夏休み特別編1
それは、夏休みに入る少し前の事。
お昼休み、中庭でお弁当を広げている最中(その日、正じぃはお出かけしていていません)、私はウキウキ気分で呉羽君にこう言いました。
「あ、そうだ呉羽君。今日はバイトの無い日なので、放課後は一緒に帰りましょうね」
すると呉羽君は、凄く申し訳無さそうにこう言ったんです。
「あー、ごめん。あのなミカ、実は今日からバイトでさ……一緒には帰れないわ」
「えぇ!? そんな……今日からって、いつまでですか……?」
「んー、そうだな……欲しいもんが手に入るまで、かな……」
ポリポリと頬を掻きながら、私の顔を窺う呉羽君。
そこで私はピンと来た。
「あー! もしかしてアレですか!? 武士ギャラクシーが発売する、スペシャルDVD BOX! 今までの曲に合わせて、この前のオヤジ達ザ・ムービーの特別PVも入っていて、初回限定版にはメンバーのフィギュアも付いてくるというアレですね!?」
「う!? いや、その……」
「それって、結構なお値段の物じゃないですか! という事は、当分バイト漬けって事ですよね、呉羽君ってば……」
「グッ……」
「もう直ぐ夏休みですよ……」
「……そうだな……」
「もしかして、夏休みの間もずっとバイトですか?」
「………」
私から目を逸らし、押し黙る呉羽君。
……それは肯定という事ですか……。
私は、カチャンとお弁当と共に、箸を置き俯いた。
「えと……ミカ?」
呉羽君が俯く私に、恐る恐る声を掛ける。
私は顔を上げると、プクッと頬を膨らませた。
「恋人同士になって、初めての夏休みなのに……」
呉羽君は顔を上げた私を見て、一瞬ホッとした顔をすると、シートの上で正座をし、頭を下げてきた。
「ご、ごめん……」
「夏の定番デートスポット、日向君にいっぱい教えてもらったのに……」
「うっ、そっか……」
「海とかプールとか楽しみにしてたのに……」
「……うみ、プール……」
呉羽君が膝の上で、ギリッと拳を握り締める。
「……水着、可愛いの買ったのに……」
「み、水着!?」
ハッと目を見張り、私を見てくる呉羽君。
「……呉羽君に見てもらいたかったな……」
ポソッと言った私の言葉に、呉羽君は「グハッ」と胸を押さえる。
そして私の心は今、完全に打ちひしがれていた。
そんな……呉羽君……。恋人の私よりも、父を選ぶんですね……?
あの、エロエロでアホアホな父を……。
私は、カチャカチャと自分のお弁当を片付け始める。
「ミ、ミカ? 何片付けてんだ?」
「……そんなに父のDVDが欲しいんですね……そうですよね、ファンですもんね……分かりました……」
お弁当を片付けると、私は立ち上がり靴を履いた。
「どうぞ、呉羽君はゆっくり食べてて下さい。私は……暫く一人にさせて下さい……」
「え!? おい、ミカ!?」
私はムリヤリ笑顔を作ると、
「バイト頑張ってくださいね。でも、あんまり無茶しちゃ駄目ですよ。欲しいもの手に入るといいですね」
そこまで一気に言うと、私はダッと駆け出す。
「うおぃ!! 待て、ミカ! 違うんだって――」
そんな彼の声が聞こえたが、私はそれを無視して、その場を走り去るのだった。
「あらー? あなたは確か……一ノ瀬さん、だったかしらー?」
そうして私が駆け込んだ場所、それは保健室であった。
和子先生は何故か、とても豪華なランチをとっていた。それも、よく乙女ちゃんが食べているような豪華ランチを……。
私がそれを、ジーと見ている事に気付いた和子先生は、
「ああ、これはね? 薔薇屋敷さんが、どうぞって。いつもお話を聞いてくれるお礼ですって。
ウフフ、ほんと薔薇屋敷さんって素直ないい子よねー」
頬っぺたに手を置きながら、ホクホク顔で言う保険医、和子先生。
