第四十六話:予感は的中す
「この、ひかる様から逃げられると思うなよ?」
ニヤリと笑う飯沼ひかる。
私はくるりと方向転換。彼女から逃げ出す。
これはピッチを上げなければ! 何たって、彼女は陸上部のエース。
「あ、待て!」
飯沼ひかるが、私を追いかけてくる。
ぬおっ! やはり早いです! 流石エース!
私は、階段を駆け上がる。二段飛ばしだ。
「くそっ! これだから背の高い奴は!」
エースの声がする。彼女もまた、二段飛ばしで来るが、かなりキツそうだ。
そして、長い廊下に出た。
あ、やば。
これはあっちに有利かな……?
それでも、立ち止まる訳にはいかない。
私は、その廊下を走ってゆくのだった。
++++++++++
廊下に出たひかるは、ニヤリと笑った。
「よしっ、直線コース!」
そう叫んで、鳥の巣クラッシャーを追いかける。
みるみる内に、鳥の巣クラッシャーに近付いていった。
そして、鳥の巣クラッシャーは、チラリとひかるを見たかと思うと、更にスピードを上げる。
「何だと!? まだのびんのか!?」
驚きの声を上げるひかる。此方もペースを上げるが、一向に追いつけない。
(そんなっ! 私より早い奴が、この学校にいたのか!?)
愕然とするひかる。
そしてとうとう、追いつく事は出来ず、鳥の巣クラッシャーを見失ってしまった。
ひかるは、その場でガクンと膝をついた。
(そんなバカな……)
ぜーぜーと息をしながら、呆然としていると、
「ひかるちゃん……」
その声にピクリと反応して、顔を上げる。
そこには、心配そうにひかるを見下ろす、徹の姿があった。
「ごめん、とーる。私、追いつけなかった……」
「いや、僕が悪かったんだよ。相手の力量を見誤った」
そう言うと、ギラリと瞳を光らせ、鳥の巣クラッシャーが去って行った方向を見据える。
「後は、こっちに任せて。追い詰める算段は取ってある。僕が捕まえる」
「うっ、とーる……」
思わず、「とーる、カッコいい!」と心の中で叫んでいた、ひかるであった。
++++++++++
おしっ! エースをまきました!
上げていたペースを下げる私。追って来る者は居ないかと思い、辺りを見回す。
ちらほらと生徒があり、此方をじろじろと見ていた。
ここに長くいる訳にもいかないので、私は階段を降りようとするも、そこには赤と青の腕章をつけた方々が、
「鳥の巣クラッシャーだ!」
「待て!」
と、追いかけてくる。
慌てて私は、踵を返して階段を駆け上った。
この階には、ファンクラブの方達は居ないようである。
一先ず、ホッと胸を撫で下ろす。
「ピー」
手元から、ピーちゃんの声がする。
やっと起きたんですか、君は……。
「おはよう、ピーちゃん」
「ピー」
そんな事を言っていると、ぞろぞろと階段を駆け上がって来る音がする。
ハッ、イカンイカン、ほのぼのしている場合ではない。
私は、駆け出した。
そして、前を向いた時、私の行く手に、一人の生徒が現れる。
青い腕章をつけた、熊の様な男子。
永井徹であった。
私は立ち止まり、後ろを振り返るが、そこにはぞろりとファンクラブの方達が。
チィ! 誘導されてた!
教室からは、何事かと生徒達が顔を出す。
逃げ道は唯一つ。
永井徹の立ちはだかる、あの廊下の向こう。
え? 窓からまた、飛び降りればいいって?
