第四十二話:合言葉はるみ子のパ…
あれから私は、毎日の如く師匠から嫌がらせを受けていた。
そしてそれは、エスカレートもしている。
物を入れられていた私の靴は、今では隠されるようになり、視覚系だった机の中身は、徐々に感触系となってきている。
そして昨日、とうとう増えるワカメが入っていた。手を入れる時、ぬちょっとした感触は流石に気持ち悪かったが、その正体を見た時、例の如く私は笑った。
しかも、教科書が濡れないように、しっかりとビニールが敷いてある所が、師匠の小心者さを物語っている。因みに、そのワカメは持ち帰って、父のお味噌汁に入れた。美味しいと言っていた。
相変わらず、大空会長はその嫌がらせについて、私に色々と言ってきたが、その都度ノープロブレムと言って彼をつき返す。
そして、一番厄介なのが呉羽君である。
彼は何か感づいている様で、私を注意して見るようになった。
隣に座る彼の目を欺くのは、少々骨が折れる。
でもでも、心配してくれるのは、純粋に嬉しいであります。
この事は言えないけど、その代わり、お弁当は気合を入れて作っているので、それで勘弁プリーズ!
そして今日は、休日。
気を張る必要も無いので、楽に過ごそうと思い、公園にやってきた私。
その手には、お弁当と『続・オヤジ達の沈黙 第三巻 友情のコインランドリー』が握られている。
今日はこんなに天気がいいので、気持ちよく外でこれを読む事にする。
説明しよう!
『続・オヤジ達の沈黙 第三巻 友情のコインランドリー』とは、今までのオヤジ達とは違い、少年が主人公だったりする。
主人公、大森少年。彼は親の愛情を受けず、孤独の中にいた。
そしてそんな中、コインランドリーで、一人の中年男性と出会う。
彼は小森のおっちゃん。
最初は最悪の出会いであったが、徐々に世代を超えた友情を育んでゆく感動超大作である。
因みに、るみ子はそのコインランドリーを利用する、客の一人である。
ふふふ、この巻を読破する事、それが今日の私の使命であります!
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そして、一方此方では、その公園で待ち合わせなどをしているカップルが居た。
「あ、杏ちゃん! こっちこっち!」
「あ、たもっちゃーん! まったぁ?」
「いや、全然。それに、杏ちゃんに待たされるなら、俺、幾らでも待つよ」
「いやーん、たもっちゃんってば、や・さ・し・い。杏、たもっちゃんに益々惚れちゃうぞ」
杏ちゃんがそう言うと、たもっちゃんはデレッとした顔を見せる。
(こいつも、そろそろ頃合だな)
そんなたもっちゃんを見ながら、杏ちゃん、いや、杏也は思った。
「じゃあ、杏ちゃん。まず何処行きたい?」
「えー、たもっちゃんの行きたい所でいいよぅ」
「いや、俺の行きたい所は、杏ちゃんの行きたい所だからさ……」
たもっちゃんが顔を赤くしながら、頬を掻く。
「じゃあ、暫くこのまま公園で、お散歩したいなぁ」
そうして、公園の中を歩く二人。
「ん?」
「? 如何したの? 杏ちゃん」
「え? んーん、何でもなーい。杏、この後、お買い物したいなぁ」
「うん、いいよ。行こう」
そう言って杏也は、たもっちゃんと共に公園を後にする。
チラリと後ろを振り返る。
その視線の先には、ベンチに座り、本を読むミカの姿があった。
(まぁ、今日は休みだしな。でも、朝っぱらから公園で本読みか。あの同志君とはデートの約束とかはしないのか? あーでも、まだそこまでは進んでないのか……)
そんな事を思う杏也であった。
その後二人は、ショッピングを楽しみ、昼食をとった後、映画を見て、街をぶらぶらと歩いた。
そして、再び公園へと戻ってくる。
「あー、何かすっかり暗くなっちゃったなぁ……。杏ちゃん、門限は大丈夫?」
「うん、まだ大丈夫」
(バーカ、門限なんて、ある訳ねーだろ)
杏也は、相手に見えぬようニヤリと笑った。
(さぁ、これからがメインイベンとだぜ? たもっちゃん……)
「ねー、たもっちゃん。杏ね? たもっちゃんに、どーしても伝えたい事があるの……いい?」
「え? なに? 如何したの?」
「うん、あのね。ここじゃ人目があるから、あっち行こう?」
そう言って、杏也は彼の手を引き、人気の無い方へと歩いてゆく。
恐らく、たもっちゃんはドギマギとしている事だろう。これから起きる事を期待して。
そうして二人は、人気の無いベンチに腰掛ける。
「えと、杏ちゃん。伝えたい事って何かな?」
何だかソワソワしている、たもっちゃん。
杏也は心の中でほくそ笑んだ。
(ったく、ヤローのスケベ心なんて、百も承知だってーの。さて、たもっちゃんの絶望顔、見せてもらうぜ?)
