第五話:乙女は薔薇と共に遣って来る。
「はい、ミカちゃん」
バイト終わりに、姉が私に封筒を差し出す。
ナンデスカ? コレハ……姉妹デ手紙トハ、笑エマセンヨ……。
「……? 何これ、手紙?」
「いやぁねー、妹に手紙なんて……私が結婚しない限り無いわよー」
「結婚と手紙、どういう関係があるのよ……」
「え? だから、長年のありがとうを込めて?」
「それふつー、親に書くもんでしょうが……」
「だって、ミカちゃんいつもお料理とか作ってくれるし、家事とか全部ミカちゃんがやってるでしょう?」
そうなのだ、我が家の家事は全て私がやっている。親は共働きで、いつ帰ってくるかも分らない。自然と家事は、私達が行う事になっていたのだが……。
この人は、まったく家事が出来ない。いや、やろーと思えばできる。できるのだが、とにかく余計な事をしやがるのだ、この人は……。
そう、あれは私が小学五年の頃、当時中学生だった姉は食事を作った。しかも和食。
『これ何?』
『えっと、けんちん汁とおしんこ?』
『この茶色いのと白いのは?』
『うーんと……チョコレートと生クリーム?』
『何でそんなものを……?』
『だ、だって、メルヘンかな? って、思って――……』
ブチッ!!
『和食にメルヘン求めんなーー!!』
ドンガラガッシャーンッ!!
『キャー、ごめんなさーい!!』
私はその後の事は覚えていない。
気が付くと、テーブルはひっくり返っており、姉はクローゼットの中で、震えて泣いていた。そして、 私の手には何故かおたまが。
姉曰く、『あの時のミカちゃんは、どのホラー映画より怖かった』だそうだ。
しかし、それがトラウマとなったのか、姉はキッチンに立つと震えだす。
一体何をした、私!?
「で? これは何なの?」
「あ、そうそう! 実はね、ネット販売を始めたら、もうすっごい盛況でね? 売り上げ倍増したのよー! だ・か・ら☆ いつも頑張ってるミカちゃんに、ボーナス♪」
な、何ですってぇ!? ボーナスですって!!?
私は、ワナワナと震える手で、その封筒を受け取る。
頭の中には、祝福の鐘が鳴り響いた。
イヤッターイ!
これで、『オヤジ達の沈黙』を買い漁るであります!!
私は、ルンルン気分で着替えると、店を後にしたのだった。
しかし、この時にもっと、ネット販売について、掘り下げて聞くべきだったと後悔する事になるのだが、それはもうちょっと後のお話。
++++++++++
――翌朝――
登校して来た如月呉羽は、靴を脱いで上履きに履き替えていた。
その時、何やらどんよりとした空気が、後ろの方から漂ってくるのを感じ、バッと振り返る。
「――っ!!? 一ノ瀬!?」
そこに立っているのは、朝だというのに、暗い雰囲気を背負う、一ノ瀬ミカの姿があった。
そしてミカは、呉羽の姿を見ると、えぐっえぐっと泣き出した。
「っ!!? お、おいどうした? 一ノ瀬、何があった!?」
慌ててミカを気遣う呉羽だったが、いかんせん、そこは朝の学校の下駄箱前。登校してくる生徒達が、じろじろと此方を見ていた。
「と、とにかくっ! ここは目立つから! な? 目立つの嫌だろ?」
呉羽の言葉に、素直に頷くミカであった。
「で? どうした? 一体、何があったんだ?」
場所を移動し、校舎裏までやってきた2人。
呉羽は、険しい顔で、ミカに尋ねる。
(目立つのが嫌いなこいつが、あんな人通りの多い所でなくなんて……)
きっと、よっぽどの事があったのだろうと、呉羽は思った。
「えぐっえぐっ、ど、同志ぃ――」
そう言いながら、ミカが呉羽の制服の裾をキュウッと掴む。思わず、ドキッと顔を赤らめる呉羽。
「あのね、あのね……何処にも無いの――……」
「……? 無いって何が……?」
「……オヤジ達のね、沈黙がね、何処にも無かったー!」
そして、わーんと呉羽に抱きつき、泣き出した。
その理由に拍子抜けしながらも、呉羽はミカに抱きつかれ、ドギマギとしていた。
「……バイトでね、お金が入ったからね、帰りに本屋さんによってね、オヤジ達の沈黙を買おうとしたらね、全然無くてね、お店の人に聞いたら、誰かが全部買占めたって――」
「はぁ!?」
正直、呉羽は驚いていた。
ファンの自分が言うのも何だが、オヤジ達の沈黙は、あまり人気があるとは言えない。それを買占めるなどと、どこの物好きだろうかと思った。
しかし――と呉羽はミカを見下ろす。
そのつむじやら、白いうなじやら、シャンプーの匂いやら……ヤバイ、と思った。
それに追い討ちをかけるのは、ミカが自分に抱きついて、頭を摺り寄せている事。何より、ぴったりと体が密着しており――。
(む、胸がっ!!)
