海、夕焼け、檸檬
スケッチブックをもって海辺に向かう。
目に映るすべてのものが眩しくて目を開けていられない焦りが僕を突き動かす。
あるがままで良いのだと他人は言う。
今さら僕が変われる気も確かにしない。
でもそれでも他の人が持っているキラキラしたなにかを僕も持てるのならば。
磯の香りが海についたことを知らせ、運動靴に入りこんで来る砂が煩わしい。
目の前に広がる塩水の塊を美しいと教えてくれた先輩は今。
適当な砂浜に腰かけ色鉛筆を取り出す。
スケッチブックの中央に目の前の海の色を作り出す。薄い色から順番にだんだんと濃く色を足していく。
深い緑色がベースの水のたまりがスケッチブックにあらわれる。修正液で波を描く。
星の形にしよう。色の範囲を広げて整える。
透き通った影を書き足して次のページへ。
あなたの持っているものが羨ましいと、聞こえないようにこぼした僕。心底驚いた顔をした先輩。
「私にはこれしかないからなぁ」角の柔らかくなったスケッチブックを抱き締めて笑った顔はどうだっただろう。あの先輩にもう一度会いたくて続けてる絵の練習は色を描く以上の上達を見せない。
日が暮れる。先輩が好きだと言った海の色がだんだんと広がって行く。
一番きれいなその色をスケッチブックに写しとる。仕上げようとするがいつも思い付かない。スケッチブックにはただの夕焼けの海が詰まっている。
塩の香りのなかに微かに先輩の香りが混じった気がして振りかえる。そこにはただ自分へ続く足跡がひとつだけ。
あのきれいな夕焼けの海を仕上げられたならば僕はまた一歩進めるのだろうか。
記憶の中の先輩は走り去って行く。お気に入りだというレモンの香りを置いて。




