夏休み特別編4
「アーゲーハー、こらー、起きなさい! もう7時になるわよー!」
朝、如月家では、そんな声で一日が始まった。
揚羽はそれでもまだ、タオルケットに包まり眠っているようである。
「ほらっ、今日はミカちゃんとデートするんでしょう?」
その言葉を聞いて、漸くパチッと目を開ける揚羽。
そして、ガバッと起き上がると、
「そうだ! ミカとデートするんだった!」
と叫んで、ベッドから飛び降りる。
「音羽、メシ!」
朝起きて、母に向かっての第一声がこれである。
音羽は呆れて、自分の息子を見つめた。
「全くもう! お母様、お早う御座います位言えないの!?」
そうして7時。
急いで顔を洗って、歯を磨いた揚羽は、テーブルに付き、焼きあがったトーストにかじりつく。
心はウキウキとし、椅子に座りながら、足をぶらつかせた。
「こら、揚羽ってば行儀が悪い! そんなんじゃ、ミカちゃんに嫌われちゃうわよ!」
ミカの名を出し注意するが、
「ミカはこんな事では、嫌いになどならないのだっ!」
揚羽は、そう母に言い放つ。
「それはそれは、結構な自信ですこと!」
そして、8時になろうとした頃、玄関のチャイムが鳴り、ミカがやってきた。
「あらミカちゃん。お早う」
「お早う御座います」
「今日は髪型違うのね? とっても可愛いわよ!」
「ありがとう御座います。一応デートですから、それなりのお洒落はしないと、揚羽君に失礼ですからね」
ミカはいつもは縛っている髪を解き、小さな蝶ちょ型のクリップで、両サイドの髪を少しばかり掬って留めていた。
服装も夏らしく、袖なしの物で、スカートも短めの物を穿いている。揚羽に合わしているのか、少々デザインは子供っぽいものだった。
因みに、メガネはしたままだ。
そしてミカは、音羽の後ろに視線を移すと、ニッコリと笑った。
「ああ、揚羽君、お早う御座います」
「あら、揚羽? そんな所でボーと突っ立って、まだ寝ぼけてるの?」
音羽の言葉に、揚羽はハッと我に返ると、
「ミカ! その格好、すっげー可愛い!」
と叫んだ。
如何やら、ボーとしてたのは、ミカに見とれていた為らしい。
「お? やるわね揚羽。デートの時は、女の子の格好を褒めるのは常識よ!」
「おお! じゃあオレ、ミカの恋人として、合格だな!」
「ウフフ、そうですね。でも呉羽君も、デートの時はいつも褒めてくれますよ?」
「へぇ、あの呉羽が? あまり想像できないわね」
照れ屋な息子の顔を思い出しながら、音羽はクスクスと笑った。
「あー! 今はオレがミカの恋人なんだから、昔の男の事は言うな!」
頬を膨らませながら、ムスッとして言う揚羽。
「昔の男って……明らかに何かの影響を受けてるわよね? テレビとかで覚えたのかしら……」
思わず苦笑いしてしまう音羽であった。
「あの、これ良かったらどうぞ」
ミカは音羽に包みを差し出す。
「?? これは?」
「お弁当です。多めに作ったので、お母上も良かったら食べてください」
音羽は包みを受け取ると、感激してミカに抱きつく。
「んもー、ミカちゃんってば! いい子過ぎるわー、早くお嫁に来てー!」
「えぇ!? お嫁はまだ早すぎますよぅ!」
すっかりミカのお弁当のファンとなっていた音羽は、ミカに大量のキスをお見舞いする。
ミカはミカで、お嫁にと言われ、照れているようだった。
「ああー、音羽、駄目だぞ! ミカとイチャイチャするのはオレなんだからなー!」
音羽に抱きつかれ、キスされまくっているミカの手を引っ張り、揚羽はむくれた顔をする。
「あ、イチャイチャって、これの事なんだ……」
ちょこっとばかりホッとするミカ。
その後、揚羽にも抱きつかれ、音羽にされるようにキスされまくったのであった。
「それじゃ、お母上、行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい。揚羽の事、よろしくね? あの子、張り切りすぎて、何するか分からないから……それだけが心配だわ」
ハァと溜息をつく音羽。
ミカもそれを見て頷いた。
「はい、ちゃんと危ない事しないように、しっかりと見てますよ」
「ええ、お願いね」
