第三十七話:その破壊力は…
一体全体、何故こんな事にっ!!
私の目の前には、怪しく笑う同志が此方を見下ろしている。その手はしっかりと私の腰に。
No〜〜!! 俺様同志、降臨!
事は、数時間前に遡る……。
「んふふー、お姉さまとお揃いですわー」
乙女ちゃんが、嬉しそうに頬を紅潮させている。
今私は、乙女ちゃんとお揃いのネグリジェを着ていた。
そしてここは、乙女ちゃんの部屋の寝室。でっかいベッドの上だったりする。
「乙女ちゃん、寝るにはまだ、早い気が……」
「あら、寝る子は育つですわよ。わたくし、目標はお姉さまのボディーですの!」
「ええっと……乙女ちゃんはいいかもしれないけど、私はこれ以上育たなくていいかな……」
「何を仰いますの! 目標に限界など無くってよ!」
ああっ、会話が噛み合わない。
「さっ、そうと決まれば寝ますわよ!」
「え?」
「おやすみなさいませ、お姉さま」
「あ、ちょっ――」
数える事、三秒。
乙女ちゃんは、掛け布に包まると同時に、安らかなる寝息を立て始めた。
はうっ、こ、これはっ!! のび太君の得意技!?
凄いや、乙女ちゃん!
そして、私も乙女ちゃんに習う様に、掛け布に包まるも、中々寝付けない。
完全に目は冴えているし、寝るにはまだ早いしで、私は起き上がると、ベッドから降りた。
よしっ、同志の所に行こう!
と、そういう訳で、私は同志の元に向かったのだが……。
ど、どの部屋!?
同じ様な扉が並び、どれに同志が居るのか分らない。
そこで私は、携帯を取り出し、メールで、
『同志の部屋、何処ですか?』
と打った。
すると数秒後、ガチャッと、立ち並ぶ扉の一つが開いた。
中から、驚いた様子の同志が顔を出す。
「一ノ瀬!?」
「良かったです。起きてましたね」
「いや、まだ寝るには早いだろ……」
「そーですよねー、こんなに早く、寝れませんよねー」
あははと笑う私を、同志は怪訝そうに見ている。
「薔薇屋敷は如何したんだよ」
「乙女ちゃんは、のび太君です」
「は!?」
「三秒で寝ました」
「ああ」
納得した様子の同志。
そして、私の姿を、まじまじと見て、頬を赤らめる。
「お前、その格好のまま来たのか?」
「え? いけませんか? 一度着てしまったんで、また着替えるのも面倒ですし」
私はネグリジェのままだった。
「それに髪も……」
「ああ、どうせ縛っても、また解いてしまいますし、めんどいですし」
髪も下ろしていた。
括る位、した方が良かったかな?
そんな事を考えていると、同志は身体をずらし、
「ま、とにかく入れよ」
と言って、私を招き入れてくれる。
「あれ? 日向真澄は、一緒じゃないんですか?」
「ああ? こんだけ部屋があんだぞ? 一人一部屋だとさ」
「そっか、それもそうですね」
私は納得して頷いた。
フンフン♪ 一体、何のお話からしましょうか?
やっぱり、ここはオヤジストとして、一巻からじっくりと――……。
「ミカ」
いきなり呼ばれ、私は同志を見る。
「何ですか?」
「オレ、これからは、お前の事、下の名前で呼ぶから」
そう言われて漸く、今、自分が下の名前で呼ばれたのだと自覚した。
「え? あ、はい。別に構いませんけど……」
何たって、いきなりそんな宣言を? 全く、今日の同志は、変ですね。
「なぁ、オレだけミカって呼ぶの、何か不公平じゃね?」
同志は腕を組み、首を傾け、そんな事を言ってくる。
「えぇ? そうですか?」
「そうだよ」
「そうですかね?」
「ああ」
コクリと頷く同志。
何だか、有無を言わせぬ雰囲気。
んん? 何か強引?
私は同志の目を見てみるが、別に妖しい光は見受けられない。いつもの同志だ。
「そもそもオレ、名前でも苗字でも呼ばれてねーだろーが、同志なんて呼ばれて……」
ちょっと怒った様に、同志が言った。
うー、そー言われてみれば、そーかも。自分としては、最大級の呼び名なのだけれど……。これは、相手もそうだとは限らない、という事ですね。
「じゃあ、私も下の名前で呼べばいいんでしょうか?」
「ああ」
同志は頷いた。
何だか同志、緊張してる?
