第六話:乙女は蝶に魅せられる。
「おのれ! あの女、許せませんわ!」
薔薇屋敷乙女は、親密そうにする呉羽と、その隣のパッとしない女子を見て爪を噛んだ。
事は、数日前に遡る――。
乙女はいつもの様に、優雅に紅茶などを飲みながら、目の前に並ぶコレクションを、ホゥッと溜息を付いて眺める。
「嗚呼、なんて麗しいお姿……。神々しささえ感じますわ……」
乙女の目の前には、壁いっぱいに飾られた写真の数々。
そしてその中央には、巨大なスクリーンがあり、そこには写真に写っている人物の動いている姿が映し出されている。
そこに映っている人物とは、金髪に両サイドを赤に染めた、耳にいっぱいピアスを付けている男性。そしてその全てが、隠し撮りだったりする。
その時、乙女の後ろに立つ者が居た。
「ただいま戻りました、お嬢様」
「杜若、今日の収穫を」
そう言って、乙女はスクリーンに凝視したまま、手を差し出す。
杜若は、その手の上に束になった写真を置いた。
乙女はそれらを眺めながら、頬を染めて、目を輝かせている。
「キャー! 素敵、素敵ですわ、呉羽様! まぁ、今日は笑顔の物もありますのね? レア! レアですわよ!
………? 杜若? 何だか今日は、いつもより少ないですわね?」
すると、杜若は彼にしては珍しく、逡巡しているようだった。
「杜若? 私に隠し事なんて、許されると思ってますの?」
乙女がそう言うと、杜若は暫しの間を置き、懐から新たな写真の束を取り出すと、それを手渡す。
「まぁ、ちゃんとあるんじゃないですの。一体何をそんなに――」
その時、写真に目をやった乙女は固まってしまう。
そして、ワナワナと震える手で、写真を一枚一枚見ていった。
そこに写っていたものは――……。
呉羽と共に女が写っていた。それも、何処かパッとしない平々凡々な風貌の女子生徒。
それだけならまだしも、呉羽はその女と共に楽しそうに笑っている。
ハッとなって、先程のレアだと言った笑顔の写真を見る。その笑顔はまさに、この時の笑顔だった。
「なっ!? 何ですのぉ、これはっっ!!」
さらに許せないものを見つけてしまった。
女が呉羽に何か食べさせている。
そして、呉羽の食べかけのパンを女が口に頬張っていた。
「かっ、間接キスですわっ!! なんて汚らわしい!」
乙女はグシャリと写真を握り潰す。
「……杜若。明日は私も行きますわよ」
――次の日――
「――っ!! 呉羽様!? 何をしようとしていますの!?」
今乙女がいる場所は、呉羽のいる学校が一望できるビルの屋上。
杜若と共に、超高性能双眼鏡を覗き、観察していた乙女。
その彼女が見てしまったものとは――。
女が呉羽の肩に寄りかかっている。
それだけでも許せないのに、その後呉羽は――……。
メキッと、手に持つ双眼鏡から音がした。
「……杜若……」
「はい、お嬢様……」
「わたくし、あの学校に転入しますわ……」
「っ!! お嬢様!? しかし――」
乙女が無言で杜若を睨む。
すると、ハァと短く息を吐き出し、杜若は乙女に向かい礼をした。
「……畏まりました……今すぐ手配させます……」
そして杜若は、その場を後にする。
「おのれ、許せませんわ! あの女――……わたくしの呉羽様に……」
――転校初日――
その日、乙女はまたまた許せないものを見てしまった。
こっそりと呉羽を影から見つめていた乙女。
「あの女、またしてもわたくしの呉羽様にっ!! だ、抱きつくなど、なんて破廉恥なっ!!
