ピアノ、まどろみ、笑
スラリとした指が鍵盤を滑らかに移動する。
穏やかな曲調に耳を傾け、ピアノに注がれる視線に嫉妬した僕が声をかける。
「ねぇ、こっち向いてよ」
振り向いた君が微笑む3秒。自分が止めたくせに、曲が途切れたことを寂しく思った。
君はピアノに向き直り、声をかけられる少し前から演奏を再開する。
少し伏せたような目がピアノだけを映し、まるで僕などいないかのように振る舞う。
もう一度声をかけたくなるのを、グッと堪えた。
ねぇ、君のそのメロディーと視線を僕だけの物にしたい。
曲の高まりに合わせて君に聞かせない言葉を呟く。堪えきれなかった気持ちの一部が君の曲に包み込まれる空想に浸る。それが僕の心を慰めた。
君の耳に僕の声など届かないままで、メロディーは激しさを増していく。
その激しさと呼応するように苦悶の表情を浮かべる君の様子から
この曲の技術的な難しさを読み取った。
額ににじむ汗がその解釈の正しさを保証する。
ピンッ!と音を響かせ、一瞬の静寂が場を支配する。
ゆっくりと鍵盤を這う指が小川の流れのように緩やかなメロディーを紡ぐ。ホッとしたような君の表情。
僕は、つられて潜めていた息をそっと吐き出した。
一挙に緩んだ空気にあくびを噛みころし、画面の中の中の君と今日も微睡む。
僕だけのためにキリトラレタ君がまた最初から曲を弾き始めた。




