第二十二話:一難去ってまた一難
「一ノ瀬さん? どうして?」
日向真澄が呆然として呟く。
姉が、あららと言う顔をし、杏ちゃんは、私を「これから如何するの?」と言うような顔をして見ていた。
如何するも何も、隊長が逃げてしまって何にも浮かばない……。
「何でこんな所に一ノ瀬さんが? って言うかドールは? あれ?」
どうやら混乱しているようである。
まだ、私とドールを同一視はしていない。
これなら誤魔化せる?
私はそう思って、あの輝石とか言う私の天敵の時同様、奥の窓を指差した。
「え? あそこから出てったの?」
コクリと頷く。
「なぁんだ! そっか」
よっしゃ! 誤魔化し成功!!
「じゃあ一ノ瀬さん、じゃあやっぱり君は、ドールと知り合いだったんだね!」
?? やっぱり? バレてはいないが、関係性は疑っていただと!?
「やっぱりそうだよね。だって、ドールってば、俺が一ノ瀬さんにしか話してない事知ってたんだから」
ああ、そういう意味か……。容姿的な事でなくて良かった。 って言うか、私にしか話していないって……。彼の友人には話していないのだろうか……?
そんな事を思っていると、日向真澄は突然、訳の分らない事を言った。
「あっ、もしかして一ノ瀬さんがバイトしてる所ってここ? 昨日、如月君が探してたよ」
「……は!?」
「あれ? 如月君から聞いてないの? 何か物凄く分り辛い地図もって、君のバイト先探してたよ」
なぁにぃ!? ちずぅ!? 探してたぁ!?
私はギギッと杏ちゃんを見る。
すると、ペロッと舌を出して、手を合わせて「ゴメンネ?」と言うように小首を傾げている。
やっぱりあんたかーー!!
ハッ! しかし、日向真澄が同志にこの事を言ってしまう恐れがッ!!
私は、真剣な顔で彼に詰め寄り言った。
「日向君、私がここでバイトしている事は、くれぐれも彼には言わないで下さい!」
「え? 何で? 別に――」
「何でもです!」
私がそう言うと、日向真澄は肩を竦め、分ったと言った。
「それにしても、一ノ瀬さんがこういう所でバイトしてるなんて以外だな。ロリータ好きなの?」
私は暫し考える。
これ位の事実であれば、言ってもいいだろうか。今は一ノ瀬ミカとして、彼の前に居るのだし。
「……ここの店長の名前を知っていますか?」
「え? ううん、知らない」
「一ノ瀬マリって言います」
「えっ!? 一ノ瀬って――」
日向真澄は姉の方を見た。
「どーもー、ミカちゃんの姉のマリでーす」
姉がひらひらと手を振っている。
「ああ、それでなんだ! あ、でも、一ノ瀬さんを店では一度も見かけた事が無いよ?」
私はギクッとして視線を泳がせる。
と、その時、杏ちゃんが前に出てきた。
「ミカちゃんにはね、雑用をして貰ってるのぉ。お掃除とか、在庫の整理とか」
おおぅ! 杏ちゃん、ナイスフォロー!
「そ、そうなんですよ! そういう雑用って、私得意なんですよ!」
「へぇー、そうなんだ。でも、一ノ瀬さんも酷いよ」
「はい?」
「何で学校で、ドールの事教えてくれなかったの? それに、ドールにあの事喋っちゃうなんて……」
私の事を、恨めしそうに見る日向真澄。
「お陰でドール、なんか凄く怒って――ハッ、そうか!! あれってヤキモチか!」
「はぁ!?」
「そっかそっか♪ ドール、俺に妬いてくれてたんだ……」
エヘラッと笑う日向真澄。
えぇい、ちょっと待てぃ!! 何勝手に決め付けとるんじゃー!
「それじゃあ、一ノ瀬さんには感謝しないとね。今度何か奢るよ」
ピクピク。
お、おごり?
ハッ! イカンイカン。またもや、流されてしまう所だった!
