第四十八話:その、可愛い生き物は…
「ミ、ミカ!?」
いきなりオレの手を掴んでくるミカに、オレは戸惑った声を上げてしまう。
慌てて、彼女の頬っぺたから手を放すも、ミカの手はそのままで……。
そしてミカは、オレにポソッと何事か言ってくる。しかし、その声は小さくて聞き取れなかった。
その後、ミカはオレをじっと見つめてくる。
頬を染め、目を潤ませるミカ。
熱のせいなのだと分かっているが、オレはその視線から目を逸らせなくなっていた。
そして、次に言ったミカの言葉に、オレは目を見開かせる事になる。
「私、呉羽君にヤキモチやいてます」
……は? 何だって? 今何つった、こいつ?
ええっと……オレにヤキモチやいてるとかって……ヤキモチ!?
はぁ!? ちょっと待て! ミカがオレに!?
いや、最初にヤキモチと言ったのはオレだが……それでも……。
バカな事は考えるな、オレ! ぬか喜びに終わるだけだぞ!
そう、きっと友人に対してのヤキモチだ! って、友人に対してのヤキモチってあるのか!?
「呉羽君、あのね……私、呉羽君の事が、好きです……」
ほらな、オレの勘違い――。
………。
……。
…っ!!?
「はぁ!? なっ、え? まっ、ちょ……えぇ!?」
混乱するオレに、ミカはムッと不機嫌そうに頬を膨らませる。
「呉羽君、驚きすぎです……。そんなに、私が呉羽君の事を好きな事が変ですか? それとも、迷惑だったですか……?」
今度は悲しげに、顔を俯けるミカ。
オレは無言で首を振る。
迷惑なんて、そんなのある訳ねーだろ。
ってゆーか、何だこれ!? またオレ、夢見てんのか!? またもや夢オチか!?
思わず自分の頬をつねる。
痛かった。
ハッ、夢じゃない!
「ミカ……オレの事、好きなのか?」
まだ信じられずに、そう尋ねてしまう。
ミカは顔を真っ赤にして、恥ずかしそうにコクリと頷いた。
「名前を呼ばれて嬉しいのも、名前を呼んで恥ずかしくなるのも、呉羽君だけです。それに、今だって、ヤキモチやくのも呉羽君だけです……」
オレの手を掴む、ミカの手が震えていた。
じわりじわりと、たった今ミカに言われた事が、頭の中を浸透してゆく。喜びが内から湧いてきた。
オレは、震えるミカの手を逆に握り返すと、グイッと引っ張って、ミカをその胸に抱き締めていた。
「キャゥ! く、呉羽君!? もしかして、また俺様!?」
不安そうに言ってくるミカ。
確かに今、理性がぶっ壊れそうだが、断じてオレは我を忘れてはいない。
嬉しさに、口元が緩みそうになりながら、
「バカ、んなもんなってねーよ」
オレがそう言うと、ミカはホッとした顔を見せ、
「ならいーです。いつもの呉羽君なら」
キュウッとオレを抱き締め返してくる。
「えへへ、大好き、呉羽君」
「〜〜〜っ!!」
ヤバッ、何この可愛い生き物!?
更にミカが擦り寄ってくると、オレのなけなしの理性が、容易くぶっ壊れた。
++++++++++
やった! ついに言えました! 邪魔も入らず無事に!
はうっ、嬉しいよぅ。
「ミカ……オレも好きだ……」
呉羽君の声が、頭の上から聞こえてきて、更に嬉しくなり、私は彼の胸に頬を擦り付ける。
すると、ギュウッと呉羽君が抱き締める力を強くした。
んんっ、ちょっと苦しいかも。
私が、「呉羽君」と声をかけようとした時、トサッと音がして、私はいつの間にやら、天井を見上げている。
あ、あれ?
そして、呉羽君は私を見下ろしている。
あれあれ?
呉羽君は嬉しそうに、そして、自信たっぷりに笑っていて、その目の中には怪しい光が……。
お、俺様になってる!