音羽はミカの手をギュッと握った。
「おーい、何してんだ? 早くプール行くぞー!!」
もう既に興奮状態の揚羽は、顔を真っ赤にして、ソワソワとしている。
「全く、人の気も知らないで……」
また溜息をつく音羽であった。
そうして、プールへとやってきたミカと揚羽。
案の定、はしゃいだ揚羽は、プールサイドを走っている。
「ああ! 駄目ですよ揚羽君! 滑って転んでプールが血の海に!」
大袈裟な注意をするミカ。
「んなヘマしねーよ!」
「甘い! 甘いですよ、揚羽君! もしかしたらバルブントスが、プールサイドに何かを仕掛けているかもしれません。何時如何なる時も、冷静かつ慎重に行動しなければいけませんよ」
「おお! そっか、オレこれからはプールサイドは走らないようにする!」
「それから、プールに入る前には、しっかりと準備運動も忘れずに! 正義の使者たる者、周りにきっちりとお手本を見せなければなりません!」
「おう、分かった!」
揚羽はミカに言われたとおり、素直に準備運動を始める。
「ウフフ、やっぱり可愛いですね、揚羽君。呉羽君も小さい時はこんなだったんでしょうか?」
幼い呉羽に思いを馳せるミカ。
と、その時、
「ああっ、そこにいるのは一ノ瀬さんじゃないか!」
「え? ハッ、大空会長!? 何でこんな所にっ!?」
ミカが振り返った所にいたのは、何とミカの学校の生徒会長、大空竜貴であった。
「ああ、こんな所で会えるのなら、紐と目隠しを持ってくるんだった!」
ガクッとその場に項垂れる竜貴。
ミカはそんな竜貴を、顔を引きつらせて見ている。
「いえ、こんな場所で、そんな物を持ってこられても困るんですが……」
「ううっ、一生の不覚……ハッ、一ノ瀬さんがいるって事は、もしかして如月呉羽もここにっ!? そして、あの執事も!?」
キョロキョロと周りを見回す竜貴。しかしながら、そのどちらの姿も見えない。
その事にホッとしながら、竜貴は改めてミカの事を見た。
ミカの水着は、何というかスポーツ水着で地味であったが、それでもその抜群のプロポーションに、顔を赤くする竜貴。
「それで、何で大空会長が市民プールにいるんですか?」
「ああ、それは……」
「お兄ちゃん、その人誰?」
竜貴の後ろから、女の子が出てきた。揚羽と同じくらいだろうか、オレンジ色の水着を着ていて、可愛らしい子だった。
「お兄ちゃん? 大空会長の妹さんですか? 可愛いですぅ」
「かいちょう? ああ、お兄ちゃんの学校の人なんだ。フーン……地味な人ね?」
「地味ですかぁ? ウフフー、ありがとう御座います」
本当に嬉しそうに笑うミカに、女の子は顔を引きつらせた。
「えっと、一ノ瀬さん。こいつは俺の妹で、美晴という。美晴、この人は一ノ瀬ミカさん」
「へぇ、美晴ちゃんって言うんですか? 可愛い名前ですねぇ」
「フン、私におべっか使っても、お兄ちゃんとの仲を応援する気はありませんからね」
「はい?」
「なっ、何を言う美晴! そこは存分に応援してくれ!」
如何やら、この美晴という子は、ミカが竜貴に気があると勘違いしているようだった。
丁度その時、準備体操の終わった揚羽が、此方にやってきた。
「ミカー、準備体操終わったぞ! 早く泳ごう! 泳げなかったら、オレに掴まってもいいぞ!」
頼りになる所を見せようと、胸を張る揚羽。
しかし、ミカと一緒にいる者達を見て、目を丸くする。
「あ、大空美晴だ!」
「え? 揚羽君、美晴ちゃんを知ってるんですか?」
「やーん、揚羽くーん、こんな所で会えるなんて、運命的だわ!」
「ハッ、この子供はまさか、一ノ瀬さんの弟君か!?」
それぞれが違う反応をしている。
そこで、ここは一先ず落ち着いて話をする事にした。
「そうか、この子供は、如月呉羽の弟なのか……なるほど、そう言われてみれば、この生意気な感じはあの男に似ていなくもない……」
「へぇ、揚羽君と美晴ちゃんは同じクラスなんですか」
「ううっ、でも、美晴とオレは、何でもないからな! 美晴が勝手に言い寄ってくるだけだからな! オレが好きなのは、ミカだけだからな!」
「もう、揚羽君ってば、こんなおばさんより、美晴の方がいいに決まってるでしょ?」
