第十七話:そう、心を無にして……。
『赤パジャマ青パジャマ黄パジャマ。 隣の客は良く柿食う客だ』
『君は字も凄く綺麗なんだね。 特に黄と柿なんかは芸術的だ!』
「ブプー」
天塚杏也はそれらを見て、吹き出すのを抑える事が出来なかった。
(何でミカ、早口言葉? って言うか、王子様も何だよ、芸術的って!!)
暫く杏也は、そのまま笑い続けていた。
漸く笑いの発作が治まり、杏也が顔を上げると、目の前にいる日向真澄は、スケッチブックを仕舞い、ミカの事を見つめ続けている。 そして、今度はそのミカを見てみると、彼女は今、本に没頭しているようだった。
(ああー、こうなると周りが見えなくなるって、店長言ってたよなー……)
本当か? と思い、杏也は試しに、ミカの頬を軽く摘んでみた。
「…………」
(へぇ……本当に全然反応なしだな……)
今度は、その耳にフッと息を吹きかけてみる。
「…………」
やっぱり反応しない。
ここまでくると、杏也はどうしても反応させて見たくなった。
「……ミカ、そんなに無防備だと襲っちまうぜ?」
そう耳元で囁きかけてみるが、ミカは本に没頭したままであった。
杏也は肩を竦め、軽く息を吐くと、チラッとガラスの向こうにいる日向真澄を見た。
彼は、ずっとミカの事を、うっとりとした顔で見つめ続けている。
(それにしても、良く飽きもせずに見つめ続けられるよな。まぁ……そこまでぞっこんって訳か?)
「あ、ぞっこんって言えば……ミカ、俺ミカの同志にここの地図渡しちゃったんだけど……」
杏也はわざと、声に出して言ってみる。
「…………」
それでも反応しないミカを見て、苦笑してしまう。
そして、頬杖を着くと外を眺めた。
(来るかなあいつ……いや、来るだろ。あそこまで突っついてやったんだから……)
そうして杏也は、心の中でほくそ笑むとボソッと呟いた。
「でもな、同志……そう簡単にはミカには会わせないぜ? その為に、地図も物凄く分りづらく書いたんだからな……」
(だって、直ぐにバレたら面白く無いだろ?)
杏也は真澄を見てニヤッと笑うと、ミカの腰に手を添えて、その頬にチュッと音を立ててキスをした。
ミカは相変わらず変化は無い。
杏也はちょっと面白くないながらも、真澄の方を見てみると、彼は顔を顰めて此方を見ている。空かさずホワイトボードを取り出すと、素早く書いて真澄に見せた。
『だって、恋人同士だもん』
ハート付きのその言葉に、真澄は物凄く面白く無さそうな顔をする。
(ミカが反応しなくても、こいつで遊べるか?)
そう思って、杏也はにっこりと笑い、ミカの肩にぴったりと寄り添うのだった。
「ああっ、そんなにくっ付かないで!」
真澄は、目の前で寄り添う二人に、叫んでいた。道行く人たちは、そんな彼を白い目で見ていたが、当の本人はまったく気にする様子は無い。
「ああ、そんなに足を絡めないで! うわっ、耳にキスしちゃ駄目だって! ドール、君もなんで無反応なんだよ!」
真澄は、ミカの事をドールと呼んだ。あのネット販売のページでは、彼女はドールと呼ばれていた為だ。
「あっ、今度は首にキスした。あー! キスマーク付いちゃったじゃないかっ!!」
真澄はスケッチブックを取り出す。
『それはちょっとやりすぎ!』
すると、杏也もホワイトボードを取り出す。
『杏も今、そう思ったところ。だって君の反応、面白いんだもん!』
「俺は、全然面白く無い!」
そう叫ぶ真澄であった。
その後、ショーウィンドウの中の2人は、何事も無く、大人しく座っていた。
真澄は暫しの間、杏也の事を睨んでいたが、漸く気が落ち着き、ミカの方に向き直った。
相変わらずな彼女の姿に、真澄は苦笑する。
「君って、何事にも動じないんだね。精神的に強いって事かな?」
そんな独り言を呟く真澄であった。
