第四十三話:杏也の誤算
怪しく笑う天塚さんを前に、私は何も言えないでいた。
今彼が言った事を、頭の中で反芻する。
ナンパな変態ヤローに襲われそーだった?
それを天塚さんが助けて、たもっちゃん(?)に男だってバレた?
助けたお礼が欲しいって?
………。
「ええ!!?」
「反応遅いよ、ミカ」
クスクスと笑う天塚さん。
「えぇ!? だって……えぇ!?」
「あはは、驚き過ぎだって」
「だって、天塚さんは、鬼畜オカマ変態で――」
「あはは、まだ言うんだ、それ」
そう言って笑う天塚さん。
そして、ピタリと笑を治めると、頬杖をついて私を見る。
「それにさぁ、ミカ、この前ケーキバイキングの店で、俺の事きょー君って呼んでくれたのに、今は呼んでくれないよね……」
「ハッ、ああっ、そういえば!」
天塚さんに言われ、思い出す私。
ああ、何かすっごい自己嫌悪……。
それにそれに、またしてもほっぺにチューまでされるし……。
それもみんな、あの甘くて憎い、魅惑のモンブランのせいであります!
あの、あの……黄色いうねうね……ジュルッ。
ハッ、イカンイカン! 思い出して陶酔してしまった……。
うーん、それにしても、天塚さんも呉羽君も、名前にこだわってるよね……。
翁の言っていた事が本当なら、天塚さんも私の事、好きなの?
私は、彼をまじまじと見てしまう。
「ん? 何、ミカ?」
あんまり私がじろじろと見るものだから、首を傾げる天塚さん。
そんな彼に、私は問うてみた。
「あの、天塚さんに一つ、聞きたい事が……」
「ん? なに?」
「天塚さんは、私の事が好きなんですか?」
私がそう言うと、彼は驚いた表情を見せた。
「え!? 何いきなり? 何でそんな事聞くの?」
「実は、ある人が言ったんです。人は、親しい者であれば、名前で呼ばれたいものだって、それが好きな人なら、尚更だって言ってました。
……天塚さんは、ずっと私に名前で呼んで欲しいって言ってましたよね? だから……」
「ふーん、そっか……。もしかして、同志君に、名前で呼んで欲しいとかって言われちゃった?」
「え!?」
「あ、その様子じゃ言われたな? それで? 彼に名前で呼んだげたの?」
「えと、はい……呉羽君と呼んでます……」
急に恥ずかしくなり、声が小さくなってしまう。
「ふーん、そういえば、彼もミカの事、下の名前で呼んでたもんなー、この前……で?」
「は?」
「ミカは如何だったの?」
「はい?」
何が、と首を傾げながら、天塚さんを見る。
すると、天塚さんは何だか意味有り気に見ていて、私は戸惑うと同時に、何だか気恥ずかしい。
「彼に名前呼ばれて、嬉しかった?」
そう問われて、私は考えてみる。
最初は別に如何とも思わなかったけれど、次の日、呉羽君にまた「一ノ瀬」と戻されて、何だか寂しかった事を思い出す。
その後、私が彼を「呉羽君」と呼んで、そしたら彼もまた「ミカ」と呼んでくれた。
そしたら……。
あ、嬉しかったかも……。
私が顔を上げ、天塚さんを見ると、彼には分った様で、頷いて見せた。
「そっか、嬉しかったのか……」
一度空を見上げると、天塚さんは私の頭をポンポンと軽く叩く。
「それは、おめでとう」
「??」
私は、祝いの言葉を言われる意味が分らず、眉を顰めた。
問いただしげに、天塚さんを見上げると、彼はクスリと笑って、
「後は自分で考えな」
と言って、立ち上がった。
「さてと、ミカの事、家まで送りますか」
「えぇ!?」
質問! 天塚さん、私の質問は!?
