第七話:乙女の情熱
「ありえません! ありえませんわっ!! このわたくしが、あんなっ、あんな――……まぁ、そこらにいる、芋娘達よりかは、美しいと認めて差し上げますわ! でもっ、このわたくしが、あんな女に跪くなどと――……」
ギュッと拳を握り締め、唇をかみ締める。
いつものように、コレクションを前に、椅子に座る乙女であったが、それらは全く目に入らず、ただ、虚空を睨みつけていた。
「……お嬢様……」
「杜若! 遅かったのではなくて? 早く今日の収穫を!」
前を睨みつけたまま、乙女は杜若に手を差し出す。
彼は何も言わず、その手のひらに、写真の束を置いた。
乙女も黙って、その束を捲ってゆく。
「まぁ、今日もお麗しい……」
そう呟くが、あまり気持ちがこもっていない様に思われる。
そして、はたと手が止まった。
一枚だけ、呉羽でない者の写真が入り込んでいた。
「……一ノ瀬ミカ――……」
きゅっと唇を引き結び、その一枚を破ろうとするが、どうしてもそれが出来なかった。
「何故――……」
呆然と呟く乙女。
その姿を、杜若は黙って見ているのだった。
――バタンッ!――
学校の屋上の扉を、勢いよく開け、乙女はそこにいる二人に言った。
「もう、この前みたいな事にはなりませんわよ! 一ノ瀬ミカ!
さぁ、呉羽様? 今日こそは、私と一緒にお弁当を食べて頂きますわよ!」
乙女がそう叫ぶと、杜若が手を叩き、黒子達がテーブルと椅子を用意していく。
「さっ、どうぞ呉羽様! 椅子に座ってくださいな!」
乙女はそう言って、呉羽を促すが、彼は首を振る。
「いや、オレはここでいいし、弁当もこれで十分だ。」
「そんな――……そんなにその女がいいんですの……?」
乙女がそう言った時、ミカが口を開いた。
「同志……座ってあげたらどうです? 別に何か悪い事をする訳でもなし……」
「なっ、お前、それでもいい訳?」
呉羽が眉を顰めて言ったが、当のミカは平然として、頷いて見せた。
「別段、何も問題があるとは思えませんが……薔薇屋敷さんがせっかく用意してくれたんだし、無駄にするのは勿体無いですよ?」
「無駄って……お前の弁当だって、無駄になっちまうだろうが!」
「なりませんよ。同志が持ち帰って、夕食として食べればいいだけの事です」
「うっ……」
「それとも、嫌ですか? 夕食として……」
少ししょんぼりとして、ミカがそう言うと、呉羽はやけくその様に叫ぶ。
「あー、もう分ったよ! すわりゃーいいんだろ? すわりゃあ!」
そして、どかっと椅子に座ると、乙女を睨む。
「望み通りに座ってやったぞ!」
しかし、乙女はミカを見たままだ。心なしか顔が赤い。
「い、一ノ瀬ミカ! お礼なんて言わなくてよ! で、でも、何だったら、あなたの椅子も、用意して差し上げなくもないですわ!」
ビシッとミカを指差す乙女。
だが、その指先は小刻みの震えていた。
「本当ですか? それは有難うございます、薔薇屋敷さん!」
ミカがそう言うと、さらに乙女の顔は赤く染まり、指先も激しく揺れた。
そして、新しく用意された椅子。それは何故か、乙女の席の隣であった。
「あなたの分のお弁当は、用意してありませんわよ!」
つんとして乙女は言うが、ミカは別段気にした風もない。
「いえ、私は自分のお弁当があるので……。自分で作った、このイッツ普通なお弁当! 何よりも私は、この普通というのが大好きなんです!」
にっこりとして笑うミカを前にして、乙女は胸がキュウンとなるのを感じた。
(な、何ですの? この胸の高鳴りは!? いえ、そんなありえませんわ! だって相手は女性ですわよ!)
