番外編:念願の……【後編】
『キャー、紅小鳥ですわ! 本物ですわー!』
声を潜めながらも、黄色い声援を送る乙女。
喫茶店のセットの中、エキストラとして紛れ込んだ真澄と乙女であったが、そこに念願の紅小鳥が現れ、今にも卒倒しそうなほど、乙女は興奮してしまう。
因みに、二人のエキストラとしての役どころは、カップルという事になっている。それにはお互い、微妙な顔をしていたが、目の前に現れた紅小鳥の存在によって、そんなものは吹き飛んでしまう。
紅小鳥は、胸の大きく開いたシャツに、スカートはタイトながらも、左側に大きくスリットの入ったものを穿いている。それが歩く度に、その太ももを露わとさせ、この場にいる男性陣は皆、その様子に釘付けとなってしまう。
真澄も、そのただ立っているだけで、そこはかとなく漂ってくる色香に、思わずゴクリと唾を呑んでしまう。
やはり、妖艶な女性を演じさせたら、右に出るものはいないと言われるだけはあると、真澄は思うのだった。
『ああん、やっぱり素敵ですわ。さすがお姉さまのお母様……』
ほぅっと溜息をつく乙女。
「スナイパー渋沢、入りまーす」
そんな、スタッフの声と共に、その人物は現れる。
「杜若!?」
「杜若さん!?」
乙女と真澄は、その人物を見て、同時に戸惑いの声を上げてしまう。
黒い髪をオールバックにし、黒い口ひげに黒いサングラス。黒いスーツを着込むこの男性は、以前の杜若そのものであった。
「あ、そうでしたわ。杜若は元々、この物語の主人公を真似していたんですものね……」
乙女は呟く。
真澄もまた、乙女の言葉に、納得すると頷いてみせた。
「そっか、杜若さんのあのカッコって、この物語の登場人物だったんだね」
如何やらこのシーンは、スナイパー渋沢とバタフライるみ子が対峙するシーンらしい。
セットのテーブルに座り、ワクワクと事を見守る乙女と真澄。
そして、二人の俳優がこのテーブルの脇を通った時、スナイパー渋沢がピタリと止まり、そのサングラス越しに二人を凝視した、
「お嬢様!?」
その言葉と声に、瞬きをする乙女と真澄。二人はまた、同時に声を上げる。
「あなた杜若ですの!?」
「本物の杜若さん!?」
――遡る事一時間前。
美香達は、乙女と真澄が居ない事を気にしつつも、大和に連れられ、隣のスタジオ(小鳥のいるスタジオ)に来ていた。
「全く、二人は一体何処に行ってしまったんでしょうか?」
「別に子供じゃねーんだし、大丈夫だろ?」
「いざとなれば、GPSがありますので、ご安心下さい。ミカお嬢様」
「二人して、どっかでイチャイチャしてんじゃねーか?」
大和がニヤニヤして言ったのを、他三人は直ぐに否定する。
「いえ、あの乙女ちゃんに限ってそんな事はありえません!」
「ああ、ありえねーな。だって薔薇屋敷、犬の骨とまで言ってたぞ、日向の事……」
「もしそのような事になったとあらば、私は直ちに日向真澄を排除しなくてはっ!」
「うおぅ……何もそこまで否定しなくても……」
三人の剣幕に、少々怯える大和であった。
それから大和は、すれ違う撮影のスタッフらしき人を捕まえ、小鳥の居場所を聞き出す。
すると、三人を振り返り、二カッと笑った。
「これからコトちゃん、撮影に入るってさ」
そうして、大和に促され、後を付いて行くミカ達三人であったが、その途中、人が集っているのに出くわした。何やら、深刻そうである。
気になり、大和が如何したのか尋ねた所、何でもスナイパー渋沢をやる俳優が、急に来れなくなってしまったらしい。
それで、これから始まる撮影を如何するか決めているようだった。
