番外編:萌えロマその後・その3
ミカを待っている間、呉羽は口元が緩むのを抑える事が出来ないでいた。
『呉羽君になら、食べられちゃってもいいと思ったの……』
その言葉は、呉羽の心臓を射抜いた。
そしてその後の、
『骨まで全部食べてくんなきゃ嫌ですからね?』
これで理性は崩壊した。
「夢じゃないよな……」
ボソッと呟き、近くの電信柱に頭を打ち付ける。
「~~っ!!」
あまりの痛さに、その場に蹲る呉羽であったが、その顔は喜びに満ちている。
「ああ、夢じゃない……」
その後、呉羽が『お前の事全部食べる』と言った事も、ミカが『あんまり痛くないように食べて下さいね?』と言った事も、全部夢ではないのだ。
「やべっ、鼻血が出そーだ……」
異様な興奮状態に、呉羽は鼻を押さえる。
そしてまたもや思い浮かべる。
更にその後、以外にもミカが『今日、お泊りするの?』と尋ねてきて呉羽は慌てた。
正直、ミカの質問に、Yesと答えたい呉羽であったが、何処かに泊まれるだけの金も、そしてその為の準備も、何も持ち合わせていない事に気付き、心底落ち込んだのだった。
(安いとこなんて、ぜってー駄目だ! ミカは恐らく初めてだし、もっとも、ミカの事は凄く大事だから、ちゃんとしたとこで、ちゃんとしてやりたい)
その為にまず、呉羽の脳裏にあの父親の姿が思い浮かび、そして、あと一ヶ月ちょっとでクリスマスという行事がある事を思い出す。
それで呉羽は『クリスマスに何処かに泊まりに行こう』と言ったのだ。
「おしっ! ぜってー思い出に残るクリスマスにしてやる!」
呉羽はグッと拳を握り、そう宣言したのだった。
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「お、お待たせしました……」
「ああ、何か遅かったな? 何かあったのか?」
ドキーン、どどど如何しましょう……。
呉羽君の事が見れないです……。
「えっと……その、ですね……。その、父と母が居ました……」
「え? 仕事って言ってなかったか?」
「そ、それがですね。お泊りした事を、何か勘違いしてまして……」
「あー……そっか。それで? 大丈夫だったのか? 怒られたりとかは?」
呉羽君の心配そうな声音に、私は顔を赤らめる。
「……怒られる所か、鯛とお赤飯を用意してました……」
「ブッ!!」
呉羽君が吹き出すのが聞こえた。
「お、お祝いなのか? お前の家では……」
「そ、そうみたいですね……」
家に帰ってくる前の私であれば、何のお祝いかと首を傾げていた事であろう。
しかし今は、バッチリと何の事か分かる。
そして、私はその時漸く顔を上げ、呉羽君を見た。
彼の額からは、赤い物が垂れている。
……チーン。
「キャー!! 呉羽君、おでこ!! 血ぃー!!」
「え? ……あ」
呉羽君は何故か、額から血を流していた。
彼はたった今、その事に気付いたのか、額に触れ、その指に付いた血に目を丸くしている。
「どどどどーしたんですかぁ!?」
私は半泣き状態で、オロオロと尋ねる。
今までの恥ずかしさなんて、何処かに吹っ飛んでしまった。
すると、呉羽君は少々口ごもりながら、
「いやさっき、電柱に打ち付けて……」
「えー!? 何してるんですか、もー!」
私は涙を浮かべながらも、少しばかり怒った顔をして、近くの植木の所に呉羽君を座らせた。
そして、グスッと鼻を啜りながら、ハンカチを取り出し、彼の血を拭う。
「呉羽君は、絶対絶対、傷付いちゃ駄目ですからね!」
だって、でないと私の心が傷付いちゃいます。
好きな人が怪我をする事が、こんなにも辛い事だったなんて、知りませんでした……。
すると、呉羽君は血を拭う私の手を取り、
「ああ、分かった。心配掛けてごめんな?」
物凄く優しい目で私を見ると、顔を寄せ、唇で私の涙を拭ってくる。
あうっ、そんなに優しくされたら、もう怒れませんよ……。
