第三十二話:乙女、妄想!
「あ、ありがとうございます、吏緒お兄ちゃん」
「……いえ、どうぞお召し上がり下さい」
お茶を注がれ、吏緒お兄ちゃんにお礼を言う私。でも何故か、一瞬ピタリと止まる吏緒お兄ちゃん。
あの後戻ってきた彼に、改めて、
「吏緒お兄ちゃんって、呼んでもいいですか?」
と聞き、お許しをもらった私(その時も何故か、3秒ほど止まっていた)、早速こうして気兼ねなく、彼を“吏緒お兄ちゃん”と呼んでいる。
いやー、何かいいですなぁ、お兄ちゃん。
私の姉は、全く姉らしくありませんからなぁ。ずっと、しっかり物のお姉ちゃんか、お兄ちゃんが欲しかったんですよ。
その点、スナイパー渋沢は、文句なしのしっかり者!
ただ、金髪イケメンな事は、これは……まぁ、仕方ないですね。うん。それは目を瞑ろう。
それにしても、と私は同志の方を見る。
彼は何やらずっと、不機嫌と言うか、何だか思いつめた様な顔をしている。
これは後でちゃんと彼に理由を聞かなくては、と私は思うのだった。
「で、お姉さま? ネグリジェ、パジャマ、浴衣。色々ご用意してありますけど、どれになさいます?」
「は!?」
いきなりな乙女ちゃんの言葉に、私は訳が分らず彼女を見る。
「わたくしとしましては、ネグリジェをお勧めしますわ。わたくしと、お揃いですのよ」
「え!? ちょっと待って? 乙女ちゃん、何の話!?」
一人でどんどん話を進めてゆく乙女ちゃんに、私は戸惑い、声を掛ける。
「何って、今日寝る時、何を着るか決めなくてはいけませんでしょう? ……ハッ、それとも裸で寝るおつもり!?
いやーん、健康にはいいって聞きますけど、私目のやり場に困りますわーー!!」
前の席で、同志がブフッとお茶を吹いた。日向真澄に背中を擦られている。
「いやだから、今日寝る時って……どういう事!?」
「お嬢様は今夜、一ノ瀬様が此方にお泊りになると思われているのです」
すると吏緒お兄ちゃんが、同志の吹き出したお茶を拭きながら、私に言った。
そして、ゲホゴホと咳き込み、何故か吏緒お兄ちゃんを睨みつけながら、同志が言う。
「何勝手な事言ってんだ、薔薇屋敷! オレ達は明日も学校があるんだぞ!」
すると乙女ちゃんは、ファサッと髪をかきあげながら、フフンと笑った。
「わたくしを誰とお思い? この薔薇屋敷家に不可能はございませんわよ!
明日の学校の用意ならご心配なく。教科書から体操服、そしてお昼のお弁当、全て抜かり無しですわ! それに今日の着替えなんかも、全部用意していてよ!
まぁ、ついでに呉羽様の分も、一応用意はしてありますので、泊まっていってもよろしいですわ」
ほほほと笑って乙女ちゃんは、同志にそう言った。
「ええ!? 俺は……?」
日向真澄がポツリと尋ねる。
乙女ちゃんは、そんな奴を冷たい目で見やると、つんと澄まして言った。
「ある訳ございませんでしょう?」
「だよねー……」
あははと、残念そうに笑う日向真澄であったが、乙女ちゃんは私の方をチラリと見ると、頬を赤らめる。
「でもわたくし、心が優しいですので、どうしてもと仰るなら、ご用意して差し上げなくもないですわ」
そう言う間も、私をチラチラと見ている。なので私は、理解し言ってあげた。
「あー、乙女ちゃんは優しいねー」
「あはっ、いやーん、優しいだなんてー! うふふ、もっと言って下さっても、よろしくってよ。わたくし、褒めると伸びるタイプですわ」
「いや、うん、凄いね……。それで、私が家に帰るという選択肢は無いのかな……」
私がそう言うと、乙女ちゃんは「え……」と何とも悲しそうな顔で此方を見る。
そして、目を潤ませ、
「今日、泊まって下さいませんの……?」
消え入りそうな声で聞いてくる。
まるで、震えるチワワの様に私を見つめてくる乙女ちゃんに、私は胸がキューンとなった。
ああ、弱い! 私はそーゆー目に弱いんじゃー!!
もうこうなったら仕方が無い。今日も家に居る両親や姉には悪いが、夕食は勝手に食べてもらおう!