その雰囲気はやはり、ほのぼのオットリな、くまのプーさんの様であったが、何故か今のセリフに裏を感じてしまう私であった。
それから私は、今あった出来事をと言うか、愚痴を言い始めるのであったが、和子先生は時々、相槌を打ちながら話を聞いてくれた。
「まぁ、そんな事があったの……。それにしても、彼女の事を放っておいて、自分の欲しい物に走るなんて、酷い彼氏よねぇ」
「そんなっ、呉羽君は酷い彼氏なんかじゃないですよ!」
面と向かって呉羽君の悪口を言われると、思わずムッとしてしまう私。
あうっ、折角話を聞いてくれているのに、腹を立ててしまうなんて……。
しかし和子先生は、気を悪くする様子も無く、寧ろクスリと笑ってきた。
「あらあら、よっぽど好きなのね、その彼氏の事……。じゃあこうしたら? あなたがその彼氏よりも先に、そのDVDをGETするっていうのは?」
「はい?」
「ウフフ、彼氏にはその事を内緒にして、彼氏の欲しいものをいち早く手に入れるの。そして、彼氏にそれを見せびらかしてやるのよ」
「み、見せびらかす……ですか?」
「うーん、まぁそこは、プレゼントでもいい訳だけど……彼氏を悔しがらせるか喜ばせるかは、あなた次第って事かしらね? それで浮いたバイト代で、デートにいっぱい連れて行ってもらえばいいんじゃない?」
私は和子先生のその話に、ホロッと目から鱗が落ちた気持ちになった。
そ、それだったら、呉羽君も喜んでくれるし、バイトする期間も減って、その分夏休みいっぱい会えます!
「わっかりました和子先生! 私、何としても呉羽君よりも先に、スペシャルDVD BOXを手に入れてみせます! そしてそして、余った期間で、呉羽君とラブラブ夏デートをするんです!!」
ガタンと立ち上がり、グッと拳を握って宣言をする。
「あらあらー? でも、ちゃんと夏休みの宿題は忘れずにね?」
「そんなもの! 最初の一日で終わらせる自信があります!」
「それは凄い自信ねぇ……でも、彼氏の方は如何かしら?」
「そんなもの! 最終日に溜まりに溜まった宿題に、てんてこ舞いになってる呉羽君のお手伝いをする覚悟は出来ていますとも!」
「まぁまぁ、宿題は計画的にが基本よ?」
ちょっと困ったように笑う和子先生。
でもまぁ、呉羽君は結構真面目な所もあるので、そこは心配いらないかもですね。
うん、と頷き、私はお昼休みも終わりに近い為、教室に戻る事にする。
すると和子先生は、最後に一言。
「夏休みが終わったら、ちゃんと先生に報告してね? もし成功したら、そうねぇ……先生、和菓子も結構いける口よ?」
「分かりました、和子先生! バッチリ結果報告します! そして、正じぃにも好評だった、大福と蒸し饅頭を作ってきます!」
「ウフフー、それは楽しみねぇ……あ、大福は苺大福が好きよ」
ちゃっかりな和子先生。
ホゥッと溜息をつき、その和菓子に思いを馳せている様だった。
その姿はやはり、ハチミツに思いを馳せる、あの黄色いくまさんの様でありました。
……ハチミツを使った和菓子ってあったかな……?
思わず、そう考えてしまう私なのであった。
その後、教室に戻った私。
呉羽君は既にそこに居り、私に気付くと直ぐに駆け寄ってきて、声を掛けてきた。
「ミカ、バイトの事、本当にごめんな? でも――」
「呉羽君、勝負ですよ!」
「は!?」
いきなり戦いを挑んできた私に、ポカンとする呉羽君。
おっと、イカンイカン……呉羽君には内緒なのです!
「勝負って……何がだ?」
「フフフ、それは秘密です! どうぞ呉羽君は頑張ってバイトして下さい! 私も頑張りますとも!」
メラメラと闘志を燃やす私。
おしっ! 呉羽君より先に、絶対武士ギャラクシーのスペシャルDVD BOX手に入れてやるんだもん!