「あのね、たもっちゃん。実はね、杏――」
「ねー、かーのじょ。こんな所で一人、何してんのー?」
「そーだぜ? こんな暗い中で女の子一人なんて、どうぞ襲ってくださいって言ってるようなもんだぜ?」
その時、杏也とたもっちゃんの後ろで、そんな声を聞いた。
今、二人の座っているベンチと植木を挟んで、背中合わせのベンチでの出来事のようである。
「なんだ? ナンパか?」
たもっちゃんが気にして、其方をチラリと見た。
(くそっ、邪魔するなよ。これからがいい所だってーのに――)
「なー、本なんか読んでないで、俺たちと遊ぼーぜ」
「おい、見ろよ。この子、メガネの下、すっげー美人」
「うおっ、本当だ。つーか、全然反応しねーぞ?」
「おい、無視すんなよ」
「………」
杏也が無言になった。
たもっちゃんが訝しげに見やる。
「杏ちゃん? 場所変えようか?」
そう言って、立ち上がって杏也の手をとるが、一向に動こうとしない。
「杏ちゃん? 如何したの?」
「なー、本当に反応しねーぞ、こいつ」
「別にいーじゃん、下手に騒がれるよりは」
「そーだな、この方が色々とできるよな」
「さ、杏ちゃん、あっちに行こう」
そう言って、たもっちゃんがもう一度、手を引っ張ったとき、杏也は立ち上がった。
しかし、それはたもっちゃんに従った訳ではない。
一方、此方のナンパ男達は、本に読み耽っている少女を如何するか相談していた。
「ここは目立つよな……」
「そこらの草むらでいーんじゃね?」
「ああ、そーだな」
そう言って一人が少女の手を掴もうとした時、
バキィッ!
「ぐあっ!」
何か大きな衝撃を受け、その一人が後ろに倒れた。
「何だ!?」
「おいっ! って気絶してる!」
今倒れた者は、鼻血を出して気絶していた。
そして彼らが、其方を見ると、本を読む少女の直ぐ後ろの植木から、足が生えている。
そしてその足は、ベンチにゆっくりと下ろされ、順に、腰、肩、頭と姿を現し、一人の女性が現れた。その女性は、ベンチの上から彼らを見下ろす。
「お、女!?」
「あ、でも、結構可愛い……」
今、そう言った男を、杏也はギロリとねめつける。
そして、チラッと本を読む少女を見ると、チッと舌打ちした。
(やっぱりミカだった……)
そして、この場所は朝、杏也が彼女を見かけた場所であった。
(って、朝からずっと読み続けてるのかよ)
半ば呆れ、ミカを見る杏也。
そして、トンとベンチから降りると、冷たい目でナンパ男達を見据えた。
「さてと、あんたらの絶望顔、拝ませてもらおうか……」
低い声でそう言うと、ニッと笑った。
「声、低っ!」
「って、もしかして男!?」
「そんなバカな! こんなにカワイーのに!」
そんな彼らを馬鹿にしたように見やって、
「そーだよ、アホが。でもまだ足りないな……。それは単なる落胆顔だ。俺が見たいのは、絶望顔なんでね……」
そう言うが早いか、ゆらっと身体を揺らしたかと思うと、次の瞬間には一人が横に吹っ飛んでいた。杏也は足を振りかぶっていた。蹴りをお見舞いしたのだ。
「拳はあんまり使いたくねーんだよな。拳だこが出来るから……」
そんな事言いながら、上げた足を下ろす。
「さて、次は誰かな?」
「クッ、何だ!? このオカマ、強いぞ!?」
「はい、あんたに決定」
杏也は、たった今喋った男の肩に手を置いたかと思うと――、
ドスッ!