フッ、バカを言っちゃあいけません。私が着地出来るのは、せいぜい二階までであります。
ここは三階なので、無理であります。
なので、私は迷わず突き進む。
その先を目指して。
しかし、正直言って、あまり自信は無い。
だって、身体大きいし、熊みたいだし、おっかないし、何より柔道部だし……。
でもでも、こっちには武器があります。今の状態の私であれば、十分に効果のある武器であります。あんまり使いたくは無いけれど、これもここから逃げる為であります。
永井徹は、私に向き合うと、両手を構えた。
そして、素早く私に近付いてくると、手を伸ばしてきて、襟を取ろうとする。
それを私はかわすが、直ぐにまた別の手でもって、捕まえてこようとする。
くぅっ! やっぱり、さすが柔道部、動きにキレがあります。
そして、とうとう襟を掴まれてしまう。永井徹が、勝ち誇った様に笑うのが見えた。
ここで私は、武器を使う事にする。
私は目にいっぱい涙を浮かべ、彼を真っ直ぐに見た。
武器とは、そう、私が女だという事。女の涙は、武器になると父も言っていた。私はそれを使ったのだ。
しかし、永井徹は戸惑った顔をしているが、手を緩めようとはしない。
なので、もう一発。
「……とーる君のえっち……」
ボソッと、彼の耳元に口を寄せて言った。
「えぇ!?」
おしっ、手が緩んだ!
彼は顔を真っ赤にして、あたふたとしている。
私は身体を捻ると、その手を外し、ピーちゃんをそっと下に置くと、彼の襟を掴んだ。
そして、
ドサッ!
ひっくり返った彼を見下ろし、私はピーちゃんと共に、その奥にある階段に向かったのである。
++++++++++
「ああっ! 永井会長がやられた!」
「強いぞ、あの鳥の巣クラッシャー!」
「美少女な上に強いなんてっ、何か俺、ファンになりそう……」
今そう言った者は、他の者から睨まれた。
しかし、他の者達もまた、鳥の巣クラッシャーに強い興味を抱くのだった。
「こら、とーる! いつまで寝転んでんだよ! 鳥の巣クラッシャー、行っちゃったぞ!」
仁王立ちで立つひかる。
「ひかるちゃん、僕、女の子に負けた……。ごめんね、ひかるちゃん以外では負けないって決めてたのに……」
低く呟く徹に、ひかるは目を見張る。
「とーる、お前……」
そして、ひかるはゲシゲシと彼を足蹴にする。寝転がっている為、彼の頭を蹴っていた。
「イタタ、光ちゃん、本当に痛い……」
「ハン! それはお互い様だろ! 私だって、鳥の巣クラッシャーに負けたんだぞ! 折角、とーるに負けないもん見つけたのに! いつでも一番を目指してたのに!
それがアッサリ、謎の女に抜かされた! それも、何もかも私より上の女だ! それがどれだけ悔しいかお前に分かるか! バカとーる!」
更に蹴りが強くなった。
徹は彼女を見上げ、目を見開く。その目に涙が浮かんでいたからだ。
「お前はいーじゃんか! もう少しで捕まえられそーだったじゃんか! あの女が、お前に何か言わなけりゃ、お前は手を放さなかったじゃんか!
何言ったんだよ、あの女! とーるもあんな風に、美人でスタイル良くて、背の高い女がいいのかよ!
ううっ、どうせ私は、チビだし、寸胴だし、がさつだし……。バカ! バカとーる!」
あの時、徹は鳥の巣クラッシャーに、何かを言われて、顔を赤くして慌てふためいていた。その光景を思い出しながら、ひかるは徹を蹴り続ける。
「そんな! ひかるちゃんが一番だよ!」
ガバッと起き上がって、徹は言った。
「うわっ、いきなり起き上がるな――って、え? 一番?」
「うん、ひかるちゃんは、僕にとって、一番可愛い女の子だよ」
「〜〜〜っ!!」
途端に顔を真っ赤にして、今度は彼のお腹をゲシゲシと蹴り始める。
「な、何言ってんだよバカ! と、とーるだって……一番カッコいい……」
ボソッと呟くひかる。
「え? 何?」
あまりにも小さくて、全く聞こえなかった徹。
ひかるは、そんな彼に、今度はうめぼしをお見舞いする。
こめかみに拳を当て、グリグリとするあれである。
「な、何でもない〜〜〜!!」
ぐりぐりぐり!