「ねー、如月君。一ノ瀬さんは一体如何したの?」
「……いや、それがさっぱり……」
「んまぁ、お姉さまったら、やる気満々ですわね!」
「しかし、ミカお嬢様は一体、何をやる気になっているのでしょうか?」
呉羽君だけでなく、日向君や乙女ちゃん、吏緒お兄ちゃんも、私の只ならぬ様子に、困惑し戸惑った顔を見せるのだった。
「実は父に、折り入ってお願いしたい事が!」
「おう、何だミカたん? パパにお願い事なんて、物凄く珍しいな! っつーか、そんな事今まで一度だって無かったな!」
家に帰った私は、早速父におねだりを試みてみる事に。
晃さんにお願いする事も考えたのだが、そこはあえての父で……。
呉羽君が父を選んだという、精神的ショックを引きずりながらの屈辱的な父へのおねだり。
これは試練です! 前に進む為の精神的修行です!
私は父に、武士ギャラクシーのスペシャルDVD BOXのおねだりを開始したのであります。
「なに!? ミカたん、オレ等のバンドのDVDが欲しいだって!? そんな! 今まで一度たりとも、オレ等のバンドの事でおねだりなんてしてこなかった、あのミカたんがっ!?」
父は感動に咽び泣いている。
すると隣で聞いてい晃さんが、苦笑しながら私に尋ねてきた。
「もしかして、ミカの彼氏の呉羽君にプレゼントとか?」
おおぅっ! 流石は晃さんです。何でもお見通しという事ですか……。
「実は、呉羽君がバイトを始めたみたいなんです。恐らく、そのスペシャルDVD目当てだと思うんですが……」
「……恐らくって……はっきりしたバイトの目的は分からないのかい?」
「え? だって、呉羽君は欲しい物があるって……夏休みも返上して手に入れる物なんて、それくらいしか思い浮かばないし……」
「ほほぅ、それで会えないから、ミカたんは純情少年の欲しい物をさっさと手に入れて、早く会えるようにしたいと。そういう訳なんだな?」
な、なんですって!? 父が私の考えを当てるなんてっ! そんなっ、ただのエロエロ大魔神だと思っていたのに……。
ガーンとショックを受けていると、晃さんが少し考えるように聞いてきた。
「でも結局は、彼がバイトを始めた本当の理由は分からない訳だな?」
「へ? 本当の理由って?」
すると父がポンと手を打つと、何かに気付いたようにニヤッと笑った。
「はっはーん、純情少年はもしや、アレを狙っているな?」
父の言葉に、晃さんも頷く。
「ああ、そうだな。来月はあの日がある……。多分彼は、ソレを狙ってくるだろうな……」
「やるな、純情少年!」
「えぇー!? アレ? ソレ? 何なんですか、一体!?」
私は父と晃さんを交互に見ながら、ムムゥと唸った。
しかし二人は、意味ありげに笑うばかり。
そして父が、ニッコリと笑って、私に頷いてきた。
「おっし、わかった! ミカたんの頼み、スペシャルDVD BOXを何とかしようじゃないか!」
「え? 何か今、それとは違うような雰囲気じゃなかったですか!?」
「はっはっはっ! ソレはソレ、コレはコレだ! そこでだ、ミカたん。そのDVDだけどな、ただでは手に入らないぞ!!」
父がビシッと指を突きつけてくる。
晃さんがその隣で、何だか気の毒そうに私を見ていた。
「うぅっ、お、お金なら今、姉の店のバイトで結構溜まって――」
「ちっがーう! お金の問題ではなーい! これはパパの気持ちの問題だー!」
「ち、父の気持ちの問題……?」
非常に嫌な予感がします!
私は、ある程度の心の準備をした。
「そうだぞ、ミカたん! 第一、オレはかなりのお金持ちだ! よって、お金の問題では断じて無いのだ! そしてオレの気持ちに答える事、それは今日から来月最初の一週間まで、ミカたんにはパパの言う事を聞いてもらう!」
………チーン。
ギャー、やっぱりー!?
