第10話 帰宅後緊急会議
「それじゃあ、つくしっち! また明日ね~」
快活な声を掛けてくれた箱庭さんは、学生鞄を持って颯爽と立ち去ってしまった。
確か、彼女は陸上部に所属していたはずだから、きっとこの後に部活があるのだろう。
一方、帰宅部である僕は、そのまま家に帰ることになる。
ちなみに、小榎さんは知らない間に教室から姿を消していた。
彼女がどこかの部活に所属しているという話は聞いたことがないので、おそらく僕と同じ帰宅部だと思う。
まぁ、小榎さんからしたら、僕と一緒の括りにされるのは甚だ心外かもしれないけれど……。
「いやいや、そんなことよりも……はぁ……」
僕は、またしてもため息を吐きながら帰路についてしまっていた。
今日は週末のうちに買い物も済ませておいたので、スーパーにも寄る必要がなく、学校からあっという間に僕の居候先である叶実さんのマンションに到着してしまった。
もうすっかり慣れてしまったオートロックのエントランスをくぐり、エレベーターで7階へ向かう。
そして、叶実さんの部屋である0716号室の鍵を解除して、扉を開ける。
「……ただいま帰りました」
一応、帰宅したことを告げる声を発するが、何も反応が返ってこなかった。
ただ、リビングへと続く扉からは、わずかにテレビの音が漏れ聞こえてきていた。
「……やっぱり」
僕は頭を抱えながら先へ進み、扉を開ける。
すると、そこには僕の予想通りの光景が広がってしまっていた。
ソファの周りに置かれた、飲料水のペットボトルにお菓子の袋の山。
付けっぱなしになったテレビからは、洋画なのか銃を持った海外の俳優さんが宇宙から来た未確認生命体と戦っているシーンが映し出されていた。
「すぅ……すぅ……」
そして、ソファには、1人の少女が身体を丸めた状態で、寝息を立てて気持ちよさそうに眠っていた。
もちろん、その正体はこの家の主、七色咲月先生こと夢羽叶実さんだ。
その姿だけを見れば、とても妖艶な雰囲気が出ていて、木洩れ日が差す静かな森でその姿を見たのなら、さぞかしエルフや妖精の子供だと勘違いをしていたことだろう。
だが、残念なことにここはファンタジーな世界ではなく現実世界であると同時に、ソファの周りの散らかり具合が邪魔をして、彼女の外見的魅力は半分以上失ってしまっている。
そして、もうこんな光景を何回も見てきた僕は耐性がついてしまっていたので、なんの躊躇もせずに彼女に声を掛けた。
「叶実さん。叶実さん、起きてください!」
「……んにゃあ~。やだぁ~」
「やだぁ~、じゃないんですっ! 起きてください、叶実さんっ!」
「……う~~~~ん。や~~だ~~~~!!」
「いいから起きてくださいっ! 今寝たらまた夜眠れなくなっちゃいますよ!」
ソファの上で愚図る叶実さんの肩をしばらく揺さぶっていると、ようやく彼女は重い腰を上げて、僕と視線を合わした。
「……ふわぁ。あれ? 津久志くん、おはよう。学校から帰って来たんだねぁ~」
大きなあくびをしながら、パジャマ姿の彼女はまだ寝起きということもあって、うとうとと何度も首がカクンッと揺らしていた。
「おはよう……じゃないんですよ、叶実さん。またテレビ付けたまま寝てましたよ」
「……ふえっ? あっ、ホントだ! ネタバレしちゃう!」
そう言うと、彼女は今までの寝ぼけた様子はどこへやら、近くに置いてあったコントローラーを手に取って画面を停止させる。
「ふぅ、危ない危ない。海外のドラマって面白いのがいっぱいあるんだけどシリーズが長いから途中で眠たくなっちゃうのが難点だよね~」
僕にも共感してもらおうと思って言ったのだろうが、あいにく僕はあまり海外ドラマを嗜まないので、よく分からなかった。
なので、僕は叶実さんの話を広げることなく、もはや恒例となってしまった叶実さんへの注意事項を列挙することになった。
「叶実さん。また新しいお菓子とジュース空けてますよね? 今週はもう新しいの空けちゃ駄目だって約束したのに、どうして守ってくれないんですか」
「え~、だってテレビを見るときはポテチと炭酸って決まってるんだもん! それに、津久志くんが作ってくれたご飯はちゃんと食べるから大丈夫だよっ!」
ふふ~ん、と子供のような笑顔を浮かべる叶実さんは、何故か勝ち誇ったような顔をしていた。
「そういう問題じゃないんです。とにかく、まだ残ってるお菓子とジュースは没収ですからね」
「えっ!? そんなの聞いてないよっ! まだ食べてる途中なのに!」
僕がソファの周りに放置されたゴミを片付けている間も、叶実さんは食べかけのお菓子を諦めきれないのか、必死で僕に抵抗する。
