第13話 ケーキ屋さんの同級生
「津久志、さっさとあいつに原稿書かせろよ」
「頑張ってね、お兄ちゃん」
3人で仲良く昼食を食べたのち、僕は姉さんたちのマンションから退去することになった。
もう少し長くいても良かったのかもしれないが、1人残してきた叶実さんがどうしているのか気が気でなかったのだ。
いくらなんでも、ちょっとの時間、家を空けるくらいで年上の女性をまるでお留守番をしている子供のように扱うのはどうかと一瞬思ったが、そう思わせるのは今までの叶実さんの態度のせいでもあるので僕の判断は間違っていないと勝手に納得する。
ただ、今回僕が家に帰るきっかけになったのは、叶実さんの一言があったからだ。
いつもはだらしない姿ばかりみているけれど、やっぱり年上の女性で、周りのことも気にかけてくれるような、そんな女性なんだと思わされてしまう。
そんな風に、叶実さんのことを考えながら帰っていると、丁度、帰宅通路になる商店街へと差し掛かった。
「……お土産を買って帰るくらいなら、別にいいよね」
一応、食費は僕が管理することになっているのだが、それとは別に姉さんからも1ヶ月ごとに僕に渡されているお小遣いがある。
これも、僕がちゃんと働くようになったら返さないといけないお金かもしれないが、今は叶実さんの為に使うことにした。
叶実さんが喜びそうなものといえば……単純だけど、お土産の定番といえばケーキだと思った僕は、商店街の中を散策する。
普段は近くのスーパーくらいにしか行かないので、あまり商店街には寄らないのだが、幸いなことに目的のお店はすぐに見つかった。
建物の看板には『手作りケーキ オルレアン』と店名が掲げられていた。
そして、ドアの前に置かれているブラックボードには、今日のオススメのケーキとしてショコラケーキが紹介されている。
ここにしようと決めた僕は、店内に入ると、すぐにショーケースの奥にいた女性から「は~い、いらしゃいませ~」と声を掛けられた。
見た目は20代くらいの女性で、多分姉さんと同じくらいの世代の人だと思う。
「あら、ウチみたいな寂れた場所に若い男の子が来るなんて珍しい。きみ、ここに来るのは初めてだよね?」
「えっ? は、はい……そうですけど……」
「もうね、最近だと常連さんしか来ないから、暇なのよね。ほら、最近ってコンビニとかでもケーキって買えるでしょ? でもね、私はそのお店でしか食べられないケーキの味っていうのも大切だと思うのよ。いや、別にコンビニスイーツを否定しているわけじゃないんだけどさ、子供のときって一緒に親子でケーキを買いにいくのが楽しかったりするでしょ? そういう経験って大人になってからも覚えているものだし……って、きみはまだそんなノスタルジックに浸るような年齢じゃないもんね、ごめんごめん。さあ、どのケーキが欲しい? これ、全部ウチのお父さんの手作りだけど、どれも美味しいよ」
「は、はい……」
これでもかと言わんばかりに放たれたマシンガントークに圧倒されてしまったものの、本題に入ってくれたので、僕は店の前で紹介されていたショコラケーキを1つ注文した。
「オッケー。ちょっと待っててね~」
そう言ってお姉さんがショーケースから取り出してくれたショコラケーキは、コーティングされたチョコの光沢の上に、花柄のチョコホイップが飾られてあった。
「ねえねえ、きみ家は近くなの? 良かったらポイントカードも作ってあげようか? 今ならお姉さんの特別サービスで2つスタンプ付けてあげるからさ」
お姉さんは営業スマイルとはまた違った自然体の笑みを浮かべながら、レジ前に置いてあったスタンプカートの紹介してくれた。
500円以上の購入ごとに1つ付けてくれて、5個溜まれば手作りクッキーをプレゼントしてくれるらしい。
ふむ、こういったポイントカードなどは半年間姉さんの家計をやりくりしていた僕にとっては、非常に貴重なアイテムの1つだ。
ちなみに、スーパーなどもポイントをしっかり溜めているし、ポイント2倍デーなどのスケジュールも全て頭に叩き込まれている。
おっと、話が逸れてしまいそうになったが、このお店の場所なら姉さんの家と叶実さんの家、どっちでも立ち寄ることができるだろうし、叶実さんが気に入ってくれたら、また買いにこよう。
