第三十六話:決闘の行方
「ああ、一ノ瀬さん、ごめん。こんな事になって……」
日向真澄の元に膝をついた私に、奴は言った。
「どんなに打ちのめされても、諦めない姿。天晴れでした。ちょっと見直しましたよ。ドールにも伝えといてあげます」
私がそう言うと、「え? 本当!?」と嬉しそうに顔を輝かせる日向真澄。
その立ち直りの早さに、私は苦笑する。
「お姉さま、大丈夫ですの? フェンシングはやった事がおありになって?」
「いえ、全くの初心者」
「なっ!? それなのにあんな事言ったのかよ!」
「一ノ瀬様、今直ぐ取り消して下さい。私から言っておきますから!」
皆が口々にそんな事を言う。
「何、大丈夫です。ルールをちょっと変えて貰います。それならば、勝つ事は到底無理としても、負ける事も恐らくありませんから」
そう言う私に、皆、怪訝そうな顔をする。
それから私は、乙女ちゃんと吏緒お兄ちゃん以外には見えない様に、メガネを外すと、それを乙女ちゃんに渡した。そして、吏大兄ちゃんが面を付けてくれる。
「もう一度、ルールを確認するよ。君が僕の胸の薔薇を散らせたら君の勝ち。それが出来なかったら――」
「ちょっと待って下さい。それ、同じ条件にして下さい。あなたが私の胸の薔薇を散らせる事が出来たら、あなたの勝ち」
そう言うと、吏緒お兄ちゃんが何処からか、白い薔薇を差し出してくれる。
私はそれを、胸につけた。
あちらは白い服に赤い薔薇。此方は黒い服に白い薔薇。
意図せずして対照的となった私達は、面と向かい、立ち会っている。
「本当に、そのルールでいいのかい? すぐさま、勝負が付いてしまうよ?
それとも、君は僕に、ドールの電話番号を教えてくれるつもりなのかい? だとしたら、こんなまどろっこしい真似はせず、そのまま直接、僕に教えてくれればいいじゃないか」
目の前の男がそう言うので、私は剣を構えながら言った。
「勝負は最後まで、如何転ぶか分らない。違いますか?」
すると、薔薇屋敷輝石は、面で顔は見えないが、驚いた様な気配を見せた。
「っ!! その構え、君はフェンシングをやった事があるのか!?」
「いえ、先程のあなたの動きを見て覚えました。時間制限は先程と同じ五分間。どうか、手加減などなさらず、全力で来て下さい」
私がそう言うと、薔薇屋敷輝石もまた、剣を構えたのだった。
そして、流音と呼ばれる、執事の金髪イケメンの合図によって、勝負は始まった。
彼は、直ぐに勝負を決めようと思ったのか、開始の合図と共に、打ち込んできた。
私はそれを、紙一重でかわす。
私もまた、彼に打ち込んで行くが、そこはやっぱり素人。簡単にかわされてしまう。それでも、彼は驚いた様に此方を見た。
「僕の全力の攻撃をかわした!?」
「キャー! お姉さま、ステキー!! 惚れ直しますわー!!」
「一ノ瀬、すげー……」
「うわー、一ノ瀬さんって、運動神経良かったんだ……」
私は背中に、乙女ちゃんの声援やら、同志達の驚きの声を聞いた。
私は、体勢を立て直すと、再び剣を構える。
「そうか、ただのみすぼらしい少女だと思っていたけれど、只者ではないみたいだね……」
そう言って、彼もまた構え直す。
今度は奴も動かない。
隙を窺っているのだろうか。
このまま時間が過ぎてくれれば、引き分けとなる。
勝つ事も無ければ、負ける事も無い。それはこういう事だ。
そして、目の前の男は、不意に手を降ろし、構えを解いてしまう。
「!?」
一体どういうつもりだろうかと、私は怪訝に思ったが、無闇につっこむような事はしない。
きっと彼の作戦なのだろう。
しかし、彼の次の行動は、流石に度肝を抜かれた。
構えを解いた状態のまま、無防備に此方に歩み寄ってきたからだ。
す、隙だらけ!?