「お、おばさん……」
ガーンとショックを受けるミカ。
「な、なるほど、小学生からしてみれば、高校生なんておばさんなんですね……」
「美晴……お前な……」
「フン、何よ! 地味なくせして、胸とお尻が大きいだけじゃない!」
ハッと胸とお尻を押さえるミカ。
「そ、そんな事初めて言われました……」
「い、一ノ瀬さん、美晴が言う事は気にするな! 男にしてみれば、一ノ瀬さんは堪らないプロポーションの持ち主だ!」
自信満々に言い放つ竜貴。
その目はジッとミカの胸とお尻を見ている。
健全な男としては、当然の行動なのだが、
「な、なに言ってんですか会長!? それにその目、エロエロな事を考えている父にそっくりです!」
ミカは慌ててタオルを体に巻いた。竜貴もハッとして、ミカから視線を外す。
「ち、違う! 断じて、エロい事なんか考えてないぞ! たまたま目がいってしまっただけだ! ハッ、そうだ! これで俺を目隠ししてくれ! それならば安心だろう!」
竜貴はそう言って、細長いタオルを差し出してくる。
そして、プールサイドに置かれているホースを指差し、
「何だったら、あれで縛ってくれてもいい!」
何だか興奮したように息を荒くする竜貴に、ミカは無言でそのどてっ腹に拳を突き出した。
「グハッ!」と呻き声を上げ、その場に蹲る竜貴をそのままに、ミカはニッコリと笑って、揚羽と美晴を見た。
「さてと、変態さんは放って置いて、泳ぎましょうか?」
幼い少年少女は、黙ってコクコクと頷く。
「ううっ、そんな……これは変態なんかじゃなく、俺の君への純粋な想い……」
竜貴は腹を押さえながら、苦しげにそう言うのだが、その時彼の目の前に誰かが立った。
顔を上げると、そこには美晴が此方を見下ろしており、
「お兄ちゃんの変態」
一言そういうと、プールの中に入っているミカ達の方へと行ってしまう。
その一言は、竜貴の胸に深く突き刺さるのだった。
そうして12時。
たくさんプールで遊んだミカ達は、市民プールの近くの公園で、お昼を食べる事にする。
そして何故だか、竜貴と美晴も一緒についてきた。
「美晴は、揚羽君と一緒にお昼が食べたいんだもん」
「俺は今日一日、美晴の面倒を見なくてはならないんだ」
そんなこんなで、公園の中にある、木製のテーブルにお弁当を広げると、皆で仲良く(?)お弁当を食べたのだった。
「一ノ瀬さん、時に聞くが、何故、如月呉羽の弟と一緒にいるんだ?」
「それは、ミカがオレの恋人だからだ!」
「は!?」
「ああ、一日恋人をしているんです」
「い、一日恋人!?」
そして昨日の経緯を話すと、竜貴はガシッとミカの手を握った。
「それならば是非、俺とも一日恋人をしてくれ! というか、如月呉羽なんかは止めて、俺と付き合ってくれ!」
「揚羽君、そんな事なら、美晴が恋人になってあげるのに!」
美晴も揚羽に詰め寄る。
ミカは握ってきた竜貴の手を、思いっきり爪を立てて引き剥がすと、「嫌です」と言った。
揚羽も、美晴から離れると、竜貴から庇うようにミカに抱きつき、「駄目だぞ!」と叫ぶ。
「ミカはオレの兄ちゃんの恋人なんだからな! お前なんかじゃ全然兄ちゃんには敵わないんだからな!」
「揚羽君?」
揚羽のその言葉に吃驚するミカ。
何だかんだ言っても、揚羽は兄の呉羽が大好きであった。それが、見知らぬ男に、「如月呉羽なんか……」と言われて腹が立ったのだ。
それからハッとし、慌てて、
「そ、それに、ミカは今、オレの恋人だから駄目だからな!」
と言いなおす。
そんな揚羽にミカはクスリと笑うと、抱きつく揚羽の頭を優しく撫でた。
「ウフフ、そうですよね。今は揚羽君の恋人ですもんね。庇ってくれてありがとう、揚羽君」
ミカは身を屈めると、揚羽の頬にチュッとキスをする。
吃驚して顔を上げる揚羽に、ショックを受ける大空兄妹。
「キャー、ましょーよ! ましょーの女だわ!」
「そんなっ、一ノ瀬さん、そんなガキんちょ相手にそんな事をしたら、生意気さにますます磨きが上がるぞ!」
ギャーギャーと喚く大空兄妹に別れを告げ、ミカと揚羽は手を繋いでサンバトラーの映画へと向かう。その間、揚羽はずっとご機嫌で、サンバトラーのテーマソングを歌っていた。