「呉羽君の嘘つき。俺様になってますよぅ」
私は汗を垂らしながら、呉羽君を見上げる。
あうあうっ、何だろう、身の危険を感じます!
「前にも言ったけど、オレはオレだ。ただ、気持ちが溢れて、止まんねーだけだよ」
そう言うと彼は、私の頬を指の背で撫でてくる。
「それとも嫌か? こんなオレは……」
切なげに聞いてきた。
そんな俺様呉羽君に、私は胸が苦しくなってくる。
はれ? 何か、いつもの俺様じゃないぞ? 何だか優しい?
「い、嫌と言うか……俺様な呉羽君は、別の人みたいで、何だか怖いです……」
「じゃあ、今のオレにも慣れればいい」
呉羽君はフッと笑い、包帯の巻かれた私の手を取り、そこに口付けてくる。
ニ゛ョーー!! 優しいけど、やっぱり俺様だよー!
抵抗したいのに、体が思うように動かない。頭もボーとして、また熱が上がってきたように思う。
呉羽君は気遣わしげに、だけれども強引に、私の怪我した指にキスをする。
はうっ、何だか凄くジンジンするよぅ!
ってゆーか! こんな時こそ、誰かに割り込んできて欲しいものなのに! こんな時ばっかり、誰も現れやがりません! 和子先生、カムバーック!
ギシッ。
ベッドの軋む音がして、呉羽君が更に近くなった。
「キケン! キケン!」と、頭の中の警報が鳴り響く。
呉羽君は私の手を解放すると、今度は私の頬に触れてきた。
ビクッと震えてしまう私を、切なげに、そして苦しげに見つめると、ポツリと呟く。
「今日はすげー心配した……」
「……呉羽君?」
「今日学校来たら、お前は体操服で、髪も濡れてんし……。昨日はナンパな変態ヤローに襲われそうになったとかって言うし。
それに、窓から落ちるし……。あれは本当に心臓に悪いぞ。そのまま止まるんじゃないかと思った。
それから、血の出るお前の指見た時、そんな事した奴を殺してやろうかとも思った……」
ぽつぽつと呟く呉羽君。
私は胸がキューと苦しくなって、掠れた声で、「ごめんなさい……」と言っていた。
こんなに呉羽君の事、心配させていたなんて……。
何だか、物凄く申し訳ない気持ちになった。
「バカ、謝まんなよ……」
「きゃうっ」
耳元で囁かれて、吃驚して声が出てしまった。
……なんだ、今の!?
あの、髪に触られた時と同様、実際に触れられた訳でも無いのに、何だかゾクッとした。
それに、相変わらず頭はボーとするし、頬っぺたも熱のせいでかなり熱い。そして、その頬に触れる呉羽君の手は、ひんやりとしている。
はうっ、つめたい……。
「……呉羽君の手、気持ちーですね……」
「そうか?」
呉羽君は私の言葉に、今度は両手で頬を包んでくる。
おおぅっ、ダブル……。
それが本当に気持ちよくて、私は目を瞑った。
すると、何かが近付いてくる気配がする。
何だろうと目を開けると、目の前に呉羽君の顔が……。
へあっ!? って、顔、近っ! ってゆーか、呉羽君、目瞑ってるし……これは、これは……チュー!?
私は、手を自分の口元に持ってくると、私の手のひらに、ぷちゅっと呉羽君の唇が押し付けられる。
パチッと呉羽君が目を開け、ジトッと此方を見てくる。
あうっ、確かに最初に目を瞑ったのは私だけど、でもでも、チューする気なんて、全然無かったし、それにそれに――。
「呉羽君との最初のチューは、いつもの呉羽君にしてもらいたいよ……」
だからお願い、と呉羽君をじっと見上げていると、彼は暫し無言で私を見ていたかと思うと、急に離れた。
良かった、聞き入れてくれたと胸を撫で下ろしていたけれど、呉羽君はそのまま部屋から出て行ってしまう。
へ!? 何で? ハッ、もしかして、俺様呉羽君、怒っちゃった?