如何しよう。このまま手を突き出せば、奴の胸の薔薇に届くけど。でも、何かの作戦だったら奴の思う壺なんじゃ――。
「一ノ瀬様、危ない!!」
吏緒お兄ちゃんの声にハッと我に帰る。
今の迷いが、私に隙を生んでしまった。
しまったと身構えた時にはもう遅く、目の前の男は、私に素早く攻撃を仕掛けてくる。
ああ、負ける――。
そう思った。
しかし、自分の胸の薔薇に、彼の剣の先が届こうとした時、何故か彼がピタリと止まった。
戸惑いと驚きが伝わってきたけれども、私はその、一瞬できた隙を見逃さず、剣を持つ手を前に突き出した。
そして、目の前に赤い花びらが散るのを見た時、
「……ドール?」
ポツリと彼が呟いたのを聞いた。
「キャーー、お姉さま! ステキ過ぎますわ! カッコイイですわ! ますます惚れてしまいましたわーー!!」
乙女ちゃんが駆け寄ってきて、私に抱きつく。
「やったな、一ノ瀬! お前はすげーよ!」
同志もやって来て、私に言った。
「もう凄すぎだよ、一ノ瀬さん! また新たな最強伝説が生まれたよ!」
日向真澄も興奮したように、そう言う。
私は一度、チラリと薔薇屋敷輝石に目をやると、彼はその場に立ち尽くしていた。
そして、面を取る為、私は吏緒お兄ちゃんの元に行く。
「お見事でした。一ノ瀬様……」
お兄ちゃんはそう言うと、面を外してくれる。そこへ乙女ちゃんが空かさずメガネを差し出し、私はそれを掛けた。
「……本当なら、私はあそこで負けていました」
「………」
吏緒お兄ちゃんは何も言わない。きっと、彼にもそれは分っていたのだろう。だって、あの時声を掛けたのは、吏緒お兄ちゃんだ。
それよりも、最後に薔薇屋敷輝石は、私にドールと言った。
よもや、バレてしまったのだろうか。
そう思って、振り返ってみると、奴は金髪イケメンに面を外してもらっていた。顔が露わになり、呆然とした顔で、此方を凝視している。
私の中に、過去の恐怖が蘇ってくる。
いーやー、もう絶対に、イケメン集団に追い掛け回されるのは嫌だーー!!
ど、どっち!? バレたの!? バレてないの!?
私は不安と恐怖で、思わず吏緒お兄ちゃんの服の袖を掴んでいた。
「い、一ノ瀬様?」
戸惑うその声を聞きながら、私は吏緒お兄ちゃんを見上げる。
「もしかしたら、私がドールってバレちゃったかもしれません……。このままじゃ、愛人にされちゃうよぅ。どうしよう、吏緒お兄ちゃん……」
散々あの男が言っていた愛人。
愛人とは具体的に、一体どういうものなのだろう……。
やっぱり、昼ドラの様な、ドロドロ愛憎劇!?
『このメスぶたがっ!!』とかって言われちゃう世界!?
おおぅっ! それは怖いであります!
「ああん、お姉さま、大丈夫ですわ! その時は、わたくしがお姉さまの愛人になります!」
いいえ、乙女ちゃん! それ、何の解決にもなってませんから!
「うー、吏緒お兄ちゃん……」
私は不安いっぱいで、吏緒お兄ちゃんを見上げた。
すると、彼は何か考えるように目を瞑っている。
++++++++++
今、杜若吏緒は葛藤していた。
ミカに、不安げに「如何しよう」と言われ、
『大丈夫です。私が付いていますよ。お嬢様』
と、言いそうになってしまったのだ。
(またしても何を考えているんだ、私は。私のお嬢様は、乙女様ただ一人)
しかしと、杜若は再び目を開き、ミカを見る。
彼女は何処までも不安そうに、此方を見上げていた。
自分に縋り頼っているのだと分ると、杜若は胸が締め付けられる思いがした。
(ああっ! 私の全てでお守りしたい!)