「駄目です。今日は我慢してください」
「ううっ……! 最近の津久志くん、なんだかわたしに厳しくなった気がする……」
泣き言を漏らしながらも、叶実さんはお菓子とジュースは諦めてくれたようで、それ以上は抵抗せずに、またソファでくるまって「うー、うー」と謎の唸り声を上げていた。
僕は、そんな叶実さんを確認したのち、散らかっていたゴミの回収と叶実さんから取り上げたお菓子とジュースを台所に戻す。
一応、約束はしているけれど、また勝手に台所から持ち出すようなら、こちらも保管する場所を黙って変えたほうがいいかもしれない。
そんな計画をぼんやりと考えながらリビングに戻ってくると、いつの間にか叶実さんは途中まで見ていた海外ドラマを最初から視聴していた。
「あっ、津久志くん! 良かったら一緒にドラマ見ようよ! 今すっごくいいところでさ~!」
叶実さんは、ソファの空いている空間をパンパンと叩いて、僕に着席するように促す。
「……叶実さん。少し話があります」
しかし、僕はその命令には従わず立ったまま叶実さんと話を続ける。
「えー、あとでいいよ~。それより今はさ、わたしと一緒にドラマを……」
「駄目です。今すぐにでも話しておきたいことがあります」
「つ、津久志くん?」
そして、さすがの叶実さんも僕の様子がいつもと違うことに気付いたのか、顔を強張らせる。
「も、もしかしてお菓子食べちゃったこと、そんなに怒ってるの? あ、あのね! わたしも最初はちゃんと我慢しようとしたんだよっ! で、でも! どうしても食べたくなって……そう! これは不可抗力なんだよっ!」
どうやら、叶実さんは自分が勝手にお菓子を食べてしまったことに僕が憤慨していると思ったようで、慌てて言い訳を取り繕っていた。
「それにね、最近のお菓子業界ってすっごく大変なんだよ! 特にスナック部門は年々売り上げが減少してて、その原因はスマホの普及だって言われてるの。油が付着した手で画面とか触ったりしたら汚れるから嫌だって気持ちも分かるんだけど、でもさ、わたしがやってるみたいにお箸を使って食べることだってできるし、最近はメーカーさんも食べやすいパッケージを開発してくれてたりしてて……」
……普段の僕なら、相槌のひとつでも打っているかもしれないが、それをしてしまうと完全に話が逸れてしまうのでなんとか我慢をする。
「……叶実さん、僕が話したいのはそんなことじゃありません」
「えっ、違うの?」
いつのまにか、正座をしていた叶実さんが僕を見上げていたので、咳ばらいをして、彼女に告げる。
「叶実さん、今日は原稿、ちゃんと進められそうですか?」
「……………………」
僕の質問に対して、長い長い沈黙が続く。
「…………………………………………………………………………………………………」
そして、三点リーダーの分だけ少しずつ首を動かしながら僕から視線を外した。
テレビの中では、屈強な男が銃弾をぶっ放しながらオクトパスのような異形と懸命に戦っている様子が流れていたので、僕は申し訳ないなと思いつつも、テレビの電源を勝手に消した。
こんなことをすれば、いつもなら叶実さんが声を上げそうなものなのだが、彼女は銅像になってしまったかのようにピクリとも動かない。
静かになったリビングで、僕はもう一度大きくため息を吐いて呟く。
「……叶実さん。昨日、僕が寝る前に言ってくれましたよね? 明日は絶対頑張れそうな気がするって」
「だ、だって! 昨日はちゃんとできる気がしたもんっ! 本当なんだよ!」
やっと口を開いてはくれたものの、叶実さんはウルウルとした目をこちらに向けながら訴えかけてきた。
「……それで、今からは頑張れそうなんですか?」
「無理!!」
「即答!?」
「だって! なんかこう……ぐわあああって来るものが全然来ないんだよ~~~~!!」
叶実さんは、今度は頭を抱えながらソファの上でゴロゴロと転がり始めた。
自分が落ちないようギリギリのところで逆に転がるのは見ていてハラハラするが、そんなものを見せられたところで、なんの解決にも至らない。
まずは、現状を叶実さんにも共有した方がいいと判断した僕は、転げまわる彼女に向かって話し始めた。
「叶実さん。そんなことはないと思いますけど、僕が叶実さんの家に居候させてもらっている理由は憶えていますよね? 言ってみてください」
「……わたしをお世話してくれる可愛い男の子が欲しいって言ったら、霧子ちゃんが津久志くんを紹介してくれたので、お金で解決しました」
……えっ?
