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AI時代の人間的価値観、序



1.科学信仰の興隆

 

 近代科学の興隆と同時に科学的価値観が普遍化したわけではない。近代科学とはある程度(あるいはほぼ全て)西洋近代科学の事だが、西洋発のこの価値観が全世界に伝播するのは、西洋あるいはロシア、あるいは日本によって、すなわち西洋的価値観を広狭あれども受容し活かした国家群によって全世界が脅威に晒され、あるいは分割されてからである。



 ある価値観の受容はそれが異質なものであればあるほど、受容されるためにエネルギーを要する。特にヨーロッパ半島という辺境地域の、特殊な価値観が全世界に伝播するためには、その価値観によってもたらされる結果、具体的に言えば力が、他のあらゆる価値観による力を凌駕する必要があった。それらは政治的経済的軍事的文化的敗北として現出する。即ち保護国化、半植民地化、植民地化、そして併合である。



 これらの敗北によって抑圧され、虐げられた人々が、その抑圧を粉砕するために、近代科学、キリスト教、もしくは国家等、あらゆる概念を輸入した。



 その導入の過程において、人民の感情ー例え一過性のものであったとしてもーを無視するが如きは愚かである。感情も合理の内とすべきであり、それは合理の目的が所詮肉体からは離れがたい事からも自明である。即ちある過去の価値観によってもたらされていた鬱屈した感情は、その価値観を破却する時に重要な役割を果たすのである。総体的感情を論じ得るのかどうかについては、論じざるを得ないのだと主張する。実存を疑うことはあらゆる議論を宙に浮かべてしまう事の様に。




 諸敗北による感情も無視できない。これもまた、感情と合理が不可分であることの一因である。軍事的精神的敗北は改革への志向を惹起するだろう。



 惹起された結果としての革新勢力と、それへの反動勢力という図式は結果論であり、現実にはミクロな精神的、物質的利害の集合でしかないが、改革の結果として国家が、人民が、不当なーその様に認識されたという事自体こそ重要なのであるー抑圧、圧迫、収奪から解放されている限りにおいては、物質的精神的利益を享受している限りにおいては、西洋的価値観、また科学的価値観への信仰は、揺らぐことがないであろう。

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