第4話 先生に料理を作ろう!
「うわ~! 津久志くん、凄いっ、凄いっ!!」
そんな叶実さんの感嘆の声が響いたのは、あれから6時間後のことであった。
「ど……どうですか……! これが……僕の……実力です……!」
一方、僕はぜえぜえと息を切らせながら、膝に手を置いて立ち尽くしていた。
これがバトル漫画のワンシーンなら様になっていたかもしれないが、生憎と僕がやったことはただの掃除なので格好がつかない。
それでも、今のリビングは僕が最初に目にしたよりも随分とマシになったと思う。
まず、大量に積まれてあった段ボールは、全て畳んで一まとめにしている。
段ボールに某有名通販サイトのロゴが入っていたのでおおよそ予想はできていたことだが、叶実さんはしょっちゅう通販で商品を取り寄せる癖があるらしい。
種類は日用品から趣味のゲームソフトや漫画まで、とにかく何でも頼んでしまう。
挙句の果てには、どこかの民族衣装だったり変な仮面が出てきたりもしたけど、本人は頼んだことすら覚えていなかったらしい。
つまり、大体の物はガラクタの塊だということである。
それを「いる・いらない」を分けながら整理して(殆ど「いる」と言われたので、結局部屋の片隅に固めることになってしまったのだが)、部屋を占拠していた段ボールの荷物は多少減らすことに成功した。
次に、散らかった洗濯物の整理だが、これはとにかく洗濯機に入れては次から次へと回しておいた。
幸い、洗濯機はかなり大きいサイズのものが設置されていたので、回数はそれほど多く回さなくてよかった。
ただ、やっぱり女性ということもあって男の僕には些か扱いづらい下着的なアレもあったりしたのだが、それは僕に姉がいるという強みを活かして(?)、邪念を取っ払いながら作業に集中して事なきを得た。
叶実さんは意外と派手な色が好きなのか……とか、全然そんなこと考えていませんよ、はい。
まぁ、そんなあれやこれやがありながら、無事にリビングと玄関までの廊下の掃除をすることに成功した。
さすがに1日目からここまで本格的に始動するとは思っていなかったが、結果的には部屋も綺麗になったし良かったのだろう。
「わぁ~、久々に床の色を見た気がするよぉ~」
……叶実さんの感想に先が思いやられたことは、今は気にしないことにしよう。
「ホントに霧子ちゃんが言った通り、津久志くんって頼りになるんだね!」
「い、いえ……別に、大したことじゃないです」
それに、こんなにまぶしい笑顔を向けてくれるのなら、僕も頑張った甲斐があったというものだ。
僕のイメージしていた七色咲月先生とは180度違う人物像ではあったが、おかげで僕の緊張感もすっかり解けたし、これから上手くやっていけそうな気がする。
「一応、掃除や洗濯は僕が手伝うことになりますけど、叶実さんもある程度片づけられるようになってくださいね。僕も出来るだけ教えるようにしますから」
「はいっ、了解であります!」
叶実さんは、軍隊のようにピシッと敬礼をしながら頷いた瞬間だった。
ぐぅ~~~~~~~~~~~~~~~。
という、盛大にお腹が鳴るBGMが部屋中に響いた。
「えへへ~。ごめんなさい」
そのお腹の音を鳴らした本人は、恥ずかしそうにお腹を押さえながら笑顔を浮かべていた。
改めて僕が外を確認すると、すっかり日は暮れてしまっていた。
どうやら僕も夢中になりすぎていたようで、夕食時の時間になってしまっていたようだ。
思えば、お昼ごろから目が覚めた叶実さんは、僕と一緒に部屋の掃除をしていたわけだから、1日何も口にしていないことになる。
そりゃあ、お腹が機嫌を損ねて音をだしてしまうのも無理からぬことだ。
「ねえねえ、津久志くんも頑張ったし、今からでも一緒にお菓子食べよ!」
「えっ? お菓子?」
確かにキッチンの棚には無造作に大量のお菓子のストックを見たけれど、今からとなると、晩御飯が食べられなくなってしまうんじゃないだろうか?