真澄は、本に集中しているミカを見て、ほぅっと溜息を吐く。
(ああ、本を読んでいる時の彼女は、本当に綺麗だ……)
今のミカの姿は、背筋がピンと延び、目線だけで本を読んでいる。
そして、微動だにしないその姿は、本当に人形の様に見えた。しかし、決して人形じゃないと言う証拠に、本の世界に感情移入しているのか、時折その表情が変る。
悲しげに顔を歪めたかと思えば、ホッとしたように微笑んで見せたり、ムムッと難しそうな顔をしていたかと思えば、驚いたように目を見開かせたりと、とにかく見ていて全く飽きないのだ。
「……ショーウィンドウ越しで良かった……」
真澄は呟く。何故ならば、それが無ければ今すぐにでも、捕まえて攫っていってしまいそうだったからだ。
(ああ、彼女のあの微笑が、彼女の全てが、今すぐ俺だけのものになってくれるのなら、俺は何だってする……)
真澄が、そう心の中で呟いた時だった。
突然、真澄の視界が遮られる。
そして聞こえてくる黄色い悲鳴。
「キャー、ドール様! 今日もステキー!」
そう叫んだのは、黒いロリータを着た少女。
「今日は男子になっとるんやね!」
そう関西弁で喋るのは、髑髏やシルバーアクセサリー等、何処かパンクを匂わせるロリータを着た少女。
「それに百合物とは、中々やるでありんすな!」
そんな変な喋り方をするのは、和服な感じのロリータを着た少女であった。
そんな彼女達は皆、日傘を差しており、真澄からは全く、ミカが見えなくなってしまっている。
真澄としては、あまり声を掛けたくはなかったが、勇気を振り絞り、少女達に向かい、話し掛けた。
「あの、ねぇ君達……」
すると、彼女達はピタッと騒ぐのを止め、真澄を振り返る。
そして真澄を見ると、一様に驚いた顔を見せ、彼女達だけで顔を付き合わせ、コソコソと喋り始める。
『ねぇ、どうしよう。ボク達すっごいイケメンに話し掛けられたよ』
『うち、ナンパなんて初めてやで』
『わっちも、こんなイケメン見るのは、初めてでありんす』
真澄の耳にも、その会話は聞こえてきた。なので、慌てて否定する。
「違う違う! ナンパなんかじゃないって。俺も今、ドールを見ていたんだ。それに君達って、小学生? ナンパなんかしたら俺、犯罪者じゃん」
真澄がそう言うと、彼女達は憤慨して叫んだ。
「ボク達、小学生じゃないやい!」
「そうやで! 自分、イケメンやからって、バカにすんなや!」
「そうでありんす! この前、立志式も済ませたでありんす!」
「って、中学生じゃん」
と、その時、聞き覚えのある声に名を呼ばれた。
「あれ? お前、日向か?」
「っ! 如月君?」
見れば、皮のジャケットを着込んだ如月呉羽がそこに立っていた。
呉羽は真澄に近寄る。
「何してんだ? こんなとこで」
「如月君こそ。どっか買い物? あ、それとも一ノ瀬さんとデート?」
真澄がそう言うと、呉羽は顔を赤くして否定した。
「はっ!? ちげーよっ!!」
そして呉羽は、呆然として此方を見ている、ロリータ三人衆を見て顔を顰めた。
「何こいつら、お前の知り合い?」
「えぇ!? 違うよ! 今日初めて会ったんだから」
「は? ナンパか?」
「違うって! 中学生ナンパする訳無いでしょ」
真澄が苦笑して言うと、彼らの耳に、ロリータ三人衆のヒソヒソ声が聞こえてきた。
『ねぇ、又もやすっごいイケメンが出て来たよ』
『何か今日は、イケメンの当たり日みたいやな』
『こうして、イケメン2人に立たれますると、何やら圧倒されまするな……』
そうやって話す間も、チラチラと真澄と呉羽を盗み見ている。
そんなロリータ三人衆を無視して、呉羽は真澄に話しかける。
「なぁ、日向」
「えっと、何かな如月君」
真澄も、こんな風に呉羽と親しげに喋るのは初めてである。 少々緊張する。
(一ノ瀬さん効果かな?)
