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第三十一話:同志と呼ばれるよりも

(やっぱ凄いなー、一ノ瀬さん。妹属性まであったなんて……。それにしても……)


 真澄は呉羽の方を見た。


(うわー、如月くんすっごい不機嫌そー、今はそっとしておいた方がいいな。でも、仕方ないか、あんな美形の人に、一ノ瀬さんってば、懐いちゃってるもんね)


 それから、ミカの方を見た。彼女は今、杜若の去った方を見ている。


(ホント一ノ瀬さんって、あらゆる意味で最強だよね。自覚無しでやってる所もまた凄い……。あの杜若って執事さん、あれは絶対お兄ちゃんって言われて、内心嬉しがってると思う……)


 真澄もまた、杜若の去っていった方を見やった。





 一方、真澄にそんな事を思われている杜若吏緒はというと、誰もいない部屋で、壁に手をついていた。

 彼の頭の中には、先程のミカの言葉が、焼付いて離れない。


(……お兄ちゃん……お兄ちゃん……何だろうか、この気持ち……。ハッ、まさかこれが、お嬢様のいつも言っている“萌え”というものだろうか!?)


 思わず口元が緩みそうになり、慌てて口を引き結ぶ。

 執事たるもの、いつでも冷静沈着であらねばならない。


(それなのに、さっきの私は如何だろう?)


 吏緒は先程、ミカに対して怒ってしまった事を思い出す。

 くすぐられ、冷静な判断が出来ず、つい怒鳴りつけてしまった。

 途端にぽろぽろと泣き出し始めるミカに、言い知れぬ思いが湧いてくるのを感じた。

 それはそう、吏緒が乙女に執事として仕え始めたころ、何もかも未熟だった彼は、我侭し放題の乙女に、つい苛立ち、怒鳴りつけてしまった事があったのだ。

 その時の乙女もまた、泣きながら謝っていた。

 その時と同じ感情。守らねばならない存在。


(しかし私は、お嬢様の執事。他の人間にそのような思いを抱いてはいけない……)


 常に考える事は、主人の事であらねばならない。

 それなのにと、吏緒はまた頭の中にミカの言葉が浮かんでくる。


 ――吏緒お兄ちゃん――


 その言葉で、ますます彼女に対して庇護欲が湧いてしまう。

 それは、彼の中で、乙女以外の人間に執事魂が燃え上がってしまった瞬間であったのだが、吏緒はガツンと拳を壁に打ち付けると、


(ダメだ! こんなに動揺して如何する! もっと精進せねば)


 と心の中で自分に言い聞かせるのだった。





(吏緒お兄ちゃん……吏緒お兄ちゃん……)


 そしてここにも、ミカの言葉を繰り返している者が一人。

 呉羽であった。

 彼はミカを見、そしてその視線の先に目を移し、ムスッとした。


(イケメン、嫌いじゃなかったのかよ……。あいつ、すっげー美形じゃん)


 呉羽は頭の中で、悶々と考える。


(最初は嫌がってたくせに……それなのに、帰ってきたらケロッとしていて、そして――)


 その時の光景をありありと思い出す。

 「スキあり!」と叫んで杜若に抱きつくミカの姿。


(抱きつくしよー……)


 ハァーと溜息を吐く。

 しかも、嬉しそうなミカの顔を思い出し、さらに落ち込んだ。

 それに、その後のミカの行動。


(何で、あそこでくすぐる必要がある!? 杜若も杜若だ! 何で直ぐに笑ってやらねぇんだ。そうすりゃ、一ノ瀬も満足して離れただろうが!!)


 その時の光景も、ありありと思い出してしまう。

 ミカの手は、彼のわき腹だけでなく、胸やら腹にまで回され……。


(危うい! あれは危うかったぞ、一ノ瀬! クソッ、杜若! なんつー羨ましい事されてんだよ! お蔭で、変な事口走っちまったじゃねーか!)


 ――触るならオレにしろ――


 思い出し、改めて恥ずかしくなる。


(その後も人前で泣くし……)


 確かに、あの外人顔で睨まれたら、結構怖いとは思う。思うけれど、人前では泣いて欲しくなかったと、呉羽はミカの泣き声を思い出す。

 眉を寄せ、目にいっぱい涙を浮かべて、唇を震わせている様は、思わず抱き締めたくなるほど可愛かったりする。

 それを、他の男たちにも知られてしまったと思うと、苛立ちと焦りが呉羽の中で沸き起こる。

 杜若が、『オヤジ達の沈黙』の愛読者と知って、更にその気持ちが強くなった。


 ミカが杜若に向けている好意と、自分に向けている好意は一緒のもの。自分は特別ではないのだと、呉羽は卑屈な気持ちになった。

 今までは、呉羽はミカの中で、恋愛感情は無いにしろ、特別な存在であるのだと思えて嬉しくもあった。気持ち的にも、多少なり余裕があったようにも思う。

 だから呉羽は、杜若が『夜明け前のスナイパー』しか読んでないのだと知って、内心喜んだ。そんなものは邪道だとも言ってやった。

 けれどミカは、それでもいいのだと言った。

 そして、呉羽の尊敬する晃の名を出し、呉羽にどの物語が好きか聞いてきたのだ。


(まさか、一ノ瀬の口からエッチなんて言われるなんて……)


