第41話 孤独
「そっか……。んで、あいつは大丈夫なのか?」
「うん……。まだ少し辛そうだったけど、本人は寝たら大丈夫って言ってた」
「……はぁ」
僕の話を聞き終えた姉さんは、頭を掻きながら、もう何度目になるか分からないため息を吐いた。
「書けねえからって酒に溺れるなんて、いつの時代の作家だよ……」
「……ごめん」
「あー、もう! だからお前のせいじゃねえって言ってるだろ。完全にあたしの監督ミスだよ。あいつ、飲めねえのに酒なんかいっちょ前に隠しやがって。あたしかっつーの」
「……姉さんは別に隠してなかったと思うけど」
むしろ堂々と平日から飲んでたところを何度も見てきた。
いや、今は姉さんの話ではなく、叶実さんのことを話さなくてはいけない。
その為に、僕は予定通り姉さんの家へとやって来たのだ。
「でも、やっぱり叶実さん。お酒得意じゃなかったんだ……」
「あたしも知らなかったけどな。第一、あいつが酒を飲んでる姿なんて、全然想像できないし」
それは、正直僕も同意してしまうところだ。
一応、年齢的には未成年ではないのでお酒を飲むこと自体は問題ないのだけど、叶実さんがいつも飲んでいるのはジュースばかりで、家にお酒を置いていたことすら意外だったのだ。
「……まぁ、そういうのを隠すのだけは上手い奴だからな。お前が家に来る前に、念のため見つけにくいところに片付けてたんだろ」
その代わり、口は上手い奴じゃねえからな、と、姉さんは最後にそう付け加えたのだった。
〇 〇 〇
昨日の夜、僕が寝ている間に、叶実さんはお酒を飲みながら原稿を進めようとしていた。
何故、急にそんなことをしたのかは、叶実さんの口から語られることはなかったけれど、キッカケは、間違いなく昨日のパーティーの出来事があったからだろう。
そして、慣れないお酒に手を出してしまったせいで、体調を崩してしまった。
僕が見つけたときには、かなりアルコールが回っていたようで、目を覚ましても辛そうな顔は変わらなかった。
姉さんの2日酔いに今まで付き合ったこともあるので、僕は姉さんのときと同じように冷たい水をあげて、横になるようにひとまずソファまで運んだ。
そのとき持ち上げた叶実さんの身体はとても軽くて、落としてしまったら壊れてしまうんじゃないかという錯覚まで頭の中で浮かんでしまう。
そして、ゆっくりとソファの上まで運ぶと、叶実さんの表情が少しだけ和らいだときは、心の底からホッとしたのを覚えている。
最悪の場合、救急車などを呼ばなくてはいけないんじゃないかと危惧していたのだが、叶実さんの意識はちゃんとあって、お水をあげたときも、僕のことを認識していた。
「……ごめんね、津久志くん」
「……大丈夫です。ゆっくり休んでください」
何度も謝る叶実さんに向かって、僕が言えることはそれくらいしかなかった。
本当はもっと聞きたいことがあったのに、臆病者の僕は何も聞くことができない。
「また、気分が悪くなったりしたら言ってください。食事も、今日はお粥とか準備するので」
「……ありがとう」
それでも、叶実さんからそう返事がきたときには、僕の心が少しだけ温かくなった。
「でも、津久志くん……。今日は霧子ちゃんのところに行く予定だったよね?」
「えっ? あ……そ、そうですけど……姉さんには後で連絡を入れておくので大丈夫です」
しかし、そう告げると叶実さんは横になったまま、少しだけ首をフルフルと動かす。
「駄目だよ……。わたしは大丈夫だから、津久志くんは霧子ちゃんのところへ行ってあげて」
「えっ……でも……」
「……お願い。わたしも……ちょっと1人になりたいから……」
……そう言われてしまっては、僕の選択肢は1つしかなかった。
〇 〇 〇
「……まぁ、あいつも頭を冷やす時間は必要だからな」
そんな僕の行動を、姉さんも咎めはしなかった。
そして、僕は叶実さんに聞けなかったことを、姉さんに尋ねる。
「姉さん……姉さんは知ってたの? あの部屋のこと……」
僕の濁したような質問にも、意図を汲み取った姉さんは真剣な目つきを僕に向けて答える。
「……まあな。けど、あたしもあの部屋には入れさせてもらえなかったよ。事情も編集長から聞いてただけで、直接あたしもあいつから聞いたわけじゃねえ」
「そっか……」
「だから、あたしからお前に事情を説明するのはフェアじゃねえと思って今まで黙ってた。あいつが隠そうとしているなら、それを尊重してやりたくてな……」