乙女がボーと見ていると、タコさんウィンナーを口にしていたミカが気付き、首を傾げた。
「どうしたんですか、薔薇屋敷さん? ……はっ、もしかして、興味がおありで? この庶民のお弁当……」
乙女が否定するよりも先に、ミカは甘口玉子焼きを乙女の前に差し出すと、
「はい、あーん」
と、小首を傾げる。
(はぅんっ! これってこれって、間接キスですわよね? いけませんわ! そんな、女の子同士だなんて――……)
そんな事を思っていたが、ミカがさらに「あーん」と言って、口を開けて見せるので、思わず乙女も釣られて、「あーん」と口を開けてしまう。
そして、放り込まれた甘口玉子焼き。
「どうですか?」
そう、上目遣いに言われて、乙女の胸はさらに高まる。
味なんて、分らなかった。
乙女はプイッとソッポを向く。
「ま、まぁ……不味くはありませんわ」
「そうですか、良かった!」
そう言って、ミカもまた自分の玉子焼きを口にするのだった。
乙女はそれを、横目で見ると、心の中で悶絶する。
(キャ〜〜! お互いに間接キスですわ! ど、どうしましょ〜!!)
すると乙女は、目の前にある自分のお弁当を見ながら言った。
「そんな庶民のお弁当など、この三ツ星シェフに作らせたお弁当を前にしたら、霞み過ぎて見えなくなりますわね!
でもまぁ、そんな庶民のお弁当でも、食べさせて頂いたのですから。ちゃんとお返しはいたしますわよ! さぁ、このわたくしの心の広さに、平伏するといいですわ!!」
そう言って、乙女は高笑いをするのだった。
しかし、次のミカの行動で、乙女は完全にフリーズする。
「え? もしかして、お弁当分けてくれるんですか? それは有難うございます!」
そう言うと、乙女に向かって、「あーん」と口を開けてきたのである。
(な、何ですの? その口は……まさか、わたくしに食べさせろと? ……わたくしが、食べさせる……)
乙女は、震える手でもって、目の前にある料理にナイフを入れると、一口大に切って、それをフォークに刺し、さらに震える手で、恐る恐るミカに差し出す。
するとミカは、それを自分からパクッと口に入れた。
「ん〜、ヤッパリ、さすが三ツ星シェフ! いい仕事をしています! このソースがまた、絶妙ですねぇ……」
じっくりと味わいながら、そんな事を言うミカを前に、乙女はそのフォークを凝視したまま動かない。
そして、ワナワナと震えだすと、杜若を呼んだ。
「はい、お嬢様」
「……永久保存ですわ……」
「……はっ」
ボソリと呟いた乙女の声を、杜若はちゃんと聞き取ったようだった。
袋を取り出すと、そのフォークを入れ、そして新しいフォークを乙女に手渡した。
「さすがお嬢様ですね。人の使ったフォークは使わないんですか」
感心したようにミカが言うと、今まで事の成り行きを黙って見ていた呉羽が、面白くなさそうに言った。
「フン、一ノ瀬から差し出されたもんは、素直に食ってたじゃねーか。訳わかんねー」
2人には、乙女の呟きは聞こえていなかったようである。
「一ノ瀬ミカ!」
「はい?」
お弁当を食べ終え、お茶を飲んでいたミカは、乙女に呼ばれ、目をぱちくりさせる。
「今回、お弁当を食べさせ合った仲として、私を名前で呼ぶ事を許して差し上げますわ!」
乙女は、そう言って立ち上がると、ファサッと髪を手で払い、さぁ言ってくれと言わんばかりに片手を広げて見せた。
「えっと……乙女ちゃんですか?」
ハゥッ!と胸を押さえる乙女。
ミカはその姿を見て、眉を下げた。
「……乙女、さん……の方が良かったですか?」
「ほほほ! ちゃん付けでよろしくってよ! ええ、呼びまくって結構ですわ!」
乙女の頬は、今や薔薇色に染まり、輝いていた。
「そうですか? なら私は、ミカちゃんでいいですよ? 何ならお友達になりますか?」
そう言うと、ミカは片手を差し出す。
どうやら握手を求めているようだ。
(ミ、ミカちゃんですって!? お、お友達?)