「あ、そういえば揚羽君。1時からイチャイチャするんじゃなかったんですか?」
デートの予定表にはそう書いてあった筈だ。もう1時を過ぎていた。
それを思い出してミカは尋ねたのだが、何故か揚羽はもじもじとして恥ずかしそうにする。
「そ、それはもういいんだ。ミカが頬っぺたにしてくれたし……」
「そう、ですか? 揚羽君がいいのならそれでいいんですけど……」
それから、映画館へとやってきて、『サンバトラー 暁の戦士は何処へやら』を見た。
映画も終わって、映画館から出てくると、揚羽は興奮したように今見た映画の感想を述べた。
「うおー、すっげーかっこよかったなー! まさか、暁の戦士がジョー熊田だったなんて!」
「うーん、お子様向けにしては結構楽しめましたねぇ、最後に敵のヒースサファイヤが改心して、サンバトラーに手を貸す所なんて、感動物でしたね」
「だな!」
「それで、この後は何処に行くんですか? 揚羽君の秘密の場所なんで、案内してくれないと分かりませんよ」
「あ、そうだった! オレの秘密の場所! ミカには特別に教えてやるからな!」
「ウフフ、それは楽しみですね」
「はぁー、これはこれは、凄いですね……」
目の前には大きな木。そして、その根元には大きな穴が開いていた。
映画館の帰り、まず揚羽に連れられてきた場所、それは神社だった。
そこが目的地なのかと思ったが、神社の裏を突き進んで行く揚羽を見て、如何やら違うらしいという事が分かった。
神社の裏は林になっていて、道無き道を突き進んで行く。
そんな道を歩くには不向きな格好のミカであったが、持ち前の運動神経でそれをカバーしている。
そうして辿り着いた場所に、その大きな木は存在していたのだった。
「ミカ! こっちこっち!」
揚羽がその木の穴の前で手招きする。
近付けば、その穴の所には扉があった。
「な、何故に扉!?」
よく見ればコンクリートの壁も見える。
如何やら、コンクリートで出来た建造物を包むようにして、この木は立っているようだった。
中に入ると、結構広く、何処からか明かりが入るのか暗いと言うほどでもない。
揚羽はそこら辺を漁ると、電池式のライトを取り出しスイッチを入れる。パッと明るくなると中の様子が先程よりも良く分かった。
何やら、床には布が敷いてあり、そのまま座る事が出来る。周りにはごちゃごちゃと物が置かれ、手を伸ばせば届く範囲に全て置かれていた。
「なるほど、これはこれで機能的という訳ですか」
それに、何処から拾ってきたのか、家具なども充実していた。
机に箪笥に本棚。これは立派な人の住める部屋である。
「あ、あった! これこれ! ミカ、オレの宝物、見てもいいぞ!」
そう言って、揚羽は缶を取り出す。蓋を開けると、中身を取り出した。
その中身とは、音羽が予想したとおり、昆虫の死骸やら蛇の脱皮した皮が入っていた。
しかしミカは、別段驚いた様子も、気味悪がったりする様子もなく、それをしげしげと見つめている。
「ほぅ、よく集めましたねぇ、凄いです揚羽君」
褒められて、得意げな揚羽。
「これは玉虫って言うんだぜ! すっげー綺麗だろ!」
「はい、七色に光って綺麗ですね。それで古代の人は、これをアクセサリーとしていたようですよ」
「へぇ、そうなのか!?」
「はい、それに外国には、この玉虫のように輝くクワガタがいますよ」
「ホントか、ミカ見た事あんのか!?」
「はい、一度見た事がありますね」
「うおー、すっげー! いーなー!」
それからミカは、蛇の皮を手に取ると、
「私はこれよりも大きな蛇の皮を見た事があります」
「ええ! どれくらい大きいんだ!?」
「そうですね、2メートル位でしょうか? ニシキヘビを知っていますか? あれを飼っている人の家で見ました。母の知り合いで、サムソンさんという人のペットの蛇です。名前は確か、ベティーちゃん」
「へぇ、すげーなミカ!」
「いいえ、全然凄くないですよ。私はそれを人から見せてもらっただけですし、揚羽君はこの宝物を全部一人で集めたんでしょう? だから、揚羽君の方が、全然凄いですよ」
「エヘヘ、そうかな……」