姉さんは申し訳なさそうに、僕にそう告げた。
「……うん。それで良かったんじゃないかな?」
僕は姉さんの判断は正しかったと思う。
だけど、これからは僕も、知らなくてはいけない。
「姉さん、あの部屋って……」
「あいつの親父さんの部屋だよ」
あっさりと、姉さんは僕にそう言った。
そして、叶実さんが告げなかったことを僕に伝える。
「……2年前に病気で亡くなったそうだ。あいつにとって、唯一の家族だったらしい」
僕は、誰かに心臓を掴まれてしまったように、苦しくなる。
「……身体に癌が見つかったときは、もう手遅れだったそうだ。だから、ギリギリまであいつには隠していたって聞いてる。けど、それが正しかったのかは、あたしにも分からねえ」
それは、きっと当人同士にしか分からないことで、僕たちが判断することじゃない。
そして、2年前ということは、叶実さんが丁度『ヴァンラキ』を書かなくなってしまった時期と重なる。
とても無関係だとは思えない。
「じゃあ、叶実さんが『ヴァンラキ』を書かなくなったのって……お父さんが亡くなったから……」
「……だろうな。けどな……」
そして、姉さんは過去を思い出すように、僕に伝える。
「あいつが『ヴァンラキ』の10巻を書いたのは、親父さんの葬式が終わったあとだって聞いてる。編集長は休んでいいって言ったそうだが、あいつは書くのを止めなかったんだ」
「……えっ?」
それは、僕が想像していたものとは、全く逆の内容だった。
「……そのとき、あいつがどういう気持ちで『ヴァンラキ』の10巻を書き上げたのか分からねえ。それに、内容のことは……あたしより、お前のほうが知ってるだろ? 当時の読者の反応は……」
姉さんの発言で、僕は昨日のことを再び思い出す。
――『あのような展開にしたら、読者から批判を受けて心が折れた』というところでしょう?
日輪さんの台詞が、また僕の頭の中で反芻する。
「じゃあ、『ヴァンラキ』の10巻がああなったのって……」
そう僕が口にした瞬間、
――ピンポーン。
という、インターフォンの音が鳴った。
「……愛衣ちゃん、来たみたいだな」
僕にそう告げた姉さんは、そのまま立ち上がって玄関へと向かっていく。
その間も、僕はただ、呆然と椅子に座っていただけだった。
「お邪魔します。お兄ちゃん、今日は先に来てたんだね」
すると、私服姿の愛衣ちゃんが僕に元気よく挨拶をする。
「う、うん……。ちょっと早く来ちゃって……」
「……お兄ちゃん?」
しかし、笑顔を浮かべていた愛衣ちゃんの顔が、少しずつ強張っていく。
「お兄ちゃん……何かあったの?」
そして、僕に向かって、不安そうな声でそう呟いた。
「なんだか……お兄ちゃんが元気ないように見えて……」
「……ああ、そりゃあ、あたしがさっきまで津久志に部屋の掃除させてたからな。あと、洗濯物とかも全部頼んだから怒ってんじゃねえの?」
しかし、すぐに姉さんが僕のフォローに入って、愛衣ちゃんは姉さんのほうを振り向いて怒ったような声を出す。
「もう! 駄目だよ霧子さん! お兄ちゃんばっかりに頼ってばかりだと!」
そして、しばらく姉さんは愛衣ちゃんから説教を受けることになってしまった。
もちろん、僕は部屋の掃除や洗濯を手伝ってはいない。
それでも、姉さんが愛衣ちゃんや僕に気を遣ってくれたことに感謝する。
そして、僕はいつも通り愛衣ちゃんの勉強を見てあげて、お昼ご飯を一緒に食べた。
何も変わらない日常のはずなのに、僕の心の中はずっと大きな穴が開いたままだった。
2021年 4月15日 記載
いつも拝読して頂き、誠にありがとうございます。
こちら『甘えたがりのぐうたら彼女に、いっぱいご奉仕してみませんか?』の更新時期についてですが、今後は不定期更新となります。
出来れば、2日に1回くらいのペースで話数更新を行いたいのですが、プライベートで引越しをすることになってしまい、そちらの手配を色々としないといけないため、誠に申し訳ありませんが、更新頻度を下げようと思っています。引越しって大変ですね……。
また、更新時間につきましても、こちらも大まかに夜のアップになると思いますが不定になりますので、続きが気になる方や、これからも応援して下さる心温かい方がいましたら、ぜひブックマークや評価を宜しくお願いします!
こちらの作品は、まだまだ続く予定ですので、楽しんでいただけましたら幸いです!
失礼しました!




