第20話 喫茶店と猫耳メイド①
叶実さんが案内してくれる喫茶店ということで、てっきり近場なのかと思っていたけれど、僕たちが来たのは少し離れた市内の中心部となっている繁華街だった。
電車での移動はちょっと意外だったけれど、だからこそ、行きつけといってもあまり叶実さんの重い腰が上がらなかったという解釈もできる。
電車内でもワクワクした様子の叶実さんの様子を見る限り、本当に楽しみにしているようだった。
このときの僕は「叶実さんの気分も高まっているみたいだし、上手くいってよかった」なんて楽観的な考えしか持っていなかった。
でも、あの出不精の叶実さんが、何故今回だけ素直に僕の提案に従ったのか、少し考えればすぐに分かることだったし、僕自身も何度も言っていたじゃないか。
まるで、遠足に行くようなテンションだと。
「あっ、ここだよ津久志くんっ!」
そして、叶実さんが止まった雑居ビルの2Fの案内板には、鮮やかに彩られた看板でこう書かれていった。
『猫耳メイドカフェ Colette』
「えっと……」
「あっ、お店の名前は『コレット』って読むんだよ」
いや、僕はスペルが読めなくて困っていたわけじゃない。
ここって……いわゆるアレだよね?
僕の知識が間違っていなかったら、ここは僕が知っているような喫茶店の業態はしていない。
「んじゃ、レッツゴー!」
しかし、動揺する僕なんかには気付く様子もなく、叶実さんは僕の服の袖を引っ張って雑居ビルの階段を上がっていく。
すると、キラキラした看板とメルヘンチックな扉が仰々しく佇んでいた。
僕なら間違いなく自分から入っていかないであろう外観の店を、叶実さんに連れられて未知の領域へと迷い込んでいく。
そして、僕たちを出迎えてくれたのは、
「いらっしゃ~い♡」
……野太い声をした、筋骨隆々の男性だった。
文字だけだったら、メイド服姿の可愛い女の子と間違えてしまいそうな挨拶。
髪の毛をオールバックにして、漫画でしかみたことないような立派な八の字の髭。
真っ直ぐな姿勢でタキシード姿という威圧感のある存在に、僕は思わず腰が引けてしまっていた。
「あら!?」
しかし、その男性が僕たちを一瞥すると、両手を合わせながら興奮した様子でまくし立てる。
「叶実ちゃん!! 久しぶりじゃないっ!! もうっ、全然来ないからフラれちゃったと思ったわよぉ~」
「あはは~、ごめんね店長~。なかなか行く機会がなかったからさぁ~」
「行く機会がなかったって、もう2年も来てくれてなかったじゃない……あら?」
と、2人仲良く話しているところに、男の人はやっと僕の存在に気が付いたようで僕のほうに視線を向けた。
「なに、叶実ちゃん? 久々に来たと思ったら男連れなんてやるじゃない。ふむ、なるほどねぇ」
そして、男性は僕をじろっと一瞥してニヤニヤした笑みを浮かべる。
「叶実ちゃんらしい男の趣味じゃない。私も嫌いじゃないわよ、こういう可愛らしい顔した子は」
ふむふむ、と値踏みするような視線に、僕は思わずたじろいでしまう。
しかし、叶実さんは自慢げな顔を浮かべて、口を開く。
「津久志くんって言うんだよ。わたしの友達の弟くんなんだけど、すっごくいい子でいつも助けてもらってるんだぁ~」
「へぇ、そうなの」
そして、男性は僕に向かって告げる。
「ようこそ、猫耳メイドカフェ『コレット』へ。私はこのお店の店長のゴールよ、宜しくね」
そう言って、僕に恭しくお辞儀をするゴールさん。
まさに飲食店の店長に相応しい柔和な笑みだった。
「ねえ、店長。わたし、ニコちゃんにも会いたいんだけど、今日は入ってるの?」
「ああ……ニコね。残念だけど、もうお店は辞めっちゃったわ」
「ええっ!? ど、どうして!?」
「なんでも、祖父がやってたお店をニコが引き継ぐことになったそうよ」
「そうなんだ……」
「まぁ、ちょっと遠いけど場所も聞いてるし、近々顔も出すつもりだから叶実ちゃんのことも伝えておくわ。あの子も叶実ちゃんが来なくなってたのを心配してたから」
「ううっ、そっか。ニコちゃんにも心配かけちゃってたんだね……面目ない……」
常連さんらしい会話を挟んだところで、ぼぉーと突っ立ったままの僕に配慮してくれたのか、店長さんが席まで僕たちを案内してくれる。
その間に、店の中を一通り見ることになったんだけど、休日のお昼ごろということもあってか、席は半分以上が埋まっていて、男女比もだいたい半々くらいだったことにちょっと驚いた。
そして、『メイド喫茶』と謳っている通り、店員さんたちは全員メイドさんの姿をしている。
紺色のワンピースに前掛けにフリルのついたエプロン。
メイドといったら、なんとなくみんなが想像する姿だと思うけど、ひとつ特徴をあげるとすると、みんなカチューシャの代わりに猫耳が頭に付いている。
どうやら、これがこのお店のコンセプトらしい。
店長さんの趣味か、はたまたもっと上の人の判断なのか分からないけれど、どのメイドさんも似合っていて、見ているこっちが癒される。
「あなた、こういうお店に来るのは初めて?」
「えっ、は、はい……」
席に着いたあと、僕の様子で初心者だと判断できたのか、店長さんが僕に告げる。
「あんまり緊張せずに楽しんでいきなさい。どの子も色々個性があって可愛い子たちばかりよ。ただ、可愛いからってお触りやキャストの子が嫌がるようなことをしたら……覚悟してね」
言葉は優しく言ってくれているけれど、一瞬だけ目が据わっているように見えてしまったのは僕の気のせいだろうか?