その柔らかな感触に、思わず呉羽は、ミカを抱きしめようと腕を伸ばした、が――。
「ムッ!? 殺気っ!!」
バッと身体を離し、キョロキョロとするミカ。
呉羽は、腕を伸ばした状態のままで固まっている。
「何やら今、殺気を感じました。同志は感じませんでしたか?」
「い、いや……」
(もしかして、オレの下心を殺気として感じているのか?)
そんな事を思いながら、呉羽はミカに言った。
「……一ノ瀬、オヤジ達の沈黙ならオレ、続の方も持ってるから、貸してやるよ……」
今だ険しい顔で辺りを窺っていたミカだったが、呉羽のその言葉でパッと顔を輝かせ、
「本当ですかぁ!?」
と、喜ぶのだった。
++++++++++
あー、よかったぁ! やっぱり、持つべきものは、同志だねぇ……。
今までの暗い思いが嘘の様に、晴々とした気持ちで、私は教室に入った。
やっと、念願の『続・オヤジ達の沈黙』の方も読める! ってゆーか、一体どんな奴が買占めをっ!
許すまじっ、許すまじ〜……。
そして、チャイムが鳴り、朝のホームルームが始まる。
ガラッと担任の、ちょっと気弱な杉本先生が入ってきた。そして私……いや、このクラスの全員が、その後ろに釘付けとなった。
見た事の無い女子が、先生の後ろについて入ってきたのである。
ビンビン来るよぅ! 私の普通じゃないセンサーがビンビン反応しているよぅ!
そう、彼女は何処か、普通じゃなかった。
彼女は、見るからにお嬢様の雰囲気を醸し出している。
ああ、背後に薔薇が見えるぅ……と、思ってよく見てみると、何と本物の薔薇だった。
何故にっ!? あ、人が持ってるんだ………ハゥアッ!!
私はさらに釘付けとなってしまった。
私はそぅっと、隣の同志、如月呉羽を突っついた。
彼もまた、呆然としていたけれど、私に顔を寄せてくる。
『ど、同志! あ、あれは、スナイパー渋沢ですっ!』
『はっ!? あ、あー……。成る程、言われて見れば、何か似てんなー……』
私達は、あの謎の女子にではなく、その後ろに立っている、薔薇を持った紳士に釘付けとなった。
長身でサングラスをかけ、口元に上品な髭を蓄えて、髪はオールバック、全身黒ずくめの彼は、何処からどう見ても、スナイパー渋沢であった。
いきなりだが、説明しよう!!
スナイパー渋沢とは、数多くあるオヤジ達の沈黙シリーズの中の第三巻、『夜明け前のスナイパー』の主人公なのである!
『あ、後で、握手できないでしょうか……』
『い、いや……そんな事したら一ノ瀬、すっげー目立つんじゃね?』
『はぅ! それもそうであります!』
と、その時、私は殺気を感じ、思わず其方に目を向ける。あの謎の女子が、此方を睨んでいた。
「………?」
私は後ろを振り返る――って、ここは一番後ろ!
あわわわ、睨まれてるっ!? 私、すっごい睨まれてるよぅ!?
なんでぇ? 何故にぃ?
私は必死に記憶を手繰り寄せてみたけれど、彼女に何かした覚えはまったく無い。
うん、だって初対面だしね。
「えぇーと……皆さん、彼女は今日、転校してきた――あっ!」
その時、口を開いた気弱な担任教師、杉本先生が、その謎の女子に突き飛ばされた。
ああっ、杉本っち!
“バン!”と教壇を叩くと、哀れな杉本先生に注目していた生徒一同を、自分に注目させる謎の女子。
「初めまして、皆さん! わたくし、この庶民の通う、平々凡々なこの学校に転入して差し上げた、名前は――……杜若っ!」
彼女が誰かの名を呼ぶと、あの薔薇を持っていたスナイパー渋沢が「はい、お嬢様」と言って、薔薇を杉本先生に託し、黒板に何やら書き始めた。
『薔薇屋敷 乙女』
黒板の字はそう見える。
彼女はバンと黒板を叩くと言った。
「これが私の名前、ばらやしき おとめ、薔薇屋敷 乙女ですわ! あなた方、庶民の脳髄に刻み付けても宜しくってよ!!」
ウーワー……何カ凄イノ来ター……。
しかも今、名前2回言ったよ?