「美味しいケーキバイキングのお店知ってるんだ。何だったら、如月君も誘って如何?」
「はい! 喜んで!」
シュタッと手を上げて、元気に返事していた私。
「んじゃ、決まりね。如月君には、一ノ瀬さんから言っておいてね」
ニコニコとそう言って、店内に戻ってゆく日向真澄。
私は手を上げた状態のまま、固まっていた。
「あは☆ ミカちゃんって本当に期待裏切らないよね、どんどん面白い方に向かってくんだもん♪」
そう杏ちゃんが、私の肩をポンと叩くと言った。
「あ、王子様に何処のお店か聞いてこよーっと♪」
ウキウキと、杏ちゃんも店内に戻っていった。
「ミカちゃん……。今日はもう帰る?」
姉が肩に手を置き、優しくそう聞いてきたので、私は泣きそうになって、うんと頷くのであった。
そして、家路につく私。
とぼとぼと道を歩いていると、いきなり声を掛けられた。
「一ノ瀬!?」
見るとそこには、同志が立っていた。
少々疲れたような顔をしているのは、気のせいであろうか。
「お前、バイトじゃなかったのか?」
あ、そういえば、私のバイト先を探していると、あ奴が言っていたっけ。
もしや、今疲れた顔をしているのは、ずっと探していた?
「……バイトは、早引きしてきました……」
私がそう言うと、同志は吃驚した様な顔をしてから、眉を顰める。
「早引き!? どっか具合でも悪いのか?」
そう言って、同志が心配そうに私の顔を覗き込んできた。
その顔を見ていたら、何だかホッとして泣けてくる。
ポロポロと涙を流していると、同志の慌てた声が聞こえてきた。
「ど、どうした一ノ瀬!? そんなに具合が悪いのか? と、とにかくっ、ここは目立つから、あっち行こう、なっ?」
そう言って、私の手を引き、路地に入ってゆく。
「ここなら、人通りも無いし、大丈夫か? んで、どうした? 何かあったのか?
また、オヤジ達の事とかか?」
同志が、何時に無く優しい声で聞いてくる。
フルフルと首を振り、私は涙を滲ませ、同志を見上げる。
話すにしても、バイトの事は言えないし、何よりあの事を話す気になど到底なれない。
ああ、思い出しただけでも、ズーンと疲れが押し寄せてくる。
これはもう、同志に癒しを求めるしかない!
なので私は、同志に向かって言った。
「同志……何も聞かないで、私のこと慰めてください……」
すると、同志の顔が、みるみる真っ赤に染まっていった。
……? おんやぁ? 何故にいきなり純情少年に?
首を傾げていると、同志は私から視線を外すと言い放つ。
「な、慰める、つったって、泣いてる理由分んなきゃ、慰め様が無いだろ!!」
別に、理由分んなくても慰められるのに……。
そんな事を思って、私は同志の手を取った。
そう、それはこの手を使って――……。
++++++++++
日曜日――。
昨日に引き続き、オレは一ノ瀬のバイト先を探す為に、店を一軒一軒見て回っている。
だが、あらかた見て回ったというのに、一ノ瀬を見つける事は出来なかった。
見落としている所でも会ったのかもしれないと、オレが踵を返した時だった。
「一ノ瀬!?」
そこには、今まさに探している人物が、道を歩いている所だった。
今はまだ、お昼を少し過ぎた頃。
バイトは如何したのだろうと思い、その事を聞くと、一ノ瀬は早引きして来たのだと言った。
早引きだって!?
そう思って見てみれば、何だか一ノ瀬は元気が無かった。
?? どっか具合でも悪いのか?
オレが心配になって、一ノ瀬の顔を覗き込んでいると、いきなりその目から、ポロッと涙が零れ落ち、オレは慌てた。
な、なんだぁ!? そんなに具合が悪いのか!?
そう思って、おろおろとしていると、道行く人が此方をじろじろと見ている事に気付いた。
ハッ! もしかしてオレが泣かしたと思われてる!?
「と、とにかくっ、ここは目立つから、あっち行こう、なっ?」
オレは急いで、一ノ瀬を路地に連れてゆく。
人が居ない事を確認して、オレは改めて、一ノ瀬に泣いている理由を尋ねた。
また、以前のようにオヤジ達の事かと思ったが、どうやら違うらしい。
しかし、少し黙っていたかと思うと、涙の浮かぶ目でオレを見つめ言った。
「同志……何も聞かないで、私のこと慰めてください……」
俺はカァッと顔が熱くなってくるのを感じた。
ヤ、ヤバイ、可愛すぎる……。
それにっ、慰めてくれって……それってアレか!?
