学園祭編:ホラーなおたま
――カツーン、カツーン……何処からとも無く音がする。
付かず離れず、それは常にマリの近くで鳴り響いていた――
「マリ? どうかした?」
杏也の声にハッとして、マリは彼の事を見る。
相変わらず、甘いマスクでイケメンだとマリは思った。
何でこんなに、もてそうな人が自分の彼氏になんかなってくれたんだろうと、マリは今でも不思議でならない。
それでも今では、自分の方が彼から離れられなくなってしまっているのだが……。
「ううん、何でもない。ちょっと思い出しちゃっただけだから……」
「思い出した?」
「うん……だって、ミカちゃんが関係しているホラーって……」
マリの視線の先には、「ホラーハウス・人形の館」とおどろおどろしい文字で書かれた看板が存在する。
二人は今、ミカの学校に来ていた。
学園祭とかで、ミカのクラスはお化け屋敷をやるらしいのだ。
実はマリは、この学園祭の事を何も知らなかった。
昨日、杏也から聞かされて、初めて知って驚いた。
「ミカちゃんてば、去年も学校の行事教えてくれなくて、物凄く寂しくて泣いちゃったんだから」
寂しげにそう言うと、杏也が珍しく優しげにフッと笑った。
「ふーん? でも今回は、俺のお陰で泣かずにすんだな」
何故、実の姉であるマリも知らない、ミカの学校の学園祭の日にちを杏也が知っていたのか。
その事について尋ねてみた所、理由はなんて事ない。真澄からメールで教えて貰ったとの事だった。
「ん? お礼は言ってくれないの?」
「そうね、杏也君のお陰だわ。ありがとう」
何時になく優しい彼を前に恥ずかしげに顔を俯けるマリであったが、最後のお礼の部分だけはニッコリと笑って言った。
すると彼は嬉しそうに「どういたしまして」と言ってから、マリの耳に唇を寄せる。
「後でマリのご褒美たっぷり貰うから……」
「っ!!」
足がガクンと折れそうになるのを、杏也はしれっとした顔で支える。
「もう! こんな所で耳に囁き掛けないで!」
真っ赤な顔で文句を言うと、涼しげな顔で、
「こんな所で感じちゃうマリの身体が悪いんじゃないの?」
と意地悪な顔をして言われた。
憎たらしくてムスッとしていたら、グイッと手を引っ張られる。
「早くミカの所に行って、驚かせてやろうぜ」
そんなこんなで、二人はミカの教室に向かったのだが……。
勿論ミカには来ている事を言っていない。いきなり現れて驚かせてやろうと思ったのだが、ミカのクラスはお化け屋敷をやっているのだと知った。
「これじゃあ、逆にこっちが驚かされるな……」
看板を見て杏也が苦笑する横で、マリはというと、過去のトラウマを思い出し、少しの間固まってしまっていたのだった。
過去のトラウマ……それは、マリがキッチンに入れなくなってしまった原因となったあの出来事である。
お化け屋敷。それ自体は別に、怖さを楽しむ位には平気であった。
ただ、それにミカが関係してくると話は別だ。
「いらっしゃいませー! ホラーハウス・人形の館へようこそー!」
やけに明るく入り口でそう挨拶する、ミカのクラスの生徒らしき人間。
衣装はボロボロでおどろおどろしいのだが、その様に明るくようこそと言われても怖さが半減してしまうのではと思ったが、中からは先ほどから、客であろう人たちの叫び声が聞こえてくる。
「あ、あのね、ちょっと聞きたいんだけど!」
マリは入り口に居る生徒を捕まえて話しかける。
「お客さまー、入場の際は列に並んで順番を守ってくださーい!」
「いや、うん。並ぶけどね? その前に聞きたい事があるの!」
「あー、この人。このクラスの生徒の一ノ瀬ミカって居るでしょ? そのこのお姉さんなんだよねぇ」
杏也がマリを指差しそう言うと、その生徒はパチパチと瞬きをした後、まじまじとマリの事を見た。
