2-6 放課後ティータイム②
「お兄ちゃん!?」
僕を見た愛衣ちゃんは、目を見開きながらその場で固まってしまった。
「お兄ちゃん……? あ~! なるほど~!」
しかし、愛衣ちゃんの反応をみた楓子さんが合点したとばかりに、ポンっと手を叩く。
「なんだー! 津久志くんの妹ちゃんだったの! もう~、こんな可愛い妹がいるなんて、早く言ってくれれば良かったのに~」
そして、営業スマイルとはまた違った笑顔を浮かべた楓子さんは、また愛衣ちゃんにじりじりと近づいていく。
「あ、あの!? ちがっ、そ、そうじゃ、な、なっ!」
しかし、一方で愛衣ちゃんは完全に混乱してしまっていた。
このままでは、僕が本当に愛衣ちゃんのお兄ちゃん認定をされてしまうので、ひとまず誤解を解いておこう。
「えっと、違うんです楓子さん。この子は愛衣ちゃん……重井愛衣ちゃんっていって、僕の家の隣の部屋に住んでいる子なんです」
色々と説明は省いてしまったけれど、これで簡潔に僕と愛衣ちゃんの関係は伝えられたはずだ。
「えっ、じゃあ妹さんじゃないの? う~ん、確かに津久志くんとはあまり似てないなぁ~」
楓子さんお得意のマシンガントークは停止したものの、今度は顎に手を当てながらじぃーと愛衣ちゃんを凝視する楓子さん。
「……ふっ、ふわっ!?」
そんな状況に、愛衣ちゃんはますます萎縮してしまう。
愛衣ちゃんを助けようとしたのに、逆に困らせてしまった……。
なんとかこの状況を打破しなければ、と、また僕が2人の間に割り込もうとしたところで、別の人影が現れる。
「瀬和くん? どうされました?」
僕が急に席を立ってしまったからなのか、小榎さんまで、こっちへ来てしまったのだ。
「……えっ!?」
すると、小榎さんも愛衣ちゃんの姿をみて、体を膠着させてしまった。
だが、僕はその理由がすぐにわかってしまった。
「う、うちの学校の……生徒……」
小榎さんは、僕と一緒にいるところを同じ学校の生徒に見られることを極端に避けていた。
だから、この状況は小榎さんにとって非常に都合が悪いことだったのだが、愛衣ちゃんは例外なのだ。
「小榎さん。大丈夫だよ! 愛衣ちゃんは僕の知り合いで……」
なので、ついさっき楓子さんにもした説明を小榎さんにしようとしたのだが……。
「お、お兄ちゃん……もしかして……!」
愛衣ちゃんが、わなわなと唇を震わしながら、僕にこういった。
「か、彼女さんが……いたの……?」
…………僕以外、面白いくらいに勘違いをしていくのだった。
〇 〇 〇
――数分後。
「そ、そうだったんだ……お兄ちゃんの……クラスメイトの人……」
僕の話を聞き終えた愛衣ちゃんは、席に座ってテーブルに置かれたケーキをじっと見つめるように視線を落としながら、そう呟いた。
だが、それは決してケーキを食べたい合図というわけではなく、恥ずかしがり屋な愛衣ちゃんとしては、まだ小榎さんと目を合わせることができないだけのようだ。
「ごめんなさい……とっても綺麗な人だったから、てっきりお兄ちゃんと、そ、そういう関係なのかと思いました」
小榎さんが綺麗な人だということは僕も同意するけど、それが僕と小榎さんの関係を勘違いした理由にはならない気がするんだけど……。
「い、いえ。私も大声を出してしまってごめんなさい……」
しかし、そこには突っ込まずに謝罪の言葉を口にする小榎さん。
僕の努力も実を結んだのか、なんとか誤解を解くことには成功した。
だが、このままではお互い謝ってばかりの会話になってしまいそうなので、僕が話題を振ることにした。
「愛衣ちゃん。もしかして入学式の帰り?」
「うん。そのまま帰ろうかなって思ったんだけど、お兄ちゃんに教えて貰ったケーキ屋さんが近くにあるって言ってたから、寄って行こうと思って……」
成程、それで僕たちと遭遇したわけか。
「ごめんなさい。愛衣までケーキ、ご馳走になっちゃって」
「いいよ。それに、入学祝い、まだしてなかったもんね」