ドラマとかでよく見かける「私のこと慰めて……」とか言って、男に迫るアレか!?
と、とりあえず、理由聞かなきゃだよな?
そう思って顔を逸らしつつ尋ねたのだが、返事の代わりに一ノ瀬はオレの手を握ってきた。
うぉっ!! やっぱりアレか!? アレなのか!?
すると一ノ瀬はポツリと言った。
「同志……いい子いい子して下さい……」
………はぁ!?
オレはまじまじと一ノ瀬を見る。
慰めるってソレ……? ってオレ! 何期待してんだよ!
そんな事を考えていて、一向に動かない俺に業を煮やしたのか、一ノ瀬はオレの手を、己の頭に導いた。
一ノ瀬の柔らかい毛が指に絡まる。
ドキンと心臓が高鳴った。
頭を撫でる位と、侮っていたオレがバカだった。
何だこれ!? 何でこんなに柔らかいんだ!? つーか、すげーサラサラ、頭もちっちぇー!
それに、お前のその顔。マジでヤバイんだけどっ!!
一ノ瀬は目を瞑って、気持ち良さそうにオレの手の動きに身を任せている。
……めちゃくちゃ可愛い……。
そんな事を思っていると、一ノ瀬がポツリと呟いた。
「私が落ち込んだ時、ある人はこうやってよく、頭を撫でてくれるんです」
「……? ある人?」
「はい、父の知り合いで、私にオヤジ達の沈黙シリーズを教えてくれた恩人です」
「ふーん……」
俺はそう曖昧に返事をしながら、もう片方の手も一ノ瀬の頭の上に置いた。
両手で包むと、その頭はやっぱりちっちゃい。
オレはくしゃくしゃと一ノ瀬の頭を撫で繰り回す。
「ふわっ!? な、何ですか? いきなり! ……あ、でもそれ、何か気持ちいいです」
そう言って一ノ瀬は、頬を染めながら、オレに向かってニコッと笑って、もう一度目を瞑り、されるがままになる。
そんな一ノ瀬の姿を見ていたら、俺の中の何かのスイッチが、パチンと入った。
++++++++++
私が、その心地よさに身を委ねていると、同志の手の動きが急に変った。
「……??」
その手は何故だか私の耳を触っている。
最初、指で撫でるようにしたかと思うと、耳たぶをふにふにとしてきた。
「ぅんっ!? やっ、あの、同志!? くすぐったい、ですけど……?」
「ふーん……? オレは気持ちいーけど?」
「ど、同志!?」
私がそっと目を開けて、彼を見上げると、同志はじっと私を観察するように見下ろし、その口元にはうっすらと笑みが浮かんでいた。何より、その目には怪しい光が浮かんでいるような……。
「……細い首、細い肩……」
同志がポソリと囁いた。
その手は、言葉どおりの所に移動している。
私はゾクッとして、思わず一歩後ずさった。
「あ、あの、同志? 何か怖いですよ?」
たらりと冷や汗を垂らしながら、私がそう言うと、同志は首を傾げながら言う。
「ん? そうか? オレはスゲー楽しーけど?」
ハァッ!! 何か、何か、同志が変になってるぅ!!
何かオレ様な感じだよ!? なんでぇ? 何故にぃ?
「これ、気持ちいいんだろ? もっとしてやるよ」
そう言ってまた、私の頭を撫で繰り回す。
ふわっ! 確かに気持ちいーけど!
何か私の中で、危険だと警報が鳴っている。
「頬っぺた、柔らかいな……」
いつの間にやら、同志の手は私の頬を撫でていた。
「睫毛もスゲー長い……」
そう言って、メガネの下に指を入れられる。メガネがずれた。
「だ、駄目ですよ! メガネが落ちちゃいます!」
ガシッとメガネを押さえる私。
ハッ、でも今はそんな事を言っている場合じゃ……。
「じゃあ、そうやって押さえてろよ。オレがその下から触ってやるから」
そう言って、隙間から指を入れ瞼を触ってくる。
ギーヤー! いやー、触らないでー。何か気持ち悪いからー!
