第十六話:そうだ、おでんを食べよう。
今回からバイト編です。
「ミーカちゃん♪ 今日は男の子の格好をしてもらうわよ!」
ハイ? ドウイウ事デスカ?
今日は休日。
朝から姉の店に遣って来た私は、姉に開口一番にそう言われた。
「今日は、英国風男の子でいきまーす!」
姉がそう言って、私に服を渡す。
それは、金髪ショートのカツラに、ミニシルクハット。ブラウスとチャック柄のネクタイにベスト。それに半ズボン。
それだけ聞けば、普通じゃんと思われるだろうが、そこはロリータ。ふんだんにフリルやリボンが付いているのだ。
それに、ブラウスの袖はふんわりしているしー、半ズボンもやっぱりふんわりしているしー……。
何処が男の子やねん!!(つっこみ)
何処からどう見ても女の子の出で立ちなのだが、それでも姉が言うには男装なのだそうだ。
その目は節穴かっ!!(またまたつっこみ)
私はそれ以上の追及を諦め、いつもの様にショーウィンドウの中に入ってゆく。
そして、私はそこでピキッと固まった。
「あは☆ ミカちゃん、おっはよぅ!」
そこには、二人用の椅子に座った、杏ちゃんの格好をした天塚さんの姿が――。
“ガシィッ!!”
「あ、あれ? ミカちゃん? 何で杏の首を絞めてるの?」
「……自分の胸に聞いて見てください……」
そう、それはつい昨日の事。
同志が私に言った一言。
――お前、バイト先でプロポーズされてるって本当か?――
何でも、それは天塚さん(って、今は杏ちゃんの格好だから杏ちゃんと呼びます)から聞いたとの事。
「……うーん……いっぱい有り過ぎて分んない?」
杏ちゃんは、可愛く小首を傾げてそう言いやがりました。
何だとぅ! この鬼畜オカマお喋りっ子がっ!!
私は、ギリギリと手の力を強めると、杏ちゃんに顔を近づけた。
「あなた、同志に言いましたね?」
「……えっと、何の事?」
「ほう……すっ呆ける気ですか。私がここで、あの日向真澄にプロポーズされている事ですよ。同志は、あなたから聞いたと言っていましたが?」
どうだ! これで、すっ呆ける事など出来まい!
だが、杏ちゃんは言った。
「あぁー、なーんだ、その事かぁ♪」
私は、杏ちゃんの首を絞めている、手の力を緩めた。
何だその事かって、どーゆーこっちゃねーん!
何かあんの? まだ、他に何かあんのー!?
と、その時、杏ちゃんは私の手を取ると、素早く顔を近づけてきた。
“チュッ”と音を立てて、殆ど唇に近い頬にキスをする。
「んもー、ミカちゃんが無闇に顔を近づけてくるから、チューしたくなっちゃうでしょ?」
「…………」
ゾワゾワゾワーと全身に鳥肌が立つ。
ワナワナと身体を震わせると、私は力の限り叫んだ。
「んぎゃーーー!! この変態がーーー!!」
私は杏ちゃんから離れようとするが、その手はがっちりと掴まれてしまっている。
「ミーカーちゃーん!! どうしたのー!!?」
私の叫びを聞きつけた姉が、すっ飛んできた。
「おおぅっ、お姉たま! 助けてプリーズ! ほ、ほほほほっぺにチュー!!」
「……? ミ、ミカちゃん? おちついてっ、お姉ちゃんに分る様に話してー!?」
「あは☆ 店長、杏がミカちゃんの頬っぺたにチューしただけですよぅ」
慌てふためく私たち姉妹に、杏ちゃんがそう言った。
こ、こやつっ! 開き直りやがったぁっ!!
ところが姉は、杏ちゃんのその言葉を聞き、ホッと安心したようだった。
「なぁーんだ、ただの頬っぺにチューかぁ。もぅ、ミカちゃんッたら。恋人同士の設定なんだから、それ位で騒いでちゃだめよー?」
………チーン。
何ですって? 恋人同士ですって?
「姉上様!? どぉーゆー事でありますかぁー!?」
私がズザザッと後ずさりながらそう言うと、姉はお気楽な顔をして言った。
「えー? だって、折角男の子の格好なのに、お相手の女の子がいないと寂しいでしょ? だ・か・ら、杏ちゃんにお願いしちゃった♪」
えへっ、と可愛らしく首を傾げて言う姉。
「丁重にお断りさせて――」
『お・か・ね♪』
ピクピクゥッ!!
ハァッ!! 今日はダブルできやがったぁ!
「それに、ミカちゃんが頑張れば、またボーナス出るかも?」
ボ、ボーナスゥ!?
私は片手をあげると言った。
「アイ! ミカたん頑張ります!」
ガッテムッ!! 何てこったい、まぁーたやっちまったぃ……。
どうか笑ってくれていいですぜ? おれぁ馬鹿な奴でさぁ……。
私は用意されている椅子に座ると、『オヤジ達の沈黙 第五巻 リングに向かって遠吠えを』の主人公、蒲田風にズーンと落ち込んだ。
説明しよう!