「うっ!」
膝をその男の腹に入れていた。
そして、くの字に折れる男の顎を、そのまま蹴り上げる。
ドサッと男は倒れた。
「オカマって言われるの、好きじゃねーんだよな。ミカは別だけど……」
そして杏也は、最後の一人に目を向けた。
「ヒッ」
その男はそんな声をあげ、後ずさる。
杏也は空かさず足を上げると、ヒュッとその男の顔面に、蹴りをお見舞いしようとした。
かくして、男の目の前には、杏也の爪先が存在する。
杏也はうっとりとした顔をして言った。
「ああ、その顔だ。いいねぇ、その絶望顔……」
杏也は寸止めをしたのである。
その足をゆっくりと下ろすと、怯える男に顔を近づけ言った。
「何であんたが無事か分る? だって、倒れたこいつら、誰が片付けてくれんの? やってくれるよね?」
にっこりと笑って言うと、男はコクコクと頷いて見せた。
そして、少し苦労しながら、気絶した仲間を引きずり去って行く。
杏也は、フーと息を吐くと、後ろを見た。
植木の向こうからは、たもっちゃんが口をあんぐりと開けて見ていたかと思うと、
「そんな……杏ちゃんが、男!? ウソだ……」
そう呟く。
杏也はクッと笑うと、杏ちゃんの顔に戻り、
「たもっちゃん、ごめんねぇ。杏、実は男なのぉ。だ・か・ら、分ったらさっさと行ってくれない? 俺が好きなのは、ヤローの絶望顔であって、ヤローが好きな訳じゃないんでね」
低い声で、冷たく言い放った。
するとたもっちゃんは、
「うわーん! 杏ちゃんは理想の女の子だと思ってたのにーー!!」
と叫びながら。走り去ってしまうのだった。
「何だよ、うわーんって……ガキかよ、たもっちゃん……。でもまぁ、絶望顔は見れたか……。
それにしても……」
杏也はミカを見下ろす。
今だ本を読み続けるその姿に、杏也は呆れた。
「ミカ、これだけ騒ぎがあったのに、動かないって……。幾らなんでも、入り込み過ぎだって……」
そう言いながら、ミカの隣に座る。
「おーい、ミカ? そろそろ戻ってきてくんない? 一体、何読んでんの? ……続・オヤジ達の沈黙……すげー題名……。サブタイトルは……友情のコインランドリー? コインランドリーで育む友情って何だよ」
そして杏也は、今開いているページを横から覗き込み、読んでみる。
**********
大森少年は、今や立派な青年へと成長していた。
かつて、小森のおっちゃんと友情を育んだ、あのコインランドリー。
近くを通ったので、立ち寄ってみた。
あの頃と変らぬ情景。
ただ、置いてある洗濯機や乾燥機は、新しい物へと変っていた。
「懐かしいなぁ……」
かつての大森少年は、当時を思い出し、中を見て回る。
あの頃、小学生だった自分。
この場所が、こんなにも狭く感じる位、自分は大きくなったのだと、時の流れを感じ、少し寂しい気分になった。
その時、
「あのぅ……」
声を掛けられた。
見れば初老の男性。
「……? 何ですか?」
首を傾げ、その男性を見る。
すると、その男性は、ある言葉を口にした。
「るみ子のパンティーは……」
「なっ!」
驚いて声を上げる。
そして、
「……黒のスケスケ……」
と答えた。
「ああ、あなたが大森少年ですか!」
**********
「えぇ!? 何、その合言葉!? るみ子って誰!?」
読んでいて、つい声を上げてしまう杏也。
チラリとミカの顔を覗き込むと、その目には涙が滲んでいた。
「はぁ!? 今ので泣くの!? 一体、この合言葉にどんな意味が――……」
ちょっとだけ、興味が湧いてしまう杏也であった。
**********
「っ!! って事は、小森のおっちゃんの事知ってるんですか? おっちゃんは今如何しているんですか!?」
すると、その初老の男性は顔を曇らせた。
「え!? まさか――」
最悪の答えが頭を過ぎる。
そして、その予感は当たってしまった。
「……はい、二週間ほど前になります……」
そう言って、その男性は懐から封筒を出し、差し出してきた。
それは手紙であった。
表を見ると、『大森少年へ』と書いてある。
「これは……?」
「小森様が、亡くなる数日前に書いていた物です……」
思わず、手紙を見下ろしてしまう。
「それは小森様が、あなたに宛てた手紙です。それに合言葉も……。もし、大森少年ならば、分る筈だからと……」
男性の言葉を聞きながら、震える手で、その封筒を開ける。そこにはこう書かれていた。
『 大森少年へ
元気にしているか?
今でも、コインランドリーに通っているのか?
通っているとしたら、問題だぞ? いい年こいて、一人身って事だからな。
初めてお前に会った時、何て生意気なガキだと思っていたが、思えば、俺もかなり感じの悪いオヤジだったと思う。
ガキは嫌いだと、そう思っていたが、考えてみれば、ガキにはガキなりの世界や常識ってもんがあるんだってのを、大森少年、お前に教えられたよ。
ああ、そうそう、覚えているか?
ある日、俺がコインランドリーにやってくると、息せき切ってお前がやってきて、黒いパンティーを俺に見せた事。
お前は、あのるみ子がくれたと興奮してたっけな。
洗濯物を見ててくれたお礼だと言って、くれたのだとお前は言っていたが、本当か? 今でも俺は、ちょっと疑ってたりする。
その後俺が、お前には早すぎるって言って、そのパンティーを預かったんだよな。奪ったんじゃない、預かったんだ。
そこん所、重要だぞ?