ニ゛ャーー!! 眼球の形分るように触らないでーー!!
私はゾワゾワッと背中に悪寒が走り、一先ずこの手から逃れようと、後ろに下がったが、何かに蹴躓き、後ろにそのまま倒れる。
「うひゃあ!?」
「うおっ! あぶねっ!!」
私の悲鳴と、同志の声が同時に上がる。
そして気付けば、私はメガネを押さえたままの状態。同志は、私の腰を掴んで、支えている状態になっていた。
「大丈夫か?」
見れば同志は、私を心配げに見ていた。
それはいつもの同志で、私はホッとして、メガネから手を外し、礼を言う。
「はい、大丈夫です。有難う御座います、同志」
しかし、同志は一向に離れる気配が無い。
「……ど、同志?」
「……細い腰……」
ボソッと耳元で囁かれた。
ギャーー!! 戻っとらーん!!
いつもの同志よ、カムバーック!! 戻って! いつもの純情少年に戻ってーー!!
おしっ、ここは一世一代の大勝負じゃ! いつもの同志なら、これで顔を真っ赤にして離れるはず!
「同志、同志」
「ん? 何だ?」
首を傾げて、同志は私を見る。その手は、私の腰に置かれたままだ。
「……唇には触んないんですね?」
どぉーだー!! これでいつもの同志なら、顔を真っ赤にして離れる筈!
しかし、一歩間違えれば逆効果にっ!! これは一種の賭けであるのだ!!
ギャンブラー岩瀬よ、我に力を!!
こんな時だが説明しよう!
ギャンブラー岩瀬とは、オヤジ達の沈黙 第八巻 『ベガスに恋する五秒前』に出てくる主人公である。因みに、バタフライるみ子は、ルーレットのディーラーとして出てくるのだ!
同志は目を見開かせて、驚いた顔をしている。
私は上手くいったかと、注意深く彼を見ていたのだが、同志のその口が、笑みの形をとった。
NOー!! 賭けに負けたっス!! ギャンブラー岩瀬、降臨せず!
「何なら唇で触ってやるよ」
そう言って、同志は私の顎を掴み、上向かせた。
わーい、逆効果ー。
ってゆーか、本当にもう別人のようですね!! 一体彼に何が!?
私は顔を近づけてくる同志の口を、ムギュッと手で押さえた。
同志が、怪訝そうに私を見ている。
こうなったらしょうがない、別の事に気を向かせよう!
「わ、私の家に来ませんか? 見せたいものがあるんです!」
「一ノ瀬の家?」
「はい! 同志の家には、この前行きましたし、お返しです! それにきっと喜びますよ」
「お返し? 喜ぶ?」
「そうですよ、同志! 来たくありませんか? 私の家」
すると同志は、何か考える様にした後、ニッと笑って「行く!」と言った。
そして上機嫌で、私を放すと、
「早く連れてってくれよ」
と、催促してくる。
おしっ、一先ずここは切り抜けた! しかし、一体全体如何してこな風に変ってしまったんでしょうか? いつになったら元の同志に――……。
ハァッ!! このままだったらどうしよう!
私はチラッと同志を見る。
彼はニコニコと笑って、嬉しそうだった。
何故にそんなに嬉しそう?
「こっちです」
わたしはそう言って、同志を案内する。
私はハァーと溜息を吐く。
家に連れて行くこと自体は別に構わない。
ただ、同志が今こんな状態な事と、後今日は家に父がいる。
今日は仕事の休みな日で、恐らく家にいる筈だ。
あ、でも、あの人も来ているかもしれないな。
あの人と言うのは、私にオヤジ達シリーズを教えてくれた恩人の事。
以前同志の事を話したら、会いたいと言っていた。
居るといいなと思いながら、また溜息を吐く。
同志の前で、恥ずかしい真似をしなければいいのだけれど……。
父の事を思うと、どうしても溜息が出てしまうのだった。