「う〜ん、困った。小鳥さんもここの所忙しくて、スケジュールが空くのは今日だって言うし」
「今日を逃したら、今度いつできるんですか!?」
「恐らく、来月まで先延ばしになってしまうんじゃないかと……」
「代役と言っても、あの俳優と同じような体格の人間がいないしな……」
「そうですよね、背が高くて見た目がスマートで、それでいてアクションもきっちりこなせるような人間なんて、今ここにいないですもんね……」
そんな話を聞いて、ミカ達は顔を見合わせる。
そして、皆で杜若を見た。
杜若もまた、ミカ達の意図に気付いたのか、ヒクッと顔を引きつらせる。
「おーい、ここにぴったりの奴がいるぞー」
大和が、スタッフ達に声をかけた。
「なっ!!」
全く止める間もない、杜若なのであった。
そして――。
「いやー、吃驚しちゃったよ。乙女ちゃんこんな所に居たんだね」
「日向もお前、何やってんだよ……」
「いや、吃驚したのはこっちだって。それに、、薔薇屋敷さんが勝手に出歩こうとするからさ、止めようとしたんだよね、これでも一応……」
「んまぁ、そうでしたの? でもこの私を止めるなどと、フッ、一億年早くってよ!」
『シー、声が大きい』
三人は乙女に向かい、口元に人差し指を立てる。それには乙女も、口に手を当て、肩を竦ませたのだった。
ミカ達は今、セット内の同じテーブルについている。
ミカと呉羽も、エキストラとして、参加させてもらったのだ。これは、大和と小鳥の口添えで決まった。役所としては、高校の友人同士、そのままである。
それから、適当におしゃべりをしててくれと言われた。けれど、決して大きい声は出さないようにとも言われたのだ。
そして、スナイパー渋沢に扮した杜若は所定の位置に着き、撮影は始まったのである。
**********
喫茶店にて、ホットコーヒーを飲むスナイパー渋沢。
しかしそこに、彼のターゲットである筈の、コードネーム『バタフライ』こと蝶野るみ子が姿を現したのである。
驚いてはいるが、決してそれを表には出さない渋沢。
しかしるみ子は、真っ直ぐに渋沢に向かって歩いてくる。
そして彼のテーブルにやってくると、
「相席いいかしら?」
そう尋ねてきた。
「どうぞ……」
動揺を押し隠しながら、コーヒーカップから口を離して渋沢は一言そう言った。
椅子をひいて、席に着くるみ子。
店員が注文を取りに来ると、るみ子はチラリと渋沢を見、そしてフッと微笑むと、
「じゃあ、私もコーヒーをいただこうかしら。彼と同じホットでね」
全く無反応な渋沢であるが、そのサングラスの下では、注意深くるみ子を見据えている。
「少々お待ち下さい」
店員は頭を下げ立ち去る。
るみ子はテーブルに肘をつき、頬杖を付くと、ハァーと悩ましげに溜息をついた。
「聞いてくれます? 最近私、ストーカーに付き纏われてるみたいで……。何だか、始終見張られてるみたいなんです。例えば、私の住んでるアパートから、数キロ離れたビルの屋上とか……」
一瞬だが、渋沢がピクリと顔の筋肉を動かた。
その時、
「お待たせいたしました」
店員が、るみ子の前にコーヒーを置く。
るみ子はそのコーヒーのカップの取っ手を摘むと、スプーンでその中の黒い液体をかき回し始めた。
「そのストーカー、黒が好きみたいで……そう、このコーヒーみたいに真っ黒……。私も、黒は嫌いじゃないわ、でも……」
そう言って、ミルク入れを取ると、コーヒーの中にその白い液体を注ぎこむと、白い筋が黒い液体の中を渦を描いて流れてゆく。
そして、るみ子はその筋をスプーンで崩すと、ゆっくりとかき回して黒い液体を薄茶色の液体にに染めあげた。
