2-4 ぐうたら彼女のお土産争奪戦
無事、『オルレアン』で叶実さんのケーキと自分のケーキを買ってきて、僕がマンションへと帰宅すると、
「おかえり~、津久志くん!」
「おう~、やっと帰ってきたか」
叶実さんともう1人、僕を出迎えてくれる人物がいた。
すらっとしたスーツ姿の彼女は、他人の家だというのに堂々と椅子に座って缶ビールを飲んでいる。
僕はため息を吐くと、少し心配気味な声を発して、彼女に注意した。
「……姉さん。人の家で酔っ払わないようにしてよ」
すると、姉さんは不満そうな顔を浮かべながら反論する。
「別にいいだろー。今日の仕事は終わったんだから。それに、これはあたしが買ってきた酒だ」
片手で持ちながら、ちゃぷちゃぷと缶ビールの中身を揺らして音を立てる。
見たところ、まだ1本目を開けたばかりのようで、酔いも回っていないっぽい。
だからといって、他人の家で飲み会を開くのはどうかと思うが、叶実さんは全然気にしていない様子だったので、僕の口からはこれ以上何も言わないことにした。
しかし、事前に訪ねてくる連絡がないことはいつものこととして、叶実さんに何か用事があったのだろうか?
「用事つーか、まぁ、あれだよ。一応あたしもこいつの担当編集だからな。労いの言葉でもかけてやろうと思ったんだ」
そう言った姉さんは、特に何かを考えていたわけじゃないようで、さらっと僕にそう言っただけだった。
だけど、僕は姉さんの気持ちが、なんとなく分かる。
姉さんだって、叶実さんの書く『ヴァンラキ』を心待ちにしていた1人だ。
きっと、それは担当編集という仕事以上の感情があって、だからこそ、僕を叶実さんの家に派遣したことも知っている。
口では出さないけれど、姉さんはずっと、叶実さんのことを心配していた。
世話焼きなのに、素直じゃないところは、姉さんらしい。
「……んだよ、津久志。その『僕は分かってますよ~』みたいな顔は」
しかし、何かを悟ったのか、目を細めてこちらを見てくる姉さんの機嫌が悪くなりそうだったので、僕は話題を逸らすことにした。
「別に、そんな顔してないよ。それより姉さん、ご飯は食べていくの?」
「おう、せっかくだしそうするわ~」
了解、と返事をしたあとに、念のため叶実さんにも確認すると「もちろん、いいよ~」と返事をくれた。
「あっ、ちなみにお前が持ってる美味そうなお土産も貰うからよろしく~」
「ええっ~!? それは駄目だよ! そのケーキは津久志くんがわたしの為に買ってきてくれたんだから!!」
「いいだろ、別に。どうせ、お前のことだから2コくらい余分に買ってきて貰ってんだろ?」
「うっ!?」
叶実さんの反応通り、僕は叶実さんに頼まれて、ショートケーキとショコラケーキの2つを買ってきている。
自分の分と合わせると、不思議なことに3人分丁度買ってきたことになってしまうのだ……。
「それでも駄目なものは駄目! いくら霧子ちゃんでも、わたしは譲る気なんてないよ」
「何だよ、さっきもお菓子食べてただろ。そんなバクバク食ってたら太るぞ、お前」
「ちっちっちっ、霧子ちゃんってば、考えが古いなぁー。今の時代、太らない為に必要なのは血糖値管理だよ。だから、間食はむしろダイエットには効果的なのだよ」
ふふーん、と自慢げにしている叶実さんの顔は、冷蔵庫にケーキを入れているところだったので見えなかったけど、その様子は簡単に想像できた。
ちなみに、血糖値管理の為にご飯を分けて食べるのがいいとは聞いたことがあるけれど、だからといってお菓子をバンバン食べていいわけじゃない。
むしろ、叶実さんの食べているお菓子のラインナップを考えると、確実に太るはずなんだけど……。
いい事なのか悪い事なのか、叶実さんが太っている様子は一向に見受けられなかった。
「ごちゃごちゃうるさい。いいからお前のケーキをあたしに寄越せ」
「ヤダ! わたしが食べるの!」
しかし、姉さんも一歩も引かないようで、交渉はなかなか進展しない。
「仕方ねえ。こうなったら、お前のケーキを賭けて、あたしと勝負しろ」
すると、姉さんは椅子から立ち上がって、テレビの前に置かれていたゲームのコントローラーを2つ取って、1つを叶実へと放り投げる。
そして、それを受け取った叶実さんの目の色が変わった。
「霧子ちゃん……まさか、このわたしにゲームで勝てると思ってるの?」
ざわ……ざわ……と、リビングの雰囲気も、心なしか緊張感が漂っていた。
「勝てるね。お前みたいな子供に負けるあたしじゃねえよ」
しかし、姉さんは怯むことなく、叶実さんに宣戦布告をする。
