第二十九話:髭の無い渋沢はただのスナイパー
薔薇屋敷家 潜入編 始動!
「でっかいですねー……」
「ああ、すげーな……」
「はぁー、本当だねー……」
口をポカンと開けながら、私たちはお屋敷の前に立っている。
はい、私たち今、乙女ちゃん家に来ています。
お見舞いに来ました。でっかいです。さすが、お嬢様!
洋式の門構えに、それからお屋敷までがまた遠い。
それに、薔薇屋敷の名は伊達ではないようです。お庭には、色とりどりの薔薇が咲き乱れております。
と、ここで、私ははたと振り返る。
………チーン。何故ここに日向真澄がいる!?
下校時、私は同志を伴い、乙女ちゃんのお見舞いに行こうと彼女の家に向かう間、こいつもまた、一緒について来た。
最初は家がこっち方面なのかと思っていたけれど、今奴はこうして私たちの隣で、ポカンと口を開けている。
「……何故日向君がここに居るんですか?」
私がそう尋ねると、同志も今気付いたと言うように奴を見た。
「あ、そーいや、何でお前いるんだ?」
「えぇ!? 今更それ聞くの!? 何も言わないからいいのかと思ったじゃん」
ガーンとショックを受ける日向真澄。
やはり、勘違い男と呼ぶに相応しいやも知れない。
「……同志、如何します?」
「あー、別にいいんじゃないか? こいつの自己責任って事で……」
「何その自己責任って!! 何の責任!?」
そう言って戸惑う日向真澄であったが、そこで、はたと奴は私たちを見た。
「そう言えば、ずっと気になってたんだけど、如何して一之瀬さん、如月君の事同志って呼んでるの?」
私は同志を見る。同志も私を見た。
「……それこそ、今更ですよね?」
「ああ、今更だな……」
そんな事を言っていると、門が音を立てて開いた。
私たちが其方を見ると、メイドさんが立っていた。
「一ノ瀬ミカ様ですね? どうぞ、お嬢様がお待ちです……」
そう言って、私たちを中へと招き入れた。
メ、メイドさんだよ! 本物のメイドさんだ! 本物は初めて見たよ!
私たちは導かれるままに、中に入ってゆく。
「あ、ちょっと! 理由は教えてくれないの!? 一ノ瀬さん? 如月君?」
奴の声を聞きながら、メイドさんの後ろについて行く私と同志。
ふっ、謎は謎のままにしておくがいいさ! せいぜい頭を悩ませるがいい! ハッハッハッ!
++++++++++
「え? お姉さまがいらっしゃったですって!?」
乙女は顔を輝かせ、杜若に尋ねる。
「はい、たった今、到着されたようです」
杜若も、乙女の喜びように目を細める。
「こうしてはいられませんわ! わたくし、お姉さまを出迎えに行きます!」
そう言って、スクッと立ち上がる。
そして――。
「お姉さまーー!!」
丁度、屋敷内に入ってきたミカを見つけると、乙女は叫び、両手を広げて走る。
目指すは愛しいミカの胸の中。
(ああ、お姉さまがわたくしに向かって微笑んでいますわ。両手を広げて、おいでって言っておりますわ……)
実際には、苦笑いして乙女を見ているだけのミカ。
両手を広げても、おいでとも言っていない。
しかし、乙女の中ではドリームが広がっていた。
「ああーん、お姉さま! 会いたかったですわ! 寂しかったですわ! ずっと乙女は、お姉さまの事ばかり考えていたんですのよ!」
ミカの胸に飛び込むと、乙女は力いっぱい抱き締め、ぐりぐりとその胸に顔を摺り寄せた。
「うひゃあ! 乙女ちゃん、くすぐったい!」
「あーん、久しぶりのお姉さまの匂いですわ! しかも、体操服とは違う生のお姉さまの匂いーー!!」
「おい! 何変態っぽい事言ってんだ!? ってゆーか、くっ付き過ぎだろ!」
「うーわー、本当に薔薇屋敷さん、一ノ瀬さんラブなんだー……」
少々腹立たしげな呉羽と、呆然とする真澄、乙女ははたと顔を上げ、彼らを見た。
「あら? 呉羽様、如何なさったのかしらその髪。真っ黒ですわよ。と言うか、呉羽様も一緒でしたのね?
