第29話 作戦の鍵と餌
「あっ! おかえり~、津久志くん~! ねえねえ、津久志くん、見てよコレ! 今度新キャラ実装だって!」
姉さんのマンションから帰宅すると、叶実さんがソファからホップ・ステップ・ジャンプの勢いで近づいてくると、嬉しそうにタブレットに表示された画像を見せてきた。
「さっきの生放送で発表されたんだけど性能がすっごくいいの! これ、もしかしたら対戦環境変わるかもしれないから、絶対欲しいんだよね~! 今のウチにこの子用のチーム編成考えとかないとね~」
そう言うと、叶実さんはまたタブレットを自分に向けてポチポチと触り始めた。
「あの、叶実さん。姉さんから送られてきたメールって読みましたか?」
「メール……う、うんー。よ、読んだ……かな?」
もうお分かりかと思うが、この反応は絶対に読んでいないパターンである。
しかし、そこを追求することが今回の目的ではないので、話を続ける。
「それで、姉さんがパーティーの出欠について返事早く欲しいって言ってたんですけど、どうしますか?」
「パーティー……? あ、ああ~、うんうん、そうだね! もうそんな時期だもんね~、あはは~」
やっぱり、今思い出したようなセリフを口にしながらも、誤魔化すように叶実さんは僕に告げる。
「えっと、霧子ちゃんには行かないって言っておいて~。わたし、ちょっと今忙しいんだよね~」
それだけ言い残すと、叶実さんは逃げるようにソファへと再び戻ろうとする。
やっぱり、出版社のパーティーには参加しない方針らしい。
だが、ここまでは僕も姉さんも予想していたことだ。
というわけで、ここからは姉さんから伝えるように言われたことを、そのまま叶実さんに伝える。
「そうですか。残念ですね……今年からパーティーの会場が変わって、そこに国際パティシエコンクールで優勝した人もいるから、美味しいケーキが食べられるって姉さんが言ってたんですけどねー」
その瞬間、ソファに戻ろうとした叶実さんの背中がぴくんと反応した。
「僕もあんまり詳しくないんですけど、コンクールで優勝するくらいですから、凄いケーキとかも出てくるんじゃないですかねー。いいですね、参加した人はみんな食べられるらしいですよ」
僕が独り言を呟いている間も、叶実さんの意識は明らかに僕に向いていた。
「でも、叶実さんは忙しいんですよねー。残念ですよねー。来年は会場が変わっちゃうかもしれないですし、こんなチャンスめったにないかもしれないですねー」
「……う、うぐぐぐぐぐぐぐ!」
叶実さんから唸るような変な声が聞こえてくる。
もう一押しか、と思ったのだが、叶実さんは振り返ることなく言葉を口にする。
「そ、そうなんだー。うん、わたしも残念だけど、ま、また来年もあるだろうし、忙しいから仕方ないんだよー」
そして、叶実さんは勢いよくソファにダイブしてうつ伏せの状態になる。
「ううっ……ケーキぃ……」
しかし、その間も叶実さんは念仏でも唱えるようにブツブツと何か言っていた。
僕としては、叶実さんならケーキを優先すると思っていたのだが、意外なことに国際パティシエコンクールを優勝したパティシエが作るケーキよりも、パーティーに参加しないことを叶実さんは選択した。
どれだけパーティーに行きたくないんだ……。
姉さんだって、原稿の催促はそりゃあするかもしれないけれど、公然で昔の借金取り宜しく取り立てをするわけじゃなかろうに……。
それとも、姉さんより偉い立場の人とかが怖かったりするのだろうか?