『オヤジ達の沈黙 第五巻 リングに向かって遠吠えを』とは、プロボクサーである主人公蒲田が、ある日謎の組織によって連れ去られ、実験によって狼人間にされてしまうお話である。因みに、その回ではバタフライるみ子は、主人公を連れ去る謎の組織のメンバーとして出て来るのだ!
「ほらほら、ミカちゃん。もっとこっちに寄って。これじゃ、恋人同士にならないぞ?」
椅子の端っこに座った私を、ヘイ、カモンとでも言う様に両手を広げて迎えている杏ちゃん。
「……恋人同士って……見ている人にとっては、女の子同士ですが……」
「でも、結構百合ネタってウケるんだよねぇ」
「ゆ、百合?」
はい? 何の事ですか? お花の百合の事ですか?
「ミカちゃんと乙女ちゃんなんかそうだよねぇ」
「??」
乙女ちゃん? 乙女ちゃんは百合じゃなくて薔薇ですが?
そうして、私が首を傾げているのを、杏ちゃんはクスクスと笑って見ているのだった。
「……あの、この腕は一体……」
「ん? 恋人同士なんだから、腕組んで当たり前でしょ?」
その後、私が警戒しながらも、杏ちゃんの言う通りに傍に寄っていくと、キュッと腕を絡めてきたのだ。
「いや?」
上目使いで見つめてくる。
ゾワゾワッと悪寒が走った。
さっきのキスもあいまって、ダブルでパンチな感じです。
「ヤメテクダサイ。激シク寒気ヲ感ジマス……」
「チッ、やっぱヤローじゃなきゃ効かねーか」
途端に男に戻る杏ちゃん。
ハッ! こうして男性は被害にっ!!
皆さん同情いたします……。
「あっ――」
その時、杏ちゃんが声を上げた。
「ほら、ミカちゃん。王子様が来たよっ。笑って笑って♪」
って、笑えるかーい! 休日にも拘らず、こうして来るなんて、よっぽど暇なんですねっ!
しかも、私服姿の日向真澄は、イケメンに拍車がかかり、道行く女性達は皆、彼に注目している。
「あは☆ こうして休日返上で来てくれるなんて、ミカちゃん愛されてるぅ♪」
「あんなイケメンに、愛されたくなんかありません……」
私がそう言うと、杏ちゃんは私をまじまじと見た。
「……ミカちゃんさぁ、何でそんなにイケメン嫌いな訳? それに、そう言うけど、同志君もイケメンだよ?」
私は、此方に向かって歩いてくる、日向真澄を睨みながら答える。
「今は言いたくありません。それに、同志は同じ『オヤジ達の沈黙』を愛する仲間。オヤジ達の前にはそんな壁、皆無に等しいんです!」
「はぁ? オヤジ達? 何だソレ?」
杏ちゃん……素に戻ってます……。
日向真澄は、ショーウィンドウの前に立つと、驚いた顔で此方を見た。
そして、いつもの様にスケッチブックを取り出す。
『今日は男の子の格好なんだね。でも、凄く可愛いよ』
そう書かれている物を私に見せる。そして、杏ちゃんの方をチラリと見た。
『今日は別の子も一緒なんだね? 君の友達?』
イイエ。全クノ赤ノ他人デゴザイマス。
心の中で、そう思っていると、隣の杏ちゃんが何やらゴソゴソとしだした。
そして、取り出したもの。それは、A4サイズのホワイトボード。
『初めましてー、杏でーす』
杏ちゃんはホワイトボードにそう書いて、日向真澄に見せた。そして、すぐさま消し、また新たに書く。
『今日は私達、恋人同士の設定だよ』
日向真澄は、それを見て驚いた顔をし、苦笑するとこう書いた。
『いくら女の子でフリだけだとしても、恋人同士って聞くと妬けちゃうな』
…………。
私は横目で杏ちゃんを見る。
いつもの甘々砂糖菓子。確かに今は、何処からどう見ても女の子。
しかし、私は実際に、男に戻る所を見てしまっている。
何も知らないって、本当に幸せな事なんだね……。
私は思わず、黄昏てしまうのだった。
「ほら、ミカちゃんも何か書いてあげれば? あの王子様の事だから、泣いて喜ぶんじゃない?」
そう言って、杏ちゃんは私にホワイトボードを渡してくる。
一体何を書けと……?
日向真澄を見ると、ものすごーく期待した目で此方を見ていた。
なので私は書いた。心を無にして――。
『赤パジャマ青パジャマ黄パジャマ。隣の客は良く柿食う客だ』
「…………」
私は無言で、それを見せる。
すると、日向真澄は落胆する所か、今までで一番、嬉しそうな顔になった。
そして――。
『君は字も凄く綺麗なんだね。特に黄と柿なんかは芸術的だ!』
………チーン。
芸術的ってどういうこっちゃーー!! 訳わからーん!!