 確かに、『マグロ漁船で君を釣る』はかなり危ういシーンが満載で、特にるみ子が船長である船橋を誘惑するシーンなんかは、呉羽も生唾を呑みながら読んだ覚えがあった。


(ああ、オレ、何でマグロ漁船って言っちまったんだ……。タイガー&ドラゴンか、走り屋緋咲って言った方が良かったか!? ……一体オレ、一ノ瀬にどんな目で映ったんだか……)


 中華街で暴れまわる兄弟の話や、ハーレーでハイウェイを走り回る男の話なんかを思い出しながら、呉羽はハァッとため息をついた。


「そういえば、ずっと気になっていましたけど、呉羽様はどうして黒髪になっていますの? どんな心境の変化があって?」


 その時、乙女が呉羽に向かい、そんな事を聞いてくる。


『それは――』


 ミカと呉羽の声が重なり、「あ」と声を上げ、顔を見合わせる二人。

 呉羽は何だか気まずくなり、視線を逸らせる。

 ミカの方は、何故彼がそんな行動を取るのか分からず、戸惑った顔をしていた。


「そうなんだよ、聞いてよ薔薇屋敷さん!」


 “バン!”とテーブルを叩き、真澄が身を乗り出しながら叫んだ。

 二人の様子を見、そして呉羽の心境を察した真澄は、すぐさま注意を自分に向けようとして取った行動だった。

 最初、真澄に話しかけられ、嫌そうな顔をしていた乙女であったが、次の真澄の言葉によって、彼女もまた身を乗り出す事となる。


「何と、一ノ瀬さんってば、生徒会長の大空達樹会長に目を付けられちゃったんだ!」

「何ですって!? それは一体どういう事なんですの!?」


 乙女は、ミカと呉羽を見やる。

 ミカは何か言おうとして、口を開きかけ、そして「あ」と声を上げた。

 杜若が戻ってきたのだ。


「ただ今戻りました。勝手に部屋を出てしまい、申し訳御座いません」


 彼は乙女の傍らに立つと、彼女に向かい頭を下げた。


「杜若! 今はそんな事、どうでもよろしくってよ! それよりも、お姉さまの一大事ですわ!」

「は!?」


 杜若は顔を上げ、ミカの方を見る。

 彼女は、杜若の青い瞳に見据えられ、居心地の悪そうに身を竦めた。

 呉羽はまた、ムスッとしている。


「えっと、一大事という訳でもないですよ? ただ、会長に私の作ったお弁当を、気に入られちゃっただけです」

「でも、今、目を付けられたと言っておりましたでしょう?」


 眉を顰めて乙女が聞くと、真澄がその質問に答えた。


「大空会長は、平凡キラーって言われてるんだ」


 そして真澄は語りだす。自分がミカから聞いた話と、自身が見聞きした事を織り交ぜながら。

 だが、唯一つ言わなかった事がある。

 それは、あのキスマークの一件の事だ。

 うまい具合に、その事だけは避けて話していた。


(まぁ、当然だな)


 呉羽はそう思った。

 もしその事が知れたら、乙女に何を言われるか……いや、何をされるか、分かったものではない。

 そして呉羽は、自分の首にある、赤い印の存在を思い出し、カァッと顔が熱くなった。

 あの時の、唇の感触まで、まざまざと思い出してしまい、呉羽は無意識にそこに手を当てる。


(お仕置きって……一ノ瀬、これはお仕置きじゃねーよ……)


 ふと呉羽が顔を上げると、真澄はまだ話していた。

 どうやら彼は話し好きらしい。


(それに、結構お節介な奴だよな。悪い奴じゃないんだが、オレにはちょっと苦手なタイプだ)


 真澄を見て、呉羽はそう思った。

 最初は、渋々と聞いていた乙女は、そんな真澄の話に聞き入っているのだから、話す事自体もうまいらしい。全く自分とは真逆の人間だな、と呉羽は更にそう思った。

 そして、ミカの方を見た呉羽は、彼女が怪訝な顔をして真澄を見ている事に気付く。

 ミカは真澄に向かい、何かを言おうとした。


(ま、まさか――!?)