例えば、編集長とか。
まぁ、それはともかく、このままでは姉さんからのミッションを失敗という形で終わってしまうことになる。
既に『原稿を書かせる』という大きなミッションを延滞させている僕の立場としては、これ以上姉さんの期待を裏切りたくはない。
それに、叶実さんだってパーティーに参加したいかはともかく、本当はケーキが食べたいはずだ。
となると、姉さん曰く『尤も効果がある説得材料』を投入するしかない。
でもなぁ……と、僕は未だに疑心暗鬼を拭えずにいた。
姉さんはどういうわけか、その『説得材料』を自信満々の切り札だと思っているようだが、僕としてはいまいちピンと来ていないところがある。
むしろ、有名パティシエが作るケーキで釣られなかった叶実さんが、こんな理由で重い腰をあげるとは思えなかったのだ。
しかし、何もしなければ結果は同じなので、僕はダメ元で姉さんが提示した条件を口にした。
「そうですか……じゃあ、僕も参加できないですね……」
「ふえっ!?」
すると、叶実さんはうつ伏せの状態から、バッと素早い動きで起き上がった。
「ど、どういうこと?」
なんと、叶実さんが餌に引っ掛かった。
意外だとは思いつつも、この機会を逃してはならないと判断した僕は、一気に勝負をかける。
「いや、姉さんが叶実さん1人じゃパーティーに行きにくいだろうから、僕も関係者として同伴していいって言ってくれたんです。だから、僕も叶実さんと一緒にケーキが食べられると思ったんですけど……」
もちろん、僕はそんな現金な奴ではないので、これは姉さんからの指示である。
まぁ、食べられるなら食べたいけどね、ケーキ。
「そっ、それを早く言ってよ津久志くんっ!」
すると、叶実さんは怒ったような素振りを見せて僕に告げる。
「し、仕方ないなぁ~。津久志くんがどうしても行きたいって言うなら、わたしも頑張って予定合わせよっかなぁ~。いやぁ、本当は忙しいんだけど、お姉ちゃんとして津久志くんの願いを叶えてあげなきゃいけないよね。わたし、叶実って名前だし」
別に叶実さんは僕の姉さんじゃないし、最後の理由はよく分からなかったけど、叶実さんは腕を組みながら、ちょっと偉そうに何度も「うんうん」と頷いた。
「えっと……じゃあ叶実さん。パーティーに行ってくれるんですか?」
「行くっ! 津久志くんと一緒なら……だ、大丈夫だと思うし……」
そう告げると、叶実さんは少し照れた様子で頬をかきながら約束してくれた。
『あいつはな、ああ見えても結構見栄っ張りっつーか、カッコつけたい奴なんだよ。だから、お前が行きたいって言ったら、十中八九付いてくると思うぜ』
ふいに、姉さんから言われたことを思い出す。
まさか、僕を理由に叶実さんが動くとは僕自身思っていなかったけど、姉さんの思惑通り叶実さんをパーティーに連れ出すことに成功してしまった。
ただ、叶実さんが本当にパーティーに行きたくないのであれば、無理やり引っ張り出してしまったことになるので、少し罪悪感を覚えてしまいそうになる。
「ふんふ、ふんふ、ふ~ん♪」
しかし、叶実さんはというと、ご機嫌な様子で鼻歌を交えながら機嫌良さそうにタブレットを触りながら笑顔を浮かべていた。
それを見たら、僕も安心した気持ちになる。
連れてくるように言われていたけれど、出来れば叶実さんには嫌々足を運んでもらうのは憚れたからだ。
楽しそうにしている叶実さんを見たら、僕も自然と笑顔になっていることに気付いたのは、自分の部屋に戻ってからだった。
それにしても、出版社のパーティーか……。
僕みたいな一般人は、姉さんや叶実さんのコネがなければ絶対に参加できないような場所だ。
きっと、叶実さんのように活躍している作家さんたちがたくさんいるんだろうな。
と、色んなことを考えているうちに、僕はだんだんと笑顔が消えて、血の気が引いていくのを感じた。
「……あれ? 僕、凄い場違いなんじゃない?」
そんな当たり前のことに、僕はようやく気付いてしまったのだった。