第3話「王との謁見」
王宮の中庭には、戦いの爪痕が残っていた。
石畳には焦げ跡が付き、折れた剣や盾が散乱している。
騎士たちは負傷者の手当てをしながら、静かに戦いの余韻に浸っていた。
陽翔はその光景を見つめながら、心の中で整理しきれない思いを抱えていた。
(結局、俺は……何もしていない)
確かに、戦場の動きを"視る"ことはできた。
だが、それをどう活かせばいいのかは分からない。
黒鎧の男は去り、魔物たちは退けられた。
しかし、封印の間は破られたままだ。
この異世界で何が起こっているのか——そして、自分はどうすればいいのか。
「神崎陽翔様、藤宮莉音様」
背後から呼びかけられ、振り向くと、騎士団の一人が立っていた。
「国王陛下がお待ちです。謁見の間へ」
陽翔は莉音と目を合わせる。
「……行くしかない、か」
「ええ」
莉音は短く答え、足を踏み出した。
だが、その横顔には、どこか張り詰めた表情が浮かんでいた。
***
王宮の謁見の間は荘厳だった。
天井には大理石の装飾、壁には歴代の王の肖像画。
玉座の上に座るのは、王国の統治者——**アルディウス三世**。
厳格な表情を湛えた王の隣には、王国の側近や将軍たちが並ぶ。
その中の一人が、陽翔を一瞥しながら口を開いた。
「魔力を持たぬ勇者、神崎陽翔。貴様の存在は、この国にとって福音か、災厄か」
陽翔は、その言葉に軽い苛立ちを覚えながらも、口を閉ざした。
「陛下」
エリシアが一歩前に進み出る。
「彼には、"視える力"があります。魔力を持たぬとしても、それが活かせる可能性は十分にあります」
「……証明できるのか?」
王は低く問いかける。
エリシアは一瞬だけ陽翔を見て、静かに頷いた。
「今ここで、試していただければと思います」
「試す?」
陽翔は思わず聞き返した。
すると、エリシアは王の隣に立つ魔導士に目配せする。
「神崎陽翔様。あなたの"視える力"が、どれほどのものなのか——これで証明していただきます」
魔導士が杖を構え、静かに詠唱を始めた。
「これは……」
陽翔の視界が揺れる。
空間に漂う光の粒が、流れるように魔導士の杖へと収束していく。
詠唱が進むにつれ、空気が震え始めた。
「これから、私は魔法を放ちます」
魔導士が陽翔を見据える。
「あなたは、その魔法の"軌道"を予測し、どこへ飛ぶのかを言い当ててください」
陽翔は、軽く息を吐いた。
(視えるのか? いや……やるしかない)
目を凝らし、魔導士の杖の先を見つめる。
すると——
**視えた。**
魔力の流れが、線となって空間を駆け巡る。
まるで光の筋が未来の軌道を描いているかのように。
「……っ!」
陽翔は目を見開いた。
魔法は、まだ放たれていない。
だが、その流れは**すでに"未来"を示していた。**
「右……45度、上方」
陽翔は咄嗟に声を出した。
次の瞬間——
魔導士が魔法を放つ。
**青い光弾が、陽翔が指摘した通りの軌道を描き、虚空へと飛んでいった。**
謁見の間に、静寂が訪れた。
***
謁見の間に静寂が訪れた。
陽翔の言葉通り、魔法は右45度、上方へと飛んだ。
偶然ではない。確かに、魔法の軌道を事前に言い当てたのだ。
沈黙を破ったのは、王の隣に立つ側近だった。
「……ありえん。魔力を持たぬ者が、なぜ魔法の軌道を視認できる?」
「それが、彼の力です」
エリシアがはっきりと答える。
「彼は、魔力を"視る"ことができます。これは単なる直感ではなく、魔法の流れそのものを読み取る能力なのです」
「……証拠は?」
別の魔導士が前に出る。
「もう一度、別の魔法で試させてもらおう」
陽翔は深く息を吸い、視線を魔導士に向ける。
(さっきと同じように……視えるはずだ)
魔導士が新たな呪文を唱え始める。
空間が微かに震え、魔力が収束していくのを感じる。
そして——
**視えた。**
魔力の流れが、空中に線を描いていく。
今度の魔法は、直線ではなく、途中で急角度に曲がる軌道を取る。
(これは……)
「……左から弧を描き、最後に直線で前方へ」
陽翔が告げた瞬間、魔導士の魔法が放たれた。
