第14話 ぐうたら彼女と甘い味の正体
「おっかえり~、津久志くん! 霧子ちゃん、喜んでくれた?」
帰宅後、リビングの扉を開けると開口一番に叶実さんは元気な声が出迎えてくれた。
今日も今日とて、叶実さんは寝癖がぴょこんと跳ねたままのパジャマ姿であったが、いつもの眠たそうな様子ではないところをみると、寝起きというわけではなさそうだ。
ちなみに、今日のパジャマはいわゆる着ぐるみ系パジャマで、三毛猫のような模様が入った一体型パジャマでフードも付いている。
そのフードには、ちゃんと猫耳も付いているのだが、叶実さんはフードを下ろしてしまっているので、ちょっと残念ではある。
いや、残念も何もないし、叶実さんの猫耳姿が見たいとか、そういう衝動があるわけではないのであしからず。
「いえ、喜んでいるというよりは、むしろ怒られてしまったというか……主に叶実さんのことで」
「えっ、なんで!? わたし何もしてないよ!!」
いや、何もしていないから怒られたんですよ。
というわけで、姉さんから受けた叱咤激励をありのままに伝えると、叶実さんはみるみるうちに顔色が悪くなっていった。
「い、いや! わたしはまだ本気出してないだけだから! いっとくけど、わたしの本気は本当の本当に凄いんだからねっ!」
意気揚々とそう告げる叶実さんだったが、2週間以上一緒に過ごしている僕でも、その言葉に信ぴょう性がないことは、悲しいくらいに自明の理だった。
叶実さんの本気が見れる日は、果たして本当にやってくるのだろうか……。
「津久志くん。そんなことよりさ、早くおやつにしようよ! わたし、津久志くんが帰ってくるまで、ちゃんと我慢してたんだよっ!」
「えっ、そうなんですか?」
「うん! 一緒に食べたほうがいいでしょ?」
ふむ、いつもなら僕が学校から帰ってくると必ずと言っていいほど、ソファの周りにお菓子のパッケージ袋が散乱しているのだが、ちゃんと机は綺麗なままなので嘘は言っていないようだ。
それに、タイミング的にはちょうど良かったかもしれない。
「そうだ、叶実さん。お土産にケーキ買ってきたんで、良かったら食べてください」
「ケーキ!?!?」
叶実さんは、喜ぶというより驚愕という言葉が似合うリアクションをした。
「どうしたの、津久志くん! わたし、今日誕生日じゃないよ!?!?」
「いえ、そういうつもりで買ってきたわけじゃないんですけど……」
叶実さんにとって、ケーキは結構特別な食べ物らしい。
あわあわする叶実さんの珍しい光景を眺めつつ、僕は持っていたケーキの箱を机の上に置く。
そして、箱の中身を空けて、叶実さんにも見せてあげる。
チョコでコーティングされた上に、花柄のチョコホイップが飾られたケーキ。
きっと、叶実さんも喜んでくれるであろうと反応を待っていたのだが、僕の予想は大きく外れてしまう。
「…………」
叶実さんは、喜ぶわけでもなく、黙ったままじっとケーキを見つめていた。
「叶実……さん?」
まるで、心ここにあらずといった感じの叶実さんに声を掛けると、少し間があったのちに僕のほうへと振り向く。
「……えっ? あっ、ごめん津久志くん。何か言った?」
「……いえ、その、もしかして、苦手だったりしました? ショコラケーキ?」
叶実さんはチョコのお菓子もよく食べるので、特に気にしないで買ってきてしまったが、失敗してしまっただろうか?