散らし寿司とリクエストを貰っていたけれど、それは我慢してもらう事としよう!
私は、目をウルウルさせている乙女ちゃんに言った。
「えっと、じゃあ、お言葉に甘えて、泊まらせてもらおうかな……」
すると乙女ちゃんは、一気に顔を明るく輝かせ、私に抱きついた。
「あーん、お姉さまー! これで念願の、お泊り会が出来ますわー!
一緒にディナー、そして一緒にバスタイム。それから、一緒のベッドで寝るんですのよー!!」
そう叫びながら、またしても乙女ちゃんは、私の胸にグリグリと顔を摺り寄せる。
「うひゃあー! だから乙女ちゃん、それくすぐったいってー!」
そう叫びながら私は、承諾してしまった事を早くも後悔し始めた。
何故なら、乙女ちゃんがグリグリとしながら、ムフフと怪しく笑ったからである。
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一方、そんな二人を呆れたように、そして羨ましそうに見る呉羽に、真澄がこそっと聞いてくる。
「ねぇ、如月君は如何するの? 泊らせてもらうの?」
その言葉を聞いて、呉羽は彼を睨みつけながら言う。
「は!? 何でオレまで泊るんだよ?」
「え? だって、一ノ瀬さん、ここに泊るんだよ? あの杜若って人、住込みだと思うし、必然的に一つ屋根の下だよ?」
「ウッ」
「それに、このままでいいと思ってる? 今の所、恋愛感情は無いみたいだけど、あの人かなり美形だし、一ノ瀬さんも流石にコロッといっちゃうかもよ? しっかりつかまえておかなくちゃあ」
「………」
呉羽は、真澄の言葉に暫し考えていたかと思うと、ガタッと立ち上がり、乙女に向かって宣言した。
「薔薇屋敷! オレも泊らせてもらうからな!」
「あら、そんな風に言わずとも、既に用意はしてあると申し上げましたわ」
乙女は言ったのだった。
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何と!? 同志も泊るですって!?
これはこれは、楽しくなりそうですな……。
等と思いながら、私は嬉しくなって、同志に言った。
「同志もお泊りするんですね! うふふ、いっぱいオヤジ達について語り合いましょうね! もちろん、吏緒お兄ちゃんも!」
私がそう言うと、最初、微笑んでいた同志だったが、何故か顔を強張らせ、すぐさまこう叫んだ。
「オレは、オヤジ達を一冊しか読んでねー奴を、ファンとは認めねー!」
私はその言葉を聞き、一気に気持ちが沈みこむ。
さっきまでの楽しい気持ちが、凄く悲しいものに変った。
「同志……如何してそんな事言うんですか? 晃さんだって――」
「オレはオレ! 晃さんは晃さんだろ!」
私の言葉を遮るようにして言う同志。
私は何だか、同志が遠くに感じてしまい、思わず泣きそうになる。
「私はただ、皆で楽しく話がしたいと思っただけですよぅ。うー、同志のバカ。わからんちん」
「んなっ!!」
思わず私が言った悪口に、同志はムカッとした顔で此方を見た。
すると、乙女ちゃんが憤慨して、同志に向かって怒鳴る。
「んもぅ、呉羽様! お姉さまを悲しませるなんて、どういう了見ですの!?
言っておきますけど、お姉さまはわたくしの部屋に泊りますのよ! 呉羽様とは別の部屋に決まっているでしょう!?
それとも何ですの? 一緒の部屋がよろしいと!? いやー、呉羽様、何を言ってるんですの!? そのいやらしいお考えを改めになって!!」
いや、乙女ちゃん。同志、そんな事一言も言ってないよ。
同志も、「それはこっちのセリフだ!」と怒鳴っている。
すると、吏緒お兄ちゃんが、
「呉羽様方には、ちゃんと客室をご用意させて頂いています。着替えも全て、其方にありますので、ご自由にお使い下さい」
そう言って、同志に向かって、目礼をする。
同志はと言うと、そんな吏緒お兄ちゃんをギリリと睨みつけている。
そして、お兄ちゃんが目を向けると、直ぐにそっぽを向いてしまうのである。
一体全体、如何して同志は、こんなにも吏緒お兄ちゃんを毛嫌いするのでしょうか……? ハッ、まさか同志も金髪碧眼が嫌い?