そんな事を思っていると、呉羽が何やら紙切れを取り出し、真澄に見せた。
「これ、解読できねーか? さっぱりわかんねー」
「うわっ、何これ。モグラの巣穴?」
クネクネと曲りくねったうえに、入組んで描かれたそれは、まさにその様に見えた。
「うん、いや、まぁ……一応地図なんだけど……」
「えぇ!? 地図?」
そう言われて良く見てみれば、ここは駅とか、ここはコンビニとか、小さく書かれている。
「……なんか、秘密の暗号みたいだね……」
それを見て、そう呟く真澄だった。
「それで、何の地図なの? これ」
真澄がそう聞くと、呉羽は罰の悪そうな顔をして答える。
「……一ノ瀬のバイト先……」
それを聞くと、真澄はぷっと笑って言った。
「何だ、やっぱりデートじゃん」
「いや、別に違う……」
「いやいや、別に隠さなくてもいいって。俺だって、間接的だけど、デートの最中だし」
「……? 間接的?」
訝しげな顔をする呉羽に、嬉しそうに笑って、真澄は言った。
「前言ったでしょ? 心に決めた人がいるって、その人が此処で、マネキンのバイトをしてるんだ」
「はぁ!? マネキンのバイト??」
思いっきり変な顔をする呉羽。彼は、ショーウィンドウの方を見るが、ロリータ三人衆のおかげで、中を見る事が出来なかった。
すると、その三人衆が、目の色を変えて叫んだ。
「えぇ!? って事は、ドール様の彼氏様ですかぁ!?」
「何でそれを早く言わないんや、いや、ですかっ!!」
「さすがドール様! 彼氏様も美形でありんすっ!!」
目を輝かせて、真澄に詰め寄る三人衆。
そして、そんな彼女達に完全に引いてしまっている呉羽。
「……じゃあオレ、そろそろ行くわ……」
真澄にそう言うと、彼はにこやかな顔で言った。
「うん、如月君もデート頑張ってね」
「だからっ、デートじゃねーって!」
呉羽はそう言うと、持っていた地図をクシャリと握りつぶした。
「もうこうなったら、しらみつぶしに探してやる!」
そして振り返ると、ショーウィンドウの中が一瞬、チラリと見えたが、直ぐに三人衆の日傘によって、また隠れてしまう。
「まぁ、こんな店で、普通好きで目立つのが嫌いな一ノ瀬が、バイトしてる訳無いしな……」
そう呟くと、呉羽はその場を後にするのだった。
++++++++++
「そうだ、今夜はおでんにしよう」
うん、と頷いてふと外を見た私は、思わずビクッとしてしまった。
「な、何ですかこれ!? いつの間にやらギャラリーが――って言うか、皆ロリータ着てますが……」
「うん、だってあの子達、たぶんミカちゃんのファンだと思うよ」
ニマニマと笑いながら、杏ちゃんが言った。
………チーン。
「はぁ!? 私のファンですかぁ!?」
「うん、そう。ネット販売始めてから、ミカちゃん個人にも反響が凄くてね?
あ、因みに、その中ではミカちゃん”ドール”って呼ばれてるからね。杏も店長も、ファンの子達の前では、ミカちゃんの事ドールって呼ぶからよろしくぅ」
「…………」
私は一瞬固まる。
……よりにもよって、ドールですか……。
「……? どうしたの? ミカちゃん」
「……いえ、その呼び名には嫌な思い出がありまして……」
「え? なになに?」
杏ちゃんがキラキラとした目で、身を乗り出してくる。
「……私、言いませんでした? 嫌な思い出って……何でそんなに嬉しそうなんですか。全く……絶対にあなたには言わないので、悪しからず」
「えぇー? いけずぅー」
そう言って杏ちゃんが、可愛らしく頬を膨らませた。
ギャー!! いーやー、天塚さんの姿とダブるー!!
ゾワゾワッと鳥肌が立ち、杏ちゃんから視線を逸らせた時だった。
ピキーンと私は固まる。
い、いいい今そこに、見覚えある金髪赤サイドがぁー!! な、ななな何故同志がここに!?
「あ、あれってもしかして、同志君じゃないのぅ?」
隣にいる杏ちゃんも、同志の存在に気付いたようだった。
今、目の前には、私のファンだという子達の日傘によって、同志の頭の上しか見えない状態。 よって、向こうからも此方は見えない事だろう。
だがその時、日傘が横にずれた――。
ガバッ!