「あっ、ちなみにイートインコーナーもあるから、そっちも使ってくれていいよ。ウチ、暇だから勉強するときとかにも使ってくれていいし。ほら、あの子みたいな感じでね」
と、お姉さんが差し示した奥のエリアには、確かに3席ほどだけ、テーブルとイスが配置されてあった。
入ってすぐお姉さんに話しかけられてしまったから、あまり意識をしていなかったので、今まで気が付かなかった。
「……あれ?」
ただ、そこにいた人物には見覚えがあった。
黒い鍔のあるキャップを被っているが、そこから見える黒髪の女の子は、
「……小榎、さん?」
「……!」
僕がそう呟いてしまったからなのか、たまたま彼女が顔を上げるタイミングが同じだったのかは分からないが、その瞬間、ばっちりと目が合ってしまった。
茶色いニット服にジーンズ姿の彼女は、普段学校で見る制服姿とは雰囲気が少し違って『琴葉姫』と呼ばれるようなお堅いイメージではないものの、景色に溶け込むような透明感は健在だった。
しかし、僕がそうやって見ている間に、彼女は一瞬だけ驚いたような顔を浮かべたのち、机に広げてあったノートのようなものをすぐに鞄の中にしまって席から立ち上がったかと思うと、僕のほうまで近づいてくる。
そして、僕との間が殆どないくらい近づいてくると、彼女は小さな声で呟いた。
「……お会計、お願いします」
僕は多分、このとき初めて小榎さんが声を聞いた。
まるで、水面に差す、温かい光のような声色だった。
「はいはい~。えっと、ケーキセットで680円ね。いつもありがとう。また遊びに来てね」
ただ、小榎さんはもちろん僕に話しかけたのではなく、ちょうどレジの前にいた店員のお姉さんにお会計をお願いしただけだった。
そして、お店を出ようとした最後に、もう一度僕と目が合ったのだが、そのときにはもう、普段学校で見かける無表情の小榎さんになってしまっていた。
しばらく僕は、小榎さんが出て行ってしまった扉を見つめていると、店員さんが声をかけてきた。
「あの子ね、よくウチのお店使ってくれる常連さんなの」
常連さんってことは、小榎さんもこの辺りに住んでいるのかな……?
でも、そんな共通点が分かったとしても、僕は小榎さんのクラスメイトっていうだけで、それ以上の接点はない。
むしろ、このケーキ屋さんがお気に入りだったのだとしたら、僕に見られてしまったことで通いにくくなったりしないだろうか?
「それでね、ここだけの話なんだけど、あの子、多分女優とかの仕事をしてると思うのよ?」
だが、僕の思考はケーキ屋さんのお姉さんによって遮られてしまった。
えっ、女優?
「そうそう。あの子、さっきもだったんだけど、台本みたいなものをいつも読んでるの。それで、たまに声を出したりもしてるから、きっとそうに違いないわ。あれだけ可愛いルックスしてるから、人気が出たらすぐに売れっ子になると思うのよ! そしたら、ウチのケーキも紹介してもらえないかしら? あと、今のうちにサイン貰っといたほうがいいかしらね?」
再び始まったお姉さんのマシンガントークに、僕は只々唖然とすることしかできなかった。
小榎さんが、女優?
ちょっとだけ、小榎さんがテレビドラマに出ている姿を想像してみる。
イケメンと呼ばれる若手俳優と、制服姿で一緒にいる小榎さん。
うん、実に様になっていると思う。
これじゃあ、ますます一般人である僕とはかけ離れた存在だということになる。
「あー、ごめんね! 私ってすぐお喋りしちゃうの。すぐケーキ用意するから少し待っててね」
そういって、お姉さんはドライアイスを入れた箱を準備したのち、約束通りスタンプカードもちゃんと2つ分押して渡してくれる。
「それじゃあ、今度来たときに味の感想教えてね~」
そして、手を振られながら見送られた僕は、片手にケーキを持ちながら、そっと呟く。
「食べるのは、僕じゃないんですけどね」
やっとお姉さんのお喋りから解放された僕は、気になって周りを見渡してみたけれど、もう小榎さんの姿はどこにもなかった。
さすがに、小榎さんが女優だというのは話半分で聞いておいたほうがいいのだろうし、変に噂にならないように、僕からは何も言わないでおこうと密かに決意したのだった。