「そ、そんなことないよ! 合格したときに、ご飯もいっぱい作ってくれたでしょ? 愛衣、それがすっごく嬉しかったし……」
愛衣ちゃんは、また恥ずかしそうに頬を赤くしてしまった。
でも、こうして制服姿を見ると、愛衣ちゃんが僕たちの後輩になったのだと実感する。
すると、小榎さんが僕たちの会話を聞いて、気になったことを口にした。
「瀬和くん。本当に料理が得意なんですね」
何気ない質問のつもりだったのだろうが、その小榎さんの質問に、愛衣ちゃんの表情がパッと明るくなった。
「はいっ! お兄ちゃんの料理、すっごく美味しんですよ! 包丁とかもパパッて動かしてお野菜もあっという間に切っちゃうんです! あっ、他にもこの前、愛衣も一緒に手伝ってたときなんですけど――」
それから、愛衣ちゃんは僕のことを嬉々として小榎さんに話し始めた。
聞いてる本人からすれば、多少大袈裟に言っているようなところもあったけれど、小榎さんも何故か途中から僕の学校での様子を話すようになって、いつの間にか会話は大盛り上がりしている。
結果、進行役を努めようとした僕が蚊帳の外になってしまった。
「あっ、ごめんなさい! 愛衣、そろそろ家に帰らないと……」
店の時計を見て、本来の帰る時間よりオーバーしてしまっていたのが、愛衣ちゃんは申し訳なさそうに僕たちにそういった。
僕たちも、そろそろ帰る時間だったので、今日のお茶会はこれでお開きとなった。
楓子さんは、帰り際に愛衣ちゃんにもスタンプカードを作っていたので、また3人でお店に寄る機会が増えるかもしれない。
「あの、お兄ちゃん。今日はありがとう」
お店を出ると、愛衣ちゃんは丁寧にお辞儀をして僕にお礼をいった。
そして、今度は少し身体の向きをずらして、小榎さんに向かって告げる。
「あの、小榎先輩。また、お兄ちゃんのお話、いっぱい聞かせてくださいね」
ぺこり、と頭を下げて、愛衣ちゃんはお土産としてお母さんに買ったケーキの箱を掲げて、その場から去っていく。
「…………」
そんな愛衣ちゃんの背中を、じっと見つめる小榎さん。
どうしたのだろう? と声を掛けようとしたところで、彼女はゆっくりと笑みを浮かべた。
「いえ……。『先輩』なんて呼ばれたことが今までなかったので、なんだか新鮮だな、って思っただけです」
このとき、僕はなんとなく、小榎さんと愛衣ちゃんの関係はこれからもずっと長く続いていくような気がした。
だから、僕は小榎さんにこんなお願いをする。
「小榎さん。これからも、愛衣ちゃんと仲良くしてくれると嬉しいんだけど、お願いできるかな?」
「……ふふっ」
すると、小榎さんは笑い声が漏らしたのち、僕にこう告げた。
「瀬和くん。本当のお兄ちゃんみたいですね」
「……頼りないお兄ちゃんだけどね」
小榎さんの言葉に、皮肉交じりで返したつもりだったけれど、
「そんなことはありませんよ。愛衣さんを見てれば、それが良く伝わってきます」
返ってきたのは、僕なんかには勿体ない言葉だった。
そして、少しずつオレンジ色の夕日が強くなっていく商店街を抜けると、いつもの別れ道に到着する。
「では、瀬和くん。また明日」
「うん、また明日」
そういって去っていく小榎さんを少し見送ってから、僕も彼女と反対方向へと歩き出す。
「……さて、帰りにスーパーに寄らないと。えっと、叶実さんに頼まれたものってあったっけ?」
そんな独り言を呟きながら、スーパーまで向かっている道中、
「…………ん?」
僕は、ある違和感を覚える。
いや、違和感ってほどじゃなくて……、なんだか、こう……居心地が悪いというか……。
――まるで、誰かに見られているような、そんな感覚があったのだ。
僕は、一度立ち止まって、後ろを振り返る。
「…………」
しかし、誰かが僕を見ているような様子はないし、それどころか通行人すらいない、閑散とした風景が続いていた。
「……やっぱり気のせいか」
このときは、特に気にすることなく、スーパーに着いた頃にはすっかり忘れてしまっていたのだけれど――。
その視線の正体がわかったのは、それから数日後の出来事であった。