しかも父は、更にとんでもない要求をしてきやがった。
「ミカたんにはその間、メイドさんの格好をしてもらう! しかも、猫耳&尻尾付きだーー!!」
「ギャー! いーやー!」
ピラッと目の前に広げて見せられた衣装に、私は心からの悲鳴を上げるのだった。
「お、おい……ミカ? 何か、やつれてないか?」
朝、待ち合わせ場所にやって来た私を見て、呉羽君はギョッとした顔を見せた。
私はそんな呉羽君に、フラフラとしながらもニッコリと笑って見せる。
「だ、大丈夫れすよー。これは試練。試練なんれす……」
あの後、早速メイド服を着せられ、猫耳尻尾も付けられた。
『ミカたんはこれより、パパの事を“ご主人様”と呼ぶのだ!』
『……大和、そういう悪ふざけは、大概にしとけ……』
『い、いえ、晃さん。これは試練なんです。精神的に成長する為の第一歩なんです……』
『あー、駄目だぞ、ミカたん! 語尾にはちゃんと“ニャン”と付けなくちゃ!』
『………』
『ミ、ミカ、何だったら、俺が手に入れてやるぞDVD……』
『……も、申し訳ありませんですニャン! ご主人様!』
そんな会話をする中、私は半ばやけくそになって叫ぶのだった。
父は非常に満足げに笑っており、思わずその顔を引っかいてやりたくなりました。
その直ぐ後、姉も帰って来て、更に大騒ぎになり散々写真を撮りまくられ、最後の頃には私はされるがままとなっていたのであります。
「試練って……一体何があったんだよ?」
「フフフ……それは秘密れすよ、呉羽君……」
不適に笑う私の目の前に、ふと大学生のカップルが映った。
ハァッ、あ、あれはっ! 恋人繋ぎよりも上級ではないですかな!?
私は隣の呉羽君の袖をクイクイと引っ張り、前にいるカップルを指差した。
「呉羽君……アレやっちゃ駄目ですか?」
「へ? アレって……んがっ!」
呉羽君は口を開け、顔を真っ赤にした。
そして、私をチラッと見て、
「……やりたいのか、アレ……」
「はい! だって、あの方がいっぱいくっつけます!」
「いっぱいくっ付けるって……」
呉羽君はハァッと溜息をつくと、
「頑張れ、オレ……」
何て呟きながら、私に肘を突き出してきた。
大学生カップルがしていた事、それは腕を組んで歩く事。
私は嬉々として、そこに腕を絡めた。
キューッと力いっぱい抱き締めると、何か呉羽君がビクンと一瞬震えて、何かに耐えるように「うぅっ」と呻いた。
「……? 呉羽君?」
「クッ……ミカって……着痩せするタイプだよな……」
「はい?」
ボソリと呟く呉羽君に、私は首を傾げるばかりであった。
エヘヘ、でも何だか元気が貰えました。
もっともっと欲しいなー……。
「呉羽君……」
「……なんだ?」
「えっとね? 後でチューもして下さい……」
「……うえぇ!?」
呉羽君は口をパクパクとして、私を見下ろした。
そんな彼に、私はグッと拳を握り訴える。
「そしたら、もっと頑張れると思うんです!」
「が、頑張るって……いや、寧ろそれはオレの方だろ……?」
ハッ!! それって呉羽君も元気が欲しいって事ですか!?
そうですよね、呉羽君もバイトを頑張っていますもんね!
ではでは、もっとくっ付かなくては! 呉羽君にも、私の元気を送るんです!
そんな事を思いながら、私は呉羽君にぺとーっと擦り寄った。更にギュギューっと、思いを込めて腕に力を込めると、呉羽君がピタリと歩みを止める。
はれ? 元気いかなかったのかな?
しかし呉羽君は、ニッコリと笑って私を見下ろしてくる。
そして、覗き込むように顔を近づけてくると、耳元に唇を寄せ囁いてきた。
「ミカがそこまで言うのなら、今日は思う存分キスしてやるよ……。休み時間になる度に、たっぷりしてやるから覚悟しとけよ?」
ムホッ!? こ、これは、俺様呉羽君に元気を送ってしまいましたかー!?
「そ、そんなには結構ですニャン!」
思わずそう叫んでいた私なのであった。