「えぇ!? 一ノ瀬さんのお姉さん?」
「ミ、ミミミミカちゃんはお化けやってる?」
どもりながら尋ねると、その生徒は首を振って否定した。
それを見てマリは心底ホッとした顔をする。
「よかったぁー、ミカちゃんがお化けなんかやったら、私気絶しちゃう!」
「ミカがお化けじゃなかったら平気なの?」
「うん。結構お化け屋敷好きよ。杏也君は?」
「俺? 俺はこういうゾクゾクするのは割りと好きだぜ?」
彼のその応えに何処か納得するマリ。彼の手を引いて、列の最後尾へと。
「ミカちゃんがお化けじゃないのなら、怖いものなしよ! 早く並びましょう!」
「あ、でも一ノ瀬さんお化けじゃないけど総演出――って行っちゃった……まぁいっか」
入り口に立つ生徒は、マリと杏也の背を見送りながらそう言ったのだった。
列の最後尾にまでやってきた二人。
結構長い列で、順番が回ってくるまでは時間が掛かると踏んで、杏也はある事をマリに聞いてみる事にした。
「そういやマリ、ミカが関係しているホラーとかって言ってたけど、もしかしてアレ? キッチンに立てなくなっちゃった原因?」
するとマリはビクンと身体を震わせ、怯えた目で杏也を見上げる。
(どんだけだよ……)
「そ、そうよね! もう大分前の事なんだし、克服する為にもっ、は、話してもいいわよね!」
うん、と頷き、自分に言い聞かせるマリ。
一度ブルリと震えると、振り切るように首を振って、ポツリポツリと話し出す。
「あ、あのね? 私、ミカちゃんの為にお料理を作ったのね? おしんことけんちん汁をね? でも、なんか物足りない気がして、私それに生クリームとチョコレートを掛けたの。メルヘンだと思って……そしたらミカちゃん怒っちゃって……」
「……それ、ミカでなくても怒ると思うんだけど……」
「それからね? カツーン、カツーンって私の周りで聞こえ出したの……そしてね? 時々カリカリがりがり聞こえてくるの……」
マリはその時を思い出したのか、ぶるぶると震えだす。
「さ、最初はね? テレビとかも付けてるから、その音だと思ってたの……でもね、それはトイレに入っている時も、お風呂に入ってる時も聞こえてくるのね? それでね、私の部屋の中でも聞こえてくるの……それも、扉の直ぐ外から聞こえていて……私、その時には凄く怖くなっちゃってて、扉を開けて確かめる事も出来なくてね?」
マリの手が杏也の手を握る。
彼は安心させるようにその手を握り返した。
「そしてとうとう、扉がね? ドアノブがね? ちょこっとづつ動いて、扉が開いちゃって……私、咄嗟にクローゼットの中に隠れたの。クローゼットの中から、外が少しだけ見えてね? そしたらね、見えたの……銀色のおたまが……」
その時まで黙って聞いていた杏也であったが、そこで思わず吹き出しそうになった。
しかしそれはすんでの所で堪える。
マリにとっては恐怖の出来事なのだ。例えそれが他人にとっては笑いの種であったとしても……。
ここで笑ってしまっては、流石に可哀想であろう。
なんたって、トラウマになってしまうほどなのだから。
「音の正体はね? その銀色のおたまだったの……。ミカちゃんは、そのおたまをずっと、壁とか家具とかに打ち付けて音を出してたの……。歩く時はそのまま壁に押し付けてがりがりってさせて、立ち止まればカツーン、カツーンって叩いてるの……。
それでね? とうとうミカちゃん、私の隠れているクローゼットの前まで来たの。そして、直ぐそこで、クローゼットをカツーン、カツーンって鳴らし出したの……。
ミカちゃんね、前髪で顔が隠れてて、ずっとどんな表情をしているのか分からなくて……」
またもやマリが、ブルリと震えた。