「……ふっ。わかったよ霧子ちゃん。その代わり、霧子ちゃんが負けたら、わたしにファミリアクッキー1ヶ月分を贈呈してもらうよ」
「上等。お前こそ、約束はちゃんと守れよ」
そういってゲームを起動されると、叶実さんがよくやっている対戦ゲームの画面が写る。
それは、僕でも名前くらいは知っているゲームで、大人から子供まで遊べる一方、ステージから落ちたら負けというシンプルなルールながら、上級者となれば奥深い戦略性が要求されるゲーム……らしい。
僕も何回か叶実さんに誘われてプレイしてみたけど、結果は惨敗だった。
というわけで、何故か叶実さんと姉さんがゲーム勝負している間に、僕は晩御飯を作ることになった。
――そして、1時間後。
人数分のハンバーグと付け合わせのサラダが用意できた僕が見た光景は、
「うわああああああああああん! もうやだあああああああっっっっ!!」
……ガチ泣きしてる叶実さんの姿だった。
一方、姉さんは意地悪な笑みを浮かべて誇らしそうにしていた。
「へっ、このあたしに勝とうなんざ、100年早かったな。んじゃ、飯にしようぜ」
テンプレート過ぎる勝利宣言をした姉さんは、そのままコントローラーを置いて、食卓の椅子に座った。
「……姉さん。ゲーム上手だったんだ」
正直、僕は家で姉さんがゲームをしている姿なんて見たことがなかったので、姉さんが負けるんじゃないかと思っていたのだが、結果は正反対だった。
「昔、よくやってたんだよ。家帰るのが嫌で知り合いの家に集まって遊びまくってたからな」
「……そうなんだ」
僕は、姉さんのゲームが得意な理由に納得したと同時に、昔のことを思い出してしまった。
姉さんの言う通り、僕の記憶では、姉さんは殆ど家にいなかった。
夜遅くに帰ってくる姉さんに、最初は怒っていた父さんたちも、次第に興味を失ってしまったかのように何も言わなくなって、僕も聞いちゃいけないものだと思うようになっていった思い出がある。
「……さ! この話は終わりっと! ほら! お前もいつまでも泣いてねえで早く来いよ! 飯冷めちまうぞ!」
「うううっ……!」
しかし、姉さんは僕の顔色を見たからなのか、ソファで敗北の涙を流す叶実さんに声をかけた。
そして、叶実さんも席につくと、みんなで手を合わせて晩御飯を食べることになった。
「ううっ……美味しいよぉ……!」
まだ泣いたままだったけど、今日は叶実さんも大好物のハンバーグだったということもあり、次々と口に運んでいく。
「ったく。これが『ヴァンラキ』の作者だってバレたら、読者もビックリするだろうぜ……」
それは、至極、もっともなご意見だった。
だけど、姉さんはそんな叶実さんを見ながら、ぼそりと呟く。
「まぁ、最後は頑張ってくれたけどな」
それは、多分、姉さんなりの賛辞だったのだろう。
「…………?」
しかし、叶実さんは口に入れたハンバーグをそのままに、不思議そうに首を傾げるだけだった。
「別に、なんでもねえよ。それよりお前、ちゃんと次の作品進めてるんだろうな? 今月くらいまでにはプロットの初稿あげるって言ってたよな?」
「えっ!? そ、そりゃあ勿論だよ! 嫌だなぁ霧子ちゃん。もう、わたしは昔のわたしじゃないんだよ! むしろ~、アイデアが浮かびすぎちゃって、大変っていうか~、あはは~」
明らかに挙動がおかしくなる叶実さんを見て、ため息をこぼす姉さん。
姉さんの予想通り、叶実さんは『ヴァンラキ』を書き終えたあと、今まで溜め込んでいたものが爆発するかのように、ぐうたら生活へと戻ってしまっていた。
最初は、僕も仕方がないか、と思っていたのだが、ずっ~と家でゴロゴロしている叶実さんを見てしまうと、流石に不安になっていたところだ。
「……わかったよ。んじゃ、GWくらいまでには、そのアイデア固めとけよ」
そして、最後は僕に「あとは頼んだ」とアイコンタクトを送ってきて、これ以上姉さんは何も言わなかった。
『ヴァンラキ』が終わっても、叶実さんが作家である以上、また次の作品が生まれる。
今の僕の役目は、そんな彼女をサポートすることだ。
改めて、僕は叶実さんの役に立てるように頑張ろうと、自分の中でこっそりとそう誓ったのだった。
ちなみに、ご飯を食べ終えて、いざケーキを食べようとしたところで、叶実さんが「これで勘弁してください」と、季節限定のファミリアクッキー1袋分を献上してケーキを死守することに成功していた。
そして、無事2つのケーキを食べることができた叶実さんは、幸せそうに頬を赤らめてご褒美を堪能する。
その姿は、無邪気な子供のようだったけれど。
やっぱり僕は、こういう顔を浮かべている叶実さんの姿が、1番自然なんだと思ったのだった。