その光弾は、陽翔の言った通り、左へと弧を描きながら軌道を変え、最終的に直線で飛んでいく。
王の表情が、僅かに動いた。
「……確かに視えているようだな」
「信じられん……」
側近たちがざわめく。
魔法を完全に視認し、未来の動きを予測できる。
それが事実ならば、陽翔の力は、戦場において大きな戦略的価値を持つはずだ。
だが、ある魔導士が口を開く。
「しかし、それだけでは戦えぬ。視えても、力がなければ意味はない」
その言葉に、陽翔は思わず拳を握った。
(それは……俺が一番わかってる)
視えても、攻撃できなければ意味がない。
この世界で生き抜くためには、戦う術を身につけるしかない——。
「……ならば」
王がゆっくりと口を開いた。
「神崎陽翔。貴様の力が本当に王国にとって有益かどうか、もう一つ試させてもらおう」
陽翔は眉をひそめた。
「……どういうことですか?」
エリシアが問いかけると、王は静かに答えた。
「封印の間が破られた今、王国は危機に瀕している。黒鎧の男が何者かを調査する必要があるが、貴様の"視える力"がそれに役立つかもしれん」
王の視線が鋭くなる。
「——封印の間の調査を命じる。お前の力を試すには、そこが最も適している」
***
「封印の間の調査……?」
謁見の間を後にした陽翔は、廊下で莉音と並んで歩きながら呟いた。
「陽翔くん、大丈夫?」
「……正直、わからない。でも、やるしかないだろ」
陽翔は、自分の拳を握りしめる。
封印の間。
そこには、一体何が眠っていたのか。
そして——黒鎧の男は、一体何を知っているのか。
だが、その時——。
「……やっぱり、何かが違う」
莉音が、小さく呟いた。
「何が違うんだ?」
「……ううん、今はまだ言えない。でも……」
莉音は陽翔を見つめる。
「これだけは覚えておいて。何かを知るってことは、それに巻き込まれるってことだから」
その言葉に、陽翔の心臓が高鳴った。
「……お前、本当に何も知らないのか?」
「……」
莉音は少しだけ目を伏せた。
「……ごめん。でも、今は行こう」
その一言に、陽翔は深く息をつき、頷いた。
(……何かが変わっている。俺が来たことも、莉音の存在も、封印の間が破られたことも——全部)
だが、もう迷うつもりはなかった。
「この力が役に立つなら……俺は証明してみせる」
陽翔は、そう心の中で誓った。
***
封印の間へと続く回廊は、ひんやりとした空気に包まれていた。
陽翔は、騎士たちの先導のもと、エリシアや莉音と共に奥へと進んでいく。
壁には無数の魔法陣が刻まれ、封印を維持するための仕掛けが施されていた。
「……しかし、まさか封印が破られるとは」
騎士の一人が低く呟いた。
「この封印は、数百年間守られてきた。破るには、相当な魔力か、特殊な鍵が必要だったはず……」
その言葉に、陽翔は無意識に莉音の横顔を見た。
鍵——。
黒鎧の男は、莉音のことを「鍵」と呼んでいた。
「……莉音」
「……」
莉音は視線を伏せたまま、答えない。
「お前、本当に何も知らないのか?」
しばらく沈黙が続いた後、彼女は小さく息を吐き、囁くように言った。
「……私が、何も知らないわけないでしょ」
「っ……!」
陽翔の心臓が跳ねた。
やはり、彼女は何かを知っている。
この世界のことも、封印の間のことも。
莉音は静かに言葉を続ける。
「でも……全部は話せないの。今はまだ」
「……」
それ以上問い詰めることはできなかった。
***
封印の間の扉の前に立つと、空気が一層重くなった。
「ここが……封印の間か」
陽翔は目の前の巨大な扉を見上げた。
すでにその扉は半壊しており、内部からは薄暗い光が漏れている。
焦げたような跡、散乱する魔力の残滓。
「やはり、何者かがこの封印を意図的に破ったと考えるべきでしょうね」
エリシアが低く呟く。
「黒鎧の男……彼の仕業か?」
「可能性は高いです。しかし、単独でここまでの封印を破る力があるとは思えません。誰かが手を貸したか、あるいは……」
エリシアは扉の先を見つめながら言葉を切る。
「……何か、もっと別の存在が関わっているかもしれません」
陽翔はごくりと唾を飲み込んだ。
(この封印の奥に、一体何が……?)
