2-2 新学年と新学期
翌日。
校庭の桜が綺麗に咲いている中、僕は校舎の入り口に設置された掲示板の前にいた。
そこには、今年から編成されたクラスの名前がプリントされている。
「えっと……僕は……」
人混みの少し離れたところから背伸びをして凝視した。
「……あっ、あった」
そして、自分の名前が記されてあるクラスをようやく発見することができた。
僕は2‐5組に配属されることになったらしい。
「おっはよー、つくしっち!」
すると、背中から元気な声で僕の名前を呼ばれる。
振り返ると、そこには両端に2つのお団子頭がついている、かつてのクラスメイトの姿があった。
「ちょっとちょっと! かつてのクラスメイトだなんて、そんな寂しい言い方しないでよ! あたしとつくしっちは、たとえクラスが離れていても、心はいつもパケ放題なんだから!」
「パ、パケ放題……?」
「あー、今風だとギガ放題になるのかぁ。ごめんごめん。まぁ、つまりそういうこと!」
つまり、どういうことなのか全然わからなかったけれど、箱庭さんなりの『あたしたちの友情は永遠さ!』って意味なのだろう、多分。
ちなみに、僕は決して箱庭さんの前で「かつてのクラスメイト」だなんて言ってなくて、また僕の思考が読まれたような発言をしていることはスルーしておく。
何故なら、それが箱庭さんが箱庭さんたる所以なのだ。
「えっと、箱庭さんは、どのクラスになったの」
「あたしは1組だよ! 前のクラスの子たちがあまりいないのはちょっと寂しいんだけど、また友達いっぱい作れるって思ったら、逆にラッキーって考えとくよ!」
ぐっ、と親指を立てる箱庭さんは実に様になっていた。
まぁ、彼女なら問題なく友達なんてすぐにできると思う。
むしろ、箱庭さんと別のクラスになってしまった僕のほうが、教室に入っても誰も挨拶してくれないような人物になってしまいそうで怖い。
「大丈夫だよ、つくしっち。だって、つくしっちは今年もこっちゃんと同じクラスだし」
「えっ? あっ、そうなの?」
箱庭さんが『こっちゃん』と呼ぶのは、小榎さんのことだ。
小榎琴葉さん。
普段は寡黙であまりクラスメイトたちと話さない彼女は、その容姿端麗な佇まいや雰囲気から、周りでは『琴葉姫』なんて呼ばれている同級生だ。
そんな人物と、人間関係が希薄な僕が接点を持つことなど、普通ならばありえないことだ。
しかし、彼女と僕はちょっとしたキッカケで、お互いが『ヴァンラキ』好きであることを知り、仲が良くなったという経緯がある。
「もう、つくしっちってば、これからクラスメイトになる子たちくらいチェックしときなよ~。ほらほら、ちゃんともう1回掲示板見てよ」
僕は言われた通り、自分と同じクラスの人たちの名前を確認する。
そして、箱庭さんの言う通り、そこには『小榎 琴葉』という名前がちゃんとあることを発見した。
「ホントだ……」
小榎さんとは、春休み中も連絡を取り合ったり、たまに会ったりもしていたのだけど、そういえば、クラス替えのことについては、全然話題にしなかったように思う。
もしかしたら、無意識に互いに避けていたのかもしれない。
だけど、また同じクラスであるのなら、また学校でも話す機会が多くなるし、共通の話題だって生まれてくるかもしれない。
ん……でも、ちょっと待てよ?
どうして、僕と小榎さんの仲が良いことを、箱庭さんが知っているんだ?
僕たちは、昼休みに誰もいない屋上前の踊り場で話していただけで、表立って仲が良かったわけじゃないはずだけど……。
「いやいや、そりゃあつくしっちたちを見てれば、2人が仲良くなってるのは明白だったよぉ。多分、去年の2学期に入った頃だよね?」
しかし、また先回りをするように箱庭さんが話し始めると、周りの人たちには聞こえないくらいの声量で僕に告げる。
「あっ、心配しないで。多分、気づいてるのはあたしぐらいだと思うし。だから、また相談があったら、このきづなさんに任せてよ」
そして、彼女は最後に白い歯を光らせながら、こう言った。
「恋愛相談だって、ちゃんとこなしちゃうのが、このあたしなんだぜ」
じゃ、またね~、と、箱庭さんはそのまま校舎の中へと入っていく。
そんな彼女の姿を見送るような形になった僕は、完全に取り残されたような気分になってしまう。
「れ、恋愛相談って……!」
しかし、彼女が言ってくれたことを改めて考えると、僕は顔に熱が集まってくるのを感じた。
あの発言から考えるに、箱庭さんは僕と小榎さんの関係を、そういう風に見ているということなのだろう。
だが、僕たちは友達であって、決して箱庭さんが想像しているような関係ではない。
多分、小榎さんだって、僕をそんな風には見ていないだろう。
何かを期待している箱庭さんには悪いけど、きっとそういった関係に僕たちは発展しない。
「全く、ライトノベルのラブコメじゃないんだから……」
やや皮肉めいて言ってしまったのは、自分自身に言い聞かせる為でもあった。
恋愛は勘違いから始まると誰かが言っていたけれど(誰だっけ?)、勘違いをしたせいで友人関係が終わってしまう場合だってある。
そうやって心を落ち着かせることができた僕は、箱庭さんより少し遅れて、校舎の中へと入っていく。
1年生のときとは違う階まで上ると、廊下では既に何人かの生徒が輪になって話しながら移動していた。
そんな中、1人で新しい教室へと向かうのに、若干の気まずさを感じながら歩いていると、