そして、呉羽君私の涙を拭い終わると、今度は私が彼の額の傷に唇を寄せた。
チロッと舌を出して、彼の血を舐める。
ちょっとしょっぱい鉄の味……。
「ミカ……?」
私の行動に、驚いた顔をする呉羽君。
「約束ですからね? もう絶対、怪我なんかしちゃ駄目ですよ?」
彼の目を見つめながら、真剣な顔でそう言うと、呉羽君はフッと笑い、
「ミカがこんな事してくれんなら、また怪我してもいいなんて思えちまうけど……」
「え!? そんな、駄目ですよ!」
プクッと頬を膨らますと、呉羽君は急に真剣な顔になり、
「じゃあさ、ミカも約束しろよ?」
「え?」
「お前もぜってーに怪我とかすんなよ? それから、オレの居ない所で、一人で泣いたりするのも無しだからな?」
私は呉羽君の言葉にハッとする。
私が呉羽君の怪我を見て辛くなる様に、彼もまた、私が怪我をする所を見るたら辛いのだろうか……。
心が壊れそうな、そんな気持ちに……。
その時私は、ある事を思い出した。
「……前、私が嫌がらせで怪我した時、呉羽君は辛かった?」
あの時呉羽君も、私の今の気持ちと同じような気持ちになったのだろうかと思っての質問だった。
するとかれは、私の手を取って、その指先に口付けてくる。
そこは、あのカミソリで切った場所。今では傷跡なども無く、綺麗に治っていた。
それでも呉羽君は、その傷跡を探るように舌を這わせ、その状態のまま私を見つめてきた。
何打か鋭い眼差しで、私は射竦められたような気分に陥る。
「前にも言っただろ? お前を傷つけた人間を、殺したいと思ったって……。ミカ、お前が四階から落ちた時、本当に心臓が止まりそうだったんだぞ? あの日、何故だかお前はジャージ姿で、髪も濡れて、その事実をお前は隠そうとしていて……俺の知らない所で、お前が何か嫌な目に会ってるのかと思ったら、物凄く歯痒かったし、知らずにいた自分が許せないとも思った」
その時の事を思い出しているのか、呉羽君は凄く辛そうな顔をする。
私は胸が痛くなった。
「だからミカ、絶対に怪我すんなよ? 何か辛い事があっても、一人で悩んだりすんなよ? オレ、お前に何かあったら、きっと、オレがオレでなくなる……」
何処か泣きそうにも見える彼の様子に、私は堪らなくなって、ギュッと抱き締めていた。
呉羽君も、私と同じ気持ちだったんだ……。
ううん、私以上に辛く思ってたんだね……。
私は、彼の顔を両手で包むと、その唇にそっと口付けをする。
呉羽君が私にするものを思い出しながら、唇で舌で、私の気持ちを彼に伝える。
けれど、それだけでは何だか足りない気がして……。
だから、時折唇を離す時に「好き」とか「辛い思いさせてごめんね」とか、言葉でも伝えた。
いつの間にやら、腰には彼の手が添えられていて、口付けも呉羽君が主導権を握るものに変わっていた。
そして彼も「オレも好きだ」とか「泣かせてごめんな」とか言ってくる。
呉羽君の額の傷も、血はすっかり止まっていた。
ファン!
その時である。
いきなりクラクションが鳴らされ、私たちは現実に戻される。
振り返ってみてみると、地下駐車場から車が出てくる所で、運転席にはなんと父が居た。
しかも、ニマニマと物凄くむかつく顔で此方を見ていた。
ギャー!! 一番見られたくない人間に、呉羽君とのチュー見られちゃったぁー!!
すると父は、車の窓を開け、
「やるな、ミカたん! ミカたんからディープなキスなんて、パパってば娘の成長を遂げた姿を目の当たりにして、とっても感慨深いぞ!」
親指を突き出し、片目を瞑ってくる。
ん? 私から?
って、ちょっと待ったー!!
「い、何時から見てやがったんですか、父!?」
「ちょっとパパ! ミカちゃんのラブラブ、邪魔しちゃ駄目じゃない! これからがもっといい所だったのにぃー!!」
別の植木の影から、姉が出てきて父に文句を言っている。
………チーン。
姉まで居やがったぁー!!