ああっ、呉羽様!? 何ですの、その手は!? 何をしようと――」
ギリッと歯を食い縛り、力の限りにその女生徒を睨み付けるのだった。
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「ハァ、何で私の周りには、普通じゃない人がいっぱい居るんでしょうか……」
「……おい、それはオレも含まれてんのか?」
「え? ははっ、同志は別ですよぅ、例えそうだとしても……」
「って! そうだって事だろうがっ!」
私たちは、あの悪夢のようなホームルームの後、何事も無く(時折、薔薇屋敷乙女に睨まれ)授業を受け、お昼休みになり、こうして屋上でお弁当を食べている。
嗚呼、ここは平穏でいいですなぁ……。
私はエビフライを口に頬張りながら、ほのぼのとした空気に心を和ませた。
――ガチャガチャ、バタン!――
「呉羽様! そんな女のお弁当など、平凡が移りますわよ! さぁ、わたくしの用意して差し上げた、この三ツ星レストランのシェフのお手製、高級お弁当を召し上がれ!」
すると、彼女の後ろからスナイパー渋沢が、バスケットを持って現れる。そしてまたしても、ワラワラと黒子の人たちが現れ、テーブルなどを用意する。スナイパー渋沢は、そのテーブルの上に、バスケットの中身を次々に並べていった。
私と同志は、それをボーとした面持ちで、お弁当をつつきながら眺めていた。
「……同志、鍵を閉め忘れたんですか……?」
「……いや、ちゃんと閉めた……」
すると、それを聞き付けた薔薇屋敷乙女は、何やら細い棒を取り出すと言った。
「ピッキングは、女の嗜みですわ!」
そう言ってホホッと笑う。
いいえ、乙女さん! それ、犯罪ですからっ!
「さっ、呉羽様? いつまでもそんな泥臭いものを食べてないで、此方に座って下さいな。
な、何なら、わ、わ、わたくしが食べさせて差し上げても、よ、よろしくってよ!」
そう言うと、キャッと恥らう。
すると、スナイパー渋沢が此方に歩み寄り、同志を問答無用で立ち上がらせた。
「うお!? は、放せ!」
で、でかいなー……。
私は、甘口玉子焼きを口に頬張りながら、スナイパー渋沢を見て、そう思った。
190位あるんではなかろうか……。
ハッ、そういえばさっき、教室の出入り口の所で頭ぶつけそうになってた……。
「お、おい一ノ瀬。お前、何かもうちょっと、慌てるか何かしろよ……」
スナイパー渋沢に後ろから羽交い絞めにされた同志のその言葉に、私はハッと我に返った。
ハァッ!! そうだった! 我が同志、ピィーンチ!
あまりにも、現実離れした状況に、思わずテレビでも見ている感覚にっ!!
隊長! こう言う時はどうすればっ!!
ウム! こんな時こそ、オヤジ達に助けを要請するのだっ!!
イィエッサーー!!
「たすけてっ! スナイパー渋沢っ!!」
「……いえ、杜若です」
同志を羽交い絞めにする彼に、思わず叫んでいた私。
いっけねー! あんまり似てるもんだから、敵に助けを求めちまったぃ! テヘッ☆
「あら? それは、呉羽様の好きな本の登場人物ではなくって? なるほど……それで呉羽様に取り入ったんですのね? ホホッ、まぁそれくらいしか、貴女のような平々凡々の田舎娘が、呉羽様に近づくなんて出来ませんものね!」
そう言って、高笑いする薔薇屋敷乙女。
………? 同志の好きな本? そ、それはまさか、『オヤジ達の沈黙』の事でありますかぁ!?
「あ、貴女もその本を!?」
思わず聞くと、彼女は得意げにこう言ったのである。
「ええ、呉羽様の好きなもの、趣味、全て把握済みですわ! 呉羽様の好きな本も勿論、全て買占めましたの」
…………チーン。
何デスッテ? 買占メタデスッテ!?
同志が背後で、ハッと此方を見た気配がする。
「それは……それはっ……駅前の本屋の事かぁー!!」
私は心の底から叫び、彼女に詰め寄る。
薔薇屋敷乙女は私のその剣幕に驚いたのか、少したじろいでいた。
「え? ええ、ここら辺の本屋はあらかた……」
私は、ワナワナと震える手で、彼女の肩を掴む。
「んまっ!? ちょっと、汚らしい手で触らないで下さる!? あなたの様なブスに触られたくはありませんわっ!!」
その言葉を聞き、私の中で何かがブチッと切れた。
平凡と言われるのは良い、何より目指している事だから。でもブスとは言われたくはない、何故ならブスは普通とは違うから!
その時、私の中にあの女性の声がこだました。
『さぁ、私の出番かしら? 天国に連れて行ってあげるわ……』
わっかりました! るみ子さん! 私、蝶になります!!