……ハッ!! 日向真澄!? 何故あなたがここに!? まさか、わたくしとお姉さまの仲を引き裂こうと!!」
「いや、全然違うよ、薔薇屋敷さん。それに二人の仲を引き裂いて、俺に何のメリットがあるのさ……」
困った様に真澄が言うと、乙女は毛を逆立てて怒鳴る。
「メリットなんか、ありまくりじゃないですの! お姉さまのあの――ムガッ!」
ガシッと口を塞がれる乙女。
そろっと其方を見ると、ミカがにっこりと笑って此方を見下ろしている。
そして、手を放すと、乙女の口に人差し指を当て言った。
「乙女ちゃん? それ以上言っちゃダメ。言ったらお仕置きしちゃうぞ?」
すると乙女は、涙目になってプルプルと震えたかと思うと、またミカの胸に顔を埋め、ぐりぐりとした。
「いやーん! お姉さまのお仕置きなら乙女、甘んじて受けますわーー!!」
「にょわー!! 乙女ちゃん、それ止めて! 本当にくすぐったい!」
「お嬢様、そろそろ部屋にご案内を……」
杜若が乙女の後ろでそう言うと、乙女はぐりぐりをピタリと止め、
「そうですわね」
と、ミカの胸から顔を離した。
ただし、その手はミカの腕に絡んだままだ。
そして、ミカ、呉羽、真澄の三人は、杜若に釘付けとなる。
金髪碧眼の美形がそこに立っていた。
まるで、物語から抜け出たような、現実離れしたそのルックス。
男女問わず目を奪われるものだった。
しかし、ミカだけは違う。
がくがくブルブルと震えだし、ミカにくっ付いている乙女は、それに気が付いた。
「あら、お姉さま? 如何なさったの? お顔が真っ青ですわよ?」
「こ、ここここの人は!?」
「何を言ってますの? 杜若ですわよ。まぁ、格好を元に戻してしまいましたものね」
「えぇ!? 杜若って――」
「えー!! じゃあ、あの黒尽くめの執事さん?」
呉羽と真澄が驚きの声を上げる中、ミカは口をパクパクとさせ、その震えは最高潮に達した。
「わ、私の……私のスナイパー渋沢がーー!!」
ミカは乙女の手を振り解くと、ダッと駆け出してしまう。
「ああ! お姉さま、何処に行きますの!? 無闇やたらに走り回ると迷子に――ああ、行ってしまいましたわ……」
一同呆気に取られる中、呉羽はハッとしてミカの去った方を見、
「一ノ瀬!!」
そう叫んで後を追おうとした。
しかし、それを杜若が止める。
「ここは私が。呉羽様はお嬢様と共に、お部屋に向かって下さい。必ずお連れ致しますので」
「でも――」
「呉羽様? 杜若に任せましょう? 呉羽様が行ってしまうと、二次遭難してしまいますわよ」
「……二次遭難って……どんだけ広いんだよ、この家……」
呉羽が呆れた様に言う。
「では、杜若。お姉さまを頼みましたわよ」
「畏まりました、お嬢様……」
そう言って頭を下げると、杜若はミカの去っていった方に歩き出す。
「さぁ、私の部屋に案内して差し上げますわ。日向真澄も、ついでについてくると宜しいですわよ。跪いて感謝なさい。お茶なんか出さなくってよ」
フンと髪を書き上げると、乙女は歩き出した。
呉羽と真澄は、その後について行く。
「俺、何でこんなに目の敵にされてるんだろ……?」
真澄は首を傾げるのだった。
++++++++++
「あうあう、私のスナイパー渋沢が……あんな金髪イケメンに……」
迷い込んだ何処かの部屋。私は部屋の隅っこで、縮こまってそんな事を呟く。
渋沢は黒くなくては渋沢じゃないのに……。
髭も生えてないスナイパー渋沢なんて、ただのスナイパーでしかありません……。
それに何より、あの金髪碧眼は、あの私を愛人呼ばわりした誘拐犯のお供の金髪イケメンを思い出す……。と言うか似ている……。
「一ノ瀬様、このような所におられたのですか。さぁ、お嬢様の所に参りましょう」
おおぅ、スナイパー渋沢の声! そう思って顔を上げ、そしてやっぱり金髪イケメンな事にがっかりする私。
こんなの……こんなのスナイパー渋沢じゃないやい!