「そうね、これくらいが丁度いいかしら……」
るみ子はクスリと笑い、カップを持ち上げ、その中身を一口飲んだ。
「ん、おいし……」
にっこりと微笑みながら、るみ子は呟く。
「あなたも、黒が好きみたいね? 如何思う?」
「……コーヒーはブラックが一番だ……」
ボソリと低い声で答える渋沢。
「そう、残念ね……」
本当に残念そうにるみ子は呟くと、席を立ち、置かれた伝票を手に取った。
「お話、聞いてくれてありがとう。お礼にお勘定払っといてあげるわ」
そう言って、るみ子は颯爽と去る。
渋沢は、自分のカップを下に置くと、チラリと今し方、るみ子が飲んでいたカップを見る。
その中身はミルクと混ざり合い、渋沢にとって、コーヒーと呼べぬものが半分以上も残っている。
当たり前だろう、一口しか飲んでいないのだから。
そしてふと顔を上げ、周りを見渡すと、他にも空いた席は存在する事に気付く。
それから窓の外を見ると、店を出たるみ子が、ひらひらと此方に向かい、手を振っているのが見えた。
渋沢は右手で頭を押さえると、ハァーと深く溜息をついたのだった。
**********
「むっはぁ〜、まさか、このシーンが目の前で拝める日が来るなんて……」
「オ、オレ、興奮して、手が震えてる……」
「もう、素晴らしすぎますわ! 紅小鳥!」
「杜若さん、演技上手かったね。全然不自然じゃなかった」
喫茶店のシーンが終わり、ミカ達はそれぞれそんな感想を言い合っている。
そこに、スナイパー渋沢の格好をした杜若が現れた。
「如何でしたでしょうか? 変な所はありませんでしたか?」
心配そうに尋ねてくる。
「何言ってんですか、吏緒お兄ちゃん! バッチリに決まってるじゃないですか!」
「ああ、この短時間で、台本の内容を覚えるなんて……あんたはスゲーよ!」
「もう、杜若! あの紅小鳥と競演するなんて! しかも堂々と渡り合うなんて! わたくし、主人として鼻が高くってよ!」
「本当だよ。杜若さん、俳優としてもやってけるんじゃないの?」
杜若は、皆に褒められ、少々くすぐったそうにしながら、
「そうですか、良かった……」
ホッと溜息をついた。
「それにしても、久しぶりにその格好を見ました……はうっ、渋沢……やっぱり、カッコいいです……」
「ムッ……」
ミカのカッコいいという言葉に、直ぐに不機嫌になる呉羽。
それを見て、真澄は空かさずミカに耳打ちする。
『ああ、一ノ瀬さん、如月君不機嫌になってるよ』
『へ? 何でですか?』
『そんなの、一ノ瀬さんが杜若さんの事、カッコいいって言ったからだよ。ヤキモチだよ、ヤ、キ、モ、チ』
『へ!?』
ミカが呉羽の方を見ると、呉羽は不機嫌そうに頬杖をついている。そしてその視線の先には、杜若が居て、彼の事を睨んでいるようだった。
『ヤ、ヤキモチですか? はうっ、何だか嬉しいです……』
『はぁー、そうですか……でも、ちゃんとフォローしてあげなくちゃね』
『フォロー……可愛いと言ってあげればいいんですか?』
確かに今、ミカは彼に対して、呉羽萌え展開中である。今も、頭を撫でたくて、手をウズウズさせていた。
『えぇ!? そんなの駄目だよ。そんな事言ったら更に不機嫌になるから、ちゃんとカッコいいって言ってあげないと』
『そ、そうなんですか?』
「おい、お前ら二人で何コソコソしてるんだ?」
ムスッとして、呉羽がミカ達を見ている。
「え? いやね、一ノ瀬さんが、如月君の方がもっとカッコいいって言ってたよ」
「え!?」
呉羽が顔を赤くしてミカの事を見る。
ミカはもじもじとしながら、呉羽の事をチラッと見て、