そんな私の心の声が聞こえたのか、にっこりと笑って、
「歩きながらでも、話は出来るだろ?」
そう言ったのだった。
そうして、家に送られる事と相成った訳でありますが、彼は途中、コインロッカーに預けていた荷物を取って、杏ちゃんから天塚杏也に戻った。
今日、私の中で、彼へのイメージが大分変った。
鬼畜オカマ変態なのは、私の中で相変わらずあるのだが、そこに、「実はいい人?」が加わった。
私は、隣を歩く彼を見上げる。
彼は私を見ると、語り出した。
「俺さ、ずっと店長からミカの話聞いてて、実は前からミカには会ってみたかったんだよね。だから、ミカがバイトに来てくれて、正直ラッキーだったかもな」
「うえぇ!? 姉が私の話を? うー、それは変な事言ってませんでしたか?」
「え? 例えば、昔、店長の前から消えて、再び現れた時に頭突きをどてっぱらに食らわされたとか、怒りが頂点に達すると、どのホラー映画よりも怖くなるとか?」
「えー! そんな話したんですか!? 姉は!」
ガーンとショックを受けていると、天塚さんは苦笑した。
「店長の事、あんまり悪く思ってやるなって。あの人、物凄くミカの事溺愛してるし、話す時だって、大概ロリータの事かミカの事かだったんだぜ?」
そう言われると、納得できないながらも、何も言えなくなってしまう。
確かに、いつも「ミカちゃん、ミカちゃん」って言い寄ってくるからな、姉は……。
「店長がいっつも、ミカは可愛い可愛いって言ってるから、どんだけだよって思ってたら、実物は想像以上に美少女だわ、だけどその中身は俺の笑いのツボ刺激しまくりの超天然だわ、泣き顔は俺の好みだわ……」
そう言いながら、ニヤリと此方を見る。私は思わず、ビクリと身体を震わせた。
あわわ、やっぱり、鬼畜な変態さんです……。
そんな風に怯える私を見て、天塚さんはますます笑みを深くする。
「だから、そーゆー顔が、泣かせたくなるんだって……。
なぁ、さっきの質問だけど……」
「はい?」
「だから、さっきの俺がミカを好きかって質問……ミカはどっちがいい?」
「は!?」
「俺がミカを好きな方がいい訳? もし、俺が好きって言ったら、ミカは如何するの?」
その質問に、私は戸惑う。
……如何する? 如何するって言われても……。
ああっ! 深く考えてなかったぁっ!!
「ミカは迂闊だねぇ……」
クスクスと天塚さんが笑う。
「同志君にも、この質問したりとかしちゃった?」
「……いいえ」
「ふーん、じゃあ、もし同志君がミカの事、好きだったら如何する?」
そう聞かれて、私はぱちぱちと瞬きをする。そして、次の瞬間、凄く恥ずかしくなった。
同志……呉羽君が、私の事を好き?
そしたら……。
私は、「うー」と手元をいじいじさせながら考えていると、ポンと頭に手の感触があり、見上げると、苦笑した天塚さんが。
「俺の時とは、大分反応が違うよね? 気付いてる?」
「あ……」
言われて、私もその事に気付いた。
そう言えば、そうだ。
天塚さんに呼ばれる時と、呉羽君に呼ばれる時と、同じ「ミカ」でも大分違う。
此方が呼ぶにしても、恐らくそうだ。
例えば、天塚さんの事を、「杏也」と名前で呼んだとしても、呉羽君の時ほど恥ずかしくなんかないと思う……。
あれあれ? 何だろう、凄くドキドキしてきたかも……。
私はその事実に気付いた途端、体温が急上昇するのを感じた。
あれ? もしかして私って……。
その時、ふと影がさした。
顔を上げると、天塚さんが私を覗き込んでいる。
そして、目が合うと、にっこりと笑って言ってきた。
「分った? 自分の気持ち」
その言葉に、私は顔が熱くなるのを感じる。
「ああ、そんなに真っ赤になっちゃって……。まぁ、それが答えか」
フッと天塚さんは、優しげに笑った。
何だか天塚さんが、物凄くいい人っぽい。何となく、晃さんを思い出してしまう。
全然違うのだけど、何故だろう、そんな風に感じる。
うーん、何と言うべきなのか……。
お兄さん?
そう、それだ。
吏緒お兄ちゃんは、お父さんからの変化だったけれど、天塚さんはまんま、お兄さんって感じだ。お兄ちゃんじゃなくて、お兄さんだ。何となく……。
「天塚さん、お兄さんっぽいですね……」
そう言うと、天塚さんはビシッと指差し、
「そう、それ!」
と言った。
「はい?」
「さっきのミカの質問の答え。俺のミカに対する気持ち。お兄さん的な好きだな。それも、意地悪なお兄さん?」
そう言って、悪そうに笑って見せる天塚さん。
うん、そうだ! 天塚さんって呼ぶの止めよう。晃さんみたいに、杏也さんって呼ぼうかな。
「じゃあ私は、そのお兄さんにいつも悩まされる妹ですかね? 杏也さん」
にっこりと笑って、私がそう言うと、杏矢さんは吃驚してみせた後、クッと苦笑した。
「それは不意打ちだぜ? ミカ」
そう言うと、私の頭を、なでくり、なでくりするのだった。
うん。こういう所も晃さんっぽい。
そうしている内に、私のマンションへと辿り着く。
「……本当にお嬢様だったんだな……」
「はい? 何か言いました?」
マンションを見上げ、呆然とする杏也さんに、私は首を傾げる。
そう言えば、呉羽君も同じような反応だったと思い出した。
「いや、こっちの話……」
「じゃあ、杏也さん。今日は色々とありがとうございました」
私は感謝を込めて、ペコッと頭を下げた。
だって、ナンパな変態ヤローから助けてくれたって言うし、私の気持ちを気付かせてくれたし、まさに恩人です。
ハッ、と言う事は、晃さんに続いて、第二の恩人となるのでは!?