だってだって、どうしても最初のチューは、いつもの呉羽君としたかったんだもん。
うー、それにしても、頭がボーとするよー。
あー、駄目だ……呉羽君には悪いけど、もう少し寝かせてもらおう……。
そうして私は、毛布をかけ直し、再び目を瞑るのだった。
++++++++++
ゴスッ!
壁に向かいオレは、頭を叩きつけた。
鏡を見なくても分かる。オレの今の顔は、相当真っ赤だ。それに、にやけていると思う。
だから、何なんだよ! あの可愛い生き物は!
あの時、オレが両手で頬を包んでやると、ミカは気持ちよさそうに目を瞑った。
微笑さえ浮かべるミカに、オレは堪らずにキスしようとしたのだが、直前で阻止され、オレは恨みがましくミカを見やった訳だが……。でも、そんなオレにミカは言った。
「呉羽君との最初のチューは、いつもの呉羽君にしてもらいたいよ……」
そして、オレをじっと見つめてくるミカは、頬を赤く染め、目も潤んでいて……。
一度失った理性であったが、逆にそんな風に見つめられ、その理性が戻ってきた。
ハァーと俺は溜息をつく。
片手で口を覆った。
どうしても、口元がにやけてしまうのが止められない。
ミカはオレを好きだと言った。そして、チュー……キスしたいとも言った。
ヤバイ、幸せすぎる……ハッ、もしかして、サンタのご加護か!? 二度会ってるもんな、オレ……。
あ、そういえば、今日はミカ、ずっとオレに何か言いたそうにしてたよな。
それって、オレに好きって言いたかったのか?
そう思うと、堪らなく愛しさが湧いてくる。今直ぐあいつを抱きしめたくなった。
ハッ、そうだオレ、今、あいつの言う、いつものオレじゃん! じゃあ、キスしてもいい――って、何考えてんだよオレ。ミカは今、病人なんだぞ!
つーか、さっきのオレも、病人相手に何しようとしてんだよ……。
もう一度オレは、ハァーと溜息をつくのだった。
++++++++++
「え? あ、あの、薔薇屋敷さん? まだ授業中だよ?」
ミカのクラスの担任にして数学教師の杉本先生は、ざっと教科書をしまい、席を立つ乙女に向かい声を掛ける。
まだ、終了を告げるチャイムは鳴っていない。
周りの生徒も、何事かと彼女を見ている。
そして、それを見ていた日向真澄には、彼女の意図が分かった。
(薔薇屋敷さん、休み時間まで待ち切れないんだなぁ……。ああ、これはきっと、薔薇屋敷さんに邪魔されちゃうな、如月君……)
真澄は、先程の呉羽の様子を思い出した。
あの騒動の後、犯人も見つかり、無事解決して、真澄たちは保健室へと向かった。
そこで見たものは、熱を出してベッドで横になるミカの姿と、その傍らに座り、心配そうだが何処か嬉しそうな呉羽の姿だった。
嬉しそうな訳は直ぐに分かった。
ミカの手が、しっかりと呉羽の袖を掴んでいる為だ。
乙女は当然の如く羨ましがり、杜若は例の如く無表情となり、そして一緒についてきた竜貴は憤慨していた。
真澄は呉羽に近付き、
「如月君、これって離れたくないって事じゃないの?」
と耳打ちすると、照れて真っ赤になっていた。
口元がピクピクと引きつっていた事から、おそらく、にやついてしまいそうになるのを必死で我慢していたと思われる。
真澄は、その時の様子を思い出したのだ。
(あの時の如月君、相当嬉しそうだったもんなぁ……)
心の中で呟いた。
(あ、そういえば! ドールの事、一ノ瀬さんに聞きたかったのに、あれじゃ聞く所じゃないなぁ。うーん、またの機会にしなきゃ……。はぁ、ドール……今君は何処に……)
窓から飛び降りるドールを思い出し、真澄は胸が切なくなった。
「杜若! さぁ、お姉さまの元に参りますわよ!」
「はっ、お嬢様」
「ああ、心配ですわ。呉羽様と二人きりだなんて……。お姉さま、無事かしら? 呉羽様に如何わしい事されていないかしら? ああ! こうしてはいられませんわ!」