「えと、呉羽君の方がカッコいいですよ……。今も、呉羽君扱いしたいです……」
「っ!!」
「え? 何? その呉羽君扱いって?」
真澄は不思議そうにミカと呉羽を交互に見るが、二人はお互い恥ずかしそうにしながら、テーブルの下で手をギュッと握り合うのが見えた。
「ぐはっ! 今凄い衝撃来た! ううっ、俺ってば、なに自分からこんな空気作っちゃってんだろ……」
フォローしなければ良かったと思う真澄であった。
「こんにちは。今日は見学に来てくれてありがとう……。貴方と貴女は初めて見るけど、ミカのお友達かしら?」
小鳥がミカ達の元にやってきて、にっこりと笑い挨拶をする。
途端に緊張する真澄と、頬を紅潮させる乙女。
「は、はい! 俺、日向真澄と言います!」
「わ、わたくしは、薔薇屋敷乙女ですわ!」
「そう、よろしくね?」
首を傾け、艶っぽく笑う小鳥に、真澄や乙女だけでなく、呉羽もまた、どこか緊張した面持ちで見入っている。
その様子にミカは訝しげに、
「どうしたんですか? 呉羽君……」
と尋ねていた。
「い、いや、今の紅小鳥と普段の紅小鳥と、全くの別人だからさ……」
「ああ、今は仕事モードの母ですからね。オーラゼロの母とは訳が違います」
そこへ大和がやってきて、小鳥の腰を引き寄せ、
「どーだ、オレの嫁さん! 羨ましいだろ?」
にカッと笑うのだが、小鳥は無言で、腰に置かれた手を抓る。
「あだっ!」
「ウフフ、大和さん? 仕事と私生活は、きちんと割り切りましょうね?」
抓られた手を擦りながら、大和は唇を尖らせる。
「仕事モードのコトちゃんは、つれねーな……」
その後、もうワンシーンあると小鳥は言う。
「次はどんなシーンなんですか? 吏緒お兄ちゃん」
ミカが杜若に尋ねると、代わりに小鳥が答えた。
「次はアクションもあるそうよ。あなた、代役を名乗り出たからには、本物以上を目指しなさい。本物じゃないからなんていう甘えは、一切許されないわよ?」
小鳥は杜若を真っ直ぐに見据えながら、そのような事を言う。
口調は穏やかだが、その眼差しと言葉の内容は、厳しいものだった。
杜若も、その言葉にハッとして、神妙な面持ちで頷く。
「はい、分かっております。私もやらせていただく以上、死力を尽くして取り組ませていただきます!」
「ウフフ、お手並み拝見させてもらおうかしら。後、さっきのあなたの演技、中々良かったわよ。素人とは思えないくらいね……」
小鳥はそう言うと、その場を去ってゆくのだった。
「ちょっと、聞きまして、皆さん!! 杜若が、あの紅小鳥にっ、お褒めの言葉をいただきましたわ!!」
「ああ、聞いてたって、だってオレ等の目の前で言ったんだぞ?」
「いやー、凄いね、杜若さん」
「流石です! 吏緒お兄ちゃん!」
興奮する彼らに、杜若は戸惑うように頬を掻くのだった。
そして、撮影は始まる――。
場所は、るみ子のアパートの近く。建設途中のビルの一角。るみ子は数人の男達に取り囲まれている。
そこへ、スナイパー渋沢が現れ、るみ子を助けるという場面だ。
**********
「あらあら、こんなにいっぺんにストーカーに付き纏われるなんて、私ってそんなに魅力があるのかしら?」
フフッと笑う、るみ子。不適なその笑みで、男達を見据える。
と、その時、
「ぐわっ!!」
男の一人が、呻き声を上げ、その場に倒れ伏す。
そこに立つのは、全身黒に身を包む男、スナイパー渋沢が立っていた。
「スナイパーさん?」
るみ子は驚き目を見開かせる。
「くっ!」
男達は、突然現れた黒尽くめの男に、戸惑いの色を隠せない。
「お前はスナイパー渋沢!? お前もるみ子を狙っていた筈じゃないのか!?」
