2-3 『ヴァンラキ』の発売と、謎の女性との出会い
「さあ、行きましょう瀬和くん!『ヴァンラキ』が私たちを待っています!」
放課後、僕は小榎さんと一緒に繁華街の路地を歩いていた。
学校から電車を乗り継いでやってきた場所は、以前、僕の叶実さんと初めてお出かけをした街だ。
そして、興奮冷めやらぬといった感じで僕の隣にいる小榎さんは、学校のときとは全然違う雰囲気のまま、僕を扇動する。
「大丈夫だよ、小榎さん。『ヴァンラキ』は逃げないと思うから……」
「逃げなくても売り切れてしまうかもしれないじゃないですか! そんなことでは特典ポストカードがゲットできませんよ!」
一応、なぜ僕が学校から離れた繁華街に来たかを説明すると、小榎さんが『ヴァンラキ』を買うのに同伴するためだった。
小榎さん曰く、今回は特定の店舗で『ヴァンラキ』を購入すると特典ポストカードが付いてくるらしい。
電子書籍で既に内容は把握しているものの、紙の書籍もちゃんと買いたいというのが小榎さんの意見だった。
それを目当てに、小榎さんと店舗がある繁華街まで来たのだけれど、もう1つの理由としては、このあと、小榎さんはアルバイトの予定があるからだ。
なお、小榎さんのアルバイトについては、詳細を省こうと思う。
詳しくは『喫茶店と猫耳メイド』の章をご覧ください。
そんな感じで、案内された店舗は、普通の本屋さんとは明らかに違っていた。
お店の前には、モニターでアニメの映像が流され、等身大キャラクターのパネルが設置されている。
以前、叶実さんと来たときはレトロゲームが売っている店舗にお邪魔したけれど、またそことは違った雰囲気があった。
「あの、瀬和くんってもしかして専門ショップが初めてだったりします?」
そして、僕の反応を見て悟ったのか、小榎さんがそう尋ねてきた。
「うん。本屋さんは、大体家の近くで買ってたし、こういう店にはあんまり……」
なんとなく、知らないことが恥ずかしいことなんじゃないかと思った僕は、段々と声が小さくなってしまう。
「そうですか! では、私が案内してあげますよ! ここは専門ショップということもあって、色々な本やグッズが売っていますから!」
しかし、小榎さんはむしろ嬉々とした様子で、僕を引っ張っていく。
その姿を、僕は叶実さんと重ねてしまう。
僕は、いつもの大人びた小榎さんのことも嫌いじゃないけど、今の小榎さんのほうが素敵だと思う。
それに、やっぱり、好きなことをしている人の姿を見ると、こっちまで元気を貰うような感じがする。
「あっ、ですが、まずは『ヴァンラキ』をゲットしてからですね! ライトノベルコーナーは3階なので、そちらに行きましょう!」
小榎さんに連れられて、僕たちはライトノベルコーナーがあるという書籍売り場へと向かう。
すると、入り口近くの本棚に、平置きで『ヴァンラキ』の第11巻が置かれているのが目に入る。
「ふふん、やはり『ヴァンラキ』がピックアップされていますね! いや、当然といえば当然ですよね! なんたって、最終巻なのですから」
しみじみとした様子で、横で小榎さんがそう言った。
もちろん、僕だって小榎さんと同じ気持ちだ。
だけど、それ以上に、この光景を見た瞬間、僕は目の奥が熱くなってしまった。
叶実さんが書き上げた作品が、世の中に飛び出していった。
きっと、その事実が、こうして形となっているところを目撃したからなんだと思う。
それに、僕が『ヴァンラキ』と出会ったときには、既に新刊が1年間も出ていないときだった。
だから、本屋さんで『ヴァンラキ』を見つけても、棚差しになっているか、1つの束だけ平置きになっているくらいしか見たことがない。
だけど、今は店員さんの手作りのPOPが飾ってあり、今回発売された11巻だけでなく、今まで発売された『ヴァンラキ』の巻数も並べられている。
みんなが、『ヴァンラキ』が発売することを待っていたんだ。
「瀬和くん、どうかしましたか?」
すると、僕の異変に気が付いたのか、小榎さんは声をかけてきた。
「う、ううん! なんでもないよ。でも、凄いね……この本棚……」
新刊コーナーには、『ヴァンラキ』だけじゃなくて、他の作品が置かれている場所にも、装飾が施されている。
見ているだけで、どんな作品なのか読んでみたくなる本棚だった。
「はい、店員さんたちも、私たちのように大好きなものを伝えてくれているんですよ」
そう言った小榎さんは、とても嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
「では、私は『ヴァンラキ』を買ってきますね」
「あっ、待って! 僕も買うから……」
僕も叶実さんから見本品を受け取って内容は読んでいるものの、ちゃんと自分でも買っておきたい。
なので、『ヴァンラキ』を買おうと手の伸ばしたところで、
――パンッ、と隣の人と手がぶつかってしまった。
「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか?」
おそらく、僕と同じように『ヴァンラキ』を手に取ろうとして、ぶつかったのだろう。
咄嗟に謝った僕は、その人のほうに視線を向ける。
赤い上着を肩にかけた、ロングスカートの女の人が立っていた。
だが、顔はサングラスで隠れていたし、鍔の大きな帽子を被っていて、表情は見えない。
「大丈夫よ、こちらこそ、手をぶつけてしまい申し訳……」
と、そこで言葉が止まってしまった。
サングラスで隠れていたけれど、目線は明らかに僕に向けられているのはわかる。
「……あ、あの」
「!!」
そう声をかけた瞬間、女の人は凄い勢いで僕から離れたかと思うと、そのまま一目散に階段を下りて、姿が見えなくなってしまった。
「……なんですか、いまの人?」
「さ、さあ……?」
一部始終を見ていた小榎さんも、僕と同じように首を傾げていた。
だけど、僕としては、本を買おうとしていたのに自分が邪魔をしてしまったような気がして、申し訳ない気持ちになってしまう。
「……はっ! もしや、万引き犯だったのでは!?」
しかし、小榎さんは僕とは全く違う結論に至っていた。
「ち、違うんじゃないかな……。全然そんな感じには見えなかったし……」
さっきの女の人は、僕と手が当たったときに、ちゃんと謝罪の言葉を述べていた。
だからっていうわけじゃないけど、僕には万引きなんてするような人には見えなかった。
それに、その女の人は、明らかに僕の顔を見た瞬間に、この場から離れた。
だから、多分、原因は僕なのだろうけど……心当たりが全くない。
僕は少し気になったものの、『ヴァンラキ』を買い終わって小榎さんにお店の中を案内されている間に、すっかりその女の人のことは忘れてしまっていた。
だが、僕はその女の人の正体は、数日後に判明することになる。
なお、これは本当にただの補足なのだけれど、小榎さんがバイトに向かって一人になった瞬間、タイミングを見計らったように叶実さんから連絡が入った。
『津久志くーん! ケーキまだー!?!?』
どうやら、家の主様は僕の帰りを待ってくれているようだ。
やれやれ、と僕は心の中で呟いたと同時に、『もう少しだけ待っててください』と返信して、駅のホームへと向かったのだった。