「えぇ!? イタタ、ひかるちゃん?」
そんな二人の様子を、二つのファンクラブ会員達は、生温かい目で眺めている。
(うん、うん、よかったねぇ)
そんな感じの眼差しである。
そして、ハッとして彼らを見るひかる。
真っ赤になって、
「何見てるんだよ! 早く鳥の巣クラッシャー探せよ!」
そう叫んだ。
照れ隠しなのは明白である。
そんな彼女に皆、生暖かく、ニマニマとして散ってゆく。
「大丈夫だよ、ひかるちゃん。実はあの人にお願いしてあるんだ」
「あの人? ……ああ! あの人か!」
ポンと手を打つひかる。
立ち上がった徹を見上げ、何とも微妙な顔をして言った。
「……でも、あの人って、本当に大丈夫なのか?」
「……さぁ……でも、きっと大丈夫?」
「って、疑問形かよ!」
首を傾げて言う徹に、ひかるはつっこむのだった。
++++++++++
私は、小走りで四階の廊下を移動しながら、鳥の巣に絡まったMyオアシスを取り外そうと試みる。
しかし、やっぱり外せない。
「ピー!」
ピーちゃんも応援している。
「あうっ、ピーちゃん、ありがとう。それにしても、とんだ騒動になってしまったものです……。彼らに、私の正体がバレていない事が、唯一の救いです……」
ううー、それにしても、いつになったら、呉羽君に私の気持ちを言えるのでしょうか?
と、その時、丁度階段を上がってくる、乙女ちゃん達に遭遇した。
「あ、おはよう乙女ちゃん、吏緒お兄ちゃん。それじゃ、また――」
「まぁ、おはよう御座います、お姉さま!」
「おはよう御座います、ミカお嬢様――?」
「あらあら? お姉さまー?」
私は、立ち止まる訳にもいかないので、そのまま挨拶だけして通り過ぎる。背後で、戸惑った声を上げる二人の声を聞いた。
「おい、鳥の巣クラッシャーだ!」
「おお、あれがそうか! すっげー美人!」
「本当に、正じぃの鳥の巣を持ってるわ!」
「頑張れ、鳥の巣クラッシャー! ファンクラブの奴らにつかまるなよ、応援してるぜ!」
気付けば、教室にいる生徒達が私の事を指差して騒いでいる。
はぅあっ! いつの間にやら、有名になっているぅ!!
ってゆーか、そんなに騒がれたら、私の居場所がバレてしまふ!
「ピー」
ピーちゃんが一声鳴いて、私を見上げている。
はぅっ、何てつぶらな瞳……。これは、早い所、正じぃの元に戻してやらねば!
そして、私は、ピーちゃんに意識が持っていかれ、前を全然気にしていなかった。
「えー……廊下は走ってはいけませんよ……」
ボソッと聞こえ、「え?」と私は顔を上げる。
「ピー!」
私の背後で、ピーちゃんの声が聞こえた。
「え?」
と、また声を上げ、私は自分の手元を見た。
そこには私の手のひらが……。
ピ、ピーちゃんがいない!
そして、私が後ろを振り返ると、そこには、ピーちゃん……基、鳥の巣を手にした教頭が立っていた。
い、いつの間にぃ!? 気配も全然感じなかったよ!?
「ああ、教頭先生!」
「やった! 鳥の巣を取り戻した!」
永井徹と、飯沼ひかるの声が聞こえた。
そして、
「あ〜〜……まーー!!」
「いえ、校長。何度言えば分かるんですか、私はまつじゅんではなく、松平潤一郎です……」
そこには、プルプルと震える正じぃの姿も。
「ありがとうございました、教頭先生!」
「さすが、サポート委員会と見守る会の名誉顧問!」
永井徹が教頭に頭を下げ、飯沼光がそんな事を言った。
………チーン。
め、名誉顧問!?
ハッ、よく見ると、教頭のポケットの中に、赤と青の腕章がはみ出てる! ああ、しかもちゃんと名誉顧問って書いてあるよ!