乙女はボーとして、そのミカの手を握り返していた。
「これで、お友達成立ですね! あ、女の子のお友達に、敬語は不要ですね、うん。宜しくね? 乙女ちゃん!」
ふわりと笑うミカに、乙女の心臓は、爆発寸前であった。
「はぅっ……! お姉さま……」
そう呟くと、乙女はガクンと膝をついた。
「お、乙女ちゃん!? 大丈夫?」
「お嬢様!」
びっくりするミカと、慌てて駆け寄る杜若。
「き、今日の所は、これ位にして差し上げますわ! 杜若!」
「はい、お嬢様」
乙女は、そんな捨て台詞を残し、杜若に支えられ、屋上を後にする。
「……何が、これ位なんでしょうか?」
「……さぁ……ってゆーかオレ、何かずっと忘れられていたような……」
その場に残されたミカと呉羽は、呆然として、乙女を見送るのだった。
「杜若……」
「はい、お嬢様」
「わたくし、一体どうしたのかしら……。あの方の顔が、頭から離れないの……」
すると、杜若は、懐から写真の束を取り出す。
「お嬢様、実はこの杜若、お嬢様の命令に背きました」
「……杜若?」
乙女は首を傾げながら、その束を受け取る。
「実は、呉羽様ではなく、その方を追っていました……」
「これは……」
それは、ミカの写真であった。
「一度、呉羽様の写真に、その方の写ったものも忍ばせました。しかし、お嬢様は、それを握りつぶす事も、破り捨てる事もいたしませんでした。
それで、確信したのです……」
「杜若……あなた……」
「お嬢様は、あの方に恋しておられるようです。幼い頃より、ずっとお傍で見てきた私には分ります……。私には、その恋を否定する事は出来ません……」
乙女は手に持つ束を、一枚一枚と捲ってゆく。
そして、「はうっ!!」と胸を押さえた。
「こ、これは! この姿はっ!!」
「はい、一ノ瀬様は、学校が終わると、アルバイトをなさっている様で、それはその時の写真です……」
動機と呼吸が激しくなる。
――ポタッ――
何かがたれた。
「っ!! お嬢様!? 鼻血がっ!!」
乙女は、ロリータの服を身に付け、ショーウィンドウに立つミカを見て、興奮して鼻血を出したのだ。
「杜若……」
「はい、お嬢様」
「明日から、わたくしも行きますわ。この姿……直に見なくては、気が治まらなくってよ!」
ハンカチを鼻に当て、上を向き、乙女が言った。
「はい、お嬢様!」
いつもの調子の乙女に、杜若は口元に笑みを作るのだった。
次の日、乙女は呉羽の前に立ちはだかった。
「呉羽様!! わたくし、宣戦布告をいたしますわっ!!」
ビシィッ!と呉羽を指差し、言い放つ乙女。
ほーほっほっと高らかに笑うと、髪を手で払い、優雅に立ち去ってゆく。
「な、何だぁ!?」
呆然とする呉羽。全く訳がわからなかった。
そしてお昼休み。
いつものように屋上。
バタン!と勢いよく、乙女は扉を開ける。
「あ、乙女ちゃん。今日も一緒にお弁当食べるんだ?」
にっこりと笑うミカに乙女は、高らかに言った。
「もちろんですわ! お姉さま!」
「はいっ!?」
「はぁ!?」
裏返った声をあげる2人に構わず、乙女はミカの隣に座ると、身体をぴったりとくっ付けて来る。
「お、乙女ちゃん!?」
戸惑うミカに、乙女は微笑む。
「わたくし、呉羽様はやめて、お姉さまにいたしますわ!」
「えぇ!?」
「何ならまた、子猫ちゃんって、呼んで下さってもよろしくってよっ」
そう言うと、頬を染めながら、ミカの首に抱きつく。
そして、呉羽を見ると、フフンと笑った。
「っ!!」
カッと顔を赤く染める呉羽。
「おいっ! 離れろ、薔薇屋敷! 女同士で、なに考えてんだ!!」
「あら、愛に性別は関係なくてよ。ねぇ、お姉さま?」
「うーん……いや、あのね、乙女ちゃん……」
「はい、何ですの? お姉さま!」
「お弁当が食べられないから、離れてくれる?」
「はい! お姉さま!」
パッと素直に離れる乙女。
「おい、一ノ瀬……お前、もうちょっと嫌がれよ……」
力が抜けたように呉羽が呟く。
「しかし同志、こういうのは、熱が冷めるのを待つしかないと思われます」
一時的なものですよ、と笑って言うミカ。
「あら、そんな事無くってよ! お姉さまへの想いは、どんな事をしても、冷めない自信がありますわ!」
乙女はフフンと胸を張る。
そんな乙女を、杜若は暖かな眼差しをサングラスに隠し、見守っているのだった。
「この乙女の情熱は、あの太陽よりも熱くってよ!」