まぁ、後は色々あって、お前にさよならも言わずに行っちまった事は、今でもまだ後悔してたりする。
その罰なのか何なのか知らないが、俺は今、病気してる。そろそろやばいって話だ。
だからって悲観するなよ? それなりに俺は、充実した毎日を送ってるからな。
人はいつか死ぬものだ。それが遅かれ早かれ、俺にはそれが、病気だったってだけだ。
唯一つだけ心残りがあってな、お前の事だよ。
まぁ、だめ元で、あのコインランドリーに人を行かせる事にする。
本当なら、俺自身が行きたい所だけどな。体が思うように動かないんだ。
それで、そいつに物を預けてあるから、受け取ってくれ。
突き返すなよ? おっちゃんの、最後の望みだ。
じゃあな、大森少年。
先にあの世で待ってるぜ! なんてな。
小森のおっちゃんより 』
読み終わり顔を上げると、男性は頷き、ある物を差し出した。紙袋であった。
そして中身を見て、思わず笑ってしまった。
笑って、そして少しだけ泣く。
そこには、黒いパンティーが入っていた。
『預かってたもん、返すぜ! 断じて、奪ったんじゃないからな!』
そんな事が書かれた紙が入っていた。
「それから――」
男性は、もう一つ何かを差し出した。何かの契約書のような紙。
「小森様には、身内がおりませんでした……。そこで、あなたを遺産相続人にと……」
彼は目を見開き、今度こそ泣き崩れた。
「何だよそれ! いつまで経っても、勝手すぎるよ、あんた!」
紙袋の中のパンティーに、その涙が染み込んでゆくのだった。
**********
「ううっ」
私は涙が溢れて止まらず、一旦本を閉じた。
「ううっ……るみ子のパンティー……」
「黒のスケスケ?」
思わず呟いた合言葉に、返してくる者がいて、吃驚して顔を上げた。
「あ、杏ちゃん? ハッ、いつの間にやら、こんなに暗く!」
辺りはすっかり暗くなっていた。
電灯が、私達の座るベンチを照らしている。
私がキョロキョロとしていると、杏ちゃんが私の隣で、ハーと溜息を吐くのが聞こえた。
「ミカさぁ、本を読むのはいいけど、時間決めるとかすれば? こんな暗くに公園で一人なんて、どうぞ襲って下さいって言ってるようなもんだぜ?」
杏ちゃん……いや、天塚さんは言った。
何だか、ちょっと怒ってる様に見えるのは、気のせいでしょうか?
「はぁ、いつも決めてはいるんですが、今日は読破しようと意気込んで読み始めたもので……」
「ふーん、そうなんだ……。で、その本って何? オヤジ達の沈黙って、何か凄い題名だけど、それに、何で合言葉がるみ子のパンティーな訳? それの何処に泣ける要素が……」
「何を言うんですか、天塚さん! この『続・オヤジ達の沈黙 第三巻 友情のコインランドリー』は、和製ニューシネマパラダイスですよ! この作品の中では、珍しく少年が主人公なんですよ! 感動超大作なんですよ!」
「いや、そう興奮して言われても、俺には何が何だか分らないって」
呆れ顔の天塚さんに、「あ、そっか」と思って、興奮を治める私。
「すみません。オヤジストでない人に言っても、分らない事でした……」
「ブプー! オヤジスト!? 何それ!」
堪えきれずに、吹き出す天塚さん。
何だかバカにされた様な気になって、ムスッと彼を見る私。
杏ちゃんの格好をしているのにも拘らず、素の天塚さんを曝け出しまくっている。
ハッ、そう言えば……。
「何で天塚さんがここに居るんですか!?」
私は彼をまじまじと見て言った。
杏ちゃんの格好である。
それに何か、お洒落で気合入りまくりである。
………チーン。ハッ、まさか!
「そう。今日、デートだったの、俺」
私の表情を読み取り、そう答える天塚さん。
「ミカのせいで俺、たもっちゃんの絶望顔、見れなかったなぁ。本当なら、たっぷりじっくり、絶望を味あわせてと思ってたのに……」
そう言って、落胆の溜息を吐く。
「何で、私のせいなんですか!? 仮にそうだったとしても、犠牲者を一人救えたので、私としては嬉しい限りですよ!」
私がそう言うと、天塚さんが静かに此方を見た。
何だか真面目顔で、私はたじろいでしまう。
「う?」
「ミカさぁ、たった今ナンパな変態ヤローどもに、襲われそうだったんだぜ?」
「え?」
「それを俺が助けて、たもっちゃんに俺が男だってバレちゃったんだけど」
私が、驚いて身動きが取れない中、天塚さんはニッと笑って、顔を近づけて言った。
「ねぇ、助けたお礼くんない?」
オヤジ達のお話、また書いてしまいました。しかも感動物。