「う~ん、別にいいよ。ってか、わたし、お菓子だけで1日過ごすことも多いし」
「えっ!?」
「だから、大丈夫! 今日は津久志くんとお菓子パーティーに決定!」
しかし、叶実さんは、さも当然のようにとんでもないことを口にしたので、またしても僕は前のめりになって問い詰めるように叶実さんに質問を投げかけてしまった。
「あの、叶実さん。普段、ご飯ってどうしてますか?」
「ご飯? えっと、お腹が空いたらお菓子食べて……大体それで済ませちゃうかな?」
あははー、と笑い声を上げる叶実さんだったが、僕からしたら全然笑いごとでは済まされない緊急事態だった。
「そんなの絶対ダメですよ!? ちゃんとした栄養を摂らないと身体壊しちゃいますよ!?」
「そ、そうかな? でもでも、わたし、この通りすっごく元気だよ?」
「いいえ、駄目です。こうなったら……叶実さん、食べ物の好き嫌いってありますか?」
「ふぇ? えーっと……野菜は苦手かな? それ以外は美味しい物だったら大体食べられるけど、どうしたの?」
「……分かりました。じゃあ、少し待っててください!」
「えっ、津久志くん?」
キョトンとする叶実さんを置き去りにして、僕は持ってきたリュックサックから財布と折り畳み式のエコバックを持ち出して外へと駆け出す。
掃除中も、実はずっと気になってはいたのだ。
叶実さんの部屋は、確かに散らかってはいたけれど、食品系のゴミが圧倒的に少なかったのだ。
せいぜい確認できたのは台所のゴミ箱に捨てられていた冷凍食品の袋くらいで、あとはお菓子の袋が大半を占めていた。
それに、冷蔵庫の中もすっからかんだったことも考慮すると、今の叶実さんは間違いなく食生活に問題がある。
あれなら、まだ僕と一緒に暮らす前のコンビニ弁当や外食で食事を済ませていた姉さんのほうが何倍もマシな食生活を送っていたと言えるだろう。
そんなことを考えながら、僕は来る途中に見かけていたスーパーへと入り、買い物をする。
残念ながら値段は僕が通っている近所のスーパーのほうが安かったけれど、この際贅沢は言ってられない。
僕は必要な食材を次々と買い物かごに入れて、レジへと向かった。
急いで来たせいで息が上がっていたからなのか、店員さんが若干僕を怪訝そうな顔で見ていたことに、この時はどうしてなのか疑問に思っていたけれど、今から思えばおそらく僕はかなり怖い顔をしていたのだろう。
それくらい、僕も必死だったということだ。
というわけで、無事買い物を終えた僕は、再び叶実さんの家へお邪魔する。
慣れた手つきでエントランスのオートロックドアを解除し(文章だけだと、ものすごい犯罪臭がする)、玄関の扉を開けリビングへ向かうと、叶実さんはパジャマ姿のまま、床に寝そべってポチポチとスマホを触っていた。
「あっ、おかえり~津久志くん。あっ、ちょっと待っててね。今、デイリークエストを消化してるから~」
「……なんで、床に寝そべってるんですか?」
「ん? いやぁ、だってせっかく津久志くんが綺麗にしてくれたからさぁ。ちょっとゴロゴロしたくなったの」
えへへ~、と頬っぺたをツンツンしたくなるような柔和な笑みを浮かべる叶実さんだったが、その理屈が僕には全然これっぽっちも分からなかった。
そして、このときから、僕は叶実さんへ向ける目が若干変化していたように思う。
最初は、とても可憐な女性に見えた叶実さんが、だんだんとぐうたらな子供の女の子として認識するようになっていた。
もちろん、最初に想像していた、悪い言葉を使ってしまうならちょっと気難しい感じの人だったら、それはそれで苦労していたかもしれないし、今の叶実さんの姿はなんとなく親近感が持てるというか、マスコットキャラクターを愛でるような感覚に近くて、僕もあまり気を遣わないでいられるのは確かだ。
……なんて、このときの僕が楽観視していたことに気付くのは、もう少し先の話なのだが、それはまた別の機会に話すことになるだろう。
「あれ、津久志くん、何か買ってきたの? あっ、もしかしてジュースとか!?」
一方、本当に床でゴロゴロしていた叶実さんが、その態勢のまま僕のエコバックに気付いた。
ただ、残念ながら中身は彼女が期待しているようなものではない。
「叶実さん、少しキッチンを貸してもらえませんか? 今から晩御飯を作ろうと思うんですけど?」
「えっ!?」
すると、今まで寝そべっていた叶実さんが、勢いよく上半身を起こした。
「津久志くん、料理もできるの!?」
「え、ええ……。人並には、ですけど……」
「凄い凄いっ!! ねえねえ! 何が作れるの!?」
上半身どころか、立ち上がってぐいぐいと僕のほうに寄ってくる叶実さん。
それもかなり密着してくるので、自然と彼女の顔も近くに寄って来て、その白い肌や整った顔立ちがはっきりと見えてしまう。
「い、色々と作れますけど……今日は簡単なオムライスくらいは作ろうと……」
「オムライス!?」
今日の献立を聞いた瞬間、叶実さんの瞳が宝石のように輝きだした。
メニューは、なんとなく姉さんが好きなメニューが頭に浮かんだのでそのまま採用したのだが、叶実さんの反応は僕の予想を大きく上回っていた。
「わたし、オムライス大好き!! やったー!!」
まるで、政治家が当選確実の速報を告げられたときのように、叶実さんは万歳三唱をやりはじめた。
「そ、それじゃあ僕、準備しますので叶実さんは待っててくださいね」
「は~い!」
喜んでくれるのは嬉しいけど、さすがにそこまで喜んでくれるとは予想していなかったので、僕は若干戸惑いながらキッチンへと向かった。
「オッムライス~♪ オッムライス~♪ 今日のご飯はオッムライス~♪」
ただ、キッチンに入って準備をしている間も、リビングからは叶実さんの上機嫌な歌声が聴こえてきた。
すると、不思議なことに、なんだか僕も楽しい気分になってきた。
普段は1人で姉さんが帰ってくるまでの間に夕食の準備をするので、こうして誰かが待ってくれているような状況がなんだか新鮮だ。
幸い、キッチンには調理道具が一式揃えられていた。
ただ、綺麗な状態で保管されているあたり、買ったはいいものの全然使っていない、といったところか。
よし、叶実さんに喜んでもらう為に、僕も腕を振るわせてもらおう。
自然とそんな気持ちになった僕は、買ってきたお米を研ぎながら、自然と笑みを浮かべていたのだった。