でも、いきなり下の名前かー、ちょっと……いや、かなり照れるかも。
私は頬を赤らめ、ちょっともじもじして、
「く、呉羽?」
と呼んでみた。
「っ!!」
同志が目を見開くのが見える。私はすぐさま、顔を俯けた。
うみゃ〜〜!! 何だろう、恥ずかしいよ〜〜!!
ハッ、そうだ! 君付けで呼べばよかったのでは?
それかあだ名で。例えば、「くーちゃん」とか「くれっち」とか、はたまた「くれはん」「くれくれ」。
「ミカ……」
呼ばれて顔を上げると、驚くほど近くに、彼の顔があった。
「もっと呼べよ、オレの名前」
「え!? じゃあ、くれっちで!」
「は? 何だよ、それ」
「じゃあ、くれはんか、くれくれ?」
「却下」
「ええー、じゃあ、くーちゃん?」
首を傾け、私がそう言うと、同志はフッと笑って、私の腰を引き寄せた。
「さっきみたいに、呉羽って呼べよ……ミカ」
「〜〜〜!!」
そうして、冒頭に戻る訳である。
「同志、同志、気を確かに! またまた変身しちゃってますよぅ!」
「何だよ、変身って、オレはオレだ……。それに、また同志って戻ってんだけど?」
こんな状況で、名前がどうのと言っている場合じゃないでしょーが!
すると同志は、
「ああ、そうだ……」
と、何かを思い出して、にっと笑う。
「昼間のお返し、してやらないとな」
「へ? おかえし?」
「これ……」
そう言って、自分の首の、赤くなっている場所を指差す。
「えぇ!? だって、それはお仕置きだったんですよぅ!」
すると同志は、更に笑みを深くして、
「じゃあ、お仕置きのお仕置きって事で……」
「そんなっ、本末転倒なぁ〜〜!」
私の叫びが、室内に響く。
そして同志が、私の首に顔を寄せてきて、唇が触れそうになった時、不意にピタリと止まった。
「そうだ、その前に……」
同志が顔を上げ、私を真正面に捉える。
「昨日の続き……」
そう言って、私の顎を掴み、上向かせると、ニヤッと笑った。
「唇で触ってやるよ」
そして、同志の顔が徐々に近付いてくる。
ここで私は、夕刻の晃さんの言葉が、頭に浮かんだ。
『チューされない様に、気ぃ付けろよー』
チューされない様に……チューされない様に……チュー、チュー? チューー!!
「カウ・ロイ(とび膝蹴り)!」
ドスッ!
「うっ!」
私の膝が、同志の鳩尾にめり込む。
同志が腹を抑えて、蹲った。
「ミ、ミカ……?」
痛みで顔を歪めて、私を見上げる。
私はプルプルと震え、目に涙が浮かぶのを感じた。
「同志の……同志のバカちーん!!」
「ミカ、いや、一ノ瀬! ちょっと待てって――」
私は、同志が止めるのも聞かず、ダッと部屋を飛び出す。
部屋を出ると、途中に日向真澄が居た。
吃驚した目で私を見ている。
「あれ? 一ノ瀬さん? え? 泣いてる?」
戸惑う日向真澄に、私は思わず縋り付いてしまう。
「うぇ!? ちょッ、一ノ瀬さん?」
「同志がね、同志がね――」
「え? 如月君、何かしちゃったの!? まぁ、男として、気持ちは分るけど……」
「ふえーん、日向君!」
こういう時でなければ、絶対にこんな事はしない、でも今は、それだけ切羽詰った気持ちになっていた。何でもいいから、縋り付きたかったのだ。
しかし、
「ああっ、ドール!!」
キュウッと私は抱き締められた。
「カウ・ロイ(とび膝蹴り)!」
ドスッ!
「うっ!」
私の膝が、日向真澄の鳩尾にめり込む。
ガクンと膝をつく、日向真澄。
「ううっ、ごめん、一ノ瀬さん。つい……ドールに声が似てたもんだから……」
「日向真澄の犬の骨ーー!!」
「えぇ!? それ、薔薇屋敷さんのセリフ……って、ああ、待って、一ノ瀬さん!」
++++++++++
「ハァ……」
オレはその場で項垂れ、溜息を付く。
何やってんだ、オレ……。一ノ瀬を泣かせちまうなんて……。
先程のあいつの顔を思い出し、オレはまた溜息を付いた。
その時、コンコンと扉がノックされ、オレはハッと顔を上げる。
「えと、如月君、いい?」
入ってきたのは、日向だった。
「何だ、日向か……」
「あはは、一ノ瀬さんだと思った?」
そう言われ、オレは日向を睨む。
すると、奴は肩を竦め、苦笑した。
「さっき、一ノ瀬さんに会ったよ」
「何!?」
オレは目を剥いた。
「縋り付いて、泣かれちゃったよ。直ぐに行っちゃったけど……」
「は!? 縋りつく?」
何だと!?
