第6話 策士の姉さんは策に溺れない
「おっかえり~、津久志。あいつとは上手くいったみたいだな」
帰宅後、缶ビールを片手に陽気な声で話しかけてくる姉さんに、僕は呆れ交じりのため息と共に返答する。
「姉さん……ああいう話は僕にも事前に話しといてよ」
「ああいうこと? あ~、あいつを津久志に預けるって話か? そんなの、先に言ったら絶対断ってたじゃん」
「だったら尚更本人の許可を取ってほしかったんだけど……」
「えー、それじゃあ、つまんねえじゃん」
あからさまに不満そうな顔をする姉さん。
でも、僕は何も間違ったことは言っていないはずだ。
「別にいいだろ? 結局、津久志はあいつと一緒に住むことに決めたんだから」
「そりゃあ……そうかもしれないけど……」
姉さんの言う通り、結果的に僕は叶実さんのところでお世話になることになった。
その場の空気に流されてしまったというのもあるけれど、あのまま凄惨な現場を見てしまえば、放っておくことは出来なかった。
それに、何より叶実さんが僕と一緒に暮らすことを心の底から楽しそうにしていたからだ。
――津久志くんっ! 一緒に住むようになったら、いっぱいお話しようねっ!
屈託のない笑顔を向ける叶実さんに、今更「やっぱり止めておきます」とは、とてもじゃないけど言えなかった。
「まぁ、適当に相手してやってくれ。そんで、原稿書かせろ。あたしの出世に繋がる」
「結局、自分の為じゃないか……」
「んなことねえよ。お前も大好きな七色咲月先生の新作が読めるし、女の子と一つ屋根の下で暮らせる生活を送れて大勝利じゃねえか」
ケッケッケッ、と特徴的な笑い方をする姉さん。
どうやら、お酒も随分と回ってきているようだ。
このままだと、ご飯も食べずに寝てしまう可能性もあったので、僕はすぐに夕食の準備に取り掛かろうとした。
「で、実際憧れの先生に会ってみてどうだったわけよ、津久志くん?」
しかし、姉さんはキッチンへと向かおうとする僕を引き留めて話を続けた。
「どうだったって言われても……僕が想像してた先生のイメージとはかけ離れていたけど……あっ、でもそれが悪いってわけじゃなくて……」
「違う違う。そういう堅っ苦しい感想じゃなくてよ……」
姉さんは、ニヤリとした笑みを浮かべながら、僕に問いかける。
「あいつ、結構可愛かっただろ?」
「えっ!? かっ! 可愛いって……!?」
「はっはぁ~! いいね、そのリアクション! 青春真っ盛りな少年って感じでさ」
姉さんは何が面白かったのか、ケラケラと笑いながら持っていたビール缶を口に運んだ。
「あいつ、普段はだらしねえ恰好してるけど、顔もスタイルもそれなりに整ってんだよな、腹立つくらいに」
「最後の一言は余計な気がするんだけど……」
「まぁ、だからってお前なら変なことはしないと思ったから送り込んだわけだけど、我慢できなくなったら、ちゃんと姉ちゃんに報告するんだぞ?」
「我慢できないって、どうゆうこと!?」
「そりゃあ、■■■■■■■■とか、なんなら■■■したいとか?」
「はっきり言わないで!?」
実の姉から、とんでもないワードが飛び出してきた。
時代が時代なら、確実に伏字になっていたことだろう。
最近の出版業界って、使用禁止用語がかなり増えたっていうからね。
「まぁ、そういう冗談はともかくだ」
冗談にしては些か過激すぎなのでは? というツッコミをする前に、姉さんはニヤリと浮かべた笑顔を崩さずに、僕に告げた。
「あいつとは仲良くしてやってくれ。ああ見えても、結構寂しがり屋だからよ」
……それは、少し姉さんらしくない、誰かを思いやるような、そんな感情が滲んでいた。
「さてと、んじゃ、そろそろ飯にしようぜ。あーあー、津久志が作ってくれる飯が食べられるのも、あと少しかぁ~」
そういって、机に身体を預ける姉さんは、完全に酔っ払いのそれだった。
「姉さん、そんなので大丈夫なの? 僕が叶実さんのところに行ったら、これから家のことは全部姉さんがやらないといけないんだよ?」
「んなの分かってるわ。大体、津久志が来るまでは、ちゃんとあたしだって自分で飯作ったり掃除くらいしてたっての~」
反抗的な言葉を並べる姉さんだったけど、いつの間にか顔も赤くなっていたし、呂律も若干怪しい。
そろそろ本格的に酔い始めてるな、なんて思いつつ、僕は「わかった、わかった」と適当に相槌を打ちながら、晩御飯の準備を始める。
まぁ、姉さんなら1人で大丈夫だろうけれど、た週末くらいは姉さんの為に家に帰ってきたほうがいいかもしれない。
そんなことを思いつつ、僕は机に身体を預けてしまっている姉さんの為に、早く晩御飯を作ってあげようと決意したのだった。
〇 〇 〇
こうして、僕は成り行きではあったものの、七色咲月先生……夢羽叶実さんとの同居生活が始まるのだった。
ただ、このときはまだ、僕は何も知らなかった。
この決断が、後に僕の人生すらも、大きく変貌させる出来事だったことに。