「だけど、じっと耳を澄ませてると、何かぼそぼそって喋ってて……」
更にガクガクぶるぶると震えだす。
「ミカちゃん、ずっと言ってるの……泣いてる。おしんことけんちん汁が泣いてるよ……って呟いてるの……」
「ブフッ!」
杏也がとうとう堪えきれずに吹き出した。
マリはプクッと頬を膨らませる。
「杏也君、酷い! 笑うなんて!」
「い、いや、ごめっ……だって、銀色のおたまって……おしんことけんちん汁って……全然恐怖の対象と違う……」
口元をピクピクと引き攣らせながら、杏也はマリを見下ろす。
「た、確かに、他の人にはそうかも知んないけど、実体験している私にとっては、すっごい恐怖だったんだからね! だって、想像してみて? 私がおトイレやお風呂に入ってる時も、あの音がずっと鳴り響いてたのよ? って事は、ミカちゃんずっと、私の近くでおたま持って、叩き続けてた訳で――」
「ブハッ!!」
「んもー! 杏也君のバカバカー! もう知らない!」
マリはプリプリと怒ってソッポを向く。
とここで、マリは気付いてしまった。
自分達は今、列に並んでいる所である。
それも、列の中程。
当然、自分達の話は前と後ろの人たちにも聞こえていた事になる。
マリはガーンとショックを受けた。
(そ、そんなっ! 他の人も笑ってる……)
その人たちは皆、マリの事をチラチラと見ながら肩を揺らしていた。
マリはムスッと不貞腐れると、
「私、お手洗い行ってくる!」
と言って、列から離れる。
「そろそろ順番回ってくるかもしれないぜ?」
「分かってる!」
マリはそれだけ言うと、ずんずんと行ってしまったのだった。
(あららー、あれは相当怒ってるなー……後でなんかお詫びしてやらなきゃ……)
苦笑しながらマリを見送る。
そしてその後、マリを待つ杏也の前に、何人組かの女の子達が現れ、彼を見てキャイキャイと騒いでいる。
私服なので、この学校の生徒ではないだろう。年齢も、高校生より少し上。大学生だろうか。
そんな彼女達は、杏也に声を掛ける。
「あのぉ、お一人ですかぁ?」
「でしたら私たちと一緒に回りませんかぁ?」
いわゆる逆ナンと言う奴だ。
杏也は彼女達をじっと見つめる。
途端に真っ赤になる彼女達に、彼はゾクリとするような笑みを浮かべると、「いいぜ?」と言った。
列に並ぶ者達は、ギョッと杏也を見た。一斉に、(彼女は!?)と心の中でつっこむ。
しかし、杏也の返事に喜ぶ彼女達に、彼は続けてこう言った。
「ただし、俺、泣き顔フェチだから、今ここで泣いて見せてよ。もし、俺の満足できる泣き顔を見せれたら、あんた等に付き合ってやってもいーぜ?」
ニッと笑う杏也。困惑顔の彼女達。
「そうだな、十秒やるよ。十秒で泣いて見せな」
そして杏也は彼女達の返事を待たずして、「10、9、8……」とカウントを取ってゆく。
「えぇ!? ちょっと待って?」
「そんないきなり――」
しかし杏也は待つ事無く、「7、6、5・・・・・・」と止まらない。
彼女達も、杏也程のイケメンは早々いないので、必死になって泣こうと試みている。
そして、杏也が最後の数を数え終わろうとした時、
「出た! 涙出た!」
一人の女性がそう叫んだ。
皆が期待した顔で杏也を見ると、彼は彼女達を見回した後、物凄く意地の悪い顔で微笑んだ。
そして、
「俺は、泣いてくれって言ったんだぜ? それじゃただ、涙が出ただけじゃん。それだったら、欠伸しただけも拝める顔だろ?」
杏也にそんな事を言われ、彼女達は、
「えぇー、そんなぁー」
「こんな短時間じゃ無理よ!」
「もう一回チャンスを!」
彼女達が杏也に取り縋った時、
「あれ? 杏也君、その子達だぁれ?」
お手洗いから帰ってきたマリが、キョトンとした顔をして首を傾けている。