しかし渋沢は、サングラスの下から、男達をねめつけると、不機嫌そうにこう言った。
「如何やら俺の依頼主は、一度に複数の依頼をしていたようだな。これは契約違反だ。それに、女一人に、多勢に無勢は俺は好かん」
そんな渋沢に、るみ子はクスリと笑うと、彼を艶っぽく見つめる。
「あら、そんな理由? てっきり、私が美人だから助けてくれたのかと思ったわ」
襲い掛かってくる男達を、次々に倒しながら、渋沢はるみ子を見ずにこう言った。
「自分で自分の事を美人だという女も、俺は好かん……」
「フフッ、それは残念だわ……」
るみ子もまた、その美しい足を晒しながら、男達を蹴り上げる。
そうして二人は、いつの間にやら背中合わせで立っていた。
その二人を取り囲む男達も、立っている者より、倒れている者達の方が多い。
「……殺さないのね?」
「仕事以外の殺しはしない主義だ……」
倒れ伏す男達は皆、完全に意識を絶たれているものの、誰一人として、致命傷を負った者も、ましてや、死んでいる物もいなかった。
「そういうあんたも、殺してはいないようだが……?」
「……私は、あなたに合わせただけだわ」
るみ子は、少し自嘲気味に笑う。
そして二人は、互いにチラリと目線を寄越すと、残りの男達を倒す為、前に飛び出すのだった。
「これから如何するの? 私を助けてしまったんですもの、スナイパーさん、あなたも狙われるんじゃないかしら?」
「……別に、いつもの事だ……」
その言葉に、るみ子は笑い出た。
「何だ?」
訝しげに眉を寄せる渋沢であったが、るみ子は愉快そうにしている。
「いつもの事って……スナイパーさん、もしかして、いつもこんな風にターゲットを助けてたりするの?」
渋沢がピクリと反応する。それは、肯定したも同然であった。
「スナイパーさん、あなたってば、この仕事向いてないわ。でも、嫌いじゃないわね、そういうの……」
笑い声交じりのその言葉に、渋沢はフンと鼻を鳴らす。
そして背中を向け、
「じゃあ、もう会う事もないだろう」
その場を立ち去ろうとする彼に、るみ子は「ありがとう」と声をかける。
「……別に、借りを返しただけだ」
「……? 借り?」
「コーヒーのだ……」
一瞬ポカンとするるみ子。
だが、次の瞬間には弾ける様に笑っていた。
「それじゃ私、おつりを払わなきゃいけないのかしら?」
「そんな物はいらん……」
またもやフンと鼻を鳴らすと、今度こそ渋沢は去って行ってしまう。
それを見送りながら、
「フフッ、振られちゃったわ」
清々しい笑顔で、そう言ったのだった。
**********
「カット!」という掛け声と共に、撮影は終了した。
それと共に、ミカ達は杜若の元に駆け寄る。
彼はフーと息を吐き出し、ミカ達を見た。
「ぬおぅ!! 感動した! 吏緒お兄ちゃん、すっごい感動しました、私! サイコーです!」
その目に涙を浮かべながら、パチパチと拍手するミカ。
「すっげーよ、杜若! オレも感動したぜ! 尊敬するよ、ったくよー!」
興奮したように、呉羽も杜若を褒めちぎる。よく見れば、彼の目も何処か赤い。
「んもぅ、杜若? 素晴らし過ぎですわ! 感動ものですわ! わたくし鼻が高いですわー!!」
興奮に、顔を真っ赤に染めて叫ぶ乙女。
「本当、凄すぎるよ。やっぱり俳優に向いてるんじゃない?」
すると、杜若は首を振り、サングラスを取ると、その青い瞳で皆を見据える。
「いいえ、私は執事です。それ以外になるつもりはありません」
杜若はそう言うと、にっこりと笑って見せたのだった。