「とにかく、中を調査しましょう」
エリシアの言葉に、騎士たちは頷き、ゆっくりと扉を押し開いた。
軋むような音と共に、封印の間の内部が明らかになる——。
***
そこは、まるで時間が止まったかのような空間だった。
中央には、古びた石の台座。
周囲には無数の魔法陣が描かれ、いくつもの封印の鎖が今も微かに輝きを放っていた。
だが、その中心部——かつて何かがあったはずの場所が、ぽっかりと空白になっていた。
「……何かが、ここにあった?」
陽翔は呟く。
「間違いありません。ここには、かつて"災厄の器"が封じられていました」
エリシアが静かに答えた。
「しかし……」
陽翔があたりを見回した時——不意に、"視えた"。
残滓。
消えたはずの魔力の痕跡が、微かに光の筋となって漂っていた。
(これは……)
陽翔の目の前に、ぼんやりとした影が浮かび上がる。
それは、誰かがここで"何か"を取り出した瞬間の残像だった。
黒い影が、何かを手に取り、持ち去る。
その背後には、他にも数人の影——黒鎧の男以外にも誰かが関わっていた。
「……っ!」
陽翔は、その映像が消えるのと同時に、息を荒く吐いた。
「陽翔くん?」
莉音が心配そうに覗き込む。
「今……視えた。ここで、黒鎧の男が"何か"を持ち去った。でも、それだけじゃない……他にも誰かがいた」
エリシアの表情が凍る。
「それは、本当ですか?」
「間違いない。俺の視える力で"過去の魔力の痕跡"を読んだ」
エリシアは神妙な顔つきで封印の間を見渡した。
「となると……封印を破ったのは黒鎧の男"だけ"ではなかったということになりますね」
陽翔は、ゆっくりと拳を握った。
この事件は、単なる襲撃ではなかった。
何者かが、計画的に封印を破り、"災厄の器"を持ち去ったのだ——。
そして、それに関わっているのは黒鎧の男だけではなく、別の勢力も存在する。
「……やっぱり、歴史が違う」
莉音がぽつりと呟いた。
「え?」
「何でもない。でも、もう後戻りはできないね」
莉音の表情には、決意の色が浮かんでいた。
***
封印の間に、静寂が満ちていた。
陽翔は、拳を握りしめながら目の前の光景を見つめる。
破壊された封印。
持ち去られた"災厄の器"。
そして、黒鎧の男の背後にいた、もう一つの勢力——。
「やっぱり、俺たちが来る前から何かが動いてたんだな……」
呟いた声は、自分に向けたものだった。
何者かが、計画的にこの封印を破り、"災厄の器"を奪った。
しかし、黒鎧の男はその場にいたが、彼が単独で行ったわけではない。
(じゃあ、一体誰が……?)