ハッ! と、いう事は?
私はキョロキョロと辺りを見回す。
すると、マンションの正面玄関から、その人物は今まさに出てくる所だった。
サングラスをして髪はアップ。毛皮のコート身に纏った、セレブ感たっぷりの母の姿。
それは、オーラでまくりの仕事モードの母であった。
そして、呆然とする私の前までやってくると、サングラスを外して一瞥してくると、フッと笑って一言。
「ミカ? ここら辺には、私や大和さんを狙ったパパラッチが出没する時があるから、そういったラブシーンをする時は、十分気を付けなさいね?
それと、キスは受身だけじゃ駄目よ? さっきのミカのキスはまだまだね。ミカからしたのはいいと思うけど、もうちょっと積極的に攻めた方がいいと思うわ」
母はそう言って、颯爽と父の車に乗り込んでしまった。
は、母も最初から見ていたでありますか!?
しかもアドバイスまでされた……。
「それじゃあ、オレ等は仕事に行ってくるわ!」
そして、父は母を乗せて車を発進させ、行ってしまったのだった。
「ハァー、もうパパもママも、仕事行くなら静かに行って欲しいわよねぇ?」
私は姉を冷たく見ていると、姉は私から目を逸らせ、
「えっとぉー、私もお店の仕入れとかで、業者に連絡入れないといけないしぃー……。それじゃあ後はごゆっくりぃー」
姉はそそくさとマンションに戻ってゆく。
ハッ、そういえば呉羽君……。やけに静かです……。
私は彼を見た。
ゴーン……。
く、呉羽君が植木に埋もれてる!?
どうやら私はまた、呉羽君を突き飛ばしてしまったみたいだった。
「く、呉羽くーん! ごめんなさーい!」
「あ、ああ……別にいいって……。ハァ……昨日といい今日といい、何か邪魔されてばっかだな、オレ等……」
遠い目をしながら呉羽君はそう言ったのでした。
その後、呉羽君は植木から脱出し、私たちは今、手を繋いで仲良く歩いている。
そしてふと、呉羽君は私を見下ろし苦笑した。
「もしかして、クリスマスも邪魔されたりしてな? ……うわ、それって洒落んなんねー……」
……ハァッ! そうでした! いろいろあってすっかり頭の中から吹っ飛んでいましたけど、そうです。その問題があったんです!
しかしながら、私は少し前みたいに動揺する気持ちは薄れていた。
彼の事が愛しいと思う気持ちがさっきの出来事で、より深まった為かもしれない。
それに、食べられちゃってもいいと思ったあの気持ちは本物です。
呉羽君にならいいというか、許せるというか、捧げたいというか……。
キャー! 恥ずかしい! 物凄く気恥ずかしい!
でも、そう思える自分が、嬉しいというか、愛しい……。
私は、呉羽君と繋いだ手を離し、代わりに呉羽君の腕に自分の腕を絡める。
そして頬を染め、彼を見上げて微笑んだ。
「呉羽君とのクリスマス、楽しみです……」
すると、呉羽君も頬を染めた後、嬉しそうに笑って、私の腕を離して、今度は私の肩を抱いてくる。
「ああ、楽しみだな。そうだ、クリスマスプレゼントに何か欲しいものとかないか?」
私は尋ねられて、肩に置かれた彼の手を握り締め、そしてその胸に頬を寄せる。
「ううん、呉羽君がその日の為に、頑張って用意してくれるものだけで十分です……」
呉羽君は私の言葉に、ギュッと肩を抱く力を強める。
「呉羽君は……何かプレゼントは……」
要りませんかと続けようとしたが、すぐさまこう返してきた。
「オレも……その日、ミカがオレに捧げてくれるもんだけで……いや、そう思ってくれた事だけで十分……」
呉羽君は自分の言った事に照れているのか、耳まで真っ赤にしている。
私も釣られて真っ赤になる中、心の中でこう呟いた。
だけどね、呉羽君。実はプレゼント一つ考えてたりするんだよ?
私があなたの事を、呉羽って呼んだら喜んでくれるかな……?