そうして、月日は流れ、漸く映画が完成。その完成披露試写会に、ミカ達は呼ばれた。
役者達の舞台挨拶等があり、そしてとうとう上映が始まる。
夜明け前、ターゲットが眠りにつく間に、仕事をこなすスナイパー渋沢。
ビルの屋上から、アパートの一室に向かい銃口を向ける。
そして、仕事が終れば、痕跡は一切残さない。
それが凄腕のスナイパー、渋沢である。
そんなオープニングで始まった映画は、渋沢の日常や、戦闘シーン。
渋沢が、女子供に弱い一面等を曝け出しながら、例のバタフライるみ子との対峙シーンとなった。
固唾を呑んでそのシーンを見守るミカ達。
あの、喫茶店のシーンが始まり、その後、るみ子と共に男達と戦ったシーン。
杜若は、何の違和感無く、映画の中に溶け込んでいた。いや、寧ろ本物の渋沢を演じた俳優よりも、スナイパー渋沢となっていた。
そしてエンドロール。
杜若の名はのっていない。
のせようかとの声もあったのだが、杜若は断った。
何故なら、彼は執事である。飽くまで脇役。
『主役は、我が主人。自らは主役となってはいけない』
それが、杜若が執事として教わった事である。
そうして、全てが終り、会場には拍手の音が溢れた。
再び出てくる役者に、より一層拍手が大きくなる。
しかしながら、ミカ達は杜若に対して拍手を贈っていた。
杜若は照れたようにミカ達を見ると、胸に手を置き、控えめに礼をするのだった。
=おまけ=
「吏緒お兄ちゃん、ハグさせて下さい!」
試写会も終り、皆は今、会場の外に出ていた。
そんな中でミカは、杜若にそのような願いを言ったのだ。
「ミ、ミカお嬢様!?」
「もう、感動しすぎて涙ちょちょ切れました。お兄ちゃんが出演したシーンも、素晴らしかったです!」
「しかし――」
杜若はチラリと呉羽を見る。
彼は杜若を見ると、気まずそうに目線を逸らした。
「別にいーんじゃねーの。ミカがしたいっつーなら、オレだってミカの気持ちは分かるし……」
「だそうです! さぁお兄ちゃん、ハグさせて下さい!」
「んまぁ、お姉さまばっかりずるいですわ! わたくしもハグします!」
「え? お嬢様まで!?」
「なら二人でハグしましょう!」
「まぁ、いーですわね!」
顔を見合わせ、にっこりと笑い合ったミカと乙女は、戸惑う杜若の両脇から、力一杯抱きつく。
「お、お嬢様!?」
顔を赤く染め、慌てた声を出す杜若。
「この状況ってさ、男としては羨ましいものなんだけどさ、でも今は杜若さんよりも、彼に抱きつく一ノ瀬さん達を羨ましいと思うのは何故だろう……ねぇ俺も交じって――」
真澄は交じっていいかと言おうとしたのだが、ミカと乙女に冷たい視線を送られ、言葉をとぎらせる。
「じゃ、じゃあ握手で!」
すると杜若は一つ溜息をつき、仕方ないというようにその手を握る。
「うわっ、そんなに嫌そうに握手しなくても……」
「オ、オレも握手してもらってもいいか?」
真澄が握手しているのを見て、そわそわとする呉羽に、杜若は真澄の手を放すと、彼に向かって手を差し出す。
「どうぞ」という言葉に、ギュッとその手を握る呉羽。
「何で俺の時と如月君の時と態度が違うわけ?」
納得がいかず、呟く真澄に杜若は素っ気なく言った。
「呉羽様はミカお嬢様の彼氏であられます。それに、同じオヤジ達を愛する言わば同志です。違いますか、呉羽様?」
そう尋ねると、呉羽は一度瞬きをした後、ニッと笑って、
「ああ、そうだな、オレ達は同志だ!」
「おお、新たな友情ですか……」
「麗しき男の友情ですわね……」
杜若に抱きつきながら、その様子を見ていたミカと乙女は、そのように呟くのだった。
〜念願の……【前編・後編】終〜