そんな衝動を必死に抑えた。
「なぁ、おい。さっきから三人で、何コソコソしてんだよ?」
呉羽が、杜若の袖を掴んでいるミカを、不機嫌そうに見ながら話しかけてきた。
杜若が目を向けると、鋭く睨み返してくる。
(そうだったな、彼は一ノ瀬ミカの事を……)
そう考えると、知らずその眼差しを、真正面から受け止めていた。
そんな杜若を見て、呉羽は軽く舌打ちをすると、ミカを見て言ってくる。
「一ノ瀬、それよりもどういう事なんだ!? ドールってのは、日向の心に決めた女の事だろ? 何で、そんな女の電話番号なんて、知ってんだ?」
先程の決闘の内容を思い出し、そう尋ねたのだ。
「ああっ、如月君! それは一ノ瀬さんが、咄嗟に言ったはったりだよ! 俺を助けようとして。ねっ、そうだよね、一ノ瀬さん!」
慌てて真澄がそう言った。
「え!? あっ、う、そ、その通りです、同志。あきらめない日向君の姿に感動して、つい、口から出まかせを……」
汗を垂らしながら、ミカがそう言う。
呉羽は、そんなミカを怪訝そうに見やりながら、
「そう、なのか?」
納得していないように首を傾げながら、それでも「分った」と頷いた。
とりあえずホッとするミカ達。
「そこの、みすぼらしい君!」
その時、鋭い声が、ホール内に響き渡る。みなが目を向けると、そこに輝石が腰に手を当て、ミカを見据えていた。ミカはギクリとして、無意識に吏緒の腕に縋る。
吏緒は、そんなミカの存在を腕に感じ、今直ぐミカを庇って、輝石の前に立ちはだかってしまいそうになるのを必死に押さえていた。
「勝負は君の勝ちだよ。そして、そこにいる大魔王には、僕が勝ったという事で、差し引きゼロになり、元の状態に戻った訳だ。だから改めて、宣戦布告させてもらうよ!」
ビシッとミカと真澄に指を向け、輝石は声を高らかに宣言する。
「ドールは僕の愛しき愛され人! そんな愛人のドールを、大魔王とその手先のみすぼらしい女の子から助け出すと、ここに誓う!」
シーンとホール内に静寂が広がる。
輝石は、色素の薄い髪をサラッと払うと、
「じゃあ僕は、自室に戻らせてもらうよ。如何やら僕は、かなり疲れているみたいだからね。そこのみすぼらしい女の子が、一瞬、ドールに見えてしまうだなんて、これはたっぷりしっかり、身体を休ませる必要があるみたいだ」
この言葉を聞き、ホッと胸を撫で下ろすミカと乙女と吏緒。
しかし輝石は、「でも」と続ける。
「そこのみすぼらしい君は、ドールの電話番号を知ってるみたいだからね。後でたっぷりじっくり聞かせてもらうよ!」
フフフと不適に笑うのであった。
++++++++++
ああっ! 一先ず、一先ずは危機を脱しましたぁ!
ハァーと長い溜息を付く私。
疲れた。体がとかじゃなく、精神的に疲れまくった。お風呂に入り直したい気分だった。
キュウッと腕を絡め取られ、見ると乙女ちゃんが私を心配げに見ている。
「大丈夫ですの? 疲れた顔をしていてよ?」
そんな乙女ちゃんに、私はあははと、乾いた声で笑った。
「うん、流石にね。安心した途端、どっときたかなぁ。でも、大丈夫、大丈夫。そんなに心配する事無いから」
「そうですの? ならいいのですけど」
「皆様、お食事の用意が出来ています。お夕食と致しましょう」
吏緒お兄ちゃんの声に、私達は其方に向かうのだった。
ハァ、食事かぁ……。きっと豪華に違いない。
それに、自分が食事の用意をしなくていいって、何だか新鮮。
私はウキウキとして、隣の同志の腕にキュウッと抱きつく。
「うおっ!? 何だよ、いきなり!」
慌てたように此方を見る同志。顔を真っ赤にして、純情少年になっていた。思いっきり、顔を顰めている。でも同志は、私を引き剥がそうとはしなかった。
「エヘへ、乙女ちゃんの真似です。何だか、お食事が凄く楽しみですね。いつもの乙女ちゃんのお弁当の内容からして、お夕飯の内容も、きっと期待できる筈。
たまにはいいですよね、普通じゃないのも」
ウフウフーと笑って、コテンと同志の肩に頭を乗せる。
おおぅ!? 何だか、凄く楽だぞぅ!? 乙女ちゃんってば、何時もこんな感じで、私にくっ付いてたのかー……。新たな発見!