そう言うが早いか、乙女は教室を飛び出していった。
「ああ、薔薇屋敷さん……授業は最後まで受けましょうよ……」
後には、呆気に取られる生徒達と、手を宙に彷徨わせ、おどおどとする杉本先生が残さるのだった。
++++++++++
オレはハァーと溜息をついた後、保健室に戻ろうとすると、丁度保健医の和子先生が戻ってきた所だった。
「あら? こんな所で如何したの? あの子についてたんじゃなかったの?」
何だろうな、この人を見ると、あの黄色いくまを思い出す……。
「いえ、あの、ちょっと……トイレに行っていて……」
咄嗟に浮かんだ嘘だった。
あの可愛い生き物を前に、キスしたくて堪らず、それを我慢する為に部屋から出たなどと、とてもじゃないが言えない。言える訳が無い。
すると、和子先生はそれを信じ、「そう」と言って頷いた。
「それで、あの子の様子は如何? 落ち着いてる? 熱は上がったりしてない?」
その言葉で、オレはハッとする。
「それが、また熱が上がってきたみたいで……」
先程触れた頬。あれは結構熱かった。
すると和子先生は、少し間があった後、ハッとして、オレをまじまじと見る。
「まさかとは思うけど、無理な事させてないわよね?」
「は?」
一瞬、何を言われているのか分からず、聞き返した。
和子先生は不審そうにオレを見ている。
そして漸くオレは、その意図に気付き、慌ててぶんぶんと首を振った。
「なっ、何言ってんスか!? んな事する訳無いじゃないですか!」
内心、ギクリとした。
確かに正直、ヤバかったけど……。
「うーん、それもそうねぇ……。こんな短時間で何かできるって、健全な男子としてはそれはそれで問題よね……いやでも、逆に何も無かったって言うのも、不健全な気が……」
ぶつぶつと呟く和子先生。
何言ってんだ、この人!?
何つーか、見た目ほのぼの系なのに……。
そしてオレは、和子先生と共に保健室へと戻ったのだが、ミカは眠っていた。
顔は熱っぽく、寝息も少々苦しそうだ。
「あらあらー、本当ね。熱が上がっちゃってるみたい……。これはお家の人……は駄目だったのよね。担任の先生に送ってもらう?」
オレは、担任の杉本を思い出す。あの、頼りなげな数学教師。
大丈夫なのかとオレは心配になる。
「それならば、わたくしがお姉さまをお送り致しますわ! 杜若、直ぐに車を用意して!」
「はい、畏まりました。お嬢様」
その時、いきなり現れたのは、薔薇屋敷とその執事、杜若だった。
「なっ!? お前ら授業は?」
すると薔薇屋敷は、フフンと髪を払うと、
「そんなものは、お姉さまを前に、無意味に等しいですわ!」
つまりは、サボってきたという訳だ。
杜若、お前、執事としてそんな事を許していいのか……?
そして、和子先生はニコニコと笑い、薔薇屋敷に近付くと、
ペチィ!
デコピンをお見舞いした。
「な、何ですの……!?」
一体、何をされたのか理解できないという顔で、額を押さえながら、呆然とする薔薇屋敷。
「大きな声を出しちゃ駄目よ? 病人が眠っているんだから。それに、授業をサボっても駄目よ。あの子がそれを知ったら、何て思うかしら?」
穏やかだが、厳しい和子先生の言葉に、薔薇屋敷はシュンとして、「ごめんなさい」と謝っていた。
それを見ていた杜若も、和子先生に向かって頭を下げ謝る。
「これも全て、執事である自分の責任です。申し訳ありませんでした」
「うふふ、甘やかすのも、大概にね?」
和子先生は、美形の杜若を前に、少々頬を染めながら、そんな事を言う。
オレはそれを見ながら、和子先生って何かすげーと思うのであった。
漸く好きと言えたミカでしたが、危うく……という所でした。
それに二人はどんなカップルになる事やら……。