私は思わず顔を伏せた。
ギュッと身を縮込めていると、私の背がポンポンと叩かれた。
「ミカちゃん。同志君行っちゃったよ」
「ほ、本当ですか?」
「うん、本当……でも、俺としてはもうちょっと、このままでいたいけどな……」
何やら掠れた声で囁かれる。
私は、いきなり杏ちゃんが天塚さんに変ったので、驚いて顔を上げると、目の前には杏ちゃんの格好ながらも、何処か天塚さんを思わせる、あの意地悪そうな笑顔が……。
はぁっ!! 私いま、杏ちゃんにしがみ付いているっ!!
いーやー! 咄嗟の行動とは言え、こんな鬼畜なオカマさん抱きつくなんてー!!
「ぎゃー! 腰に手を置かないで下さいー!!」
私が固まっていると、杏ちゃんは背を叩いていた手を、そのまま下に移動させたのだ。
ゾワゾワッと鳥肌が立ち、私は勢い良く杏ちゃんから離れた。
「ああん、もう離れちゃうんだぁ。ざーんねん」
そう言って、あの甘々砂糖菓子に戻る杏ちゃん。
「セクハラで訴えますよ!」
「えぇ? 最初に抱きついてきたのはミカちゃんなのに?」
「うっ!」
そうです……私から抱きつきました……。ああ、自己嫌悪……。
私がそうして、ズーンと落ち込んでいると、コツコツとショーウィンドウを叩く音が……。
見ると、あのロリータ三人衆が此方をキラキラした目で見ている。
日傘は閉じられており、彼女達は、見覚えのあるスケッチブックを持っていた。それは、日向真澄のスケッチブックだ。
そして、黒いロリータを着た子が、そのスケッチブックを開いて私に見せた。
『初めまして、ドール様! ボク、黒苺っていいます! ドール様、どうかゴスロリ着て下さい!』
すると、次にその隣の子が、スケッチブックを受け取り、ページを捲るとバッと見せてくる。
『うち、紅百合って言いますねん! ドール様、今度は絶対、パンクロリータを!!』
そして、もう一人の和服っぽい子もスケッチブックを受け取る。
『わっちは小豆と言うでありんす! ドール様には和ロリが似合うでありんす!』
そして最後に、三人一緒にページを捲ると、皆で顔を見合わせ、頷くとそれを私に見せた。
『私達はドール教信者です!!』
………チーン。
何ですとぉ!? ド、ドール教信者って!?
私が呆然としていると、隣の杏ちゃんがクスクスと笑って言った。
「ほらほら、教祖様? 信者達にお言葉を掛けてあげなくちゃ♪」
そして、ホワイトボードを渡してくる杏ちゃん。
おのれっ! こやつ、完全に面白がっていやがりますな!? やっぱり鬼畜!!
私は、ホワイトボードに目を移す。チラリと前に目を向けると、彼女達は物凄いキラキラした目で此方を見ている。
ああっ、そんな穢れの無い目で見ないで……。
その眼差しに負けて、私はペンを取る。
「あ、教祖様? 書く時は、自分の事はドールって書かなきゃだめだぞ?」
杏ちゃんが空かさず言う。
「だから、さっきも言いましたが、ドールには嫌な思い出が――……ハァ、もういいですよ、分りました……」
溜息混じりにそう言うと、私はムムッとホワイトボードを睨みつけた。
そして、私は書いた。 心を無にして――。
『坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた。蛙ピョコピョコ三ピョコピョコ、合わせてピョコピョコ六ピョコピョコ。 by ショーウィンドウのドール』
++++++++++
「……坊主が屏風に……? 早口言葉だね……?」
「何で文字で早口言葉やねん!」
「ハッ、もしや何か深いお考えで、この様に書いたでありんすか?」
ロリータ三人衆が、それぞれそんな事を言う中、ミカの書いた文字を見て、ほぅっと溜息を吐く者が居た。
「ああ、今度の文字は、坊主とピョコが素敵だ……」
そう呟き、ミカを見つめ続ける真澄であった。
どうも、と言う訳で、ロリータ三人衆が新しいキャラです。彼女達はネットで知り合いました。それぞれ違うロリータながらも、同じドールという名の下に集まった三人衆です。