「そうですよ」
それから、二人で、本棚に置かれている漫画を読んだ。
ミカが読み終わって、その漫画の裏を見ると、そこにはマジックペンで、『くれは』と書かれている。
「え? 呉羽君の名前?」
すると揚羽は、少し言いづらそうに時折、ミカをチラチラと見ながら告げる。
「あのさ、実はここ、兄ちゃんから教えてもらった場所なんだ。兄ちゃんはこの場所は卒業したから、オレの好きに使っていいって言われて……。オレの物も本当は、この缶の中だけだし……」
「じゃあ、ここにあるものって、元々は全部呉羽君が集めた物なんですか?」
「……うん」
ミカは改めて部屋の中を見回す。
なんだか、当時の呉羽を垣間見ているようだった。
そして、本棚の中にアルバムを見つけた。
「あ、それ、兄ちゃんの写真が入ってるぞ。オレがまだ生まれる前のだ」
「うわぁ、そうなんですか? 見てもいいですか?」
「うん、オレのじゃないし、ミカなら見てもいいと思うぞ」
そうして中を開くと、小さな呉羽がそこにいた。
「うわぁ、うわぁ、ちっちゃいです! 呉羽君、可愛い! あ、何かやっぱり、揚羽君と似てますね?」
「そうかな? オレはよく分かんない」
「あれ? この男の人は……」
「それ、父ちゃんだ。オレは全然覚えてない」
「そうなんですか……あ、でも目元は呉羽君と似てますね。呉羽君が大人になったらこんな感じになるんでしょうか」
ミカはそうやって、暫くアルバムを見ていた。自分の知らない呉羽に出会えたようで、とても嬉しかった。
最後のページを閉じ、ふと揚羽を見ると、彼はミカに寄りかかりながら眠りこけていた。
「ありゃりゃ、何か静かだと思ったら、寝ていましたか。今日はあんなにはしゃいでましたもんね、そりゃあ疲れるよね?」
ミカはそっと揚羽の体をずらすと、自分の膝にその頭を置いてやる。
「ウフフ、かーわいー♪ 思わずギュッと抱き締めてチューしたくなりますねぇ」
「おいおい、それはオレだけじゃなかったのかよ」
突然聞こえてきた声に、ミカは吃驚して顔を上げた。入り口の所に、今一番会いたい人物が立っている。
彼は中に入ってくると、辺りを懐かしそうに見回した。
「変わんねーなぁ、ここ」
「呉羽君?」
ポカンとしているミカに、呉羽はクスリと笑った。
「何だよ、夢でも見てるような顔して? ちゃんと現実だって、ほら」
呉羽はミカの傍らに膝をつくと、手を伸ばして頬に手を置く。
ミカも手を伸ばし、確かめるように、呉羽の顔に触れる。
「呉羽君?」
「ん?」
「何でここにいるんですか?」
「だって、揚羽の予定表見てたし。元々ここはオレが見つけた場所だったしな」
「バイトは……?」
「あー、それなら今は準備中だから何とか……つーか昨日のミカの言葉で、バイトに集中できねーって」
「昨日の……あっ」
ミカは思い出して、恥ずかしそうに顔を染める。
「ミカ、昨日言ったよな、確かオレが欲しいって……」
「あうっ、ごめんなさい、私の一方的な願いです。呉羽君、バイト頑張ってるのに、そんな我侭――」
ミカは言葉をとぎらせる。呉羽に抱き締められた為だ。
「バーカ、一方的じゃねーし、我侭でもねーよ。オレだって、ミカが欲しい……」
「……なんか、呉羽君が言うとエッチィです……」
呉羽は一度吃驚したようにミカを見ると、少し意地悪に笑う。
「別に、そう取ってもらっても、かまわねーよ?」
「えぇ!?」
戸惑うミカに、呉羽はクスクスと笑うと、ミカの手を握った。
「オレだって、ずっとミカの声聞きたかったし、こうして手を握りたかった。こうして、抱き締めたかったし、キスだって……」
「あ……」
呉羽はミカの唇に口付けをした。
最初は触れるだけの優しいものだったが、徐々に深くしていゆく。
その時、ミカの膝で眠る揚羽が、「ううーん」と身動きをした。
ビクッと体を震わすミカだったが、呉羽はキスを止める様子はない。
「んっ、待って、んむっ……揚羽君が……」
「大丈夫、こいつ一度寝ると全然起きねーんだ。だからもう少し……」
そうして、今まで出来なかった分を補うように、深く長く二人は口付けを交わしたのだった。
「あれ? 道はこっちじゃないんですか?」