あ、でも同志自身、金髪にしてたもんなー……。正確には金髪サイド赤……。
そんな事を思っていると、日向真澄が話に割り込んできた。
「うわー、どんな部屋なんだろ。楽しみだなー。
あ、そういえば、お風呂ってどんななの? こんな豪邸のお風呂って、何か凄そう……」
その言葉に私もハッとなる。
そうだよ、お風呂! お金持ちの乙女ちゃん家の事です。さぞかし立派なお風呂である事でしょう。
我が家のお風呂も、わりかし広かったりします。マンションの最上階なんで、夜景がとっても綺麗だったりもしますが、乙女ちゃんの家のお風呂は、何かプールみたいに広い気がする……。
そんな予想を立てていた私であったが、本当の所は、それを遥かに超えたものであった。
乙女ちゃんは腰に手を当て、ファサッと髪を払う仕草をしたかと思うと、得意げに言った。
「ほほほ、実はお父様が、大のお風呂好きでありますの。なので、この薔薇屋敷家のお風呂、かなり充実していてよ!
檜から五右衛門、露天風呂にジャグジー、サウナに岩盤浴。お好みのものを選ぶとよろしいですわ! 変わった所では、銭湯なんてのもありますのよ」
「せ、銭湯ですか!?」
「ええ! しっかり番台さんも居てよ。それに見所なのが、わざわざ専門の絵師に来てもらって描いてもらった、壁一面の富士山の絵ですわ!」
グッと拳を握り締め、そう言い放つ乙女ちゃん。
私も呆気に取られてしまう。いや、私だけではない。同志や日向真澄もだ。
それにしても、これはもう、お風呂のテーマパークと呼んでもいいのでは?
そう思ってしまう。
すると乙女ちゃんが、何故かポッと頬を赤らめ、もじもじとし始めた。そして私をチラチラと見る。
「お姉さまは、どれに入りますの? 勿論わたくしは、お姉さまにお供しますわ。一緒に洗いっこするんですのよ?
わたくし、お姉さまになら何をされても平気ですわ。あーんな事や、こーんな事まで……。
いやん、、お姉さまのエッチ。そんな事までするんですの? なら私だって、負けていられませんわ。あーんな事や、こーんな事までいたしますわよ」
私は、乙女ちゃんから一歩引いていた。
あ、あーんな事やこーんな事って何だろう?
それに私、乙女ちゃんの頭の中で、そんな事って何をしたんだろう? そして乙女ちゃんは、私に何をしているの!?
「うふふ、お姉さまの柔肌に……柔肌に――」
ポタ――。
「っ!! 乙女ちゃん、鼻血!!」
乙女ちゃんの鼻から、赤いものが滴り落ち、吃驚して声を上げる私。
空かさず、吏緒お兄ちゃんがハンカチを取り出し、彼女の鼻を押さえる。
「おほほ、嫌ですわ、わたくしったら。お姉さまの前ではしたない……」
乙女ちゃんはそのままハンカチを受け取り、鼻声でそんな事を言う。
しかし乙女ちゃんは、言うほど気にした風には見えなかった。と言うか、何か慣れた感じに見える。
まさか乙女ちゃん!? いつも鼻血吹いてたりするの!?
私は乙女ちゃんが、あらゆる意味で心配になるのだった。
そうして私達は、乙女ちゃんの家でお泊りをする事になった。
そう言えば私、お友達の家でお泊りなんて初めてかもしれない。
ちょっとワクワク。
それから私は、家にその旨を伝えるべく、電話をかけた。
すると、電話に出たのは父だった。
『オッス、おら大和! ロックバンドのボーカルだ!』
………チーン。
バカじゃないの? ってゆーか、まさか今までも、こうやって家の電話に出てた……?
「この、我が家の恥さらしが!!」
心の声と、現実の声が、重なった瞬間だった。
『おー、ミカたん! って、オレって恥さらし!? 酷いやミカたん!』
「恥さらしじゃ無かったら何と言うんですか、面汚しですか」
『違うぞミカたん。パパは、我が家のナイスガイだ!』
ああ、見える……。
電話の向こうで、アホ丸出しでニッカリと笑って、親指を突き立てている父の姿が……。
『あー、ミカ。ごめんごめん。で? 何の話?』
その時、電話の声が変った。晃さんだった。
あー、このギャップ。晃さんが私の父だったら良かったのに……。
んー、でもそういえば、晃さんって、私の初恋の人だったんだよな。
そんな事を思いながら、私は晃さんに用件を言う。
「あの、晃さん。実は今日、お友達の家にお泊りするので帰れません。お夕飯は、そちらで勝手に済ませちゃって下さい」
すると、少し間があってから、
『んー、あー……分った。もしかして、昨日の同志君かい?』
「え? いや、まぁ、彼も一緒ですが、お泊りする家は、乙女ちゃんの家です」
……? はて、何故同志の事を聞くのでしょうか?
