第32話 連行されるぐうたら彼女
12月初旬。
いよいよ迎えたパーティーの当日、少しずつ緊張感が募っていく僕とは違い、叶実さんはいつも通り寝ぼけ眼のまま、昼食に用意したホットケーキを大きな口を開けて食べていた。
出版社のパーティーは平日に開催され、本来なら学生である僕は今頃学校で勉学を励んでいるところなのだが、丁度良いタイミングで期末テストがあって、今日が最終日だったので昼までしか授業がなかったのだ。
というわけで、無事テストを終えた僕は家に帰って来て、まだソファでだらしない寝顔で寝ている叶実さんを起こして、こうしてパーティーまでの準備をしているわけだ。
ただ、叶実さんを見ていると、いつも通りというか、緊張感が全く伝わってこない。
それが段々と心配になってきた僕は、念のため叶実さんに向かって声を掛けた。
「あの、叶実さん……。僕たち、今日これから出かけるってこと覚えてますよね?」
「ふわああ……。ん? ああ、パーティーでしょ? 大丈夫、大丈夫。ちゃあんと覚えてますよぉ~」
あくびをかみ殺しながら返事をする叶実さんは、パーティーなんかより目の前のホットケーキに蜂蜜をかけることに集中しているようだった。
大丈夫かな……と、心配する気持ちが積もっていく中で、ふと気になったことが出来たので質問を投げかけてみた。
「そういえば、叶実さんってパーティー行ったことあるんですよね? どんな感じなんですか?」
「どんな感じ? ううん……別に普通だよ~。ご飯食べて~、おしゃべりして~、そんな感じかなぁ」
ほわんとした雰囲気のままそう答える叶実さんは、やっぱり通常運転だった。
叶実さんにとっては出版社のパーティーに行くのと、僕と一緒に猫耳メイドカフェに行くのとは変わらないんだろうな、きっと。
「だから、津久志くんもリラックスしてくれていいからね?」
そう告げると、屈託のない笑顔を浮かべた。
「叶実さん……」
もしかして叶実さん……僕のことをそれなりに気にしてくれてたんじゃあ……。
「だって、ケーキ食べ放題だよっ! しかも一流パティシエさんの! 乗るしかないね、このビックウェーブに!!」
うん、違うな。いつも通りの叶実さんだ。
まぁ、それはそれで僕の緊張感も解けるのでいいのかもしれないけれど。
「叶実さん。パーティーは夕方からなんで、準備とか早めにしておいてくださいね」
僕が調べたところ、パーティーの会場があるホテルまでは電車で向かえば1時間くらいで到着する。
まだ時間があるとはいえ、現在もいつも通りのパジャマ姿に寝癖のついた髪型というのは僕の心配に拍車をかける。
「は~い」
そして、パンケーキを食べ終わった叶実さんがこれまたいつも通りの間延びした返事をするのも、僕からすれば心配要素の1つだ。
しかし、僕も他人の心配ばかりをしてはいられない。
僕も叶実さんの食べたホットケーキのお皿を片付けたら、すぐに着替えなどの準備をしようとした、その時……。
――ピンポーン。
という、エントランスからの呼び出し音が鳴った。
「あれ? 配達かな? でも、最近何か頼んだっけなぁ~?」
う~ん、と首を傾げる叶実さんの代わりに、僕は呼び出し音に対応する。
叶実さんは忘れてしまっているようだけど、前にも深夜のテンションで買ったお徳用お菓子パックが届いたりしていたので、今回もそんな感じだろうと思ってモニターを確認すると……。
『おい、津久志だろ? 早く開けてくれ。この家の鍵、お前に渡してんのすっかり忘れてたわ』
そこにいたのは、面倒くさそうに眉間に皺を寄せる姉さんだった。
ただ、最近家で会っていたような部屋着ではなく、なんだか久しぶりに見たような気がするスーツ姿だった。
そういえば……と、僕はこの前の電話の内容を思い出す。
確か、パーティー会場に行く前に、この家に寄るって言ってったっけ。
「姉さん。うん、ちょっと待っててね」
僕は姉さんからの指示通り、エントランスのロックキーを解除する。
「ん? もしかして霧子ちゃん?」
「はい。あれ、叶実さんは姉さんが来ること知らなかったですか?」
「んーん、知らないよ?」
どうやら、姉さんの訪問を知っていたのは僕だけだったようだ。
もしかして、僕が伝えると思って姉さんは叶実さんには言ってなかったのだろうか?
そんなことを考えていると、すぐに玄関のチャイムが鳴ったので迎えに行く。
「よっ、邪魔するぜ。あいつ、ちゃんと起きてるか?」
「うん。さっきお昼ご飯食べ終わったところだけど……」
「あっそ、そんじゃあ、好都合だわ」
いつも通りに気丈に振る舞う姉さんは、さも当然といった感じで部屋へと入って来る。
「おはよ~、霧子ちゃん。どうしたの急に?」
そして、そんな姉さんを素直に迎え入れた叶実さんだったが、姉さんは挨拶もせずにたった一言だけ彼女に告げる。
「行くぞ」
「ん? 行くってどこに……って、わわっ!?」
すると、姉さんは素早い動きで叶実さんを担ぎ上げてしまった。
「ちょ、ちょっと何するの、霧子ちゃん!?」
まるで米俵のように持ち上げられた叶実さんは、バタバタと手足を動かして抵抗するが、姉さんはそのまま玄関のほうへと向かってしまう。
「津久志、こいつ借りて行くから、お前は先に1人で会場まで行っといてくれ。場所は分かるだろ?」
「えっ!? う、うん、それは、大丈夫だけど……」
大丈夫だけど、大丈夫じゃない人がいる気がするような気がする。
「津久志く~ん! たすけて~!!」
実際、その人は必死で僕に助けを求めていた。
「おい、これ以上暴れたら、そのまま落とすぞ」
「ひっ!?」
しかし、姉さんからとんでもない宣告を受けてしまった叶実さんは、恐怖のあまり完全に顔を引きつらせて大人しくなってしまった。
「つ、つくしくぅ~ん……!」
そして、叶実さんはそのまま姉さんに連れられて、この部屋から消えてしまった。
「……えっ? なに……この状況?」
結局、僕は何がなんだかよく分からないまま呆然と立ち尽くし、主がいなくなった部屋はこんなに静かなんだなと、そんな暢気な感想を抱いてしまったのだった。