 呉羽はギョッとする。

 まさか、あの事を話す気ではないだろうかと思ったのだ。

 真澄もその事に気付き、慌ててミカの元に行くと、彼女に耳打ちする。

 するとミカは、ポンと手を打ち、納得したように頷いて見せた。

 どうやら、本当にキスマークの件を話す気であったようだ。

 一先ずホッとする呉羽。


 真澄がミカに言った事。それは、


『一ノ瀬さん、キスマークの事は言わない方がいいよ。薔薇屋敷さん、絶対やりたがると思うから』


 であった。

 それを見た乙女は、鼻に皺を寄せ言う。


「まぁ、日向真澄ったら、お姉さまに近づき過ぎですわ! あっちに行って下さる?」


 シッシッと手を払った。

 まるで、野良犬を追い払おうとするかのようなその仕草に、真澄は苦笑する。

 内心、追求されないで、ホッとしていた。



 一方杜若は、今の話を聞いて、悶々と思い悩んでいた。


(そんな……一ノ瀬様が私の居ぬ間にそのような事に巻き込まれていたとは……。それに、この日向真澄も、このように接近されている……。ここは私が、彼をしっかり見張っていなければ……)


 少々険しい顔で、真澄を見てしまう杜若。

 もし自分がついていたなら、と思い始めてハッとする。


(何を馬鹿な事を考えているんだ、私は! 私がついているべきは、お嬢様ただ一人)


 そんな事を思い、乙女を見ると、彼女は呉羽の方をキッと睨む所であった。


「もぅっ! 呉羽様がついていながら、これはどういう事ですの! みすみす生徒会長などと言う、何処の馬の骨とも知れない輩に、お姉さまがちょっかい出されてるんですのよ!?」

「いや、薔薇屋敷さん。何処の馬の骨って……。彼、生徒会長だよ――」

「だまらっしゃい、日向真澄! あなたも十分馬の骨……いいえ、犬の骨ですわっ!!」

「うわっ、ひどっ!」


 容赦ない乙女の言葉に、少なからず傷ついた様子の真澄。ミカはそんな二人を見て、まぁまぁと言った。


「落ち着いて、乙女ちゃん。中々にナイスな表現ですが、流石にちょっと言い過ぎですよ」

「え!? 一ノ瀬さん、それって全然フォローになってないよ!」


 真澄がガーンとショックを受けているが、ミカは完全無視する。


「そもそも事の起こりは、同志も乙女ちゃんも、学校を休んでいた日ですよ。同志に何か出来る訳は無いし、それに、生徒会長にお弁当を食べさせてしまったのは、この私です。

 言うなれば、自分の蒔いた種ですよ。その種が芽吹いちゃっただけです」


 あははと乾いた声で笑うミカ。

 その目は遠くを見ている。

 そんなミカを見て、乙女は目を潤ませると、


「お労しいですわ! お姉さま!」


 そう言って、ミカをヒシッと抱き締めるのだった。



 そんな二人を見て、ハァと短く息を吐き出すと、杜若はお茶を入れ直そうと思い、ティーポットを持った。


「あ、あのー……」


 すると、そう声を掛けられ、杜若はピタリと止まる。

 見ると、ミカが不安げに此方を見ていた。


「はい、何でしょうか、お――」

「お?」

「……いえ、何でも……」


 その場に居る者は皆、彼が無表情になるのを見た。

 しかし内心、かなり狼狽していた杜若。


(い、今私は、何を言おうとした!? 今、自分は、一ノ瀬ミカを“お嬢様”と言おうとしなかったか!?)


 そんな彼の動揺をよそに、ミカは杜若に向かって言った。


「あの、改めて聞きますけど、“吏緒お兄ちゃん”って呼んでもいいですか?」


 パニック状態の上に、ミカのこの質問によって、杜若は3秒ほど固まっていた。


「……ダメですか?」


 悲しそうなミカの呟きにハッとして、咄嗟に「いいえ」と答えていた杜若。言ってからしまったと思い、断ればよかったと後悔する。

 しかし、杜若の返事を聞き、嬉しそうに顔を輝かせるミカを前に、否定の言葉は出てくる事を拒んだ。


「よかった! ありがとうございます、吏緒お兄ちゃん!」


 その笑顔と言葉によって、またもや杜若は、数秒ほど固まってしまうのだった。




(……また吏緒お兄ちゃんか……)


 二人のやり取りを不機嫌な顔で眺めながら、呉羽は心の中で呟く。

 全くもって、面白くない呉羽であったが、ここでミカと目が合ってしまう。

 呉羽は、ふいっと目を逸らしてしまった。

 胸の中に渦巻く、もやもやとした感情。


(あいつの事は“吏緒”お兄ちゃんで、オレは――)


「同志、如何したんですか? さっきから元気ないですよ?」


 ハッとしてミカを見る。心配そうに気遣う素振りを見せるミカ。

 やはり、その顔をまともに見れなくて、呉羽は目を逸らしてしまう。

 なんだか、みっともない事を口走りそうだった。


「……なんでもねぇよ……」


 やっとそれだけ言うと、呉羽はギュッと拳を握り締める。


(同志……同志か……。同志なんて呼ばれるより、オレは……オレも、名前で呼ばれてーよ……)


 まだ此方を見ているだろうミカの視線を肌で感じながら、呉羽はそう思うのだった。



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