「……陽翔くん」
莉音の声に振り向くと、彼女は静かに陽翔を見つめていた。
「何か視えたんだよね?」
「ああ。ここで黒鎧の男が"何か"を持ち去った。でも、それだけじゃない」
陽翔は改めて視界の残滓を探る。
魔力の痕跡が、僅かに揺らめいている。
それを視ることで、ほんのわずかだが過去の映像を捉えることができる。
**光の軌道が、視えた。**
それは、黒鎧の男だけではなかった。
彼と共にいた、複数の影。
彼らは、封印を解いた後、一言だけ言葉を交わしていた。
——「予定より早いが、やるしかない」——
(予定より……早い?)
陽翔の胸に疑問が湧く。
この封印の解除は、元々決められた計画だった——しかし、それが何らかの理由で早まった?
この襲撃が「偶然」ではなかったことは分かっていた。
だが、それだけではなく、本来の歴史とは違う何かが起こっている——。
「……やっぱり」
再び莉音が呟く。
「何が"やっぱり"なんだ?」
「……」
莉音は一瞬だけ躊躇ったが、やがてゆっくりと口を開いた。
「——歴史が違う。こんなはずじゃないの」
「……!」
陽翔の心臓が高鳴る。
莉音は何かを知っている。
彼女は、まるで未来を知っているかのように——。
「お前……知ってるんだな、この世界のことを」
「……私は……」
莉音は言葉を詰まらせた。
「これ以上は……まだ話せない。でも、私は知ってる。少なくとも、"こんな未来はなかった"」
「……っ」
彼女の言葉に、陽翔は息を呑む。
召喚されたこの世界は、何らかの"異常"が起こっている。
本来とは違う歴史が進行している。
そして、莉音はそれを知っている——。
陽翔が何か言おうとしたその時——。
「……誰か来ます」
エリシアが低く呟いた。
扉の向こう、廊下の奥から、重々しい足音が響く。
そして現れたのは——王国の将軍の一人だった。
「……国王陛下がお呼びだ」
その言葉に、陽翔は眉をひそめる。
「俺たちを?」
「ああ。封印の間の調査の結果を報告するように、とのことだ」
陽翔は莉音とエリシアを見やる。
彼女たちも、静かに頷く。
「……行くか」
***
王宮の謁見の間。
陽翔と莉音、エリシアは王の前に跪いた。
国王アルディウス三世は、厳しい視線を陽翔へと向けた。
「封印の間の状況は?」
「……封印は完全に破られ、"災厄の器"が持ち去られていました」
エリシアが報告する。
「しかし、陽翔くんの視える力によれば、黒鎧の男の背後に、他の勢力が関わっている可能性があります」
王の表情が険しくなる。
「ほう……他の勢力?」
「はい。おそらく、この襲撃は"予定より早まった"ものだと考えられます」
「……予定より早まった、だと?」
王の視線が鋭さを増す。
陽翔は、その言葉を反芻する。
**"予定より早いが、やるしかない"**
つまり、封印が破られること自体は計画されていた。
だが、何らかの要因で、それが本来の予定よりも前倒しされた——。
「陛下」
陽翔は口を開く。
「もしかすると、俺たちが召喚されたこと自体が、この歴史の異常と関係しているのかもしれません」
謁見の間に、静寂が訪れる。
王はしばらく考え込むように沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。
「……確かに、召喚の儀式自体、予定されたものではなかった」
「え?」
陽翔の背筋が凍る。
予定されていなかった?
「召喚が行われたのは、異変が起こる直前のこと。つまり——」
王は陽翔を真っ直ぐに見据える。
「貴様たちの召喚が、この異常を引き起こした可能性もあるということだ」
その言葉に、陽翔は息を呑んだ。
***
**次回:「災厄の器を追え」**
召喚の異常、歴史の変化、持ち去られた"災厄の器"。
全てが絡み合い、陽翔は新たな決断を迫られる——。