……そんなに憶えて貰いたいんだね……。
「えぇーと、皆さん仲良くしてあげて――あっ!」
漸く教壇に戻れた杉本っち……薔薇で顔が見えません……。彼はまた、彼女に突き飛ばされる。
彼女……薔薇屋敷 乙女は、そんな杉本先生には目も暮れず、ズンズンと此方に向かってくる。
えっ? えっ? な、何か来るよ!? すっごい睨んで、こっちくるぅ!!
私は助けを求めるように隣を見るが、彼も私を見ると、困惑したように首を傾げる。そして、突然視界が遮られた。
見上げると、あの薔薇屋敷 乙女が腕を組み、仁王立ちで立って私を見下ろしていた。
「……お退きなさい」
「………はい?」
私は思わず首を傾げる。
彼女は、そんな私を憎々しげに見ると言った。
「そこは今、わたくしが座ると決めました。だから、今すぐさっさとお退きなさいっ!」
い、今何と!?
私はギギッと前を見ると、そこには他の生徒同様、興味津々で此方を見ている日向真澄がいる。
Yes! やった、こやつと離れられる!
「ちょっと!? 私を無視するなんて、いい度胸ですわね?」
と、言う薔薇屋敷 乙女を、私は見上げた。
嗚呼、(日向真純じゃないけど)今、彼女が女神に見える……。
彼女は私が目を輝かせ、感謝を込めて見つめるので、少したじろいでいる。
その時、彼女の腕をグイッと掴む者がいる。
それは我が同志、如月呉羽であった。
「……おい、それはちょっと横暴なんじゃねぇ? オレたちはちゃんと、ルールに従って席に座ってんだよ。あんたも、その庶民の学校だかに転校して来たんだから、それに従うべきなんじゃねぇの? 席ならほら、空いてっとこがあんだろーが……」
薔薇屋敷 乙女を睨みながら、低い声で言う同志。
私は「余計な事をっ」と思ったが、よくよく考えてみれば、席を替えるという事は、彼とも離れてしまうと言う事。
折角、同じ趣味を持つ者同士、さっきみたいにオヤジ達の事で、共感するという行為も出来なくなってしまう。
ウー、それは何か寂しいかも……。
そしてその時、薔薇屋敷乙女は、掴まれた腕を凝視していたかと思うと悲鳴を上げた。
しかし、悲鳴は悲鳴でも、それは何処か黄色い悲鳴で――……。
「ああん、どうしましょう! 彼に腕を触られてしまったわ!」
「おめでとう御座います、お嬢様……」
いつの間にやら、スナイパー渋沢がこんな近くに……。
嗚呼、握手してもらいたい……。
「これはもう、この服は永久保存ですわ! 杜若!」
すると、スナイパー渋沢が「かしこまりました」と言って、何処からともなく、アタッシュケースを取り出し、そこから真新しい制服の上着を出すと、彼女の着ている上着と交換。彼女が今まで着ていた物を、何やら道具を取り出し、真空パックしてゆくと、それをアタッシュケースに仕舞い込んだ。
そして、出した時と同様、そのアタッシュケースを何処かへと仕舞ってしまう。
手品師デスカ……?
「ああん、もうっ! わたくしは、あなたの愛の奴隷! 言われた通りに致しますわっ! 杜若!」
「はっ!」
スナイパー渋沢が、パンパンと手を叩く。
すると、廊下の方から、わらわらと黒子の格好をした人たちが現れて、何やらゴージャスな机と椅子を運び込み、使われていない席と交換した。
『同志、同志、知り合いで……?』
『バカ言うなよっ! あんな奴と知り合いな訳ねーだろ!?』
私たちがこそこそと話していると、薔薇屋敷乙女はまた、ギロッと私を睨んだ。
嗚呼、彼女はまた背中に薔薇を背負っている(椅子に飾られている)。
もう私の平凡な日々は望めないのかもしれない……。
私は、窓の外を眺めながら心の中で呟くのだった。
私にとって、お嬢様とは、「薔薇」「執事」「高飛車」というイメージがあります。
よって、あのようなキャラに……。
名前も凄いですね、でも自然に浮かんできた名前ではあります。杜若も同様。