「う、ううん! そんなことないよ! 大好きだよ、ショコラケーキ! ちょっとびっくりしただけだから、あはは~」
しかし、叶実さんはさっきまでの様子が嘘のように、いつものはにかんだ笑顔を浮かべた。
「ね、ね。早く食べよう! そだ! オレンジジュースも一緒に飲んでいい?」
「ええ。それじゃあ、準備しますね」
僕は言われた通り、ケーキのためのお皿とご所望のオレンジジュースを用意する。
その間に叶実さんは、いつもの決まった椅子に座って、足をぶらぶらさせていた。
やっぱり、さっきの反応は本当にびっくりしただけだったみたいだ。
サプライズっていうほどのサプライズではないけれど、喜んでもらえたら何よりだし、あわよくば、これでやる気が出て創作活動にも影響して欲しいところだ。
「ありがとう、津久志くん。では、いただきます!」
そして、叶実さんは手を合わせたのち、ケーキを一口食した。
「……んんっ、おいしい~! やっぱりケーキって特別だね~」
叶実さんの中では、ケーキはかなり上位の食べ物に分類されるらしく、目をうっとりとさせながら次々と口に運んでいった。
改めて叶実さんの食事シーンを見ていると、本当に幸せそうに食べてくれていることがよく分かる。
買ってきた僕がこんなに嬉しくなるんだから、もしあの店員のお姉さんに今の叶実さんの姿を見せてあげたら、さぞ喜んでくれるに違いない。
なんて思っていると、叶実さんの手が、電源の切れた機械のようにピタリと止まってしまった。
どうしたのだろう? と首を傾げそうになったところで、叶実さんの丸い瞳がじっとこちらを見ながら僕に告げる。
「そういえば、津久志くんの分はないの?」
「……えっ、いや……買ってきてない、ですけど……」
叶実さんのお土産を買う、ということに意識が持っていかれていたので、自分の分まで買うという発想は最初から存在していなかった。
「ええっ!? そうなんだ……」
すると、叶実さんはちょっとだけ悲しい声を出したかと思うと、
「うん、それじゃあ、はい、津久志くん」
そこで叶実さんは、思わぬ行動に出た。
「わたしの分と半分こしよ」
そう言いながら、ケーキを取ったフォークを僕の目の前に差し出してきた。
「え、ええっ!?」
思わず、僕は素っ頓狂な声を上げてしまう。
「ん? どうしたの? もしかして、津久志くん、ケーキ苦手?」
先ほど、僕が叶実さんにした質問を、今度は逆にされてしまった。
「いえ、そういうわけじゃないんですけど……」
もちろん、僕はケーキが嫌いで困っているわけではないし、お店のショーケースで見ていたときから美味しそうだな、とは思っていた。
なので、普通に半分こしてくれるのであれば、僕だって多少は驚きつつも、ありがたく素直に頂いていたと思う。
だけど、このシチュエーション……つまり、叶実さんが僕にケーキを差し出しているという行為が、僕を動揺させている。
そう、いわゆる恋人たちがやるようなシチュエーションではないでしょうか?
「だったら、津久志くんも食べようよ!」
しかし、叶実さんは僕が動揺していることには気付かない様子で、
「はい、あ~ん」
お決まりの台詞を言ってしまった。
すると、今まで全然意識していなかったのに、叶実さんの顔を正面から見ている間に自分の顔がどんどん熱くなっていくようで、心臓の音もバクバクとうるさく鼓動し始める。
もう、これ以上我慢をするのは、限界だった。
「で、では……」
僕は、身体を少し前に傾けて、口を開く。
そして、叶実さんが差し出してくれたショコラケーキを、ぱくっと口の中へと運んだ。
その瞬間、ふわっとしたスポンジ生地の感触と、コーティングされたチョコが溶ける感覚が口の中に広がった。
さらに、チョコ本来の苦みと甘さが絶妙なバランスで舌を満足させてくれる。
「ね、美味しいでしょ?」
優しい笑みを浮かべる叶実さんの質問に、僕は落ち着いて答える。
「はい……とっても、美味しいです」
月並みな感想しか出てこない僕だったけれど、ケーキは本当に今まで食べたどのケーキよりも美味しいと思った。
まさか、あの商店街にこんな隠れた名店があったなんて……ポイントカードを作ったのは正解だったかもしれない。
そして、僕の反応に叶実さんも満足したようで、にこにこスマイルを崩さないまま、彼女は自分の前にあるケーキをもう一口、切り分けて僕に差し出した。
「でしょ! ほら、もっと食べてね、津久志くん!」
そのときの叶実さんは、僕が初めて彼女を見た時のような、輝く笑顔を見せた。
こうして、結局僕は何度も叶実さんにケーキを運んでもらうことになってしまった。
まるでスズメが子供に餌をやっているみたいだな、と思ってしまったときには、2人で1つのケーキを平らげてしまった後だったけど、僕の口の中には、いつまでもケーキの甘い味が残り続けていたのだった。




