苦しい沈黙が落ちた。
「……召喚が、仕組まれていた?」
莉音がかすれた声で呟く。
「じゃあ……私たちは、本来なら召喚されるはずじゃなかった……?」
陽翔は喉の奥がひりつくのを感じた。
(俺たちの召喚が、誰かの意図によって行われた?)
もしそうなら——誰が? 何の目的で?
その時、エリシアが顔を上げる。
「……この記録の続きがあるわ」
彼女が指さしたのは、「禁忌の召喚」の記録の一節だった。
——「運命が交わる時、狭間は開かれる」——
「運命の狭間……?」
陽翔が呟くと、莉音が息を呑んだ。
「……私、この言葉をどこかで聞いたことがある気がする……」
「え?」
莉音の表情が曇る。
「でも、どこで……?」
彼女は頭を押さえる。
「……分からない。何かが引っかかるのに、思い出せない……!」
その様子を見て、陽翔は直感した。
(莉音の記憶は、何かによって"曖昧にされている")
まるで、彼女の存在自体が「この世界に属していない」と言わんばかりに——。
***
「運命の狭間が開かれた時、"真実"が明らかになる」
エリシアが書の続きに目を走らせる。
「だが、狭間を覗くことは危険を伴う。歴史の"修正"が発動した場合、覗いた者の存在すら危うくなる……?」
「歴史の修正……?」
陽翔はその言葉に引っかかる。
まるで、存在そのものが"書き換えられる"かのような表現——。
「もし"鍵"が二つ存在した場合、その影響で歴史が歪み、世界がそれを"修正"しようとする?」
「つまり……この世界が"間違い"を正そうとするってこと?」
莉音の声が震えていた。
「だとしたら、私……私は、本来なら存在しないはずの人間なの……?」
「そんなこと……」
陽翔は即座に否定しようとした。
だが——。
(本当に、そうじゃないと言い切れるのか?)
黒鎧の男の言葉が、脳裏にこびりついていた。
——「お前たちがこの世界に存在することそのものが、"運命の誤算"だった」——
莉音が「鍵」であるなら、"本来召喚されるべき者"が消えた可能性がある。
(じゃあ、その消えたはずの召喚者は……?)
***
その時だった。
「まだ、続きがある」
エリシアがさらにページをめくる。
「"運命の狭間"を開くには、"時の鍵"を用いよ」
「時の鍵……?」
莉音が眉をひそめる。
「これって……"鍵"とは別物?」
「おそらく、"歴史の狭間"に入るために必要なものだろう」
エリシアが記述を追う。
「……"時の鍵を持たぬ者が封印を解けば、歴史の狭間に囚われる"」……?」
「囚われる?」
「つまり……何も知らずに封印を解けば、"この世界から消える"可能性がある」
「……!」
陽翔の手が震える。
それはつまり——。
「この封印を解けば、"消えた召喚者"の記録が明らかになるかもしれない」
「でも、"時の鍵"がなければ、俺たち自身が消える可能性がある……?」
「そんな……!」
莉音が蒼白な顔でつぶやいた。
「じゃあ……どうすれば?」
「鍵を探すしかない……」
エリシアが険しい表情で言う。
「おそらく"時の鍵"とは、単なる物理的な鍵ではない。"ある条件"を満たすことで開かれるものなのかもしれない」
「条件……?」
「それが何かは分からない。でも、これだけは確かよ」
エリシアは、陽翔と莉音を真っ直ぐ見た。
「"この先に進むことが、世界の真実を暴くことになる"」
***
陽翔は拳を握った。
("消えた召喚者"……その正体を知るために、俺たちはここに来た)
だが、その先にあるものが、単なる記録ではなく——。
(俺たちの存在そのものを揺るがすものだとしても……)
「……行こう」
陽翔は決意を込めて言った。
莉音が、わずかに震えながらも頷く。
「真実を確かめるために……!」
エリシアが静かに目を閉じた。
「なら、"時の鍵"を探すところからね」
そして、彼らは——次なる探索へと向かう。
***
封印の間を出た後も、陽翔の頭の中では言葉が渦巻いていた。
——時の鍵を持たぬ者が封印を解けば、歴史の狭間に囚われる。
(もし俺たちが無理に封印を解けば……この世界から消えるかもしれない)
そう考えた瞬間、背筋が冷たくなった。
隣で歩く莉音もまた、難しい表情を浮かべている。
「……陽翔くん」
彼女が静かに口を開く。
「時の鍵って……どこにあるんだろう?」
「分からない。でも、何か手がかりがあるはずだ」
エリシアが頷く。
「封印の間にあった記録をもっと詳しく調べる必要があるわね。王宮の古文書庫には、召喚に関する別の記録が残っているかもしれない」
「そこに行けば、時の鍵の手がかりが……?」
「可能性はあるわ」
「……なら、まずはそこへ向かおう」
陽翔は決意を込めて言った。
***
王宮の古文書庫は、厳重な魔法結界で守られていた。
エリシアが魔術の印をかざすと、扉が静かに開く。
「ここには、千年以上前の記録も残っているわ。ただ、すべてが整理されているわけじゃない」
広い室内には、無数の書物が並び、埃がうっすらと積もっている。
陽翔と莉音は、それぞれ手分けして資料を探し始めた。
「……これは?」
陽翔は、奥の棚に置かれた古い巻物を手に取る。
そこには、こう記されていた。
——「時の鍵、それは二つの世界を繋ぐ役割を果たすもの」——
陽翔の指が止まる。
「二つの世界……?」
その瞬間、後ろから莉音の声がした。
「陽翔くん、こっちにも……!」
彼女が見つけた書物には、次のような文章があった。
——「時の鍵は、一度失われた。しかし、ある存在によって新たに生み出された」——
「……どういうことだ?」
エリシアが考え込む。
「もともと"時の鍵"は自然に存在していたものではなく、"誰か"が作り出したもの……?」
誰が? 何のために?