オレが睨むと、日向は目を泳がせる。
「で? 何しちゃったわけ?」
「………」
今度はオレが目を泳がせる番だった。
「もしかして、押し倒しちゃったとか?」
「っ!! んな事する訳ねーだろ!!」
と、怒鳴るが、いや待てよ? あのままいってたら、やばかったか!?
オレはハァと溜息を付くと、チラリと日向を見た。
こんな奴でも、話せば、少しは気持ちが落ち着くだろうか。
「……一ノ瀬、杜若の事、吏緒お兄ちゃんって呼んだろ?」
「え? あ、うん」
「それで、思った訳だ。オレは同志で、あいつは、吏緒お兄ちゃんで……」
「ああ、向こうは下の名前だもんね」
「……だから、一ノ瀬に言ったんだよ。オレも下の名前で呼ぶから、お前も下の名前で呼べって事を」
「うん、それで? 言ってもらえたの?」
ここで、いったん言葉を切り、オレはハァーと項垂れた。
「え? 呼んでもらえなかったの?」
「いや……呼ばれた……すげー破壊力だった……」
「……破壊力?」
首を傾げる日向に、オレはポツリと言った。
「……理性がぶっ壊れた……」
「あはは、成る程。それで、押し倒しちゃったんだ!」
「っ!! だからっ、んな事はしてねーって!! ……抱き寄せて、キスしよーとはした……」
オレがボソリと言うと、日向は目をパチパチと瞬かせ、そして言った。
「うわっ、思い切った事したね。それで、とび膝蹴りとかされちゃった訳だ?」
「っ!? 何でお前が、んな事知ってんだよ!?」
「え!! いや、ねぇ? うん、勘?」
目を泳がせ、しどろもどろで答える日向。
オレは訝しげに、奴を見やるのだった。
++++++++++
「えぐっ、えぐっ、同志のバカちん。日向真澄の犬の骨」
私はメガネを外し、ポロポロと零れる涙を拭った。
しかし、拭った傍から、新しい涙は次々に零れてくる。
なので私は、前方不注意で、人の背中にぶつかってしまった。
カシャン! シュルシュルシュル……。
メガネが手から落ち、遠くへ滑っていってしまう。
おおぅっ!! Myオアシスがー!
と、それよりも、まずは謝らなくては。
「あの、ごめんなさい」
「いや、僕もボーとして……って、ドール?」
ピキッと私は固まった。
目の前には、あの男が、薔薇屋敷輝石が立っていた。
なんだぁ!? このラブコメの王道の様な出会い方はーー!!
「ああ、何て事だ。僕はやっぱり疲れているのかな。ドールの幻が見える……」
………ピカーン!
「そうです。私は幻です。あなたの願望が見せた、幻覚です」
殆ど棒読みでそう言った。
すると、薔薇屋敷輝石は、感激した様にのたまった。
「ああ、幻覚でもいい! こんなにも美しい幻覚なら、僕は正気を失ってもいいよ!
でも、どうしてだい? 僕の見せた幻覚なら、何でそんな悲しそうな顔をしているんだい?」
そう言って、薔薇屋敷輝石は、私の頬に触れる。
ゾワゾワと鳥肌が立ち、今直ぐ振り解きたいが、今私は奴の幻覚。多少の事ならば、我慢しなければ。
「ああ、そうか! 早く僕に会いたいんだね! 僕も会いたいよ。こうして幻覚を見てしまう程に君に会いたい!」
ギュッと抱きつかれた。
ギャーー!! もう我慢できーん!
「カウ・ロ――あぐっ!」
またもや、私が飛び膝蹴りをお見舞いしようとした時、更に強い力で抱き締められ、私は息が出来ない。
というか、隙間が無けりゃ、技をお見舞いできないやないかい!
「ああ、何て生々しい幻なんだろう。まるで本物がここにいるみたいじゃないか!」
一体、この細い体の何処に、こんな力があるのか。奴は、あらん限りの力で、私を抱き締めている。そもそも、幻だと思っているので、遠慮も手加減も無しだった。
私は、カクンと全身の力を抜いた。
「……ドール?」
奴が、いきなりぐったりした私を不思議に思ったのか、漸くその腕の力を弱める。
フッ、かかったな?