「瀬和くん」
後ろから、透き通るような声で僕を呼ぶ声がした。
その瞬間、思わずドキリとしてしまう。
きっと、先ほどまで彼女のことを考えていたからだろう。
「お、おはよう。小榎さ……ん?」
なので、あくまでも冷静を装って、僕は振り返って彼女に挨拶をかわそうとしたのだが、すぐに異変に気が付く。
小榎さんの特徴である、長い黒髪はいつも通りに輝くように綺麗だ。
だが、問題は彼女の目の周りだった。
化粧で隠そうとしているようだが、明らかに腫れてしまっていて、目の下には隈のようなものができてしまっている。
「……少し、来てください」
「えっ、えっ!?」
しかし、僕が疑問を口にする前に、彼女は僕の腕を掴んで、新しい教室とは全く別方向へと進んでいく。
あー、うん。
なんかこういうの、前にもあった気がするなぁー。
なんて暢気なことを考えている間に、例の場所へと到着してしまった。
例の場所、というのは、もちろん、僕たちがいつも落ち合う場所である屋上前の踊り場だった。
「…………」
しかし、小榎さんは何も言わずに、じっと僕に背中を向けたままだった。
「あ、あの……小榎さん……?」
なので、僕が恐る恐る彼女に声を掛けると――。
「…………う、ううっ!」
奇妙な呻き声と共に、小榎さんの肩が震え出した。
えっ!? と驚く僕だったけど、次の瞬間、振り返った小榎さんが取った行動は……。
「なんなんですか!! あの『ヴァンラキ』の最後は!! 反則過ぎますよおおおおおっ!!」
――大泣きだった。
それも、子供みたいな大声で。
「こ、小榎さんっっ!!」
「うぐっ!!」
思わず、僕は彼女の口を押さえてしまう。
こんな大声を出せば、誰かが来てしまうと思ったからだ。
僕は、ついさっきまでのドキドキとは違うベクトルのドキドキを味わいながら、その場で固まってしまう。
だが、幸いなことに、誰かが駆けつけてくるような気配はない。
ふぅ……ひとまず、この現場を目撃されるようなことはなさそうだ。
「んー! んー!」
「……あっ、ご、ごめん!」
しかし、咄嗟に口を押さえてしまった小榎さんが苦しそうにしている姿を見て、ようやく手を離す。
先ほどの発言と合わせると、まるで僕が殺人を起こそうとした犯人のような語り部になってしまっているのが、ちょっと怖い。
「……はぁはぁ。いえ……私のほうこそ……申し訳ありません……」
だが、どうやら僕の行動の意図を察してくれた小榎さんは、逆に謝罪の言葉を口にした。
「ですが……ううっ……!」
そして、またしても涙腺が崩壊しそうになる小榎さん。
しかし、今度は急に叫んだりせず、震えた声で語った。
「あんな最後を見せられたら……こんなになっても仕方ないじゃないですかぁ……」
彼女は、流れる涙を何度も自分の手で擦りながら、僕にそう言った。
成程、大体事情は察することができた。
だけど、僕は念のため、確認するように小榎さんに聞いてみる。
「小榎さん。もしかして、もう『ヴァンラキ』の最終巻読んだの?」
「はい……ううっ、また思い出しそうです……」
やっぱり、彼女は『ヴァンラキ』の最終巻を読んだらしい。
つまり、その感想を誰かに共有したくて、朝から僕を捕まえたということか。
だけど、そうなると1つだけ僕の中で疑問が生まれる。
昨日も叶実さんと話していたけれど、『ヴァンラキ』の最終巻の発売日は今日である。
登校前だと、本屋さんもまだ閉まっていると思うのだが……。
「電子書籍ですよ……。私、我慢できなくて12時過ぎてDL購入したから……」
なんとも現代的な解決方法だった。
そういえば、アテナ文庫は電子書籍も同時発売だったような気がする。
それなら、昨日でも寝る前の時間までに読むことも可能かもしれないけど、ここで僕はある1つの仮説に辿り着く。
「あの、小榎さん……。もしかしてだけど……昨日、寝てないの?」
「ううっ! 当たり前じゃないですか……!!」
いや、それは当たり前じゃない気がするのだが……小榎さんの目の周りが腫れている理由はそれだったのか。
「私……本当に感動して……!『ヴァンラキ』のこと、もっともっと好きになっちゃったじゃないですかぁ……!!」
ぐすっ、と鼻を啜る小榎さんだったけど、その表情は、どこか明るいようにも感じた。
そして、僕はその小榎さんの反応をみて、確信する。
叶実さんが物語を通して伝えたかった想いは、ちゃんと読者に届いている。
「うん、僕も……とってもいい最終巻だったと思うよ」
これは、僕の心の底からの本心だった。
それに、その物語が生まれる瞬間を、僕はこの目で目の当たりにしている。
そのときの彼女は、本当に僕が憧れ続けてきた作家の姿だった。
「ですよね!! やっぱり瀬和くんなら私の興奮が伝わると思っていました!! あのっ、早速ですが、瀬和くんはどこが良かったですか!? 私はですね、やっぱりジャンヌとの最後のシーンは最高だったんですけど、そこを敢えて除いて考えると、シルちゃんの成長が見れたのがすっごく感動したんです!! もう、なんか私がお母さんのような気分になってしまって――」
こうして、小榎さんは睡眠不足にも関わらず、子供のような純粋な目をキラキラとさせながら、僕たちは始業チャイムが鳴り響くまで『ヴァンラキ』の話題で盛り上がった。
新しい学年になっても、僕たちの関係は変わらない。
そんな一幕を切り取ったような、僕たちらしい新学期の始まりだった。