(まさか……召喚を仕組んだ者が、時の鍵をも操っている?)
陽翔の胸がざわめいた。
***
「ここには続きがないみたい……」
莉音が残念そうに呟く。
「じゃあ、どうすればいい?」
「"時の鍵"を知る者に直接聞くしかないわね」
エリシアの言葉に、陽翔は息をのむ。
「そんな奴、どこに——」
「……いるわ」
莉音がぽつりと呟いた。
「え?」
「もしかしたら、"黒鎧の男"が知ってるかもしれない……」
その名が出た途端、場の空気が一気に張り詰める。
「……確かに、あいつは"召喚の真実"に近づくたびに現れている」
「もしかすると、あの男自身が"時の鍵"を持っているのかもしれない」
陽翔は、心の奥底で確信に近い何かを感じた。
黒鎧の男——彼が何者なのかは分からない。
だが、彼は常に"核心に関わる情報を持っている"。
ならば——。
「……探そう」
陽翔は拳を握った。
「黒鎧の男を……そして、"時の鍵"を」
***
夜の王都。
陽翔たちは黒鎧の男の行方を追うため、王宮の裏手に広がる古い寺院へと足を運んでいた。
寺院はすでに廃墟と化していたが、かつては王国の守護を担う神官たちが集った場所らしい。
「この寺院、最近まで誰かが出入りしていた形跡がある……」
エリシアが地面を指差す。
確かに、長年放置されていたはずの石畳には、新しい靴の跡が残っていた。
「黒鎧の男がここにいる可能性が高い、ってことか?」
陽翔が慎重に辺りを見回す。
暗闇の中、かすかに魔力の波動が漂っていた。
「何か……いる」
莉音が小声で告げる。
その瞬間——。
「待っていたぞ」
低く響く声が、闇の奥からこだました。
振り向くと、そこに——黒鎧の男が立っていた。
***
「やはり来たか」
黒鎧の男は、静かに歩み寄る。
「俺たちがここに来ることを知っていたのか?」
陽翔が問いかけると、男は薄く笑った。
「お前たちが"時の鍵"に辿り着くのは時間の問題だった。俺の役目は、それを見届けることだ」
「……時の鍵を知っているんだな?」
莉音が一歩前に出る。
「それがなければ、封印を解くことも、"運命の狭間"を覗くこともできない……」
「知っているとも」
黒鎧の男は、手をかざした。
すると、彼の手のひらに、青白く輝く小さな鍵が現れる。
「これが"時の鍵"……!?」
陽翔が驚く。
だが、次の瞬間、男はこう告げた。
「だが、これを渡すわけにはいかない」
「……っ!」
「時の鍵は、世界の均衡を守るもの。これを持つ者が封印を解けば、歴史の狭間が開かれる。だが、それが"正しいこと"とは限らない」
「どういう意味だ?」
「お前たちは、本当に"真実"を知る覚悟があるのか?」
黒鎧の男の声が、静かに響く。
「時の鍵を手にした瞬間、お前たちは"不可逆の運命"へと進むことになる」
「……不可逆?」
莉音が震えながら呟く。
「つまり……?」
「"一度視た真実は、取り消せない"ということだ」
男の声が、夜闇に溶ける。
「それでも、お前たちは先へ進むのか?」
***
陽翔は拳を握りしめた。
(真実を知れば、俺たちの存在が否定されるかもしれない)
(それでも、知らないままでは……進めない)
「……行く」
陽翔は静かに答えた。
黒鎧の男は、しばらく彼を見つめていた。
そして——。
「ならば、"試練"を受けよ」
「試練?」
「時の鍵は、ただ望めば手に入るものではない」
男の瞳が、不気味な光を宿す。
「運命の狭間に入る資格があるか、それを確かめるために……"過去の影"と対峙してもらう」
「過去の……影?」
「お前たち自身の存在を試すもの。すべてを視る覚悟があるのなら、時の鍵は目の前に現れる」
黒鎧の男が手を掲げる。
次の瞬間——。
「——っ!?」
陽翔の視界が暗転した。
彼らの意識は、再び"狭間"へと引き込まれる——。
***
**次回:「過去の影」**
陽翔と莉音が対峙する"試練"とは?
時の鍵を手にし、封印の間の扉を開くことができるのか——!?