「ハゥッ、同志、これ凄く楽ですー。先程の決闘が疲れたので、暫く、こうしてていいですかー?」
私がそう訪ねると、
「お、おう」
という、同志の返事が聞こえる。
前を歩く、日向真澄がふと此方を見て、ギョッとした顔をした。
そして、更に前を歩く、吏緒お兄ちゃんと乙女ちゃんを見て、慌てた様に、私の前に立つ。
まるで、乙女ちゃん達から、私の姿が見えない様に。
「日向君、前が見えませんよー」
「え? いや、うん。でも、一ノ瀬さんは、見えなくても如月君がいるから、大丈夫でしょ?」
「あうー、それもそうですねー」
「………」
同志は先程から何も言わない。
何処と無く、歩き方もぎこちないように思う。
顔を上げると、彼は純情少年よろしく、耳まで真っ赤にさせ、口元はピクピクと引きつらせている。
それでも、嬉しそうに見えるのは、私の気のせいであろうか。
「同志ー」
私が呼びかけると、同志は顔を引きつらせたまま、此方を見た。
「今夜、同志の部屋に行ってもいいですかー?」
「うえぇ!?」
これ以上、赤くなり様が無いって位、同志は赤くなった。
前を歩く日向真澄も、ギョッとして振り返り、前を歩く乙女ちゃん達を気にしている。
「いっぱい、オヤジ達について、話しましょうね。私達はオヤジストなんですから!」
グッと拳を握る。
すると、同志はまじまじと私を見下ろして、残念な様な、ホッとした様な、そんな感じの表情見せたかと思うと、苦笑いして、私の頭をコンと軽く叩いた。
「んなっ!? 何するんですか!?」
大して痛くなかったが、小突かれた意図が分らず、私はプクッと頬を膨らませてしまう。
「いや、一ノ瀬はやっぱり一ノ瀬だな、と思っただけだ」
「何ですかそれ!?」
訳が分らず、またもやプクッと頬を膨らませると、同志はプッと吹き出し、私のその膨らませた頬っぺたを、プニッと摘んだ。
ぬおぅ!? いきなり、何ですかな!?
「にゃに、ふるんでふかー!」
「ククッ、モチみてー」
なにおぅ!!
私は同志を睨むが、彼は面白そうに笑うだけだ。
そこで私は、ふと気付く。
あれ? 同志、純情少年じゃなくなってる。
いつの間にやら、同志の赤面は、元通りになっていた。
不思議に思っていると、同志が今度は、私の鼻を摘んでくる。
「ふみゃ!? 何で鼻、摘むんですか!?」
「いや、摘みやすい鼻だと思って……」
つ、摘みやすい!? それって一体どーゆー事!?
摘む力はそれほど強くは無く、頭を振れば、直ぐに外れた。
そこで私はハッとなる。
ま、まさか、俺様同志、降臨!?
私は改めて、同志を注意深く見てみる。
しかし、その目には、怪しい光などは一切無い。寧ろ、優しげに此方を見下ろしている。
はて? それでは、この悪戯っ子同志は何なのでしょうか?
「んまぁ! お姉さま!? 如何して呉羽様に抱きついてるんですのーー!?」
その時、乙女ちゃんの叫びが響いた。
前を見ると、ぷりぷりと怒った乙女ちゃんが、此方を信じられない、という様に見ていた。
日向真澄が、すまなそうに此方を見ている。
「如何してって、一ノ瀬が疲れたっつーから、俺の腕を貸してるだけだ」
私の代わりに、同志が答えた。
「それなら! わたくしに抱きつけば宜しいですわ!」
乙女ちゃんが両手を広げて、そう言った。
いや、乙女ちゃん。体格の小さい君では、逆にこっちが疲れてしまうよ……。
そしてふと、私が吏緒お兄ちゃんを見た時、私はピシッと固まってしまった。
吏緒お兄ちゃんは無表情だった。
それならば、今日は散々みたものであったけど、ただ、その目が何だか、思わずゾクッとしてしまうような、そんな底冷えのする目であった。
あうあうっ、吏緒お兄ちゃんがこあいよー。