『ああ、乙女ちゃんて、あれかー……。お金持ちのお嬢様とか言う……』
「はい、もう凄いですよ。さすがお嬢様って感じの家です。豪邸です、でっかいです! 迷子になる位に広くて、何と、お風呂が何種類もあるって言ってました! 銭湯まであるそうですよ!」
『おー、そりゃ凄いなー』
「それから、それから! 前に話したスナイパー渋沢にそっくりな、乙女ちゃんの執事ですが、彼もオヤジ達の愛読者だったんですよ! 残念な事に、夜明け前のスナイパーしか読んでないそうですが、貴重なファンをゲットしました!」
『ほー、それは良かったなぁ、ミカ』
「はい! おいおい、他のお話も進めてみるつもりです!」
『あはは、がんばれー』
「じゃあ、そういう事ですので、お夕飯の件はよろしくお願いします」
『あー、分った。ミカの散らし寿司、楽しみだったから、ちょっと残念だけどな。
あっと、それから、呉羽君も一緒なら、襲われない様に気をつけろよー』
急に、そんな事を言ってくる晃さん。
……襲う? どういう事でしょうか?
「襲うって……どういう事ですか? 晃さん」
『んー、そーだな……まぁ、チューされない様に気ぃつけろって事だ』
「ちゅー!? 何言ってんですあ、晃さん!? そんな事ある訳無いじゃないですか!」
『んー、でもまぁ、気ぃつけろって事で、じゃあな』
「え? あ、はい、それでは……」
そして、会話は終わり、携帯を切る私。
……同志がチュウ!?
全く、晃さんも変な事を言いますねー……。父の影響でしょうか?
あ、チューって言えば、そういえば初チューの相手って、晃さんだったなー。
ちっちゃい頃、晃さんに抱っこされて、『私、大きくなったら、晃さんのお嫁さんになるー』って言って、チュッとした覚えが。
その時の晃さん、苦笑いしてたっけ、その後父が乱入して、『ずるいぞ、晃! それは父親である、オレの特権なのにー!!』そう叫んで、私に無理矢理チューしてこようとする父。
まぁ、可愛い思い出かなぁ……。
私は暫し、そんな思い出に浸っているのだった。
++++++++++
一方その頃、一ノ瀬家では――。
「えー、ミカたんの散らし寿司、食えないのー!?」
大和がブーブーと文句を言っていた。
「こらこら、大和。ミカだって年頃の女の子なんだから、遊ばせてやるのも父親の仕事だぞ?」
苦笑しながら、晃は大和に向かい言った。
「うー、それもそうだな。よしっ!」
そう言うと大和は、奥の部屋に行って、ある本を持って来ると、ペラペラと捲り出した。
「あー、大和?」
「んー?」
「そんな風に顎をしゃくらせたからって、クッキングパパになれる訳でも、ましてや料理が出来るようになる訳でもないぞー」
バサッと大和が持っていた本を落とす。それは、『クッキングパパ』であった。
そして大和は、「マジで……?」顎をしゃくらせながら、悲しそうに呟き、懐から携帯を取り出すと、何処かに掛け始めた。
「ん? 何だ、大和。何処にかけてんだ?」
「んー、翔ん所。久しぶりに蓮実ちゃんの手料理食いたいかも」
「あ、そーいや暫く行ってないなー」
「だろ? ……あ、マリアちゃん? オレ、大和。今日飯食いにそっち行っていい?
……え? バーベキュー大会? やった! オレ、肉買ってくよ! 牛一頭連れてく! じゃあ!」
そう言うと、携帯を切ってしまう。
晃は何とも言えない顔で、大和を見ていた。
「……大和、牛一頭は幾らなんでも、車では運べないぞ。さばくのも大変だから、スーパーで売ってる、ちゃんと切り分けられてるやつにしとけ?」
「ハッ、そっか! オレってば、うっかりさん!」
「ねぇ、ママ?」
そんな父と、その友人の会話をリビングで聞いていた、ミカの姉マリは、母である小鳥に話しかけた。
「んー、なぁに? マリ」
相変わらず、女優をやっているとは信じられない位、オーラが消失している。
「どーしてパパと結婚したの?」
「……運命……」
ポッと頬を染め、小鳥は呟いた。
「えー? でも運命かぁ……。それはそれでメルヘン?」
ウットリと夢見心地で呟くマリであった。