私は教頭を、改めて見た。
彼は少々眠そうに、あくびなどをしている。
あ、侮りがたし、教頭先生……。
「あ〜〜……ピーちゃん!」
「えー……はいはい、ピーちゃんなら無事ですよ……ん? 何ですか、これは……?」
ハッ、それはMyオアシス!
私が手を伸ばすよりも早く、教頭は鳥の巣に突き刺さるMyオアシスを掴んだかと思うと、クリッと捻り、いとも簡単に抜き取ってしまった。
ええー!? あんなに簡単に!? どんなにやっても、抜けなかったのに!!
そして教頭は、事もあろうにMyオアシスを、「邪魔ですね……」と言って、ポイッと放り投げてしまった。
No〜〜〜!!
それからは本当に、スローモーションの様であった。
きれいに放物線を描いて、宙を舞うMyオアシス。
そして、それを追う私。
目の端に、目を見開く永井徹と飯沼ひかると、そして、ファンクラブの方達が映った。
私はハシッと、Myオアシスを掴んだ。
ホッと息を吐いた時、
「ミカ、危ない!」
そんな声が聞こえた。
あれ? 呉羽君? こんな公衆の面前で、私の正体をバラさないで下さい。
そして、ここで漸く私は、自分の下に、何の足場も無い事に気付いた。
そう、私は勢い余って、窓を飛び出していたのである。
そしてここは四階。
如何考えても、着地は無理そうであった。
唯一の救いは、私の真下に木があった事。上手くすれば、その木がクッションとなってくれるかもしれない。けれど、無傷は望めないだろう。
ああ、落ちる――。
昨日感じた予感は、この事だったのかと、私は覚悟を決め、ギュッと目を瞑る。
ああ、呉羽君。私、呉羽君に、ちゃんと「大好き」って伝えたかったよ……。
そして、身体に衝撃が。
ガサガサッ! バキッ、バキバキ!
枝の折れる音も聞こえた。
……あれ? でも痛くない……ってゆーか、温かい?
私は、そっと目を開ける。
金色と青色が見えた。
「あ、れ?」
「大丈夫ですか? ミカお嬢様……」
少々険しい声でそう言うのは、吏緒お兄ちゃんであった。そして、私は吏緒お兄ちゃんに、片手で抱き締められている。
何故片手かと言うと、もう一方の手で、木の枝を掴んでいる為だ。
「吏緒お兄ちゃん?」
よく見ると、彼の頬には血が滲んでいた。
「あうっ、血が――」
「そんな事は、今はよろしいですから、私にしっかりつかまって下さい。降ります」
吏緒お兄ちゃんのその言葉に、私は慌てて、その首にしがみ付いた。
そして感じる、浮遊感とガサガサッという音。
それから、軽い衝撃の後、私はトンと地面に降ろされた。
頭上から、
『おおー!!』
という歓声が上がる。
見上げると、四階の窓から生徒達が、此方を見下ろしていた。
「あ……」
私は声を上げる。
その中に、呉羽君の姿もあったからだ。
彼は、物凄くホッとした顔をしている。私は、彼に向かって手を振った。
すると、更に歓声が上がる。
如何やら、四階にいる彼ら全員に、手を振っていると勘違いされたようであった。
まぁ、そう思ってもらえた方がいいかもです。だって、でなければ、呉羽君に迷惑を掛けてしまいます。
そして、その呉羽君であったが、苦笑しながら、皆に混じって此方に手を振ってくれた。私は嬉しくなって、満面の笑みで、彼に手を振る。
ますます歓声は大きくなったが、そんなものは気にならなかった。
「さ、ミカお嬢様。彼らが降りてくる前に、逃げて下さい。追われているのでしょう?」
「あ、そういえば、そうでした」
吏緒お兄ちゃんの言葉に頷く私。
「じゃあ、吏緒お兄ちゃん。ありがとうございました」
私がそう言うと、彼はフッと微笑み、胸を手に当てる。
「言った筈ですよ、全身全霊でお守りすると。私は、あなたの執事なのですから」
そうして私は、無事、ファンクラブの方達から、逃げ果せたのだった。