列に並ぶものたちは、一斉に修羅場を予感した。
しかし、当の杏也は、なんて事無い顔をして、ニッコリと笑った。
「ああ、お帰りマリ。時間潰しに、逆ナンしてきた女の子達で遊んでた」
逆ナンと聞いて一瞬固まるマリであったが、その女の子達の中の一人が、目を潤ませている事に気付き、彼女に駆け寄る。
「えぇ!? 貴女なんで泣いてるの!? もしかして、杏也君に意地悪されたの? もう、駄目じゃない杏也君! 女の子は泣かせちゃ駄目なんだからね!」
「えー? でもマリはいつも俺の下でないてるよねぇ?」
「きゃー!! なんて事言うの、杏也君!」
杏也の発言に、顔を真っ赤にさせるマリ。
「もー、なによ! 彼女がいるんじゃない!」
「しかも遊んでたですって!?」
「酷いわ! 乙女の純情踏みにじるなんて!」
女性達はブーブーと文句を言っている。
すると杏也は、彼女達の前でマリの腰を引き寄せると、
「なぁ、あんた達さぁ、俺ほどのイケメン前にして、本当に一人だと思った訳? んな訳ないだろ? それに、例えあんた等が泣けたとしても、マリ以上のそそる泣き顔なんて無いんだけど……」
「っ!?」
マリは呆然として、自分を抱き寄せる杏也を見上げる。
逆ナンしてきた女性陣達は、その自信たっぷりの杏也の様子に、グッとたじろぎ、そして杏也達の前から去っていった。
周りの者たちはというと、想像していた修羅場にならずにホッと胸を撫で下ろすのだった。
「な、なんか杏也君がそんな事言うなんて……」
「ん? 何々? 感動した?」
「え? あ、う……」
何か気持ちが悪いと言いそうになり、マリは言葉を濁す。
杏也もマリの様子に何かを感じ取り、「フーン」と目を細めマリを怯えさせるのだが、直ぐにニッコリと笑って、
「ヤキモチとかは焼いてくれない訳?」
「え? だってそれは――……ミカちゃんの事好きだった杏也君が、他の子に満足するなんて思えないもの……」
だから何より、さっきの言葉は嘘のようで気持ちが悪い。
「なんかそれって、もしかしてマリ自身も含まれてる? 駄目だよそこは、杏也君は私以外に興味が無いから――位は言ってくんないと……」
「えぇー!? そんなぁ、だって……杏也君、実はまだミカちゃんの事……」
最後の方は声が尻すぼみになり、指をイジイジさせているマリ。
杏也はそんなマリを横目で見ながら、静かに尋ねる。
「何でそう思うの? マリは……」
「うっ……その、だって……時々だけど、杏也君ミカちゃん見て切なそうな顔してるし……」
やっぱり指をイジイジとさせながら言うマリに、杏也は再び笑い掛けた。
それは、普段は絶対に見せない様な爽やか全開の笑顔であった。
「やだなぁ、マリってば。そんな事気にしてたのかぁ」
明るい声で、つんとおでこを突かれ、マリは大いに怯えた。
「全く、期待を裏切らないよねぇ……そのイジイジ顔最高……」
「え……?」
ガラリと声質が変わった。
ねっとりと絡みつく、マリを甚振り楽しんでいる時の声音。
笑顔も、爽やかなものから、悪魔のするようなものへと変質していた。
「何で俺がミカを見て切なそうな顔をしていたのか? それはさ、そんな俺を見て泣きそうになってるマリの顔を見たい為に決まってるでしょ?」
「は、はい……?」
「その時の顔が一番そそるんだよねぇ……」
「~~っ!!」
あまりの理由に、マリはジワリと涙を浮かべ、そしてそれを見て杏也が満足げな顔をする。
マリは泣きそうになりながらも、こっちの彼の方が彼らしくて好きな事に気付き、とても複雑な心境になった。
そして、ドキドキしながらこのカップルの会話を聞いていた者達は、皆一様に杏也の事を(き、鬼畜……)と思うと同時に、マリに対して深く同情するのだった。
次回、お化け屋敷潜入です。