秘密の部屋から出て、帰ろうと歩き出す呉羽にミカは声をかけた。
揚羽を負ぶった呉羽は、その質問に笑って答える。
「本当は、もっと楽な道があるんだよ。揚羽には内緒にしてあるんだ。いつか自分で見つけた方が、楽しめんだろ?」
それを聞いて、ミカもまた笑う。
「やっぱり呉羽君は凄いですね。揚羽君がお兄ちゃん子になる訳ですね!」
「は? 何それ」
「ウフフ、実は今日、大空会長にプールで会いまして」
「はぁ!? プールで? 会長に!? んで、水着姿見られたのか!?」
「え? プールですから、水着は当たり前ですよ?」
「だぁ! オレもまだ見てねーのに!」
「ああ、それなら普通のスポーツ水着ですよ? えと、新しく買った水着は、呉羽君に一番最初に見てもらいたいので……」
「………」
ミカに背を向け、近くの木に寄りかかる呉羽。
彼の心は今、嬉しさと喜びに満ちている。
「あの、それでですね、大空会長が、呉羽君なんか止めて自分と付き合って欲しいと言ってきたんです」
「はぁ!? んな事言ってきやがったのか、あの野郎」
「はい、その時ですね、揚羽君が“ミカはオレの兄ちゃんの彼女だ”って言ったんですよ」
「……揚羽が?」
「はい。それと、“お前なんか兄ちゃんに敵わないんだからな”とも言っていました。呉羽君の事が大好きなんですね、揚羽君」
「………」
呉羽は黙って、肩越しに揚羽を振り返る。その口元は、嬉しそうに笑みの形をとっていた。
呉羽の言ったとおり、帰りは凄く楽で、直ぐに大通りの道に出た。
呉羽はミカをチラリと見ながら声をかける。
「なぁ、ミカ」
「何ですか?」
「明日、オレの欲しいもん買いに行くんだけど、一緒に行くか?」
ミカは呉羽を見る。
「バイトが終わるんですか?」
「ああ、今夜働けば、予定の金額になっからな。あいつ……オレの親父、なんだか多めにバイト代払ってくれたみたいでさ……。誕生日までまだ早いけど、それでもいいんなら一緒に買いに行こうか?」
ミカはパァッと顔を輝かせると、「はい!」と返事をした。
「夏休み、いっぱいデートしような」
「はい! あ、呉羽君は夏休みの宿題終わりました?」
「うっ! ……嫌な事思い出させんなよ……」
「ウフフ……やっぱり。私は既に終わらせてしまっているので、良ければ見せましょうか?」
「マジでか!?」
「はい、本当は駄目ですけど、呉羽君が私の為に頑張ってくれたんで、特別ですよ」
次の日、目覚めた揚羽はバッと飛び起き、ばたばたと慌しくリビングにやってきた。
「あら、揚羽? こんなに早く起きるなんて珍しい」
「ミカは!?」
「はい?」
「ミカは何処だ!?」
「ミカちゃんなら、昨日寝ているあんたを家まで送って、そのまま帰っちゃったわよ? あんた、全然起きないんだもの」
呉羽の事は伏せておく事にする音羽。
言えば、何かしら文句を言うに違いない。
「ええー、一緒に風呂に入ろうと思ってたのに! ミカの晩メシ食いたかった!」
「そんな事言ってもねぇ、全部昨日の事だし」
「えー、そんなー」
「あ、そうそう、ミカちゃんから手紙預かってたんだわ」
「何? 本当か?」
音羽はピンク色の封筒を差し出す。揚羽はそれを受け取ると、すぐさま中身を取り出した。
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揚羽君へ
今日の一日デートはとても楽しかったです。
しかしながら、私の好きな人はやっぱり、揚羽君のお兄さんの呉羽君です。
なので、揚羽君の恋人にはなれません。ごめんなさい。
いつか揚羽君にも、私の様に、他の誰でもないその人だけ。
そういう人が現れる事を祈っています。
では、私の事を好きになってくれて、ありがとう御座いました。
揚羽君の気持ち、嬉しかったです。
一ノ瀬ミカ
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揚羽はその手紙を読むと、その目にジワッと涙を浮かべた。
何だか、物凄く胸が苦しかった。
「うわーん、ミカー! オレ、ミカじゃなきゃやだよぅ!」
揚羽、本当の恋を知り、そして叶わぬ恋も知った夏であった。