私はさらに縮こまって、膝の中に顔を埋める。
「一ノ瀬様?」
「黒くないスナイパー渋沢なんか、スナイパー渋沢じゃありません……。それに私、金髪碧眼には嫌な思い出があるんです……」
私がそう言うと、少し間があった後、
「一ノ瀬様、これを見て下さい……」
そうして見せられた物、それは一冊の本であった。
『オヤジ達の沈黙 第三巻 夜明け前のスナイパー』
それが表紙の題名。
私はハッとして彼を見上げる。
そして、青い瞳とばっちり目が合い、ギクリと体を震わすと、彼は何とも悲しげな顔をした。
ウッ、何だか此方が悪い事をしたような気に……。と言うか、考えてみれば、彼は何も悪くないのでは……。
「実は私は、自分のこの姿があまり好きではありません」
「え?」
彼が突然語りだし、私は驚いて声を上げる。
「私は生まれも育ちもこの日本です。日本人として育ちました。なのに、この姿のせいで私は周りからは、散々からかわれてきたんです。だから余計に、日本人としての黒い髪と瞳に憧れていたんです。そんな時、私はある人に出会いました」
そう言って、彼は『オヤジ達の沈黙』を裏に返す。
そこには、
『好きなものは貫き通せ』
と書かれており、そして、
「あ……」
私はそこに書かれている名前に、目を見開く。
「その時、私は中学生だったのですが、この姿の事で思い悩んでいました。そこに、如何したのかと私に尋ねてくる人がいました。
その人は日本人でありながら髪を染めていて、その時の苛立ちもあり、私はその人に怒鳴り散らしていました。
日本人のくせに、髪なんか染めてんな馬鹿野郎と……」
「えぇ!?」
今の彼からは想像できないその言葉。驚きの声を上げる私に、彼はクスリと笑って言った。
「意外でしたか? その当時は結構荒れていたんです。そんな私に、その人は言ったんです。
好きな色をこうして体に表して何が悪い。もし自分が黒が好きだったら、黒いままであったけど、でも自分は赤が好きだからそれを体で表したんだ。だから、日本人だとかそんなものは関係ない。大事な事は、それを好きでいられる事だ、と……」
私はその言葉を聞いて確信した。
さっき見せられた本の裏に書かれていた名前。
それはサインなのか、崩れた字であったが、『大和』と読めた。
「お蔭で私は、気持ちが少しだけ楽になりました。考えてみたら、金色自体はそんなに嫌いじゃないと気付いたんです」
「え!? でも、あの格好……」
「いくら金色が好きでも、金髪である事と、青い目である事は好きになれませんでしたから。
それにその後、彼から渡されたこの本。多分彼にとっては、本の内容は関係なかったのかもしれません。その時、書く物が見つからず、仕方なくといった感じでしたから。
でも、私はこの本を読み、この本の主人公、スナイパー渋沢が堪らなく好きになってしまったんですよ。そこで、彼の言葉を実行したんです。好きな物を体で表現する事を」
「それで、ですか……」
「はい、あなたに初めてスナイパー渋沢と呼ばれた時は、とても嬉しかったですよ」
そう言って彼はにっこりと笑った。
しかし直ぐに顔を曇らせ、私から目を逸らせる。
「しかし今、一ノ瀬様をこのように不快にさせてしまうとは……私はお嬢様の執事として失格です……」
悲しそうに目を伏せる彼に、私は居た堪れなくなってきた。
そして、ハッと気付き、私は立ち上がった。
彼のまん前に立つと、彼はかなり背が高いので、首が結構疲れるが、今は我慢である。
何より、大事な事に気付いたからだ。
金髪碧眼が何ぼのもんじゃい! スナイパー渋沢は不滅なのだ!
「あなたはやっぱり、スナイパー渋沢です!」
「一ノ瀬様……?」
「考えてみれば、物語のスナイパー渋沢って、過去は全く明かされていません。なので、もしかしたら渋沢も金髪碧眼なのかもしれません! 事実なんて誰にも分からないので、私はそう思う事にします!」
「……一ノ瀬様……」
呆然と呟く彼、いやスナイパー渋沢に、私はズズイと手を差し出す。
「実は、初めて見た時から、ずっと握手して貰いたいと思っていたんですよ。なので、握手プリーズ!」
私がそう言うと、スナイパー渋沢はやがて苦笑しながら、私の手を握り返してきた。
「……貴女は何処か、あの人に似ていますね……」
何ですと!? あんな父に、似たくはありませんな!
ありませんがしかし、
「会いたいですか?」
一応聞いてみる。
すると、スナイパー渋沢は懐かしげに目を細め、遠くを見るようにしてポツリと言った。
「……そうですね。会えたら会いたいかもしれませんが……実は後で知ったのですが、彼はロックミュージシャンなので……」
フムフム、会いたいとな!? これはいつか、会わせてあげねば!
……それにしても……。
と、私は握手をしている手を見つめる。手袋をしていた。
何だか物足りない気がする。
「あの、もう一つお願いしてもいいですか?」
「はい、何でしょう?」
「ハグして下さい」
ピキッとスナイパー渋沢が固まった。
「……それはちょっと……」
「ヘイ、カモン! ハグプリーズ!」
そう言って両手を広げるが、スナイパー渋沢には、結局ハグはして貰えなかった。
残念……。