私はパチッと目を開けると、薔薇屋敷輝石の目を真っ直ぐに見据える。
奴の瞳に、不適に笑う私が映っていた。
ドンと奴を押すと、
「カウ・ロイ(とび膝蹴り)!」
ドスッ!
「うっ!?」
本日三度目のとび膝蹴りは、奴の鳩尾に見事にヒットする。
ガクンと膝をつく薔薇屋敷輝石。
おしっ、このチャンスを逃すべからず!
私は、奴から逃げるべく、身を翻そうとした。
しかし、目の前の曲がり角から、金髪碧眼のイケメンが出てくる。
私は一瞬、流音と呼ばれる奴の執事がそこに立っているのかと思った。
しかし、
「ああ、吏緒! いい所に。そこ行くドールを、捕まえてはくれないかい?」
そこに立っていたのは、吏緒お兄ちゃんだった。
吏緒お兄ちゃんは、驚いたように此方を見ている。
「何を仰いますか! 私はあなたの作った幻覚です。あなた意外には、見える筈が無いではありませんか!」
私は大きな声で言った。その目は、吏緒お兄ちゃんを見据えたままで。
ううー、吏緒お兄ちゃんは、私の意図に気付くでしょうか……。
すると、吏緒お兄ちゃんは、私から視線を外し、薔薇屋敷輝石の方に視線を移す。
「……輝石様。一体何を仰っているのですか? あなたの言うドールなど、何処にいるのです?」
「何だって? じゃあ、やっぱりこのドールは幻? でも、抱き締めた感じでは、物凄くリアルだったのに……」
その言葉に、吏緒お兄ちゃんの眉が、ピクリと動いた。
「そこまで仰るのなら、探してみましょう」
そう言うと、一度チラリと私に目をやり、来た道を戻ってゆく。
「あ、吏緒。ドールならお前の目の前に……」
吏緒お兄ちゃんはその言葉を無視して、角を曲がった。
空かさず私も、その後を追う。
「あ、待って! ドール!」
奴はまだ、蹲ったままで、私を呼んだ。
そして、私が角を曲がると、すぐさま吏緒お兄ちゃんに、腕を掴まれる。
「どういう事ですか? 一ノ瀬様」
その目は何だか怖い。
そして、私は色々と思い出し、ポロポロと涙が零れ始める。
「ううー、吏緒お兄ちゃん。同志がね、同志がね――」
「? 呉羽様が如何なさったのですか?」
「日向真澄がね、犬の骨でね――」
「?? 犬の骨?」
と、ここで、
「待って、ドール!」
と言う、薔薇屋敷輝石の声がする。
復活したのだろうか。
私達はハッとして、この場を早く離れようとするが、ここは一本道。隠れる場所も無く、奴がその角を曲がれば、もろに私は見つかってしまう訳だが、ここで私は思い出し、吏緒お兄ちゃんを見上げる。
「吏緒お兄ちゃん、どうしましょう。メガネを落っことしたままです……」
「それなら、私が後で拾っておきます。一先ずここは、輝石様から離れましょう」
そう言って、いきなり私を抱き上げた。
これは所謂、お姫様抱っこというやつでは、と思うのも束の間、お兄ちゃんはそのまま走り出す。
私を抱えているのに、何という速さ。伊達に鍛えていない、という事だろうか。私は、彼をくすぐった時の、筋肉の付き具合を思い出していた。
「ドール!」
奴の声が聞こえる。
私は思わず、キュッと吏緒お兄ちゃんの首にしがみ付いた。
「大丈夫ですよ」
そんな言葉に、私が顔を上げると、物凄く優しい顔で此方を見下ろしている吏緒お兄ちゃんの顔があった。
「私がお守りします、お嬢様」
んん? お嬢様?
と、ここで、吏緒お兄ちゃんは立ち止まり、私に言った。
「ここは、覚悟を決めなければなりません」
「?? 吏緒お兄ちゃん?」
「大丈夫です。何があっても、私が全力でもってお守りします。あなたは私の――」
ガコン。
その時、吏緒お兄ちゃんの言葉を遮る様に、何も無い壁が開いた。
「………」
「………」
「………」
数秒間の沈黙。
そこには、ワシワシと歯を磨き、ナイトキャップとパジャマという出で立ちの白い髭の老人が居た。
ハッ、この人はもしや!!