「ブプー!」
隣の杏ちゃんが噴き出すのが聞こえる。
私はハァーと深く溜息を吐くと、ホワイドボードを杏ちゃんに返した。
ウフフ、何かすっごい疲れちゃったゾ。
そうだ、オヤジ達を読もう。
そして、私はラブリィーなカバーの付いたオヤジ達を手に取り、バックに杏ちゃんの笑い声を聞きながら、本を開くのだった。
『続・オヤジ達の沈黙 第二巻 おでんの出汁はトロピカル』
主人公の名前は冬木。おでんの良さを世界に広めるべく、旅に出た彼は、南の島へと遣って来て、おでんを売り歩くのだ。
**********
「ちっくしょう! 駄目だ、全然売れねぇー!!」
冬木は、おたまを地面に叩きつけた。
カンと小気味良い音を立てて、おたまは遠くへと跳ねて行く。
「フユキー」
その時、影から見ていた褐色の肌に少年が、心配そうに冬木に声を掛けた。
「おぅ、カトゥラか。わりーな、お前の母ちゃんに薬を買ってやる約束したのに、見ての通り、全然売れねー」
そして、フッと笑い呟く。
「おやっさん。俺、あんたの夢の為にここまでやってきたけど、どうやらここまでみたいだ……」
自分におでんの道を教えてくれた、師の姿を思い出す。と、その時、目の前にスッとおたまが差し出された。
「諦めるのは、まだ早いんじゃなくて?」
冬木は見上げ、声を無くす。
そこに立っていたのは、かつて、共におでんの道を極めようと、おやっさんの元で修行をしていた仲間。
「るみ子? 何でお前がここに!?」
「噂で聞いたのよ。南の島でおでんの屋台を出しているバカが居るって。
何となく、あなたじゃないかって思って来てみたら、案の定……」
「はっ、笑ってくれよ、るみ子。見ての通りだ……」
するとるみ子は、屋台の前に置かれた椅子に腰掛けると、冬木を見た。
「私に食べさせてくれないかしら、あなたのおでん。腕が鈍ってないか見てあげるわ」
そして、冬木はるみ子におでんを出した。
自分の最高と思うものを厳選して――……。
ちくわ、がんも、はんぺん、大根、卵――……。
るみ子は一口づつ、それらを口にしていった。
そして、全部を口にすると、箸を置く。
冬木はゴクリと唾を呑み、るみ子を見る。
「……腕は、落ちてはいないようね……」
その言葉にホッと胸を撫で下ろすが、次のるみ子の言葉に、冬木は衝撃を受けた。
「でも、あなたには決定的に欠けている物があるわ! それはLOVEよ!」
「ラ、ラブ!?」
「そう、愛よ。もっと周りに目を向けて御覧なさい。相手の事を考えるのよ。そう、そしてそれが――」
「それが?」
冬木は顔を上げ、るみ子を見る。
るみ子はフッと笑って言った。
「客商売よ、冬木……」
それを聞いた時、冬木は全身に、電流が走ったような衝撃を感じた。
「――客商売……そうか、そうだったのか! 俺は夢の事ばかり考えて、客の事を考えていなかった……」
「フユキー……」
その時、カトゥラが冬木に声を掛けた。
「カトゥラ、フユキーのオデン、スキー。ダカラー、ゲンキダシテー?」
たどたどしく、日本語で言うカトゥラ。
思わず涙が溢れるのを、冬木は止める事が出来なかった。
そして、その様子を見たるみ子は、背を向け、立ち去ろうとする。
「るみ子……もう、行っちまうのか?」
するとるみ子は、顔だけ振り向かせて言った。
「ええ、だって冬木。あなたはもう、分ったんでしょ?」
その言葉に冬木は頷いた。
「ああ、るみ子、お前のおかげだ。でも、出来ればお前も一緒に――」
「だめよ」
るみ子は冬木の言葉を遮る。
そして、前に向き直ると言った。
「今の私は、あの頃とは違うの。私が手を出したら、おやっさんから引き継いだそのおでん、汚してしまうわ……」
その声は、何処か寂しげだった。
「るみ子……お前は一体、今、何をしているんだ?」
るみ子の背に語りかける冬木。しかし、るみ子は振り返る事はしない。
「冬木、詮索するのはやめて。でないと私は、あなたを――……」
「……るみ子」
るみ子は歩き出す。
暫く、ボーとそれを見送っていた冬木であったが、口に手を添えると、既に小さくなったその背に叫んだ。
「るみ子ー!! 今、お前が何をしていようと! 俺にとっては、お前は! 昔のまま、おでん好きのるみ子だーー!!」
すると、その声が届いたのか、るみ子は片手を上げ、手を振って見せる。
そして、カトゥラもまた、冬木の真似をして、るみ子のその背に叫ぶのだった。
「ルッミーコ!! アリガトー!!」
**********
「…………」
私はパタンと本を閉じ、ハァーと息を吐くと、呟く。
「……おでんが食べたい……」
隣に座っていた杏ちゃんが、此方を見て「はい?」と首を傾げる。
私はそれを気にする事無く、さらに言った。
「そうだ、今夜はおでんにしよう……」
うん、と頷く私であった。