「……というのは冗談で、わたしが家の事なんにもできないから、わたしがちゃんと原稿に集中できるように、霧子ちゃんが津久志くんを紹介してくれた次第です」
びっくりした……。一瞬、僕が聞いてはいけない話を聞いてしまったような気がしたが、それは聞かなかったことにして話を進めよう。
「そうです。ですが、叶実さん。僕が来てから2週間経ちましたけど、残念なことに原稿は全く進んでいません」
全く、というのは大げさではなく、本当に全く進んでいない。
なにせ、叶実さんが原稿を書いている姿というのを一度も見ていないのだ。
それに、今の彼女の反応を見てくれたら分かるかもしれないが、全然仕事モードになっていないのも大問題である。
「どうしよう……これじゃあ、また姉さんに叱られる……」
「えっ、津久志くん!? 霧子ちゃんに怒られちゃうの!? 待ってて! わたしがガツンと言ってあげるから!」
叶実さんは、今までのショボンとした様子から一変して、そこらへんに転がっていたスマホを手に取った。
「ま、待ってください叶実さん!」
当然、僕は叶実さんのことを制止させる。
「あの、言いにくいんですけど……僕が叱られる理由は、叶実さんの原稿が上がらないからなんで、おそらく電話なんてしたら叶実さんも一緒に怒られるかと……」
「……はっ! 確かに!」
僕の説明に納得できたのか、叶実さんはスマホをそっと手放した。
「つまり……津久志くんが霧子ちゃんに怒られないようにするには、わたしが仕事をしないといけない……!?」
「そんな悟ったような言い方をされても……」
僕、さっきからそういう話をずっとしていましたよね?
ただ、僕も少し自分の事ばかり言いすぎてしまったような気がするので、率直な意見を言っておこうと思う。
「……叶実さん。僕、本当に申し訳ないと思ってるんです。確かに、叶実さんの日常生活を手伝うことは出来ているかもしれないんですけど、小説のこととなると、何も力になれていないというか……」
姉さんの思惑通り、無茶苦茶だった叶実さんの生活は僕がある程度手伝えたおかげで酷いことにはなっていないけれど、残念ながら相乗効果で叶実さんの創作環境がよくなったのかと言われれば、それはまた違う話だったのかもしれない。
正直、僕は少し悔しいと思っている。
大好きな作家さんの為に、僕はなんの力もなれていないのだ。
「そんなことないよっ!!」
しかし、叶実さんは、僕の言葉を強く否定した。
「わたし、津久志くんが来てくれて毎日すっごく楽しいんだよ!! わたし、ずっと1人だったし、誰かとこうして話すことだって、全然なかったし……」
そして、ソファに座っていた叶実さんは、ぐっと僕に近づいてくる。
叶実さんの甘い香りが、僕の鼻腔をくすぐった。
「だからね、こうして津久志くんがいてくれるだけで、わたしはすっごく元気をもらってるんだから!」
すると、叶実さんは勢いよく、僕の手をぎゅっと握る。
「だから、わたし、頑張るよ。津久志くんの為にも」
「……叶実さん」
僕は、その力強い言葉に、なんだか心が弾んだような気がした。
よし、だったら僕も今以上に頑張って――。
「でも、頑張るのは明日からにするねっ!」
…………。
「ほら、まだドラマ観てるの途中だし~。今ここで止めたら逆に気になって仕事なんて手に着かないよ~。だから、ね?」
にこっ、と屈託のない笑みを浮かべる叶実さんとは正反対に、僕は顔を引きつらせていたことだろう。
「……叶実さん」
「ん? 何かな、津久志くん?」
「さっきの僕の感動を返してくださいよーーーー!!」
「ええー! どうして怒ってるの!?」
こうして、今日も今日とて、叶実さんは原稿に手を付けることなく、僕も一緒にテレビを見ることになってしまったのだった。
そして、分かったことが1つだけある。
うん、海外ドラマって面白いね。