「いやぁ~、昔から何も変わってないなぁ~。やっぱりここは落ち着くねぇ~」
一方、席に着くと店内をキョロキョロと見回してウキウキしている叶実さん。
服装はパジャマからジャージに変更しているとはいえ、いつもの叶実さんのテンションだった。
しかし、僕はどうしても叶実さんに確認しておかなければならないことがある。
「あの、叶実さん……」
「ん? どうしたの、津久志くん?」
「なんというか、僕が想像してたのと、少し違うんですけど……」
本当は少しどころか全然違うかったのだが、お店の人もいるので失礼のないような物言いで言葉を発する。
「あー、そっか。津久志くんはメイド喫茶初めてだもんね。ふふ~ん、でも安心して! 2年のブランクがあるとはいえ、メイド喫茶の嗜みは心得てあります! なので、存分に頼ってください!」
バンっ、と自分の胸を張りながら自信満々に宣言する叶実さん。
しかし、残念ながら僕が心配しているのは店内での立ち振る舞いではない。
「叶実さん……大事なことなので確認しますけど……ここで仕事……できます?」
「……………………」
叶実さんは、笑顔を浮かべながら何も言葉を発しない。
そのまま肖像画になってしまったんじゃないかというくらい、微動だにしなかった。
「……叶実さん?」
「……津久志くん。わたしは考えたのだよ。どうすればわたし自身のやる気が出るのか……ってね」
いつになく真剣なトーンで語りだす叶実さん。
「そしたら、気づいてしまったのだよ。わたしに今足りないもの……それは……」
それは?
「可愛い女の子たちだったんだよ!!」
…………はい?
「もちろん、津久志くんと会ってから、のんびりできる時間が増えたけど、わたしには可愛い女の子とスキンシップをする時間が皆無だったんだよ!」
……どうしよう。叶実さんが何を言っているのかいつも以上に分からない。
「というわけで! ここならどこを見回しても可愛い女の子がいる環境なら、わたしは頑張れると思うのですっ!!」
バーン! と漫画なら確実に効果音が出て来そうな勢いで、高らかに叶実さんは宣言した。
「いやぁ~、津久志くんが提案してくれたときにピーンと来たんだよねぇ~。わたしに足りないのは圧倒的癒しだったんだね」
うんうん、と自分で納得した様子で腕を組みながら頷く叶実さん。
しかし、僕は当たり前だけど全く納得なんてしていない。
一応、叶実さん的にはやる気を出してくれているようだし、仕事をしてくれるのなら問題ないんだけど、本当にこの環境で仕事できるかと言われれば、多分僕は無理だと思う。
「は~い、ご主人様~♡ あ~ん」
「凄いです、お嬢様~! わたし、全然勝てませんよ~(泣)」
周りを見れば、猫耳メイドさんたちがお客さんにご飯を食べさせてあげたり、席について一緒にゲームをしたりして楽しそうにしている。
どうしてだろう……態度は全然違うのに、メイドさんたちと普段の僕の姿が重なってしまう。
もしかして、奉仕活動という意味では、僕はここで働いているメイドさんたちと同じことを毎日叶実さんにやっていることになるのだろうか……。
「お待たせしました~」
と、色々と苦悩していると、僕たちの目の前に猫耳メイドさんが現れてお水とおしぼりを置いてくれた。
そして、長いブロンズ髪に猫耳姿のメイドさんは、胸に手でハートを作りながら元気溌剌に自己紹介をし始める。
「おかえりなさいませ、お嬢様、ご主人様っ! 本日、ご担当させて頂く猫耳メイドのシャルルですっ! 今日は宜しく……」
しかし、順調に進んでいた自己紹介がピタリと止まってしまった。
ん? どうしたんだろう……と、思っていると、そのメイドさん(シャルルさん、って言ったっけ?)が僕をジッと見つめたまま、固まってしまっている。
結果、僕はシャルルさんと見つめあうような時間が数十秒続いてしまった。
そして、それがシャルルさんにとっては失策になってしまった。
じっと見つめてしまった、シャルルさんの顔。
だけど、僕には初対面で会ったような感覚はなくて、むしろ、いつもどこかで見ているような気がする。
しかも、今のようにかなり間近で見たような……。
『……瀬和くん、でしたよね?』
『先週の土曜日、何か見ましたか?』
『……そうですか。失礼しました』
「……あ」
その瞬間、頭の中に朝の教室の風景が蘇ってきた。
無表情で、僕に迫ってきた彼女。
髪の色も、着ている服装も全然違うけれど間違いない。
僕の目の前に現れた猫耳メイドさんは、クラスメイトの小榎琴葉さんだった。