そう思って、頭を上げた時、何か柔らかな物が唇をかすめる。目の前には、甘く笑う杏也さんが。
「助けたお礼……貰ったぜ?」
そんな杏也さんに、私は徐々に、今、自分が何をされたのか気付いた。
バッと口を押さえる私。
じわじわと、目に涙が浮かぶ。
「二゛ャ−−!!」
ブンと拳を振るうが、アッサリと避けられてしまった。
「いいじゃん、これくらい。減るもんじゃなし、可愛いもんだろ? そんなに嫌なら、後でたっぷり、同志にでもしてもらいな? 口直しに……」
ニヤニヤと笑う杏也さん。
フーー!! やっぱり、鬼畜な変態さんです!!
その後も、何度か攻撃を試みるも、ことごとく避けられてしまった。
私はやがて諦め、杏也さんをねめつける。
そして、私はある事を思い出した。
「あーー!! キスマーク!!」
「は!? いきなり何言ってんの?」
「この前のバイトの時、私にキスマークをつけましたね! お陰であの後、大変だったんですよ!」
ムムゥッと怒っていると、杏也さんはポンと手を打った。
「ああ、あれか。えー、いーじゃん別にぃー。ってゆーか、何があったか気になるんだけど……。でもまぁ、それも、後でたっぷり、同志につけてもらいな」
そう言って、やっぱり、ニヤニヤと笑う杏也さんであった。
その後、杏也さんとは別れ、自宅へと帰ってきた私。
今日は、両親は仕事だし、姉も友人と食事をすると言っていたから、今は家には誰も居ない。
フーとリビングのソファーに腰掛けると、私は先程の事を思い出す。
あ、キスの事じゃないよ、呉羽君の事です。
はうっ、何だか声が聞きたいかも……。
そう思って、私は携帯を取り出す。
そしてボタンを押すのだが、その間、ちょっとだけ、手が震えた。
『あ、もしもし、ミカ?』
その声に、私はドキドキとしてしまい、言葉が出てこない。
『ミカ?』
「……呉羽君、こんばんわ」
大丈夫かな? 声、震えてないかな?
『え? ああ、こんばんわ?』
「フフッ、何故に疑問形……。あの、呉羽君。今日は何してましたか?」
『ああ。今日は、武士のCD買ってずっと聞いてた。ミカは?』
「私は、公園でオヤジ達を読んでいました。気付いたら真っ暗で、吃驚しちゃいました」
『は!? 大丈夫かよ!?』
少々怒った様なその声に、心配してくれているのだと分り、私は嬉しくなった。
「はい、大丈夫ですよ」
『ミカ? 何かちょっと変じゃないか? 何かあったのか?』
「えと……うん、ありました……」
『何だ!? 何があった!?』
「あのね、あのね、呉羽君、私ね――……。ううん、やっぱりいいです……」
『は!? 何だよ、言い掛けて止めんなよ』
「うん、ごめんね……。でも、明日学校で話しますので、呉羽君、聞いてくれますか?」
『え? ああ、分った。何か、困った事があったら、ちゃんと言えよ?』
「うん、ありがとう呉羽君。じゃあ、明日学校で……」
『ああ、じゃあ、明日な……』
そうして、携帯を切ると、私はバフッとソファーに横になった。
はうっ、如何しよう。ドキドキするよぅ。
でもでも、声聞けて、凄く嬉しいよぅ。
早く会いたいなぁ……でも怖いなぁ……。
会ったら言わなきゃ。
言いたい。でも怖い……。
「うー……きゃん!!」
思わずソファーで横になったまま、ごろりと転がってしまい、私はソファーから落ちた。
「うぅっ、痛いよぅ……。ハッ、落ちる!? いや、それは受験だって……。
あうっ、でもでも、不吉な予感……」
++++++++++
俺は、駅へと向かいながら、溜息を吐いた。
「全く……キャラじゃない事しちゃったよな……」
俺は、頭をガシガシと掻く。
他人の恋を応援するとは、何時からそんなに、お節介でお人よしになったんだか。
「まぁ、あれだけ毎日、ミカちゃん可愛い、ミカちゃんラブって聞かされてたら、こっちまでそんな気がしてくるよな。
あれは一種の催眠。一種のすり込みだよなぁ……」
店長、恨むぜ? お陰で、こんなに胸が痛いじゃないか……。
「あーあ、全く誤算だったよな。人生初の失恋かよ。ククッ、これはいよいよ罰でも当たったか? でもまぁ、いい経験にもなったか?
うーん……でもまだ、諦めんのは早いかもな……」
顎に手を置き、俺はニヤリと笑う。
ミカは、色々と同志に秘密にしてるからな。それがバレたら、果たして同志は、如何出るか……?
「少しでも手を離してみろよ? 俺がミカを全力で掻っ攫うからな?」
まぁ、それまでは、温かく見守ってやりますか。
ミカはとうとう自分の気持ちに気付きましたねー、二人の仲はどうなるのか? お楽しみにー。