「――……今、何て言ったのかしら? 子猫ちゃん?」
『………はっ!?』
一同の声がはもる中、私はゆっくりと髪を解き、そしてメガネを外す。
それを見て、目の前の薔薇屋敷乙女は、目を見開いていった。
「……一ノ瀬?」
背後で同志の声がする。でも私は、目の前の彼女から目を離さない。
そっと、その頬に手を添える。
ビクッと身体を強張らせる薔薇屋敷乙女。
「ねぇ、もう一度言ってくれないかしら? そう、私の目を見て……」
私は、彼女の目を真正面から捉える。
彼女の瞳が揺れている事が、見てとれた。
つぅーと彼女の顎に指を這わせる。
「あ……」
と、声を漏らし頬を染める薔薇屋敷乙女。心なしか、目も潤んできた。
「さぁ、言ってみて? 私が何?」
「あ……あぁ――……」
口を震わせる彼女の耳元に、唇を寄せ囁きかける。
「いい子にしてたら、天国に連れていって、あ・げ・る。」
そう言うと、フッと彼女の耳に息を吹きかけた。
「ああん!」
ガクッと膝を折る薔薇屋敷乙女。
うしっ、堕ちた! やりましたよ、るみ子さん!
「お嬢様!?」
スナイパー渋沢が同志を放し、慌てて彼女に駆け寄る。
薔薇屋敷乙女は、ポーとした顔で私を見つめていた。
「もう、おいたは駄目よ? 子猫ちゃん?」
私がニッコリと笑うと、薔薇屋敷乙女は更に頬を染め、「あの、お名前は……?」と聞くので、教えてあげると、胸の前で手を組み呟く。
「……はい、分りましたわ……一ノ瀬ミカお姉さま……ハゥッ」
カクッと気を失う薔薇屋敷乙女。
「お嬢様? お嬢様ー!」
スナイパー渋沢の叫びが、学校に響き渡る。
彼は薔薇屋敷乙女を抱えあげると、慌しく屋上を後にするのだった。
シーンと静まり返る屋上。
「お、おい、一ノ瀬……?」
恐る恐るというように、同志が背後から声を掛けてくる。
幸いな事に、彼にはメガネの下は見られていない。
私はスチャッとメガネをかけ直すと、解いた髪も縛り直す。
「……如何でした? 似てました?」
元通りになった私は、同志を振り返るとそう言った。
「は?」
「だから、さっきのですよ。バタフライるみ子に似てましたか?」
「え? あっ、あー……オヤジ達シリーズの……」
同志は納得したように頷いた。
説明しよう!
バタフライるみ子とは、数多くある『オヤジ達の沈黙シリーズ』の中で、唯一どの作品にも出てくる謎多き女性。
名前は蝶野るみ子。コードネームは『バタフライ』人は彼女をこう呼ぶ、バタフライるみ子と……。
その全身に纏う大人の色香で、全作品のオヤジ達は勿論、女、子供、動物までも虜にしてしまうセクシー女スパイなのであーる!
「それにしても、よくメガネを外したよな……あんなに嫌がってたのに……」
「あはっ、それは同志がピンチだったからじゃないですかぁ!」
「……それ、ウソだろう……」
「ギクッ! い、嫌ですよぅ、もう同志ったらぁ! 決してブス等と言われたからでは……」
「って、そうだって事だろうが……」
そして同志は、私を呆れた顔で見るのでありました……。
嗚呼、視線が痛い……と、私の視界にあるものが入ってきた。私はポンと手を叩く。
「ど、同志、どうせだから、彼女の用意したお弁当も頂いちゃいましょう! あのままにしとくのは勿体無いですよ!」
そう言って私は、用意された椅子に座ると、三ツ星レストランの味というものを堪能したのである。
「ん〜、デリシャスですね〜、頬っぺた落ちそうです」
すると、まだ何か言いたそうだった同志も、私が食べるのを見て、ごくりと唾を呑み込み、彼も席に着くと、目の前にあるローストビーフを口にする。
「っ!! 何だこれ、口ん中で蕩けたっ!」
「さすが三ツ星シェフ! いい仕事してますなぁ……」
私たちはこうして、豪華なランチを美味しく頂いたのだった。
自分で書いてて、何だ?バタフライるみ子って……と思っていました。意外な事に、オヤジ達の沈黙を読んでみたいと言って下さる方がいて、戸惑っていたりなんかします……。
乙女